TFJ's Sidewalk Cafe >

談話室 / Conversation Room

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[4083] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 小杉町, 川崎市, Sun Mar 26 22:30:22 2023

この週末土曜は雨の中、昼過ぎに高円寺へ。この公演を観てきました。

座・高円寺 1
2023/03/25, 14:00-14:45.
Concepteur, compositeur: Jonathan Guichard.
Interprète: Jules Sadoughi; Sonorisateur, interprète :Mikael Leguillou
Création 2017
Diffusion et production: Full-Full.

南仏オクシタニア・トゥールーズを拠点とする Jonathan Guichard が主催する現代サーカスのカンパニー Cie H.M.G.の2017年作です。 アクロバティックなパフォーマンスをするパフォーマーとミュージシャンの2人が出演する作品で、 Guichard 自身がパフォーマーとして出演する場合もあるようですが、今回の日本公演はもう一人の方の出演でした。

ムーブメントや音楽のベースには hip hop dance があるのですが、抽象化され、いわゆるストリート・カルチャー的な意匠は全く用いられません。 衣装も茶の皮のショートブーツにダークグレーのスタンドカラーシャツにスリムなパンツというミニマリスト的なものです。 ミュージシャンはグルーヴボックスを操り、 フロアやテーブルに仕込んだコンタクトマイクで拾ったパフォーマーが立てる物音や、 観客の頭蓋骨を音叉で響かせてコメカミに当てたマイクで拾った音などから、 ミュージシャンが操作するバッドや観客に持たせたスイッチを使い、abstract hip hop なグルーヴをライヴで組み立てていきます。 それに合わせてのダンスも、 弧状に曲げた身長大の木製ボートにワイヤーを張った道具を使い、 スイングさせたボードの上やさらにワイヤーの上に乗ってのアクロバットを交えることで、立体的かつダイナミックになり、見応えありました。

さらに、言葉は使わないものの、手振り目配せで客弄りして握手や拍手で場の雰囲気を盛り上げるし、 大袈裟ではないちょっとした仕草や表情でくすりとさせるような笑いも取ります。 単にクールにパフォーマンスを見せるだけでも見応えあったと思いますが、それだけではない面白さもありました。 そんな、大人も子供も演技に引き込まれる、魅力的な作品でした。

[この鑑賞メモのパーマリンク]

[4082] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 小杉町, 川崎市, Thu Mar 23 23:04:32 2023

先の週末土曜午後は、有楽町で映画を観た後に六本木へ。 会期末が近づいたこの美術展を観てきました。

Roppongi Crossing 2022: Coming & Going
森美術館
2022/12/01-2023/03/26 (会期中無休), 10:00-22:00 (火 -17:00; 12/6 -16:00; 1/3,3/21 -22:00; 12/17 -17:00).

森美術館でアニュアル開催されている、日本の現代アートシーンを取り上げる展覧会です。 取り上げられるアーティストの数も多く、作風もテーマも雑多ではありますが、 こまめなギャラリー巡りどころか美術展チェックもしなくなり、最近の日本の現代アートの作家や作風から疎くなっているので、 まとめてチェックできる良い機会かと、足を運びました。 気になった作家について備忘を兼ねてコメント。

青木 千絵 の立体作品は、 漆という素材と漆器とは程遠いその形状のギャップ、素地が木彫とかではなく発泡スチロールだというギャップが興味深い作品でした。 玉山 拓郎 のインスタレーションは、 抽象化されたモダニズム住宅のようですが、モダニズムらしからぬ機能性の無さと強烈な赤い照明が、ディストピア的な不条理を感じさせます。 SIDE CORE / EVERYDAY HOLIDAY SQUAD は立体作品と映像作品からなるインスタレーションでしたが、 立体作品は 東恩納 裕一 の蛍光灯を使った立体作品の 夜間工事用照明機材版のよう。 その素材違いでここまで禍々しいものになるのかと面白く感じました。

などと、(グループ展で観たことがあるかもしれませんが、おそらく) 初めて観る作家も楽しみましたが、 会場終わり近くに 青木 野枝 [関連する鑑賞メモ] の立体作品があって、 自分はやはりこういう作品が好みだなと思ってしまいました。

[この鑑賞メモのパーマリンク]

[4081] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 小杉町, 川崎市, Wed Mar 22 23:08:20 2023

旧ソ連時代のジョージア出身で1979年にフランス・パリへ拠点を移した映画監督 ოთარ იოსელიანი [Otar Iosseliani] を特集する 『オタール・イオセリアーニ映画祭』が開催されています。 というわけで、先週末土曜と春分の日の午後にヒューマントラストシネマ有楽町で、遅ればせながら2本観てきました。 いずれも、フランス・パリに拠点を移してからの劇映画の作風とはかなり異なるものと思われます。

პასტორალი [Pastorali]
『田園詩』
1975 / Грузия-фильм [ქართული ფილმი / Georgian Film] (СССР) / B+W / 95. min.
Director: ოთარ იოსელიანი [Otar Iosseliani]

都会 (首都トビリシ [თბილისი / Tbilisi]) の若いピアノカルテット (男女2人) の サメグレロ [სამეგრელო / Samegrelo] 地方の農村 (コルホーズ) での夏合宿を、 ホストの農家の娘 Eduki の視点で主に描く約1時間半。 特に大きな物語の展開はなく、細かくエピソードを連ねて、 抑制されたユーモアと美しい画面で淡々と捉える、半ばドキュメンタリー的に感じる映画でした。

田園風景にホストの家の子どもたちとミュージシャンたちとの交流など、美しくも心温まる場面もありますが、 住民間の喧嘩、コルホーズのルールを守らない様子、 ホストの家での宴会に招かれるものの結局放置されてしまう音楽家の男性、とかも、 殊更笑いを強調することなく、しかし、ユーモアを感じる視点で捉えて行きます。 音楽使いも興味深く、合宿中のミュージシャンたちのクラシカルな演奏と地元の人々の地声のポリフォニーが対比的に使われるだけでなく、 レコードで再生される戦間期の流行ダンス曲やソ連らしいブラスバンド、 そして、ミュージシャンがオープンリールで録音したポリフォニーの逆回し音などが、ユーモアを持って使われます。 監督の娘 Nana Iosseliani 演じる Eduki が、音楽家たちと交流するに従い、少しずつオシャレになってくのが微笑ましく感じられました。

Seule, Géorgie [Allein Georgien]
『唯一、ゲオルギア』
1994 / Arte (FR/DE) / colour / Pt. 1: 91 min.; Pt. 2: 69 min.; Pt. 3: 86 min.
Préparée par [von] Otar Iosseliani [ოთარ იოსელიანი]

フランス・ドイツ共同運営の公共放送局 Arte の制作による 第一部 (Pt. 1) で古代から20世紀初頭のロシア領時代まで、 第二部 (Pt. 2) でソ連時代、そして、第三部 (Pt. 3) のポスト・ソ連時代の三部構成で ジョージア映画を含むアーカイブ映像で綴るジョージアの歴史、約四時間のドキュメンタリーです。 政治的な動向ももちろん取り上げられていましたが、 文化芸術の描写が多めだったのは、Iosseliani の興味関心というだけでなく、 文化教養番組のTV局 Arte の方針というのもあるでしょうか。 疎いトピックということもあり興味深く観ることはできましたが、約4時間という情報量に圧倒されてしまいました。 観てよく理解できたとは言い難いのですが、気になった点を備忘を兼ねて各部ごとに。

第一部はプレ・ソ連のプロローグとも言えるもの。 この頃は記録映像は無いので、その代わりに、歴史物のジョージア映画の映像が再現ドラマ的に利用されていたのも印象に残りました。 特に疎かった、モンゴル侵攻以前の黄金時代と言われる中世王国時代の話、 この最盛期の თამარი [Tamar] 王女に捧げられた შოთა რუსთაველი [Shota Rustaveli] の 叙事詩 ვეფხისტყაოსანი [The Knight in the Panther's Skin] 『豹皮の騎士』などに興味を引かれました。

第二部はロシア革命後の独立した民主共和国時代から2021年の赤軍のジョージア侵攻の経緯が丁寧に描かれ、それから以降のソ連時代が描かれます。 ソ連時代からジョージア映画というのは存在感があったわけですが、 20世紀後半のソ連時代、ジョージアにおいて大目に見られる特別な位置にあったことが、 当時のジョージア映画人たちの言葉で綴られていたのに、興味を引かれました。 そして1989年の東欧革命。ベルリンの壁の崩壊の映像に、ひょうきんな曲が当てられていた所に、皮肉を感じました。

第三部はソ連崩壊とその後の混乱期ですが、 ジョージアのポリフォニーからヨーロッパ各地のボリフォニーを辿る説明から始まり、 そこから一気にデモ鎮圧、騒乱、クーデター、内戦の緊迫した映像が続きますます。 起点は、ソ連解体以前、東欧革命と時を同じくする1989年の「4月9日の悲劇」とその後の主権宣言で、 その後の初代大統領 ზვიად გამსახურდია [Zviad Gamsakhurdia] が大変な悪人として描かれていたことが印象に残りました。 そして、1991年末-1992年始にかけてのクーデター、そして、その後のジョージア内戦、アブハジア紛争、南オセチア紛争です。 特にアブハジア紛争は銃撃戦だけでなく戦車や重火器を交えた本格的な戦闘の様子や凄惨な犠牲者映像を含めて描かれていました。 紛争があったということは知っていましたが、ニュース映像等は観ていなかったので、ここまで激しいものだったのか、と。 そして戦闘が続く中、「1994年1月で編集を終えた」と言う字幕で終わりました (内戦・紛争終結はこの約半年後)。 ジョージアの内戦の経緯の描かれ方は、現在のロシアによるウクライナ侵攻の経緯が重なって見えました。

[この鑑賞メモのパーマリンク]

[4080] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 小杉町, 川崎市, Sun Mar 19 19:57:14 2023

16日は野暮用で午後休暇にしたのですが、用事が早めに終わったので、飯田橋へ。 『没後60年 ジャン・コクトー映画祭』東京日仏学院でも開催になったので、 1月の恵比寿ガーデンシネマ [鑑賞メモ] で見逃していた2本を観てきました。 もちろん、デジタルリマスター版での上映です。

La Belle et la Bête
『美女と野獣』
1946 / DisCina (FR) / B+W / 95. min.
Histoire, paroles et mise en scène de Jean Cocteau d'après le conte de M' Leprince de Beaumont.
Musique: Georges Auric
Josette Day (Belle), Jean Marais (Avenant, la Bête, le Prince), et al.

Disney がアニメーション映画化しさらに実写映画化したことで有名になったフランスの説話 (このうち1756年の Beaumont 版) に基づく映画です。 有名な話ということもあり大筋は覚えていましたが、細部までは流石に覚えておらず、そういう話だったかと楽しめました。 父の犯した罪の身代わりとして、城にて醜い野獣 (la Bête) と暮らすことになった美しい娘 (Belle) が、 最後には野獣から戻った美しい王子と結ばれるという大筋は抑えていましたが、 Disney 版での悪役 Gaston に相当するのが兄の友人に当たる Avenant ですが、悪役というほどではなく、むしろやられ役。 浪費癖が抜けず不誠実な兄や姉2人と働き者で思いやり深い Belle を対比する物語でした。 一緒に暮らすうちに Belle は野獣と打ち解けていきますが、Avenant が身代わりとなって戻った形で、 愛が野獣を王子に戻すという話ではなく、思いやり深さには褒賞あるという教訓話に感じられました。 エンディングは2人で王子の国へ飛んで行くというもので、そんな終わり方だったか、と。

たわいない説話といえばそうですが、 Orphée にしてもそうですが画面合成などを使った特殊効果や非現実的かつゴージャずな表現を好む Cocteau と、 ファンタジックな説話の相性は良く、 デジタルリマスターの美しい画面も相俟って、第二次大戦直後に撮られたとは思えない幻想的な映画でした。

Le Sang d'un poète
『詩人の血』
1932 / FR / B+W / 55. min.
Réalisation: Robert Bresson.
Musique: Georges Auric.
Errique Rivero (le poète), Lee Miller (la statue), et al.

Avant-Garde と関係深かった戦間期に撮った Cocteau の初監督作品にて、 1930年に公開予定が反カトリック的等の理由で公開が1年以上遅れたという経緯のある作品です。 Orphée でも使われることになる鏡抜けの場面や、 客室の扉の並ぶホテルの廊下の場面 (おそらく壁面を水平に近い状態にしてまるで直立しているかのようなカメラアングルで撮って まるでよじ登るかのような不自然な俳優の動きを撮っている) など、 元ネタとなるアイデアが多く観られます。 その一方で彫像のメイクをはじめ特殊効果は不自然というか素朴なもので、 明確なストーリーがあるわけではないものの、 主人公が詩人という点も含め、Orphée の習作のよう。

その一方、詩人のミューズに相当する Lee Miller 演じる彫像が破壊され最後には彫像が復活する展開など、 まさに Man Ray の “Objet à détruire [Object to be destroyed]” (1923) / “Indestructible objet [Indestructible object]” (1957) を連想させられるものがあり、 そんな所に戦間期 Avant-Garde の関係を感じられもしました。

[この鑑賞メモのパーマリンク]

[4079] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 小杉町, 川崎市, Sun Mar 12 22:13:46 2023

週後半の国内出張の疲れもあって、土曜は昼過ぎまでぐったり休養モード。 午後遅めに家を出て初台へ。このコンサートを観てきました。

Audio Visual Live 2022: remix
NTTインターコミュニケーション・センター, ギャラリーA
2023/03/11, 19:00-20:00.
出演: Dumb Type (高谷 史郎, 古舘 健, 濱 哲史, 南 琢也).

