辞書 その2(1998.4.1)

辞書 その2(1998.4.1)



「抛つ、擲つ」(なげうつ)という動詞は、「投げうつ」というふうに間違えて書かれることがある。あるいは「鏤める」(ちりばめる)は「散り嵌める」意であることから「散りばめる」という用字に移行していくかもしれない。三省堂の新しい言葉、用字に敏感な辞書が反応して「〜とも(書く)」というかたちで、載っているからこれも使おうということで、雑誌などに登場してくる。漱石はものすごい当て字をやった作家なので、大きな辞典の用例などに引用されると、漱石も使ったじゃないか、ということになる。
 このあいだ、「あからさま」というのが「明らさま」という用字でいいかどうか、という話が出た。僕の持っている大型辞書は『大辞林 第二版』と『広辞苑 第四版』でいずれも最新の版である。そうすると、まず意味であるが、広辞苑では、
【あから-さま(「偸閑」「白地」とも当てる) 一、たちまち。急。 二、一時的であるさま。ちょっと。しばらく。 三、(「―にも」の形で、否定の語を伴って)かりそめにも。 四、かくさず、ありのまま。あらわ。はっきり。】(古典などの引用部分略)
 とあり、また大辞林では、
【一、隠さず、ありのまま外にあらわすさま。明白なさま。 二-一、にわかなさま。急なさま。 二-二、きわめて短い時間であるさま。一時的なさま。ちょっと。 二-三、(あからさまにも」の形で、下に打ち消しの語を伴って)ほんのちょっとでも。かりそめにも。全く。[二の用法を中古中世の古辞書などで「白地」と表記したことから、後に「明ら様」の意と解釈されて一の意が生じた]】(古典などの引用部分略)
 とある。
 広辞苑では、言葉の古層のほうから新しいほうへ、大辞林では新しいほうから古層へ、というベクトルで書かれている。言葉のバージョンアップということからいえば、新しいバージョンを先に置くやり方が読みやすいし、大辞林の最後の説明は言葉の流れをよく意識して説明してわかりやすいといえる。結局、大辞林の説明部分の当て方「明ら様」にしか、「明らさま」の用字の根拠はないことがわかる。それで、もっと大きな辞書を引くと志賀直哉が『暗夜行路』で使っていたことがわかる。「これは間違いなんじゃない」と言われても「『暗夜行路』で志賀直哉も使っていますよ」という水戸光圀の紋所みたいな立派な言い訳を見つけることができたわけである。ところで、一般的な新聞、雑誌などの用字ではほとんど「明らさま」を使ってはいけないことは、いろいろな用字ハンドブックを見ればわかる。つまり、書かれるときからすでに「明らさま」は用字としては排除されているわけである。しかし、言葉の意味とともに用字も生きている、いうことも、漢字――ひらがな――漢字、という流れを見ていくことでもよくわかる。

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