心の景色 その2【心理的準備】(1998.2.11)

心の景色 その2【心理的準備】(1998.2.11)



 よく犬と散歩のために玄関を出るとき、「犬も歩けば棒にあたる」という言葉を思いだす。というのも、ふつう2つの信号を渡るが、最初渡るべき道の信号が赤の場合、次の信号も赤の場合が多いとか、青ばかりの日が1週ぐらい続くということがある。また、何か障害物(大きなトラックなど)があって、一瞬不快になりかけることがあり、そのとき「犬も歩けば棒にあたる」を思い出すと不快さが消える。トラックが行ってしまうまで、落ち着いて待てばいいのである。
「失敗する可能性のあるものは失敗する」とは『マーフィーの法則』のなかの言葉であり、これは人生訓ではなくそれを茶化しているわけでもあるが、心理学でいう「喪の準備」に似ていなくもない。「喪の準備」とは一定の状態は終わる、ということを想定する心理的機構である。これは、人生訓にも通じるだろう。
 冬季オリンピックを見ていて、メダルを取る選手が軒並み、亡くなった父親の写真を持っていたり、事故で亡くなった友達を思い出すお守りを持っていたり、というような話があっておもしろかった。「勝つと思うな、思えば負けよ」というのは、「負ける」という意識をわざわざ持つことではなく、勝負から超出したいわば勝負への「悟りの境地」がいちばんだということを言っている。亡き友達のイメージは「無心」の代理である。緊張する場面で亡き父が守ってくれている、と思うのは父のイメージのほうに緊張が分散するということである。これは文字通り父が守ってくれていると言っていいかもしれない。
 交渉事で「彼の言っていることはほとんど嘘だ」と確信する場合はあるだろうが、これは最初から信じていないのではなく、ひとつひとつ嘘がわかり、最後に「ほとんど嘘だ」と確信する過程がなければならず、初めから嘘だと思っているのなら単純なニヒリズムである。しかし、途中でそのことを気づいて「彼の言っていることはほとんど嘘だけど、嘘と思っていない振りをしよう、彼の言うことを信じている振りをして、別のルートで言っていることを分析してみよう」という状態になると交渉事には有効な場所にいることになると思う。これは「本音と建前」社会では必須の戦略だと思う。「あたり障りのない話」というのはとても重要で、この話のなかで相手の性格や、論理のかみ砕きかた、行為の仕方を無意識に探っている要素がある。しかし、嘘ばかりの人が愛すべき人であることも多々ある。とんでもない悪人がおもしろい人であることが、この世のおかしいところだ。もちろんその場合は迷惑が自分に降りかからない場合ではある。行為に出る場合「準備完了」という状態からさまざまな経過は脇に置いて、今度は行為に集中するのである。なんとなく面倒臭い心理的機構ではあるが、これはある程度「喪の準備」に、世の複雑さをなんとか乗り切る知恵にも通じると思う。
 犬との朝の散歩ではたいしたことは考えていないが、まあ、その日やるべきことをうっすらイメージしていることもある。心理的準備の習慣は、だれにでも自然に身についてくるのだと思う。

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