NTTインターコミュニケーション・センター開館25周年記念イヴェントとして、 La Biennale di Venezia 2022 の展示 2022に基づき、 2022年11月30日に Teatro Goldoni, Venezia で行われた上演された作品のICCヴァージョンの コンサートが開催されました。 今まで、舞台作品 [鑑賞メモ] や展覧会 [鑑賞メモ] は観ていますが、 音と映像のコンサートという形式は観たことがなく、観る良い機会かと足を運びました。

ギャラリーAの奥側の壁のスクリーンに向かって客席を並べた会場で、 スクリーンに投影される映像を観つつ、ライヴでリミックスされる音を聴くという 約1時間でした。 出演のクレジットはありましたが操作卓は客席後方に置かれ、 舞台作品とは違い映像中も含めパフォーマーが出てくるわけではなく、舞台作品というよりインスタレーション作品に近いものでした。 しかし、インスタレーションより音圧高くフラッシュ光多め、1時間程の長さもあって没入感はインスタレーション以上でした。

投影される映像は僅かに赤が混じるもののほぼモノクロで、アスペクト比は1:1。 19世紀アメリカの地理書の著者 James Monteith のテキストが英語もしくはモールス信号で画面中央水平に表示され、 全天球カメラや地上の定点カメラの粗めのタイムラプス映像が時にデジタルノイズ的な加工もされながら時にフラッシュ光のような効果も交えつつ投影されていきます。 音の方もテクスチャを強調するようにリミックスされたフィールド音や電子音が織りなすもので、 インスタレーション作品にも近いものがありましたが、 中盤にはモールス信号のパターンに合わせて重低音のビートが刻まれるような展開もありました。

重低音モールス信号に機関銃音を想像したり、 白黒の風景にグリッドを示すようなマーキングが付けられた粗い映像に携帯型ミサイルのディスプレイを連想してしまうのは、 この一年、ロシアのウクライナ侵略の戦場の映像を目にし続けてきたせいでしょうか。 映像の中に、丘の上の石造りの城郭らしきものが見え、 先のトルコ・シリア地震で崩壊する前のガジアンテップ城 (Gaziantep Kalesi) を連想したり。 このような音や映像から戦争とか災害とか想起しがちなところから、 作家の意図というより、そういった映像に日常的に晒され続けているということに気付かされました。

[この鑑賞メモのパーマリンク]

先週はまさかの札幌、那覇のハシゴ出張。 流石にどちらかをリモートにしようかと思ったのですが、航空便を調べたら移動可能で、 リモート続きで顔も知らない出席者が多くやりづらく感じていたので、思い切ってハシゴすることに。 2日目は札幌から那覇まで乗継あり搭乗時間5時間、朝ホテル出る時は氷点下で昼着くと20度以上とか、ヒートショック試験かと。 致命的ではないものの、航空券やホテルの予約で微妙なミスをしていて、やはり宿泊や移動を快適に過ごすちょっとしたノウハウを忘れかけていることを実感しました。

どちらもコロナ前から3年余ぶり。特に那覇の変わりぶりを実感しました。 ゆいレールの終点が首里ではなく、交通系ICカードが使えるようになっていたり。 2019年の火災からの修復中の首里城を見て、本当に燃えてしまったんだな、と。 いつもだと帰りの便の時間調整に沖縄県立美術館・博物館を使うのですが、 今回は、久茂地というか美栄橋駅近くに2021年にオープンした 那覇文化芸術劇場なはーとに寄ってみました。 平日の晩に公演があれば出張に来た晩に何か観られることもあるかもしれないのですが。 現代美術の展示をやっていましたが、ロビーでの展示なので、本格的な展覧会は難しいでしょうか。

[4078] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 小杉町, 川崎市, Mon Mar 6 23:39:51 2023

先の土曜は午後に渋谷へ。 国際女性デー (3/8) に合わせて、 渋谷パルコ1階の北側歩道に面したスペースで、セレクトショップ Sister が 『Guerrilla Girls 「F」ワードの再解釈:フェミニズム!』 という、フェミニスティックな匿名アート・アクティヴィスト集団 Guerrilla Girls を紹介する展示をしている (3/3-12, 11:00-21:00) ので観てきました。 偶然通りがかって Do women have to be naked to get into Met. Museum? (1989) を大きくプリントしたウィンドウを見たらそれなりに面白かったと思うのですが、 展示はゲリラ的な小規模なもので、わざわざ観に行く程ではなかったでしょうか。

合わせて、関連企画としてこのビデオ作品の上映がヒューマントラストシネマ渋谷であったので観ました。

Martha Rosler Reads Vogue: Wishing, Dreaming, Winning, Spending
1982 / Paper Tiger Television / colour / 27 min.
YouTube (Official): https://www.youtube.com/watch?v=hBxpB7lgTHY

女性ファッション雑誌 Vogue を繰りつつの、奢侈と搾取と女性規範をめぐる約30分です。 当時、既存のイメージをアプロプリエーションする (引用して文脈操作する) ポストモダン・アートが流行していたわけですが、 まさに Vogue のイメージを題材としての典型的な作品です。 Gang Of Four など同時代の post-punk の歌詞の方法論とも重なることもあり [関連発言]、 同様のフェミニステックかつポストモダンな作風の Barbara Kruger, Jenny Holzer, Cindy Sharman, Sherry Levine, Louise Lawler など、 1990年代に好んで観ていたのを思い出して (この作品は初見でしたが)、少し懐かしく思いながら観ました。

その一方で、1980年代は半世紀近く前になるわけで、そこから ラグジュアリー・ブランドを巡る状況は大きく変わっていますし、 現代アートの状況も大きく変化してますし、 フェミニズムも #MeToo など第4波などとも言われるわけで、 この作品も時代背景込みで観ないと分かりづらそうと思うところもありました。 しかしその一方で、国際女性デーに因んで商業施設などが開催するようになったミモザフェスティバル [銀座, 川崎] のあり方を見ると、Martha Rosler Reads Vogue もまだまだアクチュアリティがあるのかもしれません。 しかし、数年前は国際女性デーの知名度などほとんど無かったわけですが、まさかこんな形でポピュラーになるとは予想しませんでした。

Martha Rosler Reads Vogue は好きな作風ではありますが、 上映に合わせてのトークはまた違う話で、焦点がボケた企画に感じられたのは少々残念でした。

[この鑑賞メモのパーマリンク]

せっかく渋谷の、それも、宇田川町〜公園通り方面に行ったので、久々のレコード店巡り。 公園通りの代々木公園近くにある馴染みの店で、偶然居合わせた客と、 2000年頃にフランス F Communications がリリースしたアフリカ音楽の話 (しかし、話しながら、自分も相手も具体的なタイトルが思い出せない、という) になったり。 後に映画 (というかビデオ作品) の予定があって長居できませんでしたが、やはり、実店舗は楽しいものです。

[4077] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 小杉町, 川崎市, Sun Mar 5 21:44:52 2023

先週末の土曜は白金で展覧会を観た後に、三軒茶屋へ移動。この展覧会を観てきました。

世田谷パブリックシアター
2023/02/25, 17:00-18:10.
演出振付: 金森 穣.
音楽: Franz Schubert.
木工芸術: 近藤 正樹; 衣装: 堂本 教子.
出演: Noism0+Noism1: 井関 佐和子, 山田 勇気, 井本 星那, 三好 綾音, 中尾 洸太, 庄島 さくら, 庄島 すみれ, 坪田 光, 樋浦 瞳, 杉野 可林, 糸川 祐希.
世界初演: 2023年1月20日 りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館 (スタジオB)
製作: りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館

プログラムの Director's Note によると 「700を超えるシューベルトの歌曲(全てを聴いて)から、愛と死というテーマに基づいて21曲を選び出し、本作品は創作された」 という、2022/23シーズンの新作です。

舞台には、後方に幅1 m高さ1 m程の出入り口が開けられた白いのっぺりとした壁があり、 最前方と最後方壁前に一列に赤い薔薇が一列に取れるように立てられただけ。 照明は上からフラットに照らすことはあまりなく、スポット的か、前方下方もしくは横からの光で、 陰影を強調するような演出でした。 全体を通した物語が感じられるというほとではないのですが、 ささやかな物語性と寓意性の感じられるスケッチのような小場面を連ねていくような構成です。 ダンスとしても、群舞やアクロバティクなリフトなほとんど排され、多くて5人、デュオやソロを連ねるような展開でした。 今までの Noism であまり感じることが無かった、金森、井関、山田 以外の各ダンサーの個性というか役者っぷりが出ていて、そこが面白く感じられました。

前半は、愛のパート。前後に並んだ赤い薔薇を手に取り、 明朗かつコミカルに、必ずしも男女のではない愛を描いていました。 赤い薔薇のような小道具を堂々と使いこなせる、というのも、Noismならではかもしれません。 それを見守る舞台前方下手の 山田 の存在も、良い意味での異化作用を作り出していました。 しかし、「愛と死」がこれでいいのか?と少々不安にもなりましたが。 中盤で、暗くなった舞台に運命の女神かのように白いスリップドレス姿で静かに 井関 が登場することで転換して、死のパートに入ります。 痴情の絡れの上の殺害のような死のパターンも無かったわけではないですが、一人また一人と静かに斃れていくよう。 歌詞が聞き取れればまた違う印象を受けたかもしれませんが、 死の瞬間のドラマチックな悲しみというより死後しばらくしての喪失感を思わせる死の表現でした。 そして、最後に皆が揃って立ち上がった姿で横一列に並び、亡くなった人たちへ静かに祈りを捧げるのような仕草で終わりました。 これが代わりか、カーテンコールはありませんでした。

『春の祭典』 [鑑賞メモ] や 『BOLERO 2020』 [鑑賞メモ] の、 災害/疫病/戦争の続く暗い世相を受けたような作品も好きですが、 このような普遍的なテーマの扱いも良いものだな、と思うような作品でした。

[この鑑賞メモのパーマリンク]

せっかく三軒茶屋で早めの時間に終わったので、若林時代に時々行ってた店をまわってみたのですが、どこも満席で入れませんでした。 土曜晩ですし、客足が戻ってるのはいいことなのですが、ちょっと残念。 結局、今の地元の店に行ったのですが、他の客との会話も盛り上がり、楽しいひととき。 これは、そういう導きだったということで。

[4076] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 小杉町, 川崎市, Mon Feb 27 22:35:17 2023

先の週末土曜は午後遅めに目黒というか白金へ。この展覧会を観てきました。

The Polyphony of Function and Decoration –– Modern Synchronized and Stimulated Each Other
東京都庭園美術館
2022/12/17-2023/03/05 (月休;12/28-1/4休;1/9開,1/10休), 10:00-18:00

第一次大戦前後の1910年代から1930年代にかけての、 フランス・パリ、ドイツ、オーストリア・ウィーンと日本のモダンを巡る動向を、 アヴァンギャルドなモダニズムから装飾的なファッションやデザインの流行に近い動向まで、 その交流を含めて多面的に取り上げたデザイン展です。 一部 Musée des Arts Décoratifs (パリ装飾美術館) のものがありましたが、 ほぼ、国内の美術館等のコレクションで構成された展覧会です。

ウィーン工房 (Wiener Werkstätte) やドイツ工作連盟 (Deutscher Werkbund)、バウハウス (Bauhaus) などが有名ですが、その同時代のフランスの動向を丁寧に取り上げていました。 世紀末のアール・ヌーヴォー (Art Nouveau) より後、1920年代のアール・デコ (Art Deco) や UAM (Union des Artistes Modernes) に至る動向が、 特に、ウィーン工房とも関係付けられて紹介されていました。

鍵となる一人は服飾デザイナー Paul Poiret で、 それも、この展覧会ではウィーン工房を手本とした Poiret の工房 Atelier Martine やその教育機関 Ecolé Martine に焦点を当てていました。 もう一人は後に UAM 設立に関わり会長となる建築家 Robert Mallet-Stevens で、 UAM 以前、1910年代から1920年代にかけての建築や室内装飾のデザインの仕事などに焦点を当てていました。 他にも、建築、室内装飾、店舗デザインや家具のデザインのキーマンとして、Mallet-Stevens と協働した Francis Jourdain と彼の工房 Les Ateliers Modernes、 アルメニア生れながらウィーン育ちで1921年にパリへ移住し Art Deco 展では Sonia Delaunay と Jardin d'Eau et de Lumiere を手がける Gabriel Guévrékian などが取り上げられていました。 そして、Mallet-Stevens がセットデザインを手がけ、Atelier Martine の家具と Paul Poiret の衣裳が使われた Marcel L'Herbier の映画 L'Inhumaine 『人でなしの女』 (1924) [鑑賞メモ] が、 このような動きの象徴的な協働として上映されていました。

ウィーンやドイツでの動向でも、1920年代のウィーン工房で活躍した女性作家たちや、 Bauhaus がデッサウ (Dessau) に移る際に陶芸工房の作家が籍を移したハレ (Halle) の Burg Giebichenstein Kunsthochschule など、 見落としがちが動きをきちっと拾っていました。 同時代の日本の動向として、斎藤 佳三 の服飾デザインや 森谷 延雄 の家具デザインが「日本における生活改善運動」として紹介されていました。 展覧会全体に対する割合からすると、少々、参考展示的な印象も受けましたが。

この頃のデザインは好みということもあって、 ウィーン工房 [関連する鑑賞メモ1]、 Bauhaus [関連する鑑賞メモ1, 2]、 UAM関連 [関連する鑑賞メモ1, 2] や アール・デコ [関連する鑑賞メモ1] など、それなりに展覧会を観てきています。 この展覧会は国内の美術館等のコレクションがベースということでさほど期待はしていなかったのですが、 切口の良さもあって見応えのある展覧会でした。

[この鑑賞メモのパーマリンク]

軽く観るのにちょうど良さそうと、晩の公演の前に行ったのだけど、予想以上に見応えある展示で、駆け足気味に観ることに。 後の予定の無いゆっくり観られる日に行けばよかった、と。

[4075] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 小杉町, 川崎市, Sun Feb 26 20:32:22 2023

祝休日の23日は昼過ぎに京橋へ。 国立映画アーカイブの上映企画 『日本の女性映画人 (1) –– 無声映画期から1960年代まで』 で、この映画を観ました。

『雁來紅(かりそめのくちべに)』
1934 / 入江ぷろだくしょん / 配給: 新興キネマ / 96 min. / 35 mm / 白黒
監督: 鈴木 重吉.
入江 たか子, 渡邊 篤, 伊達 里子, 汐見 洋; 特別出演: ヘレン・本田, 相川 マユミ, etc.

当時の人気女優 入江 たか子 が1932年に設立した独立プロダクションによる、初のトーキー映画です。 主人公は台湾の商社の日本法人の支配人 (渡辺 篤) とその妻 (入江 たか子) の夫婦で、 台湾から来訪した社長 (汐見 洋) を自宅での夕食に招いたものの、仲違いした妻は妹の家へ行ってしまい、 社長には伏せてタイピスト (伊達 里子) に妻代わりを頼んだところ、妻が途中で帰宅して…、 と、その場凌ぎの嘘に振り回される様を描いたコメディです。 渡辺 篤 と 伊達 里子 の配役は、日本初の本格トーキー映画 『マダムと女房』 (五所 平之助 (監督), 松竹蒲田, 1931) [鑑賞メモ] を連想させます。 愛嬌があるというより気品のある美女という雰囲気の 入江 たか子 がコメディにあまり合わなかったか、 コメディのプロット自体はたわいないものに感じましたが、音楽やダンスの場面に興味を引かれました。

夫と仲違いした妻が家を出て妹宅に身を寄せるのですが、妹は歌手 (ちなみに夫は画家) という設定で、 妹役を演じるコロムビア專属歌手 ヘレン・本田 がウクレレを弾きながらの歌を披露します。 社長に言われて行くことになる赤坂溜池のダンスホール、フロリダの場面では、 配役字幕で「新進ジヤズダンサー」とクレジットされていた 相川 マユミ によるソロダンスのショーが長く捉えられています。 そんな場面から当時のモダンな音楽や舞踊の受容の様子が伺われ、とても興味深いものがありました。 歌もダンスもハワイアンの影響が強いもので、当時の流行ぶりが伺われます。 映画の撮影がロケかセットか判断しかねましたが、 赤坂のフロリダといえば、映画女優デビュー前の 桑野 通子 [関連する鑑賞メモ] がダンサーしていたことでも知られる、当時有名だったダンスホールです。 フロリダでのソロダンスのショーの場面を観ながら、フロリダってこういう所だったのか、桑野 通子 もこういう風に踊っていたんだろうか、と、感慨深いものがありました。

『江戸子守唄』
1930 / 岡田嘉子プロダクション / 4 min. / 35 mm / 染色
出演: 岡田 嘉子; 撮影: 木村 秀勝; 歌: 関屋 敏子.

