村上春樹『アンダーグラウンド』その2(1997.4.20)---募集事項あります

村上春樹『アンダーグラウンド』その2(1997.4.20)



 この本を全部地下鉄の中で読もうとしているせいか、まだ読みおわらない。地下鉄サリン事件など「もう思い出したくもない」とインタビューされている方で言っている人もいるし、僕もある程度は同じ思いだった。読み進むうちに、さすがにイメージの節目を村上は捕らえていて立体的に感じられてくる。
「その1」でマスコミの官僚批判のことを書いたが、もともと、会社だろうがどんな組織だろうが「現在いわれる」悪い奴は同じパーセンテージでいるのだ。また同じように同じ割合で神経症の方もいるだろうし、置かれた組織の中で規制の網の目からの志向は同じなのだ。このことはいくら確認してもいいことだ。泥棒の全人口の割合で、各組織に泥棒がいるといってさしつかえない。個人の中の「泥棒」の部分を考えるとわかりやすい。誰でも悪の部分をもっているし、またそれでなければ世の中おもしろくもない。マスコミがオウム真理教について肥大した時間を使って報道するのも、官僚批判をするのも、経済的バブルと同じで「いま儲かるからだ」。たぶん刑務所の中の囚人も、官僚も、同じだと思う。
「生と死」は宗教組織にいなくても、いくらでも日常深く考えなければならない時が出てくる。しかし、誰でもどうしようもなく宗教組織に入りたくなることはあると思う。ウチはたまたま浄土真宗によって、葬儀を行うことになっているが、坊さんの親鸞への考え方と僕のではだいぶ違う。それに古い神道にも興味がある。だがいずれにしろ、心理的部品の一部として誰しも宗教を使っているのは間違いない。人間の機能的部分からいえば、化学的知識を化学官僚並みにあるいはそれ以上に持っていたオウム真理教信者は確かにいた。つまりはこちら側とあちら側(オウム真理教信者)と、「生と死」への考え、イメージを抜けば変わらないといってさしつかえない。官僚もオウム真理教信者も、もとをただせばみんな「普通の人」なのだ。
「エヴァンゲリオン」はまだ全部見ていないが、「インデペンデンス・デイ」のように心理的には線形的なものではない。宮台がこの本の書評に比喩に使うぐらいの複雑さを持っている。「超人類が生まれる」というSFの範型から少し後退して、人造人間に「シンクロする」という設定は、リアルである。しかし、心身というものは、もうそれだけでビークルなのだ。

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村上朝日堂。村上春樹さんの活発に読者とコミュニケーションをしているサイトで、アンダーグラウンドについてはコーナーを設けている。
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渡辺洋さんの「村上春樹『アンダーグラウンド』を読んで考えたこと」(97/4/1)
本間進さんのHomePageにある「アンダーグラウンド」の感想
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「TanPaku」の白井賢太郎さんの「怒涛の書評」コーナーにある書評
「MunichLife」のイサールさんの「1996年5月から97年5月までに読んだ本」のコーナーにある感想

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