深沢七郎 その1(1998.3.18)

深沢七郎 その1(1998.3.18)



 ちくま文庫版ちくま日本文学全集の深沢七郎の巻を読んでいる。だいぶ前に読んだ深沢の小説にあるイメージはちょうど学生時代の僕の感性にフィットした。「ガロ」の漫画や唐十郎や寺山修司のアングラ演劇、新宿シネマという100人も収容できない映画館で毎週見たタルコフスキー、パゾリーニ、アントニオーニ、フェリーニなどの洋画などのイメージと響き合ったイメージだった。そういえば、あのころ新潮文庫で読んだモーパッサン短編集(7〜8冊)の中の「脂肪の塊」(フール・ド・スイフ)という短編を急に思い出したり、学生時代の読書は後々まで残るものだなと思う。
 深沢は徴兵検査に合格している世代であるのを年譜で見ると、その文学からすればもっと若かったのではないかと思った。せめて疎開世代だったような印象がある。『みちのくの人形たち』はすばらしい装丁の本だった。「だった」というのは、水にびっしょり濡らしてしまい、捨ててしまったからである。内容はちょっとおどろおどろしいが、箱に刷られていた「しのぶもじずり」(ネジバナ)の絵が、ちょうどそのころアパートの空き地に偶然生えてきたネジバナを見たこともあってたびたび思い出され、きれいな本だったことをよく覚えている。文庫にもなっているからそのうち買おうとも思う。黒田喜夫の『彼岸と主体』もその真っ黒な装丁がすばらしく、装丁だけで買った本である。まったく難しい文体で、今でもよくわからない。黒田は詩人だから、だいぶ本も集めて書棚にあるが今の僕は彼の思想には批判的視点を持っていると思う。でも、生前一度お宅におじゃましたことがあった。そこにお母様がいて、どうしても「毒虫飼育」を思い出してしまった。すごい詩だと思う。何冊か持参した本にサインしていただいた。居間に並ぶ本は詩の関係がほとんどで、僕の一部の書棚もそうであるが、詩集ばかりだと異様でもあると思う。また「毒虫飼育」の母の像は深沢の文学に繋がるところもあると思う。
 読んでいると、深沢七郎の毒気にも少し当たる。ある種のニヒリズムがあるからである。でもこのようなニヒリズムに、それと気づかずにずいぶん当てられてきたとも思う。反対に聖女のようなおばあさんが出てくる。駄目男が好きなことと、おばあさんが好きなこと、これがひとつの特徴である。そして彼はホモセクシュアルだったらしい。これも意外なことだ。それにしても『楢山節考』は傑作だろう。強烈に印象に残っている。
 ただ花火のように強烈な文学というのは、またこちらの心のなかでは花火のように収束して青春のなかに印をつけはするが、考えるほうの「伸び」というのはもともと無くていいものだし、また伸びたら危ないような毒かもしれない。もっとじわじわとした、思想家と呼ばれる人たちに「伸び」を与えられる。その収束のなかにたとえば、一種の倫理的主題の短編などがある。深沢でいえば農薬散布を確認しすぎて死んでしまう男の「べえべえ節」や原爆で目の見えなくなったおばあさんの話などを読むと、ちょうどちょっと街に出るか、という結節点になる。
 詩というのは生体をまるごとというかたちで、その意味では力であるが、散文は一部の関数を定数と見なす偏導関数のような視点(つまり語り手)が必要で、それを保持するために力を使うのだと思う。詩人にはその「労働」のように見える視点の保持が耐えられないだろう。しかし、批評はその保持される視点における思想を探す、という具合だ。
 僕はこの文庫本でとんでもなくデスペレートな短編「揺れる家」に当たった。語り手の子供を除き、悪い男たちと駄目な男が出てくる。性的な関係がデスペレートなのだが、これがまた日本の家族制度に合わせて、どうしようもなくしている。語り手の子供あるいは作家は、では、どんなところに希望をたくすのか。無能でたんに優しい男なのだ。船の家には老人と養女がいて、性的関係があからさまにある。そこにとってつけたように形だけの婿をとる。その婿である義父が子供にとっても希望といえば希望なのだ。結局家からその男は追放される。そして、ある日排泄物運搬船の舳先に男が立っているのを子供は幽霊のように見る。語り手はそれは子供には幽霊に見えたというふうに書いている。この突出する視覚的印象の力はすばらしい。浄化ということだろうか。そこから下るように巧みなユーモアのある短編(母親にお金をせびる駄目男を徹底的に描く短編など)やエッセイ群に続く。そう、心のどこかで、軋りのような痛みを感じるのだが、その痛みを除けばどうやらなかなか重厚なイメージの塊を受け取れるのだ。

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