新劇女優でもあり、後にソビエト逃避行でも知られる 岡田 嘉子 が設立した独立プロダクションでの作品です。 タイトルにもなっている「江戸子守唄」に合わせ、 岡田 嘉子 が、大きな格子柄のモダンな和装で、当時本格的に取り組んでいたという日本舞踊の舞を踊る様子を捉えた4分ほどの短編です。 歌は 岡田 嘉子 ではなく別に録音して付けた、サウンド版のサイレント映画です。 歌詞字幕が入るところはカラオケの映像みたいと思いましたが、今でいうミュージックビデオでしょうか。 1930年というと、サウンド版映画という観点でも日本国内では最初期にあたりますが、この時点で既にこういう音楽映像の作り方がされていたのか、と感慨深いものがありました。 また、 同じカットを細かく繰り返し挟んでタイミングを調整するような映画の編集からは、 当時の技術で歌と踊りをシンクロさせることの難しさが伺われました。

[この鑑賞メモのパーマリンク]

[4074] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 小杉町, 川崎市, Thu Feb 23 22:39:12 2023

話が前後しますが、先の週末土曜は、午前中に地元の行きつけの病院へ行って、花粉症の薬を入手。 これでなんとかお散歩できる、と、午後は府中、初台と京王線沿いの展覧会をハシゴしてきました。

SUWA Atsushi: Fire in the Medial Orbito-Frontal Cortex
府中市美術館
2022/12/17-2022/02/26 (月休;1/9開;12/29-1/3,1/10休, 10:00-17:00.

写実的な具象ということで自分の守備範囲ではないかと思いつつ、 フライヤにあった 大野 一雄 を踊る 川口 隆夫 を複数の時間を合成するかのように描いた《Menesis》 (2022) が気になって足を運んでみました。 大野 一雄 関連の作品や、展覧会のタイトルとも関連する作家自身の閃輝暗点も含めて静物を描いたシリーズよりも、 日中戦争終戦直後の満州の難民収容所で亡くなった祖母をテーマにリサーチに基づいて描いた《棄民》シリーズが最も興味深くみられました。 写実的なタッチではあるものの現実から外れる幻想性があるマジックリアリズム的な絵画は、戦禍の様な題材を扱うのに合っています。 現代アートの文脈での写真作品でもコンセプトやサーベイが重要な要素を占めていますが、写実的な具象絵画でもコンセプトやサーベイが重要だと気付かされました。

2000年代半ばから現代アートの文脈で活動する作家の個展で、 企画展示室をフルに使った新作の体験型の作品です。 導入にスマートフォンでインストラクションを聴かされ、 厚手の防水生地からなるテントにもなるポンチョ様のものを着せられ、 壁に殴り書きされたインストラクションに従って鑑賞していく仕掛けになっています。 最後のVR体験は閉館までの時間以上の待ち行列ができており、体験できませんでした。 謎解きさせるようなインスタレーションをインストラクションに従って体験していくわけですが、 興味関心がすれ違ったか、単に花粉症の薬でぼーっとしていたせいか、ひっかかりがありませんでした。

Viewpoints of Reality in the Multi-layered World
NTTインターコミュニケーション・センター
2022/12/17-2023/03/05 (月休;月祝開,翌火休;12/26-1/4;2/12休), 11:00-18:00.
内田 聖良, 佐藤 瞭太郎, 柴田 まお, たかはし 遼平, 谷口 暁彦, Total Refusal, 藤原 麻里菜.

去年の『多層世界の歩き方』 [鑑賞メモ] に続いて、 「多層世界」をキーワードにオンライン会議ツールやオンラインゲームなどに着想した作品を集めた企画展です。 会場全体の雰囲気は相変わらずでしたが、そんな中で印象に残ったのは、 Total Refusal: How to Disappear (2020)。 オンラインFPS (First Person Shooting) ゲーム Battlefield V の素材を使った作品とのことで、 FSPらしい動画に付けたナレーションで、ゲームでは不可能な脱走と戦史で扱われることの少ない脱走を重ねていきます。 『イン・ア・ゲームスケープ』 [鑑賞メモ] にも 多く取り上げられていたタイプの作品ではありますが、 ロシアによるウクライナ侵略で戦場の光景を一年間見続けていたせいか、2019年に観たときより、単なる興味深さ以上のリアリティを感じられました。

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[4073] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 小杉町, 川崎市, Sun Feb 19 20:18:13 2023

この週末日曜は、昼前に渋谷円山町へ。 ユーロスペースで開催中の 『イスラーム映画祭8』で 以前から観たいと思っていた映画がかかったので、足を運びました。

Sukkar Banat [Caramel]
『キャラメル』
2007 / France, Lebanon / colour / 96 min.
Réalisation: Nadine Labaki.
Musique: Khaled Mouzanar.
Nadine Labaki (Layale), Yasmine Al Massri (Nisrine), Joanna Moukarzel (Rima), Gisèle Aouad (Jamale), Sihame Haddad (Rose), Aziza Semaan (Lili), Fatmeh Safa (Siham), Adel Karam (Youssef (The policeman)), etc.

レバノンの女優かつ映画監督 Nadine Labaki の長編第1作です。 舞台はベイルートのビューティー・サロン (日本でいう美容室とエステ・サロン、ネイル・サロンなどを合わせたような店)。 その女主人 Layale とそこで働く Nisrine と Rima、 女優志望の常連客 Jamale、隣の仕立屋の女主人 Rose の5人を描いた群像劇です。

Layela は妻子ある男との先の見えない不倫にハマっていますが、 Nisrine や Rima がその妻を客として店に呼んだことで彼の一家の様子を知ることになり、関係に見切りがつきます。 その一方で、店の前の通りを担当する警官 Youssef の好意には気づきません。 Nisrine は婚約しているものの処女でないことが保守的な一家や夫にバレないか心配してますが、 Layale らに励まされて処女膜再生手術を受け、結婚式を挙げます。 ショートヘアの Rima は密かに同性愛の指向があり、 彼女の施術を受けるようになった同じ性的指向を持つ客 Siham は彼女に触発されてショートヘアにします。 女優志望の常連客 Jamale はオーディションを受け続けるものの、受かることはありません。 女手一つで認知症の姉 Lili の面倒を見る Rose は、身なりも気にせず働いてきましたが、 スーツを直しに訪れた老紳士と良い雰囲気になり、 一旦は Layale の店で髪の手入れをし化粧をして彼の誘いに乗ろうとしますが、姉を見捨てられずに彼を諦めます。

内戦の影響はあるもののアラブ世界の中でも最も開放的な街ベイルートで、 かつ、登場する女性たちはイスラム教徒ではなくキリスト教徒 (マリア様の祭の様子も映画の中に出てくる) ということもあるかと思いますが、 描かれる女性5名は、それぞれ上手くいかない事を抱えつつも、自立的に生きています。 内戦などのレバノンの困難な状況は描かれませんが、 女性たちの生きかた、そしてお互い助け励まし合う友情というかシスターフッドを、ほろ苦くもユーモアを交えて描いた映画でした。 特に凝った映画的技巧を使っているわけではなく、大きな事件が起きたりもしませんが、女性たちの日常の機微の描写がじんわりと沁みる映画でした。

2009年の日本公開時はノーチェックだったものの、 その後、Et maintenant, on va où ? (2011, 邦題『私たちはどこへ行くの?』) [鑑賞メモ]、 Capharnaüm (2018, 邦題『存在のない子供たち』) [鑑賞メモ] と Nadine Labaki 監督作品を観てきたわけですが、期待を裏切らない良さでした。 イスラム教徒の多い街ベイルートを舞台としているもののキリスト教徒を描いた映画で、 『イスラーム映画祭』の趣旨からすると境界的な映画だとは思いますが、 こういう機会でも上映されて映画館で観ることができて、よかったでしょうか。

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[4072] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 小杉町, 川崎市, Sun Feb 12 20:33:28 2023

この週末土曜は、午後に東銀座というか築地へ。このオペラの上映を観てきました。

from Metropolitan Opera House, 2022-12-10.
Music by Kavin Puts, libretto by Greg Pierce.
Base on the book by Michael Cunningham (1998) and the Paramount Picture film (2002).
Production: Phelim McDermott.
Set and Costume Designer: Tom Pye; Lighting Designer: Bruno Poet; Projection Designer: Finn Ross; Choreographer: Annie-B Parson; Dramaturg: Paul Cremo.
Cast: Renée Fleming (Clarissa Vaughan), Kelli O'Hara (Laura Brown), Joyce DiDonato (Virginia Woolf), et al.
Conductor: Yannick Nézet-Séguin.
World Premiere: Metropolitan Opera, Nov. 22, 2022.
上映: 東劇, 2023-02-11, 14:30-17:45 JST.

Met Opera live in HD で1シーズンに1作必ず新作オペラを入れるのですが、その2022/2023シーズンの作品です。 Virginia Woolf の小説 Mrs. Dalloway 『ダロウェイ夫人』 (1925) に着想した1998年の同タイトル Michael Cunningham の小説と、 その2002年の映画化 (Directed by Stephen Daldry, starring Nicole Kidman, Julianne Moore, Meryl Streep) に基づくものです。 新作オペラという興味はあるものの、作曲家、演出家、元の小説に関する予備知識も無かったので、映画で予習をして臨みました。

この作品は3つの時代のそれぞれの1日の出来事を並行して描いています。 1つ目は1923年のロンドン郊外、Virginia Woolf が Mrs. Dalloway を書き出そうとする1日を描いています。 2つ目は1950年代 (小説は1949年、映画は1951年の設定) のロサンゼルス、主婦の Laura Brown が夫の誕生日パーティの準備をする1日を描いています。 3つ目は1990年代 (小説は1999年、映画は2001年の設定) のニューヨーク、編集者の Clarissa Vaughan) が担当の作家 Richard Brown (過去の恋人で、現在はAIDS闘病中) の受賞パーティの準備をする1日を描いています。 それぞれの日は、Laura Brown の愛読書が Mrs. Dalloway であること、 Laura Brown と Richard Brown が親子であること、そして、Clarissa の渾名が Mrs. Dalloway であることで、繋がっています。 パーティの準備や自殺など共通するモチーフがあり、これらの3つの日はそれぞれ Mrs. Dalloway の描く1日の変奏となっています。 3つの日は絡み合うというほど密に相互干渉せず、その日の中で生じる似た様な出来事を通じて響きあうようです。

3つの日に通底するテーマが同性愛で、 Virginia はそれを抑圧したまま (オペラでは描かれませんでしたが映画では後の自殺の原因と暗示される) ですが、 1950年代の Laura は作品で描かれた1日でそれを自覚し、一旦は自殺しようとするもののそれを止めます。 作品中には直接描かれないですが、Laura は後に家出し、そしてそれが息子 Richard のトラウマになっています。 1990年代の Clarissa は同性の恋人 Sally (この名は Mrs. Dalloway の登場人物と同じ) と同棲中です。 この時代では、主要な登場人物は皆、同性愛者かバイセクシャルかで、その性的指向を特に抑圧してはいないのですが、AIDSという形で悲劇がもたらされています。 そんな時代による変化などの違い、それでも似たような点などを、3つの日を並行して描くことで浮かび上がらせていくようです。

このような3つの日を並行して描くという複雑な構造を持つ作品を、 映画ではそれぞれの時代の場面を別々に撮影して複雑にクロスカッティングすることで実現していましたが、 流石に舞台ではそれはできないので、どのように舞台化するのかが興味の一つでした。 この演出では、舞台上にそれぞれの時代に対応した可動式の小舞台を作って、 それを出したり引っ込めたり横に動かして、主にその小舞台の中でその時代を演じていました。 そして、強く印象付けたい場面などに、その小舞台無しに舞台を広く抽象的に使います。 舞台全体を不完全ながら白い枠で囲んでいるということもあり、マルチウィンドウ画面を舞台上で実現したかのよう。 これにより、3つの日の間で視線を送ったり声を合わせて歌うなど、3つの日の間の関係をより直接的に描く––めぐりあうというより、響きあう––事ができていました。 ナレーション的なコーラスや、状況を示すダンスも付いて、3つの日が同時進行するという複雑さの割にわかりやすい、 スマートというより力技での解決という意味で、凄い演出でした。 しかし、複数の小舞台が舞台上に乗り、さらに、コーラス隊やダンサーたちも舞台上にいるため、 情報量が多すぎで視覚的にゴチャゴチャとしたものになってしまっていました。

映画では Philip Glass の音楽が使われていましたが、 Kevin Puts の音楽はミニマルな展開も使われていましたが、 例えば1950年代のシーンではジャズ的な要素が使われるなど、時代を説明するかのよう。 わかりやすくはあるのですが、 一貫してミニマルかつメロドラマチックに盛り上げる映画での音楽の方が好みでしょうか。 振付の Annie-B Parson は、 David Byrne's American Utopia (2019) [鑑賞メモ] で振付を担当していた振付家です。 ダンスは映像の中では背景に埋もれがちで、特に印象に残るほどでは無かったのは残念でした。

小説や映画、さらにその元となった Mrs. Dalloway を知らなくても付いていけそうな演出でしたが、 視覚的にも音楽的にも全体として少々説明的に過ぎるように感じてしまいました。 また、予習に映画を観たときにも感じたのですが、複雑な構造を追う際のパズルを解く様な面白さ、興味深さは確かにあるのですが、 それによる異化作用が強くて、秘めた愛 (性的な指向) や過去の選択への後悔のような (ある意味メロドラマチックな) 主題の方に入り込めませんでした。

[この鑑賞メモのパーマリンク]

花粉症に備えて土曜の朝に行きつけの病院へ行ったら、祝日で休診。11日が祝日だったことをすっかり忘れていました。 そして、この週末、やはり花粉症の症状が出てしまいました。いけません。

[4071] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 小杉町, 川崎市, Sun Feb 5 23:45:24 2023

この週末土曜は、午前中から恵比寿へ。晩まで一日、この展覧会+上映会を観ました。

Yebisu International Festival for Art & Alternative Visions 2023 – Technology?
東京都写真美術館 ほか
2023/02/03-02/19 (月休), 10:00-20:00.

