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Review: Akram Khan + Sidi Larbi Cherkaoui, Zero Degrees
嶋田 丈裕 (Takehiro Shimada; aka TFJ)
2007/01/13
Akram Khan + Sidi Larbi Cherkaoui
Zero Degrees
『ゼロ度』
彩の国さいたま芸術劇場
2007/01/13, 16:00-17:30
Directed, Created and Performed by Akram Khan & Sidi Larbi Cherkaoui.
Dramaturgy: Guy Cools. Sculptor: Antony Gormley. Music composed by Nitin Sawhney.
Live musicians: Tim Blake (cello), Coordt Linke (percussions), Faheem Mazhar (vocals), Alies Christina Sluiter (violin).
Production: Akram Khan Company & Les Ballets C. De La B.

Akram Khan はロンドン (London, UK) 生まれのバングラディシュ (Bangradish) 系で、 contemporary dance のダンサーとしてだけでなく kathak (北インドの伝統舞踊の一つ ⇒wikipedia) の踊り手としても活動している。 Sidi Larbi Cherkaoui はベルギー・アントワープ (Antwerpen, BE) 生まれのモロッコ (Morrocco) 系で、 1997年以来 Alain Platel 率いる Les Ballets C. De La B. に参加し活動する contemporary dance のダンサーだ。 この2人と、イギリスの現代美術作家 Antony Gormley、 UK Asian のミュージシャン Nitin Sawhney のコラボレーションで 2005年に制作された作品が、この Zero Degrees だ。

ballet 的な動きはあまり使わず、 むしろ、二人で組み合う martial arts 的な動きが目立った。 特に前半は、darbuka を中心としたパーカッシヴな音楽に合わせて、 静かに組み合う動きがスリリングだった。 あと、旋回する動きが、手を曲げているときは kathak っぽくもあり、 手を横に広げているときは sema (スーフィーの旋回舞踊 ⇒wikipedia) ぼくもあって、動きが綺麗だった。 Cherkaoui は身体がとても柔らかく、曲芸的と感じる動きも目を惹いた。 特に、頭が地面から離れなくなってしまったことを表現するダンスは、 ほとんど軟体アクロバットといってもよいくらいで、 ユーモラスでもあり、とても面白かった。

舞台空間は左右奧の三面をグレーの高い壁で塞いだミニマルなもので、 そこに Gormley による2体の白い人間像の彫刻が置かれているだけだ。 この2体の彫刻は手が、1体は足腰も動くようになっており、 単に置いておくだけでなく、引きずりまわしたり立てて寄りかかったりして使った。 Cherkaoui はこの彫刻と少々コミカルな martial arts の組み手のような動きをしたが、 彫刻と一緒に踊ったりする場面がもっとあると面白かったかもしれない、とは思った。 照明も特に派手な演出は無かったが、 2人は離れて踊りつつも背景に映る影を重ねたり、と、普通に洗練されていた。

音楽については、正直に言って、あまり印象に残らなかった。 前半のパーカッシヴな展開に比べ、後半は少々瞑想的というか催眠的な展開になったように思う。 特に、緩い sitar の響きと北インドっぽい詠唱に、Cherkaoui 自身が詠唱を重ねたところが印象に残った。 あと、音楽は生演奏で、ダンサーとの息の合い方は良かったと思う。 ただし、ミュージシャンは舞台後方の壁 (というか幕) の向こう側で、 ほとんど演奏の様子は見られなかった。 後方の壁は半透明になっており、時折、ライティングによってミュージシャンの姿がうすく浮かびあがる程度だった。 そういう点では、ほぼ伴奏に徹していたといって良いだろう。

この作品は、Khan がバングラディシュを旅行した際の経験が元になっており、 そのときの話がダンスの合間に2人によって舞台上で語られる。 それは、ヨーロッパで生まれ育った移民二世が親の祖国に行った時に受けた 違和感・疎外感に関するちょっとしたエピソードという感じの内容だった。 独白のように語るのではなく、2人は声と動きを合わせてそれを語ることにより、 生々しい声というより、抽象化された声になったように感じた。 舞台美術もミニマルで、2人の身体とその動き (あと音楽) しか 彼らのバングラディシュ系、モロッコ系というアンデンティティを感じさせるものは無い。 その抽象化具合が絶妙で、非西洋というかオリエンタルな雰囲気を作り出しつつも、 普遍的なルーツレスな感覚、疎外感、不条理感を表現するダンスになっていた。 そこが、この舞台が最も気に入ったところだ。

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