吉本隆明の「試行」の終刊 その1(1997.12.17)

吉本隆明の「試行」の終刊 その1(1997.12.17)



「試行」が終刊になった。終刊号は12月20日発行となっている。全74号で終刊である。もっともこの終刊は自然なかたちのものと感じる。「直接購読者諸氏へ」という文章には、第一に体力の衰えが終刊の理由として挙げられているが、一般ジャーナリズムへは旺盛にほかの思想者にはとても囓れないような情況的諸問題を書いたり、話したりしていてその「義理」を果たしているのだから、むしろ2年半も出ていなかったことが意外な気もする。家内工業のような個人誌作りは、やはりいろいろと気を使うことや、事務的なことも出てきて「試行」の場合、ごく自然に終わったという感じであった。
 感慨無量なところがある。大学生のころから購読し始め、途中何号か予約金を払っていなかったために抜けているが、「試行」バックナンバーは机から見えるところにおいてある。寄稿の全部を舐めるように読んだことはなかった。原稿の質は商業出版のレベルを超えているし、なにより制約はいっさいなし、吉本さんの目を通っている、というところが安心だった。実をいえば、いつか「試行」に原稿を送って吉本さんに見ていただきたいと思ってもいた。購読の領収書に吉本さんの僕のメモに対する返事のメモが書かれていて、うれしかったのを覚えている。「試行」に掲載されること、それは僕にとっては狂喜乱舞するような出来事なのだろうと思う。でも、商業ジャーナリズムではなく、じっくりと吉本さんに見せる批評文を書くにはそれなりの覚悟がいる。結局、原稿を送ったことはなかった。Booby Trapの寄稿者である木嶋孝法さんの「異途への出発――宮沢賢治(二)」という文章が終刊号に載っている。その名誉を木嶋さんとともに喜びたい気持ちである。「試行」がなくなったいま、僕なりに定位した吉本さんに読まれるレベルの批評をいつかきっと書いてやろうと思っている。
《ほんとをいうと現在の社会情況や政治情況は難所にかかっていて、「試行」の続刊はいま第二番目の必要さに晒されているともいえる。わたし自身は身軽になって体力の消耗をさけながら、これからも情況の難所に対応してゆくつもりだ。》(「直接購読者諸氏へ」)
 と書かれている。「後記」には、
《またとくに寄稿者各位に申上げたい気がするが、雑誌媒体がなくなったとて、書く手を休めないで欲しいと願う。書きたいと願い、書く必然が感じられて、そのモチーフがあるあいだ書くという自分の行為に、最小限自分だけが責任を負うことができるし、それが無価値になることはありえないから。》
 誠実な長期寄稿者へ向けるこの言葉を、商業ジャーナリズムのシステムの誰が吐けるのか。とすれば、これは僕のように寄稿もしたことのない書き手に勇気を与える言葉であるに違いないと思う。
 吉本隆明と辺見庸の対談『夜と女と毛沢東』(1997.6.30刊、文藝春秋)には吉本としては新しい概念が登場していた。〈アフリカ的原型〉である。ここでは要約しないが、吉本は「直接購読者諸氏へ」で、予約購読残金のある購読者に『アフリカ的段階について――史観の拡張』(春秋社、1998年春刊行予定)を非売品として、署名のうえくださる旨書いてある。これほどうれしいことはない。
 毎日新聞の12日19日付夕刊の吉本さんの写真は、とても晴れやかである。少なくとも市井の者たちの一人である僕には、心にしみ通るような晴れやかさだと感じられた。

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