東京都写真美術館主催のアニュアルの映像芸術展です。 コロナ禍の下、コンパクトな開催が続いていましたが、 今年は東京日仏会館の展示や上映をはじめコロナ以前の規模に戻ったでしょうか。 今年は、上映プログラムを優先して観てきました。

『飯村隆彦特集』
東京都写真美術館 1Fホール
2023/02/04, 11:00-13:00.
《くず》1962, 7 m 51 s, サウンド, 音楽: 小杉 武久; 《いろ》1962, 10 m 28 s, サウンド, 音楽: 刀根 康尚; 《ダダ 62》1962, 10 m 9 s, サイレント; 《オナン》1963, 8 m 6 s, サウンド, 音楽: 刀根 康尚; 《リリパット王国舞踏会》1964, 12 m 50 s, サウンド, 音楽: 刀根 康尚, 飯村 隆彦; 《Ai (Love)》 1962, 10 m, サウンド, 音楽: オノ・ヨーコ; 《椅子》1970, 5 m 28 s, サウンド; 《まばたき》 1970, 1 m 55 s, サウンド; 《男と女》 1971, 1992 reedit, 7 m, サウンド; 《視覚的論理(と非論理)》1977, 20 m, サウンド; 《ア・イ・ウ・エ・オ・ン》1982, 9 m 18 s, サウンド

2022年に亡なった日本の実験映画/ビデオアート作家、飯村 隆彦 の追悼的な回顧上映です。 前半は8 mmや16 mmで撮影された1960年代の実験映画、後半は1970年代以降のビデオ作品で、 いずれもアーカイヴのためにデジタル化されたものでの上映でした。 実験映画時代は、動く抽象表現主義絵画の様な《いろ》を典型とする戦間期の純粋映画に連なるような抽象的な映画や、 明確なストーリーは無いものの象徴的な場面でシュールに物語る《オナン》の様な作品など、 ダダ/シュールレアリズム〜抽象表現主義絵画の映画版のよう。 ビデオ作品の時期になると、構造の絵説きならぬビデオ説きの様になり、 ミニマル/コンセプチャル [関連する鑑賞メモ] も連想させられました。 時代的に少々ズレるので、美術作品の動向が反映されたというより、絵画が ダダ/シュールレアリズム〜抽象表現主義〜ミニマル/コンセプチャルと辿った理路を映像で辿った様にも感じられました。

『ジョナス・メカス生誕百年記念 ジョナス・メカス―3章のフィルム・プログラム』
100th Birthday Commemorative Program, Jonas MEKAS – Film Program in Three Chapters
東京都写真美術館 1Fホール
2023/02/04, 15:00-20:00.
Guest Programmers: Inesa Brašiškė, Lukas Brasiskis.
Chapter 1: To Write History and to Be Written into History: Documents and Portraits of the New York Avant-Garde
Jonas Mekas, Award Presentation to Andy Warhol 《アンディ・ウォーホルの授賞式》, 1964, 12 m, sound; Jonas Mekas, Zefiro Torna, or, Scenes from the life of George Maciunas (Fluxus) 《ゼフィーロ・トルナー、あるいはジョージ・マチューナス(フルクサス)の生活風景》, 1992, 35 m, English (with Japanese subtitles); Storm de Hirsch, Newsreel: Jonas in the Brig, 1964, 5 m, silent; Gideon Bachmann, Jonas, 1968, 32 m, English (with Japanese subtitles)
Chapter 2: Flâneur with a Camera
Jonas Mekas, Williamsburg, Brooklyn, 2003, 15 m, silent; Jonas Mekas, Cassis 《カシス》, 1966, 4 m 30 s, sound; Jonas Mekas, Travel Songs 《旅の歌》, 1967-1981, 25 m, English (with Japanese subtitles); Jonas Mekas, Song of Avignon, 1998, 5 m, English (with Japanese subtitles); Jonas Mekas, On My Way to Fujiyama, I Saw... 《富士山への道すがら、わたしが見たものは…》, 1996, 25 m, sound, Music: Dalius Naujokaitis
Chapter 3: The Motion of Time and Eye: A Special Screening of Films by Marie MENKEN
Marie Menken, Glimpses of the Garden, 1957, 4 m, sound; Marie Menken, Notebook, 1962, 10 m, silent; Marie Menken, Go Go Go, 1964, 11 m 30 s, silent; Marie Menken, Lights 《ライツ》, 1966, 6 m 30 s, silent; Marie Menken, Sidewalks, 1966, 6 m 30 s, silent; Jonas Mekas, Notes on the Circus 《サーカス・ノート》, 1966, 12 m, sound

リトアニア出身で第二次世界大戦後にアメリカ・ニューヨークへ移住し、 前衛映画作家として、また、 雑誌 Film Culture や Anthology Film Archives, The Film-Makers' Cooperative の設立・運営を通し 国際的なネットワークのキーマンとして活動した Jonas Mekas の、生誕百年を記念した特集上映です。 Reminiscences of a Journey to Lithuania 《リトアニアへの旅の追憶》 (1971-1972) のような有名な作品は含まれないものの、Mekas が注目される様になる1960年代の時代背景をとらえた作品、「旅」という彼の主要なテーマ、 そして彼に影響を与えたというリトアニア系アメリカ人作家 Marie Menken の作品の併映を通して、 Mekas 像を浮かび上がらせるような、約4時間 (トークを含めて5時間だった) の興味深い上映でした。

現代美術展のギャラリーでの上映で観る機会はそれなりにあったと思いますが、映画館の様な場所での上映を観たのは四半世紀ぶりでしょうか。 その当時は意識せずに観ていたのですが、こうしてまとめて観ていて、1960年代アメリカのカウンターカルチャー/アンダーグラウンドカルチャーの 強い影響下にあった表現だったことに気付かされました。 そういう意味で、興味深く観たのは、 Gideon Bachmann のドキュメンタリー Jonas (1968) でした。 Mekas らしい激しくブレて流れる画面がどう撮影されていたのか分かっただけでなく、 Bob Dylan の歌や “We Shall Overcome” が度々使われ、 雑誌 Film Culture をはじめとする彼の活動が、 アート的な文脈ということと同じくらいに、カウンターカルチャー的な背景を持つものだと浮かび上がるような内容でした。 その一方で、Award Presentation to Andy Warhol に使われていた音楽が The Supremes だったというのは違和感というほどではないものの少々意外でした。

影響源として第3部で特集された Marie Menken の作風と比較しても、速い画面の動きのような Mekas との類似よりも、 ブレやピンボケはほとんど使わず新即物主義写真の映画版のような Menken の作風は、 発表時期が1960年代半ばのものがあるとはいえ、前衛映画の作風としては戦間期の純粋映画にも連なるよう。 それに比べて、ブレやボケが主となる Jonas の作風はそこから断絶を感じるものがありました。 しかし、Mekas の様なブレやボケを多用したチラチラした絵の前衛映画というのも、最近はあまり見ない様にも思います。 そういう点でも現代的というより、20世紀後半の一つの時代を感じざるを得ませんでした。

飯村 隆彦 特集と Jonas Mekas 特集で、昼前から晩なで1日じゅう実験映画漬けで、流石にヘトヘトになりました。 上映の前後の時間で展示も観られるだろうと思っていたのですが、上映だけでなくトークもあったので、そんな余裕はなく、展示は3Fと2Fの半分程しか観られませんでした。

3F展示室は今回から始まったコミッション (委嘱) プロジェクトの展示。 4人の選出アーティストの中で最も印象に残ったのは、葉山 嶺 《Hollow-Hare-Wallaby》 (2023)。 オーストラリアの絶滅種動物 Hare-Wallaby (ウサギワラビー) の剥製をコンピュータグラフィックス化して、壁に大きく投影したもの。 剥製の様なものをあえてコンピュータグラフィックスにするという不自然さと、 実写ではほぼあり得ないコンピュータグラフィックスならではの視点の変化が興味深く感じられました。

2FとB1Fはテーマに沿った最近の作品や美術館コレクションで構成されるわけですが、 そんな中で興味を引かれたのは、ダンスビデオ作品とでもいうもの。 Trisha Brown: Homemade (1966) は、 まだコンパクトな映像投影装置などがなかった頃、 背中に大きな映像投影装置を背負って、映像を投影しながら踊るパフォーマスです。 踊るといっても手振り程度ですが、映像とのズレが会場からも笑いを誘っていました。

越田 乃梨子 の《破れのなかのできごと 〜壁・部屋・箱〜(三部作)》(2010) は、 1つのパフォーマンスを裏表固定2点から同時に撮影した上で合成したもの。 鏡像と違う組み合わせになり、空間が歪んだよう。 裏表固定2点ではなく移動する異なる2点からの映像を重ねた《幽霊たち》、 同じ空間で別々に撮影した2つの対称に近い構図の映像を並置した《机上の岸にて》なども、 そんな歪んだ空間の中での動きの面白さを観る様でした。

[この鑑賞メモのパーマリンク]

実験映画をこんなにじっくり観たのは四半世紀ぶりでしょうか。 高校生だった1980年代半に新宿厚生年金ホール裏あたりの雑居ビルでやっていた黙骨子フィルム・アーカイブの上映会へ何回は行ったことや、 1990年代後半から2000年前後にかけて度々足を運んでいたイメージフォーラム・フェスティバルを、ふと思い出してしまいました (遠い目)。 そういったものからかなり遠ざかってしまい、むしろメロドラマ映画とか楽しむようになってしまっていますが、たまにはこういう映画を観るのも良いでしょうか。うむ。

[4070] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 小杉町, 川崎市, Mon Jan 30 22:42:51 2023

先の週末土曜の晩は、渋谷から池袋へ移動。このアニメーション映画を観てきました。

approx. 100 min.
2022 / 幸 洋子 監督 / 山村 浩二 プロデュース / 7 min.
2021 / Yamamura 山村 浩二 監督 / 7 min.
2021 / 矢野 ほなみ 監督 / 山村 浩二 プロデュース / 10 min.
2021 / Yamamura Animation (JP), Miyu (FR) / 山村 浩二 監督 / 64 min.

NHK教育 (Eテレ) 『プチプチ・アニメ』で放送された短編 『カロとピヨブプト』 (1992) や 『バベルの本』 (1996)、 落語を原作とする短編『頭山』 (2002) など、 子供向けに始まり、実験的な作風のアニメーション作品で知られるアニメーション作家 山村 浩二 が初めて作った長編が『幾多の北』です。 2021年以来様々な国際映画祭で上映されていたようですが、2023年に入って 山村 自身の作を含むプロデュースした新作短編3作を併せて劇場公開されました。

『幾多の北』は東日本大震災から1年余経った2021年4月から2014年12月まで月刊誌『文學界』 (文藝春秋社) に発表した絵とテキストからなる連載に基づいた作品とのこと。 明確なストーリーのない映画ですが、抽象アニメーションではなく、 作品を通してある世界を描いており、そこを旅するかのように通して登場する男女2人1組の登場人物も設定されています。 そのような「北」の世界と登場人物を通して仄めかされるナラティブな断片的なイメージの連鎖の1時間です。 描かれる「北」の世界はノイジーな描線、彩度低くむらある色面で描かれた荒涼として生命感乏しい大厄災後を思わせるポスト・アポカリプティックな世界で、 長く根が伸びる様な造形などもグロテスクで不条理感の強いものです。

明確に物語らずに断片的なナラティブを連ねる様は20世紀半ばのポストモダン文学 ––特にその不条理なイメージの連鎖は南米のマジックリアリズムのような小説–– をアニメーション化したようとも思いつつ、 その進め方も含めて時間的に拘束される映画の鑑賞体験は、自分のペースで行き来して読める小説とはかなり異なります。 『幾多の北』では警句的な字幕はあれどセリフやナレーションが使われていないこともあって、 Dimitris Papaioannou [鑑賞メモ] や Philippe Genty [鑑賞メモ]、 Maguy Maran: May Be [鑑賞メモ] など、 活人画のようにシュールレアリスティックでグロテクスなイメージの連鎖の描いていくコンテンポラリーダンス作品を観るような鑑賞体験でした。

『幾多の北』の音楽には、Willem Breuker: Drums In The Night - The Resistable Rise Of Arturo Ui (BVHaast, 1975/83; 2004) から採られていました。 戦間期のカバレット・ソングだったり Brecht ソングなどを思わせるちょっとノスタルジックなフレーズが逸脱していく様な彼らの音楽は、イメージに合っていたでしょうか。 2017年 ユーロスペースでの 山村 浩二 『右目と左目でみる夢』で観た 『サティの「パラード」』でも、 Willem Breuker Kollektief, Mondriaan Strings: Parade (BVHaast, 1991) が使われていましたので、 これに続いてです。 Willem Breuker の音楽 [2002年ライブ鑑賞メモ] も山村のアニメーションの着想源だったりするのでしょうか。

短編3本のうち『ミニミニポッケの大きな庭で』は自由詩の様な言葉をその字幕を挟みつつ 鮮やかながら粗い絵でアニメーション化したもの。ノイジーな立体音像も印象的でした。 『ホッキョクグマすっごくひま』のダジャレのような言葉遊びの様な言葉に誘われる様に 言葉遊びに出てくる動物を色彩を抑えた淡く柔らかい絵で描く、まさに動く絵本の様なアニメーションでした。 『骨噛み』は、父の葬式のエピソードから父との山登りとそこにあった弾薬庫跡の記憶を辿るアニメーションで、もっとオーソドックスな絵でも良さそうな今回上映された中では最も物語性の強い物でした。

[この鑑賞メモのパーマリンク]

会期末になってしまったので仕方ないとはいえ、 Mary Quant 展と 山村アニメーション とは、妙な組み合わせになってしまったと出かける前は思っていたのですが、 Mary Quant 展の音声ガイドと『幾多の北』と三つの短編の上映後トークが同じ人、 図らずしもピーター・バラカン繋がりのハシゴになっていたのでした。 ま、それにしても妙な取り合わせであることには変わりありませんでしたが。

[4069] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 小杉町, 川崎市, Sun Jan 29 23:19:49 2023

この週末土曜は午後に渋谷へ。油断していたら会期末になってしまったこの展覧会を観てきました。

Bunkamura ザ・ミュージアム
2022/11/26-2023/01/29 (12/6,1/1休), 10:00-18:00 (金土 -21:00).

Swinging London と呼ばれる1960年代イギリスの文化革命をファッション面から担った Mary Quant の展覧会です。 イギリス Victoria & Albert (V&A) Museum の2019年の展覧会の国際巡回展です。 1955年のブティックBazaar創業から収益性の高いコスメ事業に重点を移す前の1975年までの20年間に焦点を当てた内容で、 V&Aコレクションの約100点の当時の衣服の展示が見所ですが、 当時の Swinging London の雰囲気が楽しめるだけでなく、衣服はもちろん写真や映像、資料をもとに Mary Quant の衣服から見た1960年代文化革命を辿るような見応えのある展覧会でした。

ミニスカートのオリジネーターとして知られるわけですが、 デザイン面の革新性としては むしろ、女性のためのパンツスタイルのパイオニアでもあったか、タイツにも特徴があったとか、 PVC (Alligator Rainwearとのコラボレーション) やジャージー (Jergey Dress), エラスタン (アンダーウェア) などの素材への取り組みにも特徴があったことに気付かされました。 その一方で、1970年代になるとマキシ丈のドレスもあったりして、流行に逆らうのも難しかったのだろうな、と。 また、登録商標 The Black Daisy や、型紙やニットの編み図、ライセンス生産など先見的な既製服ビジネスという面にも触れられていました。 衣服における流行の変化だけでなくこのビジネス面の才覚が、1970年代後半以降、アパレルから採算性の高いコスメへ軸足を移すことになったのかな、とも。 1960年代のクリエイティヴ・ピークの華やかさだけでなく、時代の変遷も感じることができた展示でした。

[この鑑賞メモのパーマリンク]

大規模な再開発が進行中の渋谷ですが、周辺だけでなく、東急本店とBunkamuraも再開発されるとのことで、東急本店はこの1月31日で閉店。 Bunkamuraは4月9日まで営業を続けるものの以降はオーチャードホールは日祝公演を中心に営業を続けるものの他は長期休館に入ります。 Bunkamura や7階の丸善&ジュンク堂書店 はそれなりにお世話になってきただけに、 自分が知っている渋谷がまた一つ無くなっていくようで、寂しいものです。

[4068] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 小杉町, 川崎市, Mon Jan 23 23:50:57 2023

この週末日曜の夕方、TL上でプロモーション・ツイートを見かけたこのドキュメンタリー映画を オンデマンド配信で観てみました。とても良かったので、鑑賞メモ。

2017 / colour / 95. min. / Nepalese with English subtitles
Conceived by Sky Neal and Satya Films; A Satya Films and Postcode Films Production; Directed by Sky Neal and Kate Mclarnon; Produced by Elhum Shakerifar; Also produced by Sky Neal.

