折口信夫の詩――その1(1997.5.21)

折口信夫の詩――その1(1997.5.21)



 前回のエッセイで透谷の「蝶のゆくへ」から、助辞「が」と「の」で詩が違ってきてしまう、というのを書いた。「中央公論」6月号で折口論の連載を終わった岡野弘彦と丸谷才一が対談している。この冒頭に、折口の「新古今和歌集講義」にでてくる「読み」が前回のエッセイの透谷の「が」とほぼ同じようなものだった。
 丸谷は西行の「よし野山さくらが枝に雪ちりて花をそげなる年にもあるかな」について折口が、
《この歌で折口さんは、「さくらの枝に」ではなく「さくらが枝に」という助詞の使い方に着目している。(略)
この場合、「が」を使うと内扱いで、「の」を使うと外扱いなんです。そのいちばんいい例は仏足歌の、「父母がために諸人のために」(引用者註:原文は、が、の、に傍点)ですね。》
 西行は吉野山にずっといて、桜に非常な親近感を覚えているので、「が」と内扱いにし、折口はそこに注目していると丸谷は言っている。
 前回の「が」はむしろ観照者が、「蝶の内側」になりきっているニュアンスで書いたので、これとは少し違うがおもしろい。
 折口信夫と柳田国男の対談は、文庫版の『柳田国男対談集』に収録されているが、すごいものだ。内容は抑制されていると感じるが、内容はともかくとして、日本思想をえぐった学者の対談としてすごみがある。折口は柳田を「先生」と呼び、年とった柳田は創見の冴えはない印象が浮かぶにしても。
 折口の詩はうまくないという人もいるようだが、全集の「古代感愛集」「近代悲傷集」「現代襤褸集」の3つでいえば、「襤褸集」が口語でとりかかりやすい。いったいに、詩の集積は時が経つにつれ、生きた時空の日記の色彩を帯びてくる。発表のときであれば、時代の予感を含んでいるのだろうが、折口の詩を読むときなどは、落ち着いて追想するに限ると思う。

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