吉本隆明の「試行」の終刊 その2(1998.1.28)

吉本隆明の「試行」の終刊 その2(1998.1.28)



 前に書いた「試行」を購読していて残金のある読者に贈られるという『アフリカ的段階について――史観の拡張』(春秋社、1998年春刊行予定)の非売品分(試行社)が、吉本さんのサイン入りで送られてきた。吉本さんは、ご自分の経験(生活が苦しいときにサイン入りの本を売って、古本屋さんで見た著者から指摘された)から献呈本にむしろそれを古本として生活に役立てることもあるだろうから、いっさいサインをしないようにしている、とエッセイに書いている。でも、もちろんこの場合は違って一読者の僕はとても嬉しかった。僕宛てのサインを見て喜んでいるところである。内容については、まだ読んでいない。
 この本を読む前に『遺書』(1998.1.8刊、角川春樹事務所)を読んだ。『遺書』とは刺激的な書名であるが、1996年夏に伊豆で溺れかけたことから角川春樹に『遺書』という本を作らないかと言われたと、「あとがき」に書いている。これは多分に『わが「転向」』(1995.2.20刊、文藝春秋)の題の付け方と似ていて、(僕はびっくりしないが)びっくりして読んだ人は好奇心の如何にかかわらず吉本の思想内容を読むことになる本である。この談話記録は、コンパクトにうまく編集されている。まだ1度しか読んでいないが、談話の要所がうまく小見出しになっていて、この本は何度も読むことになるかもしれないと思う。
「試行」における「情況への発言」のように、この本はいろいろな日本の情況の要点うまくかみ砕いている。そのうち、たとえば「4 教育について」の小見出しをあげると次のようである。

中途半端な教育がいちばんよくない。
授業のニセの厳格さが、僕はいやだった。
子供の無邪気な振る舞いが、時にカンにさわる。
教育に「理念」や「目標」が必要だと、単純にはいえない。
東大の先生と亜細亜大学の先生を四年間交替させればいい。
頭のよい学生は概して「センス」が悪い。
「いいこと」をいう奴は、みんな疑ったほうがいい。
 これを試しにまた要約、引用してみようと思う。