インドのサーカスから救出されたネパール人の人身売買サバイバーたちが結成した Circus Kathmandu のドキュメンタリー映画です。 人身売買のドキュメンタリーとしても、現代サーカス、ソーシャルサーカスのドキュメンタリーとしても、とても興味深いものでした。

人身売買された児童を使うインドの旧弊なサーカスから支援団体によって救出されたサバイバー達が、 そのサーカス・スキルを活かして保護施設の仲間と現代サーカスのカンパニー Circus Kathmandu を結成します。 Circus Kathmandu は、ネパール国内での公演が評判を呼び、ついには海外公演を実現します。 その過程を通して、サバイバー達が、教育の機会を奪われたハンディキャップ、人身売買されて受けた虐待のトラウマ、人身売買サバイバーであるというスティグマを乗り越え、 アイデンティを取り戻し、サーカス・アーティストとしての自信と自尊心を得、人身売買防止の啓蒙活動にも取り組んでいく様を描いています。

このドキュメンタリー映画の凄い所は、Circus Kathmandu が海外公演する程に成功してから取材して当時を振り返って語ってもらうのではなく、 設立前、Circus Kathmandu の主要メンバーである Saraswati がインドのサーカスから救出される様子から始まっているということです。 人身売買サバイバーが自尊心を取り戻していく様子を、救出の瞬間から長期に渡って並走して取材し、回想の言葉ではなく、その時々の言葉、表情や振舞として捉えているので、ダイレクトに感じられるよう。 彼らのショーの様子を捉えた映像の尺が短いといった少々物足りなく感じる点はありましたが、 かなり見応えのあるドキュメンタリーでした。

このドキュメンタリー映画を撮った Sky Neal は、 BBC: Children at workAl Jazeera English: Nepal's lost circus children という人身売買向けのTV局向けのドキュメンタリーを撮っています。 関連する取材をする続ける中で、Circus Kathmandu の結成と成功に立ち会うことになったということなのでしょう。 ちなみに、順番としては、Even When I Fall の後になりますが、 イギリスの現代サーカスに関するドキュメンタリー短編 V&A Museum: Circus Now, A glimpse into contemporary circus in the UK も撮っています。

[この鑑賞メモのパーマリンク]

[4067] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 小杉町, 川崎市, Sun Jan 22 20:37:48 2023

この週末土曜は昼前に池袋西口へ。この舞台作品の上映を観てきました。

Wyndham's theatre, London, 27 January 2022 (International Holocaust Remembrance Day).
Playwright: Tom Stoppard.
Director: Patrick Marber.
Set Designer: Richard Hudson; Costume Designer: Brigitte Reiffenstuel; Lighting Designer: Neil Austin; Sound Designer & Original Music: Adam Cork; Movement: Emily Jane Boyle; Casting Director: Amy Ball CDG.
Aidan McArdle (Hermann Merz), Faye Castelow (Gretl Merz), Ed Stoppard (Ludwig Jakobovicz), Aaron Neil (Erns Kloster), Sebastian Armesto (Nathan Fischbein), Arty Froushan (Leo Chamberlain), Jenna Augen (Rosa Kloster), etc
First Performance: 25 January 2020, Wyndham's theatre, London.
Producer: Sonia Friedman Productions.
上映: シネ・リーブル池袋, 2023-01-21 11:35-14:10.

イギリスの劇作家 Tom Stoppard の最新戯曲の National Theatre Live での上映です。 作家や演出家についての予備知識はあまり無かったものの、 この上映も延長になるなど、評判の良さに引かれて観てきました。

舞台は1899年から1955年にかけてのウィーン、 実業家として成功したユダヤ人 Merz 家とその親族たちの群像劇です。 50年余りを少しずつ描くのではなく、その中から1899年1月、1900年1月、1924年、1938年11月、1955年の順に、それぞれある出来事があった一時を切り出した5幕構成です。 全5幕のほぼ全て Merz 家の客間で演じられる密室劇で、 説明的ではないものの情報量の多いセリフで繰り広げられる会話劇です。

主な登場人物約20名の明確な主人公の無い群像劇ですが、第4幕までは カトリックへ改宗しカトリックの女性と結婚しオーストリアの上流階級への仲間入りを目指す Merz 家の主人 Hermann を軸に、 彼らの親の世代から孫の世代までの親族4世代にわたる話が展開します。 ハプスブルグ帝国時代の第1幕はカトリックに改宗したユダヤ人として祝うクリスマス、 第2幕は Gretl の浮気のエピソードとユダヤの年越しのお祝いペサハ、 戦間期の第3幕は割礼の儀式、と、 宗教的なお祝いの日を選びつつオーストリア社会の中でのユダヤ人の生き様を描きます。 1938年の第4幕は、ナチスによるオーストリア併合によりユダヤ人迫害が強まる中で親族で集まり亡命を議論する中で、 水晶の夜 (Kristallnacht) が始まり、住居財産押収のために警察に踏み込まれます。 そして、ラストの第5幕は、戦後の1955年、ホロコーストを生き延びた Merz の親族 Leo, Rosa, Nathan の3名がウィーンの元 Merz 家の屋敷で出会う場面となります。

登場人物が多いながら、セリフに織り交ぜられたキーワードや演技はもちろん、 家具や衣裳による時代や登場人物の描写も巧みで、 特に説明的なセリフやナレーションが無くとも、観てるうちに自然に人間関係が頭に入ってくるよう。 そして、それまでの登場人物が自然に入っていただけに、戦後の生き残り3人のやりとりが、心を打ちました。 それも、ホロコースト前にアメリカ・ニューヨークに移住した Rosa、 アウシュヴィッツの生き残り Nathan、 イギリス人の継父にイギリス人として育てられユダヤ人としての記憶を失っていた Leo (Stoppard 自身をモデルにしていると言われる)、 という立場の違う3人をぶつけることにより、単純に懐古する以上の深みを作り出していました。 しかし、カトリックながらユダヤ人 Hermann の妻となった Gretl や、 社会主義者で1934年の2月内乱での集合住宅 (Karl Marx Hof) 砲撃で夫を失い イギリス人ジャーナリストと再婚してギリギリでホロコーストを逃れるもののロンドン空襲で亡くなる Leo の母 Nellie とか、 それだけで一つのドラマになりそうなサブストーリーがあって、 ちょっと盛り込み過ぎで焦点を絞っても良かったのではないかと思うところもありました。

数世代にわたる一家の物語の舞台化というと、去年に観た The Lehman Trilogy [鑑賞メモ] を連想するところもありました。 個人的な好みと言えば身体表現の要素の少ない会話劇は苦手で、 見立てを活用し自然主義的な演技を抑えた演出だった The Lehman Trilogy の方が好みですが、 比較的オーソドックスな会話劇で綴る Leopoldstadt のような叙事も良いものだなと思うような作品でした。

[この鑑賞メモのパーマリンク]

National Theatre Live は、自分の趣味嗜好や興味からは少し外れるかなと思うような作品でも大外れがほぼ無いですし、 チケット争奪戦も無く、直前に行くと決めて観られるのが良いなあ、とつくづく。

[4066] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 小杉町, 川崎市, Tue Jan 17 0:02:41 2023

この週末土曜、乃木坂で美術展を観た後の晩は初台へ移動。この正月公演を観てきました。

The National Ballet of Japan: New Year Ballet (2022/2023 Season)
新国立劇場オペラパレス
2023/01/14, 14:00-16:15.
指揮: Paul Murphy. 管弦楽: 東京交響楽団.
Choreography, Concept and Staging: David Dawson
Music: Johann Sebastian Bach
Set Design: David Dawson; Costume Design: Yumiko Takeshima [竹島 由美子]; Light Design: Bert Dalhuysen.
World première: 15 June 2000, Dutch National Ballet, Het Muziektheater, Amsterdam.
出演: 米沢 唯, 柴山 紗帆, 小野 絢子, 五月女 遥, 中島 春菜, 根岸 祐衣, 渡邊 峻郁, 速水 渉悟, 中島 瑞生.
The Sleeping Beauty, Grand Pas de deux
Choreography: Marius Petipa.
Music: Pyotr Ilyich Tchaikovsky.
Costume Designer: Luisa Spinatelli.
出演: Yasmine Naghdi, Matthew Ball (The Royal Ballet).
Don Juan (excerpt)
Choreography: John Neumeier.
Music by Christoph Willibald Gluck, Tomás Luis de Victoria.
出演: Alina Cojocaru, Alexandr Trusch (Hamburg Ballet).
Choreography: George Balancine.
Music: Georges Bizet.
衣裳: 大井 昌子; 照明: 磯野 睦; Staging: Ben Huys.
Premiere: 1947.
出演: 第1楽章: 米沢 唯, 福岡 雄大, 他; 第2楽章: 小野 絢子, 井澤 駿, 他; 第3楽章: 奥田 花純, 木下 嘉人, 他; 第4楽章: 吉田 朱里, 中家 正博, 他.

今年も新国立劇場バレエ団の恒例の正月公演で「劇場へ初詣」[去年の鑑賞メモ]。 コロナ禍の影響で、無観客配信になったり、演目変更になったりと、不規則な開催が続いていましたが、 今回は海外からのゲストダンサーによる Pas de Deax もある、正月公演らしい華やかな公演を楽しむことができました。

第一部は、David Dawson 振付の A Million Kisses to my Skin。 配信でみた Dawson 振付の Metamorphosis が気に入っていたので [鑑賞メモ]、 今回最も楽しみにしていた演目でした。 やはり、舞台装置なしで寒色のレオタードで踊るミニマリスティックな演出の抽象バレエです。 ポワントを履いていますしクラシックなバレエ的な動きをベースとしていますが、 少し捻りというか変化を付けたり、群舞でも揃えるのを避けたり。 音楽のせいかリフトなどのアクロバティックな要素の多寡のせいか Metamorphosis の方が好みのようにも思いましたが、 現代的なシャープな演出でダンサーの動きの美しさを堪能できました。

休憩を挟んで第二部は、ゲストによるPas de Deuxから。 最初の The Royal Ballet からのペアはクラッシックな Pas de Deux をきっちりと。 The Royal Ballet ならコンテンポラリーな演目が観たいと思うところもありますが、 正月公演ですし、こういうオーソドックスで華やかなのもアリでしょうか。 続く Humburg Ballet からのペアは John Neumeier の作品からの抜粋で、 さほど長くない時間の抜粋ながらメロドラマチックな世界を舞台上に作り出していました。 さすが Alina Cojocaru、可憐だ、と。

そして、最後は Balancine の抽象バレエ。 高い技術を持ったダンサーが揃っているだけに、群舞もゴージャスな舞台で、気分も盛り上がりました。 2019/2020シーズンの『ニューイヤー・バレエ』は最初に Balancine、最後にコンテンポラリーでしたが [鑑賞メモ]、 今年のように最後に Balancine のシンフォニックなバレエを持ってきた方が盛り上ががって終われるので、正月公演の華やかな公演に向いているように思いました。

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この週末、ウクライナ・ドニプロの集合住宅がロシアによる無差別ミサイル攻撃を受け多数の民間人犠牲者が出て、 ニュース報道がその惨状を伝えました。 ちょうど、この公演にゲストダンサーで出演していた Hamburg Ballet の Alexandr Trusch がウクライナ・ドニプロ生と公演パンフレットで見たばかりだったので、 いつもの戦争報道にもまして、あのダンサーの故郷が…と、絶句しました。

[4065] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 小杉町, 川崎市, Mon Jan 16 0:07:02 2023

この週末土曜は午後遅めに六本木というか乃木坂へ。この展覧会を観てきました。

国立新美術館 企画展示室2E
2022/11/19-2023/01/29 (火休;12/27-1/11休), 10:00-18:00 (金-20:00).
大﨑 のぶゆき, 谷中 佑輔, 黒田 大スケ, 池崎 拓也, 石塚 元太良, 近藤 聡乃, 北川 太郎 小金沢 健人, 丸山 直文, 伊藤 誠.

例年はアニュアルで開催されている文化庁芸術家在外研修の成果報告展ですが、 去年はコロナ禍の影響で東京以外をめぐる国内巡展の形での開催でした。 例年、定点観測的に観ている展覧会ですが [関連する鑑賞メモ]、観るのも2年ぶりです。

サブタイトルの百年というのは関東大震災 (1923) からですが、関東大震災を主題とした作品は特になく、 近藤 聡乃 『ニューヨークで考え中』 (2012-) を導入にもってくるという、コロナ禍における海外在住というサブテーマも感じるセレクションでした。 以前にもエッセー漫画を見かけることはあったものの自分の趣味興味とはすれ違っていた感があったのですが、 コロナ禍やロシアのウクライナ侵攻によって世界が激動する今読むと、淡々とした日常描写が、逆に日常への影響が浮かび上がるよう。 しかし、エッセー漫画のナラティブが強力過ぎて、コロナ禍下の海外研修/在住を題材にした他作品が霞んだ感もありました。

そんなこともあってか、むしろ、コロナ禍を扱わない抽象的な作品、 氷河を抽象画のように撮影した写真を物理的に編んでテクスチャを作り出した 石塚 元太良 《Texture_Glacier》シリーズや、 見るだけでなく角や丸み、表面のざらつきや滑らかな滑りを触って鑑賞する 北川 太郎 の石の彫刻、 2枚の紙をずらして重ねてその境界越しに色鉛筆で荒く塗ることで作ったペアの抽象ドローイングと その制作中の鉛筆先が紙を擦る様子をクロースアップで捉えた 小金沢 健人 [関連する鑑賞メモ] の作品といった テクスチャ感を扱った作品が、特に印象に残りました。

[この鑑賞メモのパーマリンク]

猪谷 千香 『美術業界を蝕む女性差別と性被害 ギャラリーストーカー』 (中央公論新社, 2022) を読みました。 弁護士ドットコムニュースの継続的に掲載された記事を元にした本です。 その記事をちゃんとフォローしていなかったので、 若い女性作家につきまとうギャラリーストーカーに関する本かと手に取ったのですが、 それは全7章中第1,2章のみ。 それに加えて、その背景にある日本の美術業界で常態化しているセクハラ (というより権力勾配を利用した性暴力) や性差別を取材したものです。

