心の景色 その8【語彙空間】(1998.5.27)

心の景色 その8【語彙空間】(1998.5.27)



 たとえば、近所の人と詩について話したりはする機会がない。また、仕事場でも話す内容は限られている。おたがい興味のあるところを中心に話は回っていく。でなければ、おしゃべりはつまらなくなってくるだろう。
 先日、地下鉄の中で偶然、鈴木志郎康さんとお会いした。お茶を飲むことになって、まあ、お茶といえば1時間半ぐらいだろう。こういう場合は、まったく当然のように彼の「曲腰徒歩新聞」に書かれている、パソコンにいろいろなOSをインストールする悪戦苦闘のことになる。会ったら、この話題であるということは決まっているようなものである。「曲腰徒歩新聞」のエッセイのマクラは季節の花々の写真と感慨である。しかし、それはいわば導入部を占めていて、中心はパソコンの話である。僕はこの二つがいつも並んでいるのがユーモラスだと常々思っていた。でも手作業の際の、細かな説明画像なんかがいかにも室内で楽しんでいる感じが出ていていいシリーズだと思う。
 志郎康さんといえば、思潮社から出ている現代詩文庫版の詩集を読んだのが知った最初である。僕は戦後詩がよくわかるようになったな、と感じるまでちょっと時間がかかった。初めから鮎川信夫や吉本隆明の詩に触れて出発する人もいると思うが、僕は現代詩文庫版の最初の50冊ぐらいのものは耽読するような感じでは触れなかった。
 たぶん1970年ごろだったと思うが、渋谷のNHKのほうに向かう道にある本屋さんで、異様な装丁の本『缶製同棲又は陥穽への逃走』(季節社、1967年)という志郎康さんの本にめぐりあった。僕はその衝撃的な装丁の本を今でもよく覚えている。買っておけばよかったと思うが、本というものは流れていくものなので、残念だったという感じでもない。それからたぶん彼のエッセイ集で読んだ、詩の雑誌掲載拒否事件の顛末である。僕は彼が骨のある詩人であることを実感した。
 という志郎康さんが、目の前でコーヒーを飲んでいる。お互い仕事の後の疲れも多少あっただろうが、現在の「語彙空間」、つまりパソコンOSの「語彙空間」に二人で遊んだわけである。志郎康さんが僕という年下の、得体の知れない(知れなくないかもしれないが)人間にどう対峙するかという瞬間的判断はよくわかるような気がした。僕の瞬間的判断にそれは対応している。
 そのときどきの「語彙空間」は見事にコミュニケーションの空間を表わしている。全体的な心の景色がそこに投影されてもいる。
 そのとき、もう一つの話題があった。それは外国語のことである。「語彙空間」に多少関係があるから書き加えるが、この話題についてはいま僕の集中している部分で、どちらかというと近況報告の一種の話題である。外国語はライターなら書けなくてはおもしろくない。好奇心と、必要性ということからいえばこれはよくいわれる「外国語を知ることは立派な学問」ということではまったくなく、面白い、それでいて緊張する遊びなのだ。
 とりあえず、「詩についての語彙空間」が徐々にピンポイントのように見えてくる。日本語ではあるような氷山の下の部分の膨大な「語彙空間」を二重にした空間をまだ作れないでいるところが、もどかしいところなのだが。

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