【中途半端な教育がいちばんよくない。】
 ヘーゲルは『精神現象学』のなかで「子供というのは放っておけば、どんなよいことも、どんな悪いこともする素質を具えているから、抑圧につぐ抑圧で、徹底的に規制して、ぎゅうぎゅう詰めに教育しろ」といっている。吉本はまったくこれと正反対の考え方だが、ヘーゲルの考え方は近代教育の根底を押さえたもので、徹底的な検討がなされるべきである。
 いまの民主主義教育は、ヘーゲルの考え方をよくないといいながら、中途半端な「べからず集」を作っている。これはよくない。
 吉本の本音としては、授業なんて一切やめて、自習時間にしてしまって、みんな自由に、教室で勉強する時間も遊ぶ時間も区別がつかないというようにしなければ、不登校児はいまのままならふえる一方なのではないか、と考えている。
(これに確か他の部分で、少子化が進むのだから、生徒20人ぐらいのできるだけ少ない生徒に先生を一人つけるようにするのがいい、といっていたような気がする。これはいまいい提言なのではないかと思った)
【授業のニセの厳格さが、僕はいやだった。】
《先生は聖職者でもなければ、スーパーマンでもないタダの人だ。生地のまんまで生徒や学生に接し、先生どうしは普通の会社と同じようにすればいいわけで、とくべつ緊張するから、ろくなことは起こらないんです。教室は暗く、勉強や学問は嫌悪にしかならないのが、学校というものの正体です。》
 学校というのは、いままでのところ、先生も生徒も悪くするところ、と言っている。これに吉本が他の本でもよく書いている、行っていた私塾の先生はとてもよかった、具体的には自由さがあり、その反面、勉強を見るときには徹底的にやってくれた、中等学校の上級生になると自分の本を、自由に読ませてくれた、など。
【子供の無邪気な振る舞いが、時にカンにさわる。】
 吉本は、小学生くらいまでの子供の教育には自信はないが、青春前期、中学1〜2年ぐらいの子ならわりあい自信がある。
【教育に「理念」や「目標」が必要だと、単純にはいえない。】
《国家というものはだんだんなくなったほうがいいよと思う段階ですし、いまみたいな国家や社会の現状で、立身出世しようなど、犯罪に類すると思ってますから、単純に、理念や目標があったほうがいいとは思えません。》
《だから、また元に戻って、学校なんて、せめて遊びにしたらとでもいうより仕方ない。「遊び」という概念には、古代以前には「神遊び」というのがありました。いいかえらば、信仰としての遊びで、自分が神に扮して愉しみを村落の人々に与えるわけです。それから「遊戯」という意味も「想い」という意味もありました。いいかえれば、大勢集まってやる遊び方と独りでやる休息の意味です。》
《同じ言い方をすれば、「教育としての遊び」を創りだすという課題があります。それは別の言い方でいえば、「建前と本音を分裂させない方法」を創りだすための「遊び」です》
【東大の先生と亜細亜大学の先生を四年間交替させればいい。】
 なぜかといえば、亜細亜大学に行った先生は《世の中に頭の悪いやつはたくさんいるもんだな、だがこいつらはセンスは抜群にいいぞとか、スポーツをやらせると、すごいのがいるもんだな、などと、》東大の学生を相手にしていたのでは、決してわからないことがわかる。つまり《東京大学の先生は、頭がいいのはいいのだと思っていたのが、それは大間違いだということがわかるようになります。》
 東大に行った亜細亜大学の先生は、《自分も勉強しないでいい加減に講義をやってきた、ところが、東京大学でそんな講義をすれば、文句をつけられたり、突っ込まれたりするから、うかうかしていられないというので、自分も勉強するようになります。》
《原則は簡単です。自分が進んでやろうと思ったことしか、身につかない、どこの大学へ行こうと、これが最後の原則です。これ以外のことを考えて大学へ行くなど、具の骨頂です。》
【頭のよい学生は概して「センス」が悪い。】
 小見出しのとおり。
【「いいこと」をいう奴は、みんな疑ったほうがいい。】
 この項は全部引用しておく。
《目標がないということでは、政治的な運動も駄目、政治家も駄目、社会運動家も駄目、評論家や教育者も駄目なのは当然です。もちろん僕もそうです。現在わからなくて迷っているということが、いちばん大切です。そんなとき、子供だけに明確な目標を持てというのは、無理な話です。明瞭な目標を持っていたら、そいつは過去の人です。
 しかし、僕は戦中派で、戦時中は、軍国主義、天皇制のもとで、「天皇は神聖で侵すべからず」できました。その意識の枠が崩れ、敗戦後自分なりに左翼的な方向を探ってきました。スターリンがいいのか、冗談じゃない、あれも悪いんだと公言し、否定の論理をつくれなかった左翼運動は全部駄目でした。ソ連が崩壊し、おまえらのやったことは全部無駄じゃないかというしかなくなった。
 だから、ソ連崩壊後は、せめて自分なりに理念を築いていかなければと考えてきたつもりになっていますが、まだまだトンネルの中です。
 そこから見れば、江藤さん、西部さん、西尾さん、福田さんなど、こういう人たちはノン・ギュイルティで「幸せだなあ」と思えるのです。でも、その「幸せだなあ」には、ちょっとからかいの要素も入るわけです。未来にヴィジョンを強引に仮構しなければ、ノン・ギュイルティでありえますから。
 そんなら、共同目標が立てられるためにどうしたらいいのかといえば、大前提としていいことを照れもせずいう奴は、みんな疑ったほうがいいぞとだけはいえます。あるいは「日本をよくして」なんて主張している奴は、みんな疑ったほうがいいと思います。このマイナス記号だけが、さしあたって建設的なことではないかと考えます。》

 そろそろ入学試験のシーズンである。そのうえ、何か教育というものがである。僕も言えた義理ではないが、吉本さんのように、自分の好きなことだけを徹底的にやれ、と子供たちに言いたいところだ。これにはもう一つ含みがあって、中年鬱みたいなところにともすると陥りやすい僕にも徹底的に好きなことをやろう、という自戒の言葉を投げかける意味もある。

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