1990年代後半はまだインターネットが狭かったこともあり、そこから2000年前半くらいまでは作家や業界関係者と知り合いになったりすることもありました。 そんな中で、やりがい搾取的なパワハラについてはアートフェスがポピュラーとなる2000年頃から耳にする機会がありましたが (というか、同時代の作家の友人と「美大生をボランティアとして動員したり、ノンクレジットで作品制作を手伝わせたりするのは、やりがい搾取だよね」のような話はしていた)、 本書に書かれているようなセクハラ・性暴力の噂を耳にすることはなく、ギャラリーストーカーの存在も知りませんでした。 当時は、自分のいる理系の業界と比べ女性の割合が多いだけ男女関係がちょっとドロドロしているかもしれないと感じる程度。 パワハラ、セクハラ・性暴力が皆無とは思わないものの一般社会と同レベルくらいだろうと思っていました。 2017年頃、欧米でのMeToo運動と連想するように、日本の美術だけでなく舞台芸術や映画をはじめとする文化芸術関連業界で同様の問題が明るみになってきた中で、 本書でも「一般企業のハラスメントをよく知る笠置弁護士からすれば、「ちょっと考えられないくらいの割合」という」と書かれるような異様さに気付くようになりました。

ギャラリーストーカーやセクハラ、権力勾配を利用した性暴力の被害の話がメインの第3章までは、被害経験によるトラウマが無くとも読み進めるのも少々辛いものがありました。 職場ではパワハラ、セクハラ防止のため定期的に研修を受けているわけですが、業界に依らず自分がそうならないよう研修を受けるつもりで読み進めました。 日常で女性と接する機会がほとんど無いので、女性に接し慣れておらず無意識に不適切な接し方をしかねない、という自覚はあります。 ここ20年近くは作家をはじめ業界関係者との縁もほぼ無く当事者になる可能性はゼロに限りなく近くなっていますが、 2000年前半30歳くらいまでは若手の作家や業界関係者とそれなりに縁のあった頃もありました。 その当時は経済力も影響力も無く (今ならあるというわけでもないですが) 単にギャラリーストーカーになりようも無かっただけなのかもしれない、と思うところもあります。

文化芸術関連のものをそれなりに観てきているだけに、この業界の構造的な問題は残念な限りです。 『美術業界を蝕む女性差別と性被害 ギャラリーストーカー』の第7章に書かれているように、 現状を変革しようと取り組んでいる人たちもいて、そのおかげで問題が明るみになってきているということはあります。 業界を十把一絡に信用ならんいうことでもないとは思うものの、 例えば良いと評価した後にパワハラ、セクハラや性暴力の常習犯が携わった作品・企画だと知ったらなんて思うと (そして残念ながら現状ではそのリスクがそれなりに大きい)、 特に社会的なテーマを扱った作品や企画に対してそれを評価することを躊躇われるものがあります。 セクハラ、パワハラの問題が表面化した後も美術館や劇場などでその人を使い続けるというのを度々目にしますが、 そんな人の作品や解説も芸術に無知な観客ならありがたがるだろうと思われているようで、少々馬鹿にされたような気分になります。 そもそも、そんな犠牲者を出しながら作られている作品や企画を観るのは後ろめたいものがあります。 問題の根深さから思うにすぐに大きく変わるというものではないとは思いますが、変わって欲しいものです。

[4064] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 小杉町, 川崎市, Tue Jan 10 22:28:47 2023

この週末土曜は午後に清澄白河へ。この展覧会を観てきました。

Christian Dior: Designer Of Dreams
東京都現代美術館 企画展示室1F/地下2F
2022/12/21-2023/05/28 (月休;1/2,1/9開;12/28-1/1,1/10休), 10:00-18:00.

第二次世界大戦直後の1946年にパリにオートクチュール (高級仕立服) のメゾンを開き 「ニュー・ルック」として脚光を浴びた Christian Dior の展覧会です。 デザイナとしての Christian Dior の展覧会と思わせるようなミスリーディングなタイトルですが、 実際はそうではなく、現在に至るメゾンとしての Dior の展覧会でした。 ギャラリストをしていた戦間期や、戦後日本に進出した最初のオートクチュール・ブランドであること、世界展開など、 Dior はデザイナというよりプロデューサ的な面が強かったのだろうと感じさせる展示でした。 1957年の Dior 急逝の後を継いだ Yves Saint-Laurent 以降の代々の主任デザイナを紹介するコーナーもありましたが、 時代によるデザインの変遷を示すような展示ではなく、むしろ、様々な時代の服をフラットに並べた、 非歴史的な展示でした。

去年観たファッション展 Gabrielle Chanel: Manifeste de mode とは全く対称的な展覧会でした。 やはり、Chanel の展覧会の構成の方が、自分の興味・関心には合っています。

Wendelien van Oldenborgh: unset on-set
東京都現代美術館 企画展示室3F
2022/11/12-2023/02/19 (月休;1/2,1/9開;12/28-1/1,1/10休), 10:00-18:00.

1990年代末から現代美術の文脈で活動するオランダ出身ベルリン拠点の作家 Wendelin van Borgh の個展です。 グループ展で観たことがあるかもしれませんが、意識して観るのは初めて。 ヴィデオを主要なメディアとしていて、旧オランダ領ブラジルにおける統治、旧オランダ領インドにおけるラジオ、林芙美子と宮本百合子、など 歴史的社会的なトピックをめぐって対話する様子を核に映像化したものを、ギャラリー内で投影していました。 取り上げているトピック自体は興味深いものがありますし、 テレビやラジオにありがちな一方向性一面性を排した多声性を演出したいのだろうという意図もわからないではありません。 しかし、ギャラリーでビデオを見ている人たちを見ながら、 対話の様子のビデオを映画館ではなくギャラリーで流し、 長時間座るには身体的に不快な階段状の壇や小さな折り畳み椅子に座らせて観客に見せれば、 多声的でインタラクティヴになるわけではないだろうとも。

1990年代に観た Muntadas 展 [鑑賞メモ] を思い出しつつ、 昔からこういう作風が苦手だったな、と。

[この鑑賞メモのパーマリンク]

たまにはランチする店を新規開拓するのも悪くなかろうと、 清澄白河で気になる店へ行ってみたら、残念ながら臨時休業。 いつもの美術館併設レストランでのランチになってしまいました。

出だしが悪かった上、展覧会を観ても気分が盛り上がらず –– むしろさらに萎えて、 どこか寄る気分にもなれずに、早々に直帰。 晩に地元の行きつけの店にスイーツ呑みに行ったら、こちらも臨時休業。 ダメな時は、ほんどダメな事が続きます。

[4063] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 小杉町, 川崎市, Mon Jan 9 22:37:06 2023

6日金曜は、恵比寿で映画を観た後、晩に竹橋へ移動。この展覧会を観てきました。

東京国立近代美術館 企画展ギャラリー, 2Fギャラリー4
2022/11/01-2023/02/05 (月休;1/2,9開;12/28-1/1休;1/10休), 10:00-17:00 (金土 -20:00).

2006年東京都現代美術館『全景: Retrospective 1955-2006』 [鑑賞メモ] 以来の 大竹 伸朗 の大規模個展です。 その後もグループ展やコレクション展で観る機会はありましたが、まとめて観るのは15年余ぶりです。 15年前から作風が大きく変わっていませんが、むしろ自分の嗜好の変化に気付かされた展覧会でした。

今の自分にしっくりくるのは、「網膜」シリーズのようなマクロではアブストラクトな作風の作品です。 色彩やフォルムがゴミの集積っぽい (実際「ゴミ男」という題の作品もある) 一方で、 立体的な作品では祭壇を思わせる形状だったり、風化した聖画を思わせるところ所に興味を惹かれました。 2006年に観た時はほとんど思い浮かばなかった Russell Mills [鑑賞メモ] を思い出したりもした。

その一方で、「ニューシャネル」や「モンシェリー」のような日本の「絶句景」を扱う作風に対しては、 面白いというよりも往年の「サブカル」というか、 都築 響一 などもそうですが、猥雑さや悪趣味を愛でることが注目・評価される時代もあったなあという感慨が先立だってしまいました。

大竹 伸朗 というと、JUKE/19 や Puzzle Punks などの音楽活動や、 「ダブ平 & ニューシャネル」のような 立体作品やインスタレーション作品と音楽活動が連携した作品でも知られるわけですが、 2Fギャラリー4の展示はそのような面に着目したものでした。 大竹 伸朗 の作品自体よりも、1980年頃のロンドンでのエピソード、 Russell Mills 繋がりで Gilbert & Lewis というか Dome (Kupol) を共演したエピソードなどを興味深く読みました。

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コレクション展示で、尾竹 竹坡 のモダニズム的なモチーフの1920年の掛軸。 大正から昭和戦前にかけてモダンな柄の銘仙が流行ったくらいなので [関連する鑑賞メモ]、 あってもおかしくないとは思いましたが、実際に目にすると感慨深いものがありました。

コレクション展示の中に、 開館直後の1953年に京橋時代の東京国立近代美術館で開催された『抽象と幻想』展を振り返る企画展示がありました。 収蔵した出品作品や関連する作家の作品の展示だけでなく、展示の様子を再現したVRもありました。 ゲームコントローラー使い慣れておらずなかなかうまく動き回れなかったにも関わらず、あっさりVR酔いしてしまいましたが、 当時の雰囲気が窺えて興味深いものがありました。(現在と比べて通路が狭い、というのも含めて。) 特に、当時の歴史認識が窺えるという点で、VR中の20世紀以降の年表が興味深かったのですが、 これくらいはVR内ではなく展示室に複製を展示してもよかったのではないでしょうか。

[この鑑賞メモのパーマリンク]

[4062] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 小杉町, 川崎市, Sat Jan 7 22:19:28 2023

3日は美術館初詣と合わせて映画館初詣。 恵比寿ガーデンシネマで開催中の 詩、小説、戯曲に限らず映画も含め様々な分野で活動した20世紀フランスの作家 Jean Cocteau の特集上映 『没後60年 ジャン・コクトー映画祭』を観てきました。 6日金曜、野暮用後に再び恵比寿に出て観たものと合わせて。

Orphée
『オルフェ』
1950 / DisCina (FR) / B+W / 95. min.
Réalisation, scénario et dialogues: Jean Cocteau
Musique: Georges Auric
Jean Marais (Orphée), François Périer (Heurtebise), Maria Casarès (la princesse), Marie Déa (Eurydice), et al.

ギリシャ神話の Orphée & Eurydice の話を、映画制作時の現代 (第二次大戦後まもなく) の パリ・サンジェルマンに置き換えて映画化したものです。 高校時代 (1980年代) に観たことがありましたが、ほとんど忘れかけていたので、かなり新鮮に楽しめました。

熱狂的なファンとアンチファンを持つアイドル的な人気のあった詩人 Orphée を死神の王女 (la princesse) が見初め、 Orphée を館に連れ、一旦は家に戻すも、指示なく妻 Eurydice を殺します。 王女の付き運転手 Heurtebise の手引きで、妻を取り戻しに Orphée は死後の世界へ行きます。 Eurydice をこの世に戻してからは、Orphée は Eurydice を見てはいけないと命じられるものの、 誤って車のバックミラー越しに見てしまい、Eurydice は再び死後の世界へ行ってしまいます。 ギリシャ神話のようには話はそこで終わらず、Orphée は館を囲んだアンチファンと乱闘の末に誤って殺され、 王女は規則を破って Orphée と Eurydice をこの世へ戻します。

昔観たノイジーなフィルムではなく綺麗にデジタルリマスターされたものを観たせいか、 俳優やその立ち振る舞い、画面の雰囲気がこんなにも耽美だったのかと気付かされました。 死神である女王やその眷属、自動車のラジオでしか受信できない王女からの謎めいたメッセージなどミステリアスな雰囲気もあり、 フィルムの逆回しや画面合成も含む特殊な効果を使ってのこの世と死後の世界の行き来などの表現も 現在の技術に比べて素朴とはいえ、十分に夢幻的というかシュールです。 そして、何より、Orphée を挟んでの王女と Eurydice、 Eurydice を挟んでの Orchée と王女付きの運転手 Heurtebise、という2つの三角関係で話が展開し、 結末は現状維持のための自己犠牲という典型的なメロドラマ展開だったことにも気付かされました。 今の視点で見ると、David Lynch 的な表現の原点の一つを観るようでもありました。

Les Dames du Bois de Boulogne
『ブローニュの森の貴婦人たち』
1944 / Les Films Raoul Ploquin (FR) / B+W / 86. min.
Réalisation: Robert Bresson.
Dialogues: Jean Cocteau; Musique: Jean-Jacques Grünenwald.
Maria Casarès (Hélène), Élina Labourdette (Agnès), Paul Bernard (Jean), et al.

まだ作風を確立する前の Bresson 監督第二作ですが、 Cocteau が台詞を担当したということで、今回の特集上映で取り上げられています。

上流階級の女性 Hélène は、付き合っていた Jean に振られた –– というより、愛を試そうと別れを持ち出したら、あっさり同意されてしまった –– ことの復讐として、 生活のために踊り子しつつ上流階級を相手にした娼婦もしている同郷の没落した家の娘 Agnès をそうとは伏せて Jean に見初めさせます。 Agnès は Jean に事実を伝えようとするも失敗し、Agnès は断りきれず、Hélène の計略とおり2人は結婚することになります。 結婚式で事が明るみになり、Jean は一旦は逃げ出すものの、ショックで死にかけた Agnès の元に戻り愛を誓います。

作家性を強く感じる作品ではありませんでしたが、 Orphée では王女を演じている Maria Casarès 演じるミステリアスで美しくも冷徹な Hélène、 踊り子/娼婦へ一旦は身をやつしながらも踊り好きで純真さを失わない可憐な Agnès、 そして、優男 Jean の織りなす、ウェルメイドな上流階級物かつ復讐物のメロドラマ映画としてかなり楽しみました。

[この鑑賞メモのパーマリンク]

[4061] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 小杉町, 川崎市, Wed Jan 4 23:37:53 2023

大晦日から実家へ年越し帰省し、2日の夕方に自宅に戻って、三が日最後3日は美術館へ初詣。 ということで、昼過ぎに恵比寿へ。この展覧会を観てきました。

Noguchi Rika: Small Miracles
東京都写真美術館 2F
2022/10/07-2023/01/22 (月休; 月祝開, 翌火休; 12/29-1/1休, 12/28,1/2,1/3開). 10:00-18:00 (木金-20:00)

1990年代後半から写真を主要なメディアとして現代美術の文脈で活動する 野口 里佳 の個展です。 グループ展やコレクション展で観たことはありましたが、個展を観るのは初めてです。 展覧会タイトルにもなったシリーズ「不思議な力」 (2014, 2022) は、 表面張力や磁力による現象を物理現象としてきっちりとした科学写真らしく撮るのではなく、 背景に台所のシンク下などの室内や支える指先が写っていたりする、まるで日常を撮るかのような写真として撮ってます。 「なるほど表面張力だ」と物理現象として納得する前の、日常の中でふと目に入った時の「あれ?」と思った瞬間を切り取ったよう。 「アオムシ」 (2019) や「虫・木の葉・鳥の声」 (2020) も科学・自然のドキュメンタリーTV番組のような撮り方ではなく、 もっと私的で日常的なものを感じさせます。 そういった所を興味深く観たのですが、形式的な写真が自分の好みということもあると思うのですが、 展覧会全体としては形式的な作風がバラバラに感じられ、ぼんやりした印象になってしまいました。

Prix Pictet Japan Award - FIRE & WATER
東京都写真美術館 3F
2022/12/17-2023/01/22 (月休; 月祝開, 翌火休; 12/29-1/1休, 12/28,1/2,1/3開). 10:00-18:00 (木金-20:00)
新井 卓 [Arai Takashi], 岩根 愛 [Iwane Ai], 岡田 将 [Okada Susumu]、瀧本 幹也 [Takimoto Mikiya], 千賀 健史 [Chiga Kenji], 長沢 慎一郎 [Nagasawa Shinichiro], 中井 菜央 [Nakai Nao], 水谷 法吉 [Mizutani Yoshinori].

