アスキーネットとBBS その1(1997.12.23)

アスキーネットとBBS その1(1997.12.23)



 今年、アスキーネットが廃止され、記念のCD-ROMが送られてきた。先着2000名というのに応募したのである。たしか1986年頃に入り、NECのPC9801-RX21でアクセスし始めた。なんといってもここの電子掲示板・BBS(Bulletin Board System)は、たしかハイパーノートと呼ばれていて便利で見やすかった。
 まず、誰かが主題を提示するベースノートを書く。その主題にレスポンスを書いていくわけなのだが、まずベースノートの題名がずらりと表示される。これだと、興味のない話題は飛ばして興味のあるところだけを追っていける。近年はほとんど書き込まなかったが、いろいろ議論したこともある。ログファイルは今や懐かしい5インチフロッピーディスクに取ってあって、たまに眺めて楽しんでいる。一度、システム変更の関係でノートを大削除される時期があって、政治のノートがなくなったり(ここには2〜3度しか書かなかった)、僕がよく書き込んだ小説のノートの大事だと思われる話題が削除されて寂しかったが、長年付き合っているうちに、このネットでの人間模様も見えてきておもしろく読んでいた。とくにjunk.testというノートはもともとはプログラムをテストしたりするために、テスト版のishファイルでアップロードされていたりニュースの話題や日常のことが占めていて、定期的に全部削除されるノートだが、ほぼ毎日アクセスして情報を得たことも多い。
 DTPで版下を作る場合、ワープロ専用機のファイルをコンバートする作業がよく必要になるが、ワープロ専用ファイルをコンバートするプログラムはアスキーネットとNIFTY-Serveでほとんど手に入れた。僕がPC98をまだ持っているのは、PC98のDOS用に書かれたフリーウェアの遺産が数多くあるからである。テキストデータはフロッピーを介して簡単に今のパソコンに入れられる。書院、キヤノン、東芝のワープロデータなどなどなんでもござれである。勿論、必要なのはプレーンテキストであるから、飾り罫などはコンバートされなくてよい。
 アスキーネットが終わって、NIFTY-ServeにFCVERSE(現代詩フォーラム)もできたこともあり、よくアクセスしているが、いまやフリーウェアはインターネットのそこらじゅうに転がっているし、NIFTYにはBBSの楽しみのためにアクセスしているような感じである。ただしNIFTYのBBSに、はもうひとつシステムに不満がある。どうも同じ話題が途切れがちになるし、議論も沸騰できにくいノート表示なのである。たいていの方は電話代アクセス代を考えて自動運転をしてオフラインで見るようにしているのかもしれない。僕はどちらかたおいうと回線を繋げたままで読むのが好きである。というわけで、アスキーネットのハイパーテキストが懐かしくなる。
 このRIMNETのようにSSIやCGIが使えれば電子掲示板は自分で作れる。作ってもみたいが、ここのところ無料のBBSシステムを提供する会社(?)が現れてきているので、これで試してみてもいいなと思っている。なにしろセキュリティなどは依存できるし、こちらはテキストだけを採集(^^)したいのである。メーリングリストもあるが、11時から翌朝8時までのテレホーダイがあるのだしオープンが原則だから、自分のメールフォルダをたちまちいっぱいにしてしまうようなMLにも入りたくない(入ったことがないから、印象だが)。
 ともかく近年のアスキーネットはチャットルームなど閑散としていて寂しかったが、記念のCD-ROMは永久保存版として懐かしく眺め続けると思う。

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