吉本隆明の「試行」の終刊 その3(1998.5.20)

吉本隆明の「試行」の終刊 その3(1998.5.20)



 春秋社から『アフリカ的段階について―史観の拡張―』が刊行されて、僕も非売品版の同書を読了した。一読して、これは精魂こめられた書物だという印象がある。
 史観を組み直す必要はなぜあるのか。吉本は「重要な意味のひとつ」という言葉を使って「アフリカ的な段階を段階として設定する」ことの意味を言う(下の引用)。しかし、もちろんもっと身近な意味、現代の日本を分析する切り口の意味が迫ってくる。

 アフリカ的な段階を段階として設定することの重要な意味のひとつは近代(プレ・現代)以後固有アフリカがかかえた現在の課題にはっきりした通路がつけられるためだといっていい。段階など設定しなくても、固有アフリカは固有アフリカにはちがいはないではないか、ということは成り立ちうるだろう。しかしアフリカ的ということを段階として設定することは人類の原型的な内容を掘りさげることが永続課題だとすることと同義である。現在のアフリカの課題について、固有アフリカのエリートたちはもちろん、アフリカに植民地をもっていた西欧先進国の外在(文明)史観指導者も内在(精神)史的なイデオロギストも、また固有アフリカの、いまでも採取食糧でしのいでいるいちばん未明の住民たちも、文明の進歩性と遅延性との課題に単純化しているだけで、まったく問題にならない。かれらは一様に近代主義を基準として、進歩性とそれに追従しながらも及ばないもの、知識と無智、発達と未発達、停滞して箸にも棒にもかからない地域と西欧的な開明観との対立の複雑骨折の様相として解釈し、処方箋を求めたりしている。そんな史観もそれに基く政策や利害の追及も意味をなさない。わたしたちは現在の歴史についてのすべての考察をアフリカ的な段階を原型として組み直すことが必須とおもえる。アフリカ的な段階のあらゆる初原的な課題を、すべて内在(精神)史化することが、同時に未来的(現在以後の)課題を外在(文明)史として組み上げることと同義を成す方法こそがこれに耐えうるとおもえる。(強調部分:清水)

 この本に引用されている書物は、日本のものでは『記紀』周辺とそのほか江戸時代関係の樋口清之の論考にとどまる。さらに日本に滞在した外国人のものではイサベラ・バード『日本奥地紀行』(平凡社・東洋文庫)、フランソア・カロア『日本大王国志』(同前)がある。もちろんヘーゲル、マルクスあるいはモルガン、デュルケムといった近代主流の史観、宗教史観にまともに「アフリカ的段階」をぶつけている。ただ、柳田国男やユングの精神史としての共時的断面の概念は明らかに吉本の思想には含まれていくように思える。この点において集大成的な濃度を感じるわけである。吉本は「あとがき」で《脈絡がついたということは、主題群の格子間の距離がはっきり定まり、方向性は成長の緒口をもたらして、ひとつの液状の状態ができたという方が妥当におもえてきた。》と書いている。この感じは一読すればよくわかるが、結晶の各頂点の印ははっきりしているように思える。
 この本はヘーゲルのアフリカ観の考察から始まる。そして、終章の引用のフランソア・カロンによる日本専制封建制国家の外国人による、制度(法)による江戸時代のちなまぐさい実態の個人の観察とは対照的な、ある意味でのどかな神話に収束している北アメリカ先住民族の神話について書かれたフォレスト・カーターの引用がそれに続く。「みんな時間のないころの夢をみているんだ」という宮沢賢治の詩句があったと思うが、自然と住民の結びつきの中へ複雑な共同的規制が含まれて神話が始まるというような感じである。しかし、これも歴史本体の記述の一つには違いない。このなかにいくつかの結晶の頂点が見られ、現在共時的にも残っている「アフリカ的段階」が通時的な樹木を輪切りにしてみる近代的な方法から離れ、「現在」の状態として見よう方法が提示されるというように思う。
 よく江戸時代小説やテレビで、「獄門」という言葉が出てくるが、これは「さらし首」である。だいぶ前、北斎のスケッチ展を見て衝撃をうけたことがあった。死者をじつにうまく描いてあるのである。あきらかに野垂れ死に、さらし首の様相をそのまま目に受け止めて描いている。終章に出てくる、この時代のオランダ商館の長フランソア・カロンの前書の引用によれば(ここでいわれている皇帝とは徳川幕府将軍であるが)、八つ裂き(両手足をひっぱって殺す)や一族処刑などがまた新鮮といったら語弊があるが、リアルに迫ってくる。これはまた、記述されつづける政治の事象、歴史の一部である。これらもいつかは神話作用に洗われ、屈折したかたちで内在化されていく。がよくみれば、個人による外在(文明)史の観察の一部なのである。外在史の内面には顕在的には宗教弾圧に象徴されるように、拮抗する精神史が確固として存在している。しかし、それにも増していかなる場合でも「普通に生活する人々」の外在史からみればパラドクシカルな精神史は、外在史へのひとりひとりの微小な穴を開け続ける。これは文化などという外在的な概念に固定的に置き換えることは不可能なものなのである。
 吉本の「アフリカ的段階」の概念では、かならず引用されるべき要所は以下であるが、通読して濃い思想の液状のものを僕は見たことは確実のように思えた。《マルクスは近代主義史観の枠組を解体することができなかった。》という記述から、引用のように続く。

(1)アジア的という概念を、唐突に原始と古典古代のあいだに挿入したとき、ほんとうは野蛮、未開、原始という歴史発展の分類の枠組自体を解体してしまうべきであった。なぜならヘーゲルに象徴されるような十九世紀後半に輩出した史観は、外在(文明)史と内在(精神)史の幸福な同致を線型にたどっても大過のない近代主義の所産で、普遍性をもっているとはいえないからだ。ヘーゲルやマルクスのいう歴史や、モルガン、エンゲルスの発展史観では、歴史という概念は、外在(文明)史という概念と同義になっている。あるいは歴史という概念は限りなく外在史だけに収斂してゆくとみなされている。だがいちばん素朴にいって、歴史は全人類の一人ずつが何をかんがえ、その瞬間にどう行動したかの総和のことであって、外在(文明)をどう追尾していったかの総和ではない。
(2)全人類のそれぞれのメンバーがどう内在(精神)を働かせ、どう行動したかということ、その結果人類はどうなったか、またこれからどうなるかは、判りようがないから、経済を核にした唯物史観で近似したという言説は成り立たない。歴史は外在(文明)史と内在(精神)史との二重性と、そのずれ、乖離によって総合されうる。そして歴史の外在(文明)史的な未来を考察することが、同時に内在(精神)史的な過去を解明することと同義である方法だけが、世界史の哲学や分類の原理となりうる。

 この液状の思想では、現在の力強く対抗するべき概念への切り口はすでに骨の見えるところまで達しているように思える。
 
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