Prix Pictet は「写真とサステナビリティに関する国際写真賞 (The global award in photography and sustainability)」ですが [関連する鑑賞メモ]、 プリピクテジャパンアワード (Prix Pictet Japan Award) は日本を拠点に活動する作家を対象として2015に設立されたもの。 「火と水」をテーマとした第3回のショートリスト作家の展覧会です。 サスティナビリティに関係するテーマが共通項でスタイルは多様、 国際賞よりもドキュメンタリ的な要素が少なく形式的な作風が多めに感じられました。 そんなこともあってか、 マイクロプラスチック (微細なプラスチックごみ) を鉱物の結晶のように撮った 岡田 将、 多摩川の生態系バランスを崩すほどの川鵜の大群れをモノクロの抽象画のように撮った 水谷 吉法、 炎などをテクスチャ様に撮った 瀧本 幹也 が印象に残りました。

[この鑑賞メモのパーマリンク]

[4060] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 小杉町, 川崎市, Tue Jan 3 2:06:31 2023

2022年に歴史の塵捨場 (Dustbin Of History)に 鑑賞メモを残した展覧会やダンス演劇等の公演の中から選んだ10選+α。 おおよそ印象に残った順ですが、順位には深い意味はありません。 劇場での上演を収録したストリーミングや上映、DVD、旧作映画特集上映等は番外特選として選んでいます。 音楽関連は別に選んでいます: Records Top Ten 2022

第一位
Compagnie XY avec Rachid Ouramdane: Möbius (サーカス/ダンス)
世田谷パブリックシアター, 2022/10/22
[鑑賞メモ]
第二位
Odéon - Théâtre de l'Europa / Ivo van Hove: La Ménagerie de verre [The Glass Menagerie] (演劇)
新国立劇場 中劇場, 2022/10/01
[鑑賞メモ]
第三位
Pedro Almodóvar: The Human Voice with Tilda Swinton, freely based on Jean Cocteau's play (映画)
El Deseo (ES), 2020
[鑑賞メモ]
第四位
コレクション展 内藤 礼 『すべて動物は、世界の内にちょうど水があるように存在している 2022』 (美術展)
神奈川県立近代美術館葉山 展示室3b, 2022/10/22-2023/01/22
[鑑賞メモ]
第五位
Matthew Barney (dir.), Redoubt (映画)
2018 / 東京都写真美術館 1Fホール, 2022/08
[鑑賞メモ]
第六位
Gerhard Richter (美術展)
東京国立近代美術館, 2022/06/07-2022/10/02
[鑑賞メモ]
第七位
伊藤キム & GERO 『誰もいない部屋』 (ダンス)
BankART Station, 2022/12/17
[鑑賞メモ]
第八位
Minimal/Conceptual: Dorothee and Konrad Fischer and the Art Scenes in the 1960s and 1970s
DIC川村記念美術館, 2021/10/09-2022/01/10
[鑑賞メモ]
第九位
Compagnie Maguy Marin: May B (ダンス)
埼玉会館 大ホール, 2022/11/19
[鑑賞メモ]
第十位
Сергій Лозниця (Режисер): Донбас [Sergei Loznitsa (dir.): Donbass] (映画)
2018 / シアター・イメージフォーラム, 2022/05
[鑑賞メモ]
番外特選1
Dimitris Papaioannou: Nowhere @ National Theatre of Greece (Director's cut) (舞台作品 / screening)
2009 / 彩の国さいたま芸術劇場映像ホール, 2022/02/06
[観賞メモ]
番外特選2
Jodie Comer (starring), Suzie Miller (written by), Justin Martin (directed by): Prima Facie @ Harold Pinter Theatre (演劇 / event cinema)
National Theatre Live, 2022
[観賞メモ]
番外特選3
Sam Mendes (dir.), The Lehman Trilogy @ Piccadilly Theatre (演劇 / event cinema)
National Theatre Live, 2019
[観賞メモ]
番外特選4
『ピエール・エテックス レトロスペクティヴ』 (映画特集上映)
シアター・イメージフォーラム, 2022/12
[観賞メモ]

[このTop 10のパーマリンク]

[4059] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 小杉町, 川崎市, Tue Jan 3 2:05:01 2023

2022年に入手した最近数年の新録リリースの中から選んだ10枚+α。 展覧会・ダンス演劇等の公演の10選もあります: 2022年公演・展覧会等 Top 10

#1
Minru
Liminality
(Morr Music, MM183, 2022, CD)
[Bandcamp]
#2
Susanna
Elevation
(SusannaSonata, SONATACD666, 2022, CD)
[Bandcamp]
#3
Benedicte Maurseth
Hárr
(HUBRO, HUBROCD2645, 2022, CD)
[Bandcamp]
#4
Paul Berner & Michael Moore
Amulet
(Ramboy, #39, 2021, 2CD)
[Ramboy Recordings]
#5
Under The Surface
Miin Triuwa
(Jazz In Morion, JIM74750, 2022, CD)
[Challenge Records]
#6
Made To Measure Vol. 47 - Fictions
Various Artists
(Crammed Discs / Made To Measure, MTM47, 2022, CD)
[Bandcamp]
#7
Basel Rajoub & Matthias Loibner
River Of Light
(self-released, 2021, LP/DL)
[Bandcamp]
#8
Mariá Portugal
Erosão
(Selo Risco / Fun In The Church, FUN020CD, 2021, CD)
[Bandcamp]
#9
Sanne Rambags
Sister
(SONNA, 1007, 2022, CD)
[Bandcamp]
#10
Shadi Fathi & Bijan Chemirani
Âwât
(Buda Musique, 860373, 2022, CD)
[Buda Musique]
次点
Gwenno
Tresor
(Heavenly, HVNLP205CD, 2022, CD)
[Bandcamp]
番外特選
平野 みどり [Midori Hirano], 波多野 敦子 [Atsuko Hatano], 松丸 契 [Kei Matsumaru], 中山 晃子
Water Ladder Live
下北沢 SPREAD
2022/11/03, 20:00-22:00.
[鑑賞メモ]

[このTop 10のパーマリンク]

[4058] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 小杉町, 川崎市, Tue Jan 3 2:02:46 2023

あけましておめでとうございます。 このサイトを読んでくださり、ありがとうございます。

2022年のレコード Top 10展覧会・公演等 Top 10を選びました。 他人が参考になるような Top 10 を選べるほどの趣味生活はしていませんし、 特にレコード Top 10は近年と変わり映えのしないチョイスに少々自己嫌悪に陥ったりもしましたが、 こういう反省ができるという点で意味があろうかと。

2022年は2月にロシアによるウクライナ侵攻が始まり国際情勢が一気にきな臭くなる一方、 後半にもなると社会に脱COVID-19危機の動きが見られる中でCOVID-19第8波に突入し、 エネルギー危機、食糧危機、物価上昇など社会の不安定要素は増すばかり。 世相を反映するようなTop 10ではないですが、こんなTop 10をいつまで続けていられるのだろう、とも反省させられます。 ささやかながらでも趣味生活が楽しめるような世が続いて欲しいと願うばかりです。

最近は twitter するモチベーションも落ちがちなのですが、 twitterほどは鑑賞メモを書くモチベーションは落ちてないようにも思います。 マイペースながら今年もこのサイトを続けるつもりですので、 お付き合いのほどよろしくお願いします。

[4057] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 小杉町, 川崎市, Sat Dec 31 13:51:39 2022

年末28日は昼過ぎに渋谷宮益坂上へ。 シアター・イメージフォーラムで、 1960年代フランスでコメディ映画を作っていた Pierre Étaix の特集上映 『ピエール・エテックス レトロスペクティヴ』 Pierre Étaix Retrospective を観てきました。 Jacques Tati [関連する鑑賞メモ] やフランスの現代サーカスの文脈で名前を見たことはありましたが、 再上映が困難だったとのことで、今回の特集上映でやっと映画を観ることができました。 ちなみに、今回上映されたのは長編4作短編3作、修復済みの2010年デジタル・リマスター版でした。

Étaix は Jacques Tati の映画 Mon Oncle (1958) の助監督で、 Vacances de Monsieur Hulot (1954) と Mon Oncle の Jean-Claude Carrière による1958年のノベライズでイラストレーションを手掛けています。 その後、1960年代に入って Carrière を脚本家して組んで映画を作り始めます。 そんな背景からも伺われるよう、Tati との共通点を多く感じる、 セリフへの依存度のあまりない身体表現、視覚表現によるコメディ (フィジカル・コメディ) 映画を撮っています。 爆笑というより小ネタを重ねてニヤリ、クスクスとさせるような笑いで、感傷というか一抹の寂しさも交えるようなユーモアの質も似ていますが、 カンターカルチャー以前のミッドセンチュリー・モダンな意匠に彩られた画面も共通します。 Tati のような視覚的類似性を用いた笑いはほとんど使わない一方、 Buster Keaton を思わせるスラップスティックなアクションもある、といった違いも感じられました。 個性的というほど主張の強い笑いでは無いですが、良質な笑いを堪能できました。

以下、個別の作品について、観た順ではなく、発表年順に。

Rupture
『破局』
1961 / C.A.P.A.C. (FR) / B+W / Standard / 12. min.
Réalisation: Pierre Étaix
Scénario: Pierre Étaix et Jean-Claude Carrière; Photographie: Pierre Levent; Musique: Jean Paillaud

デビュー作の短編は、主人公が恋人からの別れの手紙へ返事を書こうとすることに始まる、 ある意味よくあるクラウン芸的な、失敗が連鎖 – カスケード障害を思わせる – していく笑いです。 ペン先が上手く軸に刺さらないとか、便箋にインクをこぼしてしまうという失敗に始まり、 次第に混乱が広がり、最後はロッキンチェアから窓の外に落ちてしまいます。

Heureux Anniversaire
『幸福な結婚記念日』
1961 / C.A.P.A.C. (FR) / B+W / Standard / 13. min.
Réalisation: Pierre Étaix
Scénario: Pierre Étaix et Jean-Claude Carrière; Photographie: Pierre Levent; Musique: Claude Stiermans

続く短編2作目は、結婚誕生日にプレゼントや花束を買って帰ろうとする男が、 渋滞に阻まれてなかなか帰ることができないドタバタを、コメディ化したものです。 帰宅を阻むアクシデントもありますが、それに加えて男が傷口を広げるような対応をすることで、混乱がカスケードしていきます。 一室内に始終する Rapture と違い、 街中で繰り広げられることで仕掛けもアクションも大きくなり、 渋滞という自身の失敗以外の要因もあって不条理感も増しています。

Le Soupirant
『恋する男』
1963 / C.A.P.A.C. (FR) / B+W / HD / 84. min.
Réalisation: Pierre Étaix
Scénario: Pierre Étaix et Jean-Claude Carrière; Photographie: Pierre Levent; Musique: Jean Paillaud
Pierre Étaix (Pierre, le soupirant), France Arnell (Stella), Laurence Lignères (Laurence), Karin Vesely (Ilka), Claude Massot (le père), Denise Perrone (la mère), et al.

短編2作後の長編第1作です。 自室に篭って天文学に没頭して女性に関心のなかった主人公の男性が、両親に早く結婚するように言われての相手探しをする様を、 スラップスティックに描いたコメディです。 失敗の連鎖や不条理なハプニングだけでなく、周囲に合わせずに突飛で極端な行動をしてしまうことにより生じる笑いが多く使われていました。 不条理さという意味では、街中で雑踏に巻き込まれるようなものだけでなく、 相手探しの最中に泥酔してしまうような女性に捕まって振り回される人間関係的な不条理さもあります。 TVを一目惚れした女性歌手 Stella を追ってミュージック・ホールの楽屋に押しかける場面では、 そこで上演中のサーカスが登場します。 散々ドタバタを繰り広げた後に身近なささやかなロマンスで締めるところもチャーミングでした。

Yoyo
『ヨーヨー』
1965 / C.A.P.A.C. (FR) / B+W / HD / 84. min.
Réalisation: Pierre Étaix
Scénario, Dialogues: Pierre Étaix et Jean-Claude Carrière; Photographie: Jean Boffety; Musique: Jean Paillaud
Pierre Étaix (Yoyo, Le millionnaire), Luce Klein (l'écuyère), Claudine Auger (Isolina), et al.

長編2作目は、Étaix のサーカスへのオマージュを強く感じる作品でした。 時は1925年に始まります。 大邸宅に住む富豪であるけれども満たされない大富豪が1929年の大恐慌で破産し、 それを期に、曲馬師の元恋人と子 (Yoyo) と旅回りのサーカスを始めます。 やがて Yoyo もクラウンとなり、第二次大戦中は慰問中に捕虜になるものの、 戦後復員してサーカスの世界に戻り、興行師として大成功をします。 その金で大邸宅を取り戻したものの、両親は大邸宅に戻ることを拒み、 Yoyo も曲芸の象に乗って大邸宅を出ていきます。 そんなサーカス一家の2代記を、 1920年代の描写ではサイレント映画のパロディもありサイレントからトーキーへの映画の変化も反映させつつ、 戦間期から戦後1960年代の世相の移り変わりも交えて描きます。 ドタバタな小ネタの笑いもありますが、 全体としてセリフは最低限に映像とマイムで描いていくところに、 二代記のような叙事詩的なだけでない詩情が感じられました。 今回観た7作品の中で最も好みでした。

Tant qu'on a la santé
『健康でさえあれば』
1965/1973 / C.A.P.A.C. (FR) / B+W - couleur / HD / 67 min.
Réalisation: Pierre Étaix
Scénario: Pierre Étaix et Jean-Claude Carrière; Dialogue: Pierre Étaix; Photographie: Jean Boffety; Musique: Jean Paillaud et Luce Klein
Pierre Étaix, Denise Péronne, Claude Massot, Roger Trapp, et al.
En pleine forme
『絶好調』
1965/1971/2020 / C.A.P.A.C. (FR) / B+W / HD / 14 min.
Réalisation: Pierre Étaix
Scénario: Jean-Claude Carrière; Photographie: Jean Boffety; Musique: Jean Paillaud

3作目の長編映画 Tant qu'on a la santé は、 1966年にスケッチ集の形で公開され、1973年に4本の短編 (Insomnie『不眠症』, Le cinématographe『シネマトグラフ』, Tant qu'on a la santé『健康でさえあれば』, Nous n'irons plus au bois『もう森なんかへ行かない』) からなるオムニバス形式に改訂されたもの。 短編 En pleine forme は、改訂の際に Tant qu'on a la santé から外されたものを 独立した短編映画として、デジタルリマスターした2010年に公開したものです。 今回は短編 En pleine forme と 1973年改訂版 Tant qu'on a la santé を併映する形で上映されました。 この2本は今回上映された作品の中では、最も風刺色濃い作品でした。 風刺色もあってか、Monty Python の雰囲気にもかなり近づいた印象もありました。

Insomnie は1963年に短編として公開されたものが組み込まれたもの。 眠れずに吸血鬼の怪奇小説を読む男性と、怪奇小説内の話を、相互に干渉させながら映像化したもの。 Le cinématographe は、 指定席でもなく出入り自由だった昔の映画館でのありがちなハプニングをネタにした前半と、 主人公が上映されていた広告映画の中に入り込んでしまう後半からなります。 前半は戦間期の、後半は戦後モダンな雰囲気なので、別短編として考えても良いかもしれません。 表題作となる3編目 Tant qu'on a la santé は、 都会の騒音や大気汚染によって生じるマクロな公害ではなくミクロな生活上のトラブルをネタとしたもの。 最後の Nous n'irons plus au bois は対照的に田舎が舞台で、 狩猟に来た男、ピックニックに来た夫婦と、都会人嫌いの農夫が繰り広げる失敗のカスケード的なドタバタコメディ。 切り出された短編 En pleine forme は、 前半がソロ・キャンプする男の失敗のカスケード的なドタバタコメディで、 後半、移動するよう警官に連れて行かれた先は強制収容所 (concentration camp) のようなキャンプ地だったというもの。

Le Grand Amour
『大恋愛』
1968 / C.A.P.A.C. (FR) / couleur / HD / 87 min.
Réalisation: Pierre Étaix
Scénario et Dialogues: Pierre Étaix, Jean-Claude Carrière; Photographie: Jean Boffety; Musique: Claude Stieremans
Pierre Étaix (Pierre), Annie Fratellini (Florence Girard), Nicole Calfan (Agnès), Alain Janey (Jacques), et al.

