宿り木 その3(1997.12.31)

宿り木 その3(1997.12.31)




 この年末も昨年と同じに箱根に出かけた。母と妻と3人の小旅行である。昨年見た芦ノ湖畔の落葉樹に着いた宿り木は、そこここの木の枝に見られた。上の写真は大晦日に撮った湖上に枝の伸ばす木に着いた宿り木である。
 伊東静雄は誠実な作風の詩人である。ともすれば、誠実そのものという人には付いていきがたいところも出てくる。「わがひとに與ふる哀歌」は絶唱であるが、最後の連にいくぶんかのニヒリズムがあってそこに悲しみに変わる状態の誠実さがまっすぐすぎて、こんなに露わにしたら生きにくいなと思うのである。伊東静雄などの詩人の詩集は学生時代に買った文庫本をよく読み返す。その伊東静雄に「宿木」という詩があった。

冬のあひだ中 かれ枯(が)れた楢の樹に
そのひと所だけ青らんでゐたやどり木の、
いまはこの目に区別もつかずに、
すつかりすつかり梢は緑に萌えてゐる。

何故にまた冬の宿木のことなど思ふのか。
外部世界はみんな緑に燃えてゐる。
数へ切れないほどの子供らが、
花も過ぎた野薔薇のやぶで笑つてゐる。
そしてわたしの恋人はとうの昔
ひとの妻になつてしまった。

疾うの昔に などとなぜに私は考へるのか。
いヽえ、わたしに
やつと今朝青春は過ぎて行つたところだ。
窓べにつるした玻璃壺に
あはれに花やいで 金魚の影は、
はつきりとそのことを私につげる。

 比喩の使い方のスケールが大きい。この詩の「転」は金魚の映像が出てくるところである。しかし、昨年からこの冬までたしかに緑は燃え、また見る宿り木は一年経過している。速く過ぎ去った。叙情的にもなる。でも、またしても僕はこの宿り木の清冽さに新しく打たれる。僕は伊東のように大きく波動する恋は唄にはならない程度の低血圧の情熱家かもしれない。寄せ木細工のように新しい年を組み立てはじめるのである。

|
清水鱗造 連続コラム 目次| 前頁(ミニ6穴の手帳 その1(1998.1.7))| 次頁(アスキーネットとBBS その1(1997.12.23))|
ホームページへ