最後の通常の映画館向け長編劇映画は、 長編1作目 Le Soupirant とは対照的、 若い頃それなりに女性と交際したのちプチブルジョアの家に婿入りした中年男が主人公で、 経営者の一人として勤める工場に新たにやって来た娘ほどの歳の女性の秘書に対する一方的な恋心の顛末を描きます。 主人公の恋愛、男女関係に関する (ただしエロチックではない) 妄想を現実と交えつつ映像化します。 小ネタとしての失敗のカスケード、ドタバタはありますが、むしろ妄想の映像化したことによるコメディの色が濃くなります (田園の中を走るベッドの場面など秀逸です)。 主人公男性のキャラクター付けは Le Soupirant とは対照的なものの、 一方的な恋心と幻滅の滑稽さという点では類似も感じました。 キャラクタだけでなく描写にも対照的なところがあって、 Le Soupirant では、笑いは主人公の内面ではなく行動の突飛さや滑稽さにあり、 幻滅も楽屋にいた息子を見て Stella を追うことを一気に止めます。 一方、Le Grand Amour では、笑いはむしろ主人公の内面というか妄想の方にあって、 それをそのまま映像化したり主人公の滑稽な行動にすることで、笑いを作ります。 幻滅の場面も、なんとか秘書をレストランでの食事に誘い出したものの世代差もあって会話が合わずに幻滅するという形で、 Le Soupirant より丁寧に描かれていました。 そんな所に Le Soupirant より洗練を感しました。

Étaix はその後、ドキュメンタリーやオムニマックス向け、TV向けの映画と撮ったり、 俳優として映画に出演を続けたものの、サーカスへ活動の重心を移します。 Le Grand Amour で共演した Annie Fratellini (有名なクラウン一家出身) と結婚し、 クラウン・コンビとして活動する一方、 1974年に国立のサーカス学校 École Nationale du Cirque、現 Académie Fratellini) を設立することになります。 このサーカス学校が後のフランスの現代サーカスの興隆につながります

[この鑑賞メモのパーマリンク]

当初、2回づつくらい2日に分けて観るかと考えていたのですが、結局、勢いで1日で全部観てしまいました。 2014年に Jacques Tati 特集上映を観た際、観ていてさほど気分が盛り上がらなかったので [鑑賞メモ]、 今回もそうなるかと危惧していたのですが、杞憂でした。 楽しく映画を観て気分が良かったので、その後、渋谷の馴染みのバーに寄って、終電まで一人呑み。 良い趣味納めができたでしょうか。

[4056] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 小杉町, 川崎市, Thu Dec 29 22:49:57 2022

2週間近く前の話になりますが、 伊藤キム & GERO 『誰もいない部屋』の公園の最初と最後の間の時間に、 BankARTの高島町Stationと北仲KAIKOを移動して、このパフォーマンスを観てきました。

『仮構の歴史』
BankART KAIKO
2022/12/17, 18:00-19:30.
Director: Mark Teh
Performers: Fahmi Reza, Faiq Syazwan Kuhiri & Rahmah Pauzi
Production Designer: Wong Tay Sy; Lighting & Media Designer: Syamsul Azhar; Stage Manager: Veeky Tan
Producer: June Tan; Executive Producer: Five Arts Centre; Co-Producer: TPAM – Performing Arts Meeting in Yokohama (Japan)
First performance: 16-17 February 2019, TPAM - Performing Arts Meeting in Yokohama, Japan.

マレーシアで活動するアーティスト・コレクティブ Five Arts Center の作品です。 現代アートの文脈でも名を見ることがある程度で、予備知識はほとんどありませんでしたが、 YPAMディレクションの1公演で、かつ、レクチャーパフォーマンスと謳われているということで、観てみました。 2019年のYPAMでのワーク・イン・プログレスでの上演は観ていません。

太平洋戦争後からマレーシア独立の間に起きた内戦的状況 マラヤ危機で武装闘争を繰り広げたマラヤ共産党の生き残り (タイ南部へ亡命) と、 マラヤ危機やに関する教科書記述やその変更が主な題材です。 この作品の語り手の一人は、マレー共産党の生き残りの人々へのインタビュー映像を撮りドキュメンタリー映画を製作中も仕上げられないでいるという Fahmi Reza。 映画の方をどのように仕上げる意図なのかは不明ですが、レクチャーパフォーマンス作品としては、 彼がどうしてマラヤ共産党の生き残りの人々に関心を持つようになったのか、といった、個人的な話を含めて作品化されていました。 教科書問題についても、議論が炎上したという彼の経験も題材となっていました。 こういう語り手の私的な視点が入ってくるところに、 単なる歴史叙述ではないパフォーマンス作品らしさを感じました。 また、マラヤ危機を教科書記述に対する反応についてトラウマという言葉を使っていて、 「被害者意識ナショナリズム」の事を連想したりもしました。

ウクレレ様の楽器を弾きつつ歌う Faiq Syazwan Kuhiri のメランコリックなメロディの歌も強く主張する感ではなく、 題材も興味深く観られましたが、ドキュメンタリ制作や教科書記述という、それ自体がメタな位置もののせいか、 当事者の抱えるアンビバレントというより、私的とはいえ少々メタな位置になってしまっているのが、物足りなく感じました。

ドキュメンタリーパフォーマンスと銘打たれた作品を観たのは、 Dr. Charnvit Kasetsiri / Teerawat Mulvilai and Nontawat Numbenchapol: An Imperial Sake Cup and I 『恩賜の盃と私』 [鑑賞メモ] に続いて。 どちらもドキュメンタリ演劇と呼んでも差し支えないように感じられましたが、 東南アジアでそのように呼ぶ文脈が何かあるのでしょうか。 少々気にはなりましたが、パフォーマンスだけ観ても何か伺われるようなものは感じられませんでした。

[この鑑賞メモのパーマリンク]

『誰もいない部屋』が入退場自由な「身体展示プロジェクト」と銘打たれていたので、 さすがに3時間観続けるものでもなかろうとこの行程を組んだのですが、実際やってみると、やはり無理があったかなと反省。 スケジュールは余裕を持って組むべきでした。

[4055] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 小杉町, 川崎市, Sun Dec 18 19:29:28 2022

土曜は夕方に横浜みなとみらいというか高島町へ。この公演を観てきました。

『誰もいない部屋』
BankART Station
2022/12/17, 17:00-20:00.
演出・構成・振付・空間デザイン: 伊藤 キム
出演: 伊藤 キム, KEKE, 志筑 瑞希, 篠原 健, 鈴木 しゆう, 西川 璃音, 根本 和歌菜, 渡邉 茜; サポートメンバー: 城 あすか, 高橋 志帆, 高橋 陸生, 中村 未央, 松永 明子
企画・制作・主催: フィジカルシアターカンパニーGERO

FESTIVAL/TOKYOで『おやじカフェ』とかやっていた頃を最後に、 最近の 伊藤 キム の活動はほとんどノーチェックになってしまっていました。 というわけで、GEROを主宰するようになってからの作風は知らないのですが、 YMAPフリンジ で公演があると気付いて、足を運んでみました。 約3時間の公演時間中に入退場自由な「身体展示プロジェクト」ということで、最初の30分程度と、最後の20分程度を観ました。 観客との即興的なインタラクションが中心で時間展開をあまり感じさせないパフォーマンスを予想しましたが、 観客とのインタラクションはあまり無いものの予想より展開のある振付演出が感じられたパフォーマンスでした。

床に緩く皺寄せて広げられたおよそ20 m × 10 m はあろう白布の下でダンサーは踊り、 観客は靴を脱いで白布の上に乗り、白布越しにダンスを鑑賞します。 布下には他に180 cm × 60 cm × 70 cm 程度の可動の台が一つと、 100 cm × 100 cm × 20 cm 程度 の角の丸い物体 (こちらは使われる時を見られませんでした) がありました。 観客はダンサーの間を含め自由に移動可能、イマーシブなダンス作品です。

布上にいるサポートメンバーのガイダンスに従い 観客が中央で輪になって1 mくらいの高さに布を持ち上げるところから始まり、 その布を落とすと布下にダンサーが現れるというオープニングでした。 それなりの厚さの布が使われており、床でふわふわと布が動くことはない一方、 一度持ち上がった布は下に空気を孕んでとてもゆっくり沈んでいきます。 布に押し付けた時などに微かに顔や手足が透けて見えることがありますが、 明るめの照明の時はほとんど透けず、ダンサーの性別も判然としません。

少なくとも自分が観ていた間は、音楽も使われたましたが、 通して流れていたのは時報 (しかし上演しているその時刻を告げるのものではない)。 音楽が流れた時は動きもそれに合わせて激しくなりますが、時報が刻む時間との同期を感じる動きはほとんどありませんでした。 床に丸まったり横たわったり這い回る動きがメインですが、 時折、座ったり立ち上がったりして、白い高まりを作り出します。 座ったり立ったりした際に単に高まりを作るだけでなく、 布を手繰りつつ胸の前で腕を畳み布を密着させることで肩から上の形を浮き上がらせます。

ほとんどは一様な白色光の下でしたが、時々薄暗くして青や赤のスポットライトを使ったり、 真っ暗にした中で布下から白く光りダンサーの姿を浮かび上がらせるような演出もありました。 ラスト近くに音楽 西城 秀樹 『YMCA』 を使った派手目の場面もありましたが、 特にフィナーレ的な演出はなく、布が繋がった壁の穴からダンサーが姿を見せないまま這い出していき、カーテンコールもありませんでした。

白布越しに抽象化された人の形状、位置やその動きを見る作品ですが、 ダンス作品では白布越しではなくてもダンサーの立ち位置や動きで空間の変容を観ているようなところがあり、 それがはっきり可視化されたような面白さがありました。 また、布下で横たわっているダンサーの盛り上がりを間近で観て、こうして見ると意外と小さいものだとも。 これも、通常のダンス公演でははっきり見える動きやオーラで実際よりも姿が大きく感じているということなのでしょう。 期待以上に興味深く観ることができた公演でした。 当日配布のリーフレットによると 伊藤 キム のソロパートでの 吉田 薫子 のバイオリン生演奏があったようなのですが、 3時間観続ける公演ではなかろうと途中で別の公演の予定を入れており、これを見逃したのが少々残念でした。

[この鑑賞メモのパーマリンク]

[4054] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 小杉町, 川崎市, Sat Dec 17 11:13:16 2022

先週末土曜晩は、銀座から横浜山下町へ移動。この舞台作品を観てきました。

杨 朕 [Yang Zhen]
KAAT神奈川芸術劇場ホール
2022/12/11, 18:30-20:00.
コンセプト・振付: 杨 朕 [Yang Zhen]
ドラマトゥルギー: 李怡 純子; リサーチアドバイザー: 陳 天璽; 照明: 筆谷 亮也; 音響: 齊藤 梅生; 舞台監督: Lang Craighill; カンパニーマネージャー: 門田 美和
ゲストダンサー: 三木 珠瑛, 村上 生馬, リアント, 李怡 純子, 李 真由子.
王 謙誠, 近江 師門, 川島 かほり, 区 愛美, 区 愛玲, 鍾 牧虬, 鍾 羽緹, 陳 珺, 陳 天璽, 永田 琥珀, 馬 双喜, 溝口 璃温, 李 世福, 劉 丹, Keen Chung Lo, etc
A Red Virgo production; Executive Producer: Menno Plukker Theatre Agency, Inc.
委嘱・共同製作: YPAM – 横浜国際舞台芸術ミーティング

中国出身の振付家/パフォーマンス作家による中華街に取材した作品です。 バックグラウンドや作風は全く知りませんでしたが、YPAMの委嘱による上演ということもあり、観てみました。 世界各地の中華街住民とのコラボレーションでダンス作品を作るプロジェクトの第一作として、横浜中華街が選ばれたとのこと。 中華街出身で無国籍者になった経験もあり華僑や無国籍者に関する研究者である 陳 天璽 をリサーチアドバイザとし、 様々なバックグラウンドを持つ中華街住民をパフォーマーとして作り上げた作品でした。

ダンサーではない一般の人を使った作品といえば Jérôme Bel: The Show Must Go On [鑑賞メモ] も思い出しますが、 このようなメタな作品良いうより、いわゆるコミュニティ・ダンスのような作品を予想してました。 しかし、ダンス作品らしい場面といえば幕前でゲストダンサー5人が踊る 冒頭の場面くらいで、 中華街住民は歩かせたりちょっとした所作はさせるものの、むしろ自己紹介的なことを語らせることがメイン。 むしろ、ドキュメンタリ演劇、例えば、 Rimini Protokoll: 100% Tokyo [鑑賞メモ] を連想させられました。

およそ20名ほどのパフォーマーを使っているため、一人一人のエピソードが薄くなってしまいます。 やはり、自己紹介程度のことを聞かされも一面的な事しかわかりません。 この作品の背骨的な位置にもあった、リサーチアドバイザの 陳 天璽 が無国籍者になった経緯や その親の来歴のようなエピソードなどは興味深く、もっと深掘りして欲しいと思う時もありました。 中華街住民の多様性を表現するにはある程度の人数が必要、というのもわかるので、 核となるエピソードにどこまで焦点を当てるか、そのバランスの難さを感じた作品でした。

[この鑑賞メモのパーマリンク]