TFJ's Sidewalk Cafe >

談話室 / Conversation Room

TFJ's Sidewalk Cafe 内検索 (Google)
[4289] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 小杉町, 川崎市, Thu Oct 2 23:31:46 2025

半月余り前になってしまいましたが、 敬老の日絡みの9月の三連休は土日に名古屋で。開幕したこの国際美術展を観てきました。

Aichi Triennale 2025: A Time Between Ashes and Roses
愛知芸術文化センター, 愛知県陶磁美術館, 瀬戸市のまちなか.
2025/09/13-2025/11/30.
愛知芸術文化センター: 月休,祝月開,翌火休,9/16,11/25開, 10:00-18:00 (金-20:00).
愛知県陶磁美術館: 月休,祝月開,翌火休,9/16,11/25開, 9:30-17:00 (10月以降-16:30).
瀬戸市のまちなか: 火休,祝火開,翌水休,11/25開, 10:00-17:00.
Artistic Director: Hoor Al Qasimi.

2010年から継続していた『あいちトリエンナーレ』ですが、 2022年の前回から日本語名称が『国際芸術祭「あいち」』と変更されています。 今まで足を運んだことが無かったのですが、今回は芸術監督がアラブ首長国連邦の首長国の一つシャールジャ出身で、 観る機会の少ない中東圏を中心とする非欧米の現代アートの作家をまとめて観るよい機会と、 9月13日に愛知県陶磁美術館、14日に愛知県芸術センターの2会場を観ました。 (瀬戸市のまちなかの展示は未見です。)

愛知県陶磁美術館の展示は、ビデオ上映を含む作品は3点のみ。 陶磁の美術館を会場としていることもあり陶磁や土、灰を素材にする立体作品が多めに感じられました。 世界各地の近世 (大航海時代) 以降の植民地主義、特に先住民の問題が通底するテーマとなっていましたが、 それを直接的に図示をしたり関連するドキュメントを積み上げるような作品はなく、 むしろ、象徴的な形態をとったり、作品の素材選びに反映されているような作品がメインでした。

中でも、数十cm大の石の丸みのある円錐様の石の立体作品とそれを敷き詰めた砂の上で転がして不規則な跡を付けた Elena Damiani (ペルー出身/拠点) や、 石炭灰を塗った壁に石炭の塊を一列に並べて展示した Yasmin Smith (オーストラリア出身/拠点) など、 かなりミニマリスト的な仕上がりの作品が印象に残りました。

日本の作家では、大小島 真木 の茶室「陶翠庵」を使ったインスタレーションが印象に残りました。 アカシアの命名に関わる問題を取り上げ、オーストラリアの先住民と入植者の統合の象徴となっていることや、 生物学的な分類とオーストラリアだけでなくアフリカでの命名の歴史的文化的な背景の齟齬の観点から 淡々と語るナレーションが付けられた、コントラスト強い白黒のアカシア類の映像が上映される一方、 茶室内はそれらしくないどぎつい色彩でライトアップされるという。 茶室の空間の狭さを生かし、ライティングの色彩と白黒映像のコントラストも良いインスタレーションでした。

特別展示という位置付けで愛知県陶芸美術館の収蔵品から 三島 喜美代 《時の残骸 90》(1990) が展示されていましたが [関連する鑑賞メモ]、 テーマや作風なども他の展示との違和感を感じさせず、良かったでしょうか。

愛知県芸術センターの展示は、愛知県美術館の10階と8階ギャラリーを使った展示がメインで、 国際芸術祭らしくギャラリー一室使うような、ビデオなど駆使したインスタレーションが、 特に小部屋の多い8階のギャラリーにビデオの上映をメインとする作品が多く集められていました。 その一方で、テーマは愛知県陶芸美術館とも統一感が取れていました。

中では、髪をモチーフとしつつ抽象的に空間構成したインスタレーションの Afra Al Dhaheri (アブダビ出身/拠点)、 2003年のイラク戦争で体験した空爆の空を抽象表現主義を思わせる大きな油彩画として仕上げた Bassim Al Shaker (イラク・バクダッド出身/ニューヨーク拠点)、 シリア内戦でイスラム国に破壊・略奪されたラッカの博物館所蔵の文化財をリトファンに3Dプリントしたものをマトリックス状に並べたライトボックスで展示した Hrair Sarkissian (シリア出身/ロンドン拠点) の Stolen Past (2025) など、 抽象度高く仕上げた作家の作品が印象に残りました。

ビデオを使った作品では、手にまとわりつく蝿の動きや唸る羽音を白い背景で抽象化しつつCGも使って描いた Silvia Rivas (アルゼンチン・ブエノスアイレス拠点) の Buzzing Dynamics (2010) が、 芸術祭全体の方向性には外れるように思いつつも、そのユーモアが気に入りました。 パレスチナ、イラク、シリア、イエメンの人々がSNSで共有した歌い踊る様子の映像を素材とした映像を 電子的なビートに乗せつつフラットにならないようにした壁面に投影した Basel Abbas and Ruanne Abou-Rahme (ニューヨーク/パレスチナ・ラマラ拠点) の May amnesia never kiss us on the mouth (2020-ongoing) にも、DIY的な生々しさを感じました。 その一方で、20世紀前半と思われる白黒のアーカイブ映像や、BBCやNational Geographicが撮ったかのような (実際にBBCの自然班と撮ったとキャプションにあった) 高精細の迫力ある大自然の映像を、象徴的な演出写真のようなカットも交えて、 近世以降の海を舞台とした交易や冒険の歴史をうっすらと浮かび上がらせるような 3スクリーンのビデオ・インスタレーションに仕上げた John Akomfrah (ロンドン拠点) の Vertigo Sea (2015) の映像美に圧倒されました。

日本の作家では、マユンキキ (ヤウンモシリ[北海道]・チカプニ[近文]コタン出身/北海道拠点) の祖父 川村 カ子ト に主題にしたインスタレーションが印象に残りました。 以前に『翻訳できない私の言葉』 (東京都現代美術館, 2024) [鑑賞メモ] で観たときはリサーチ資料展示のような微妙さを感じたのですが、 この芸術祭では、 旭川アイヌのリーダーかつ天竜峡〜三河川合間の鉄道開通で活躍した測量技師という対象的な二面を描きつつ、 ブラックボックス化したギャラリーに道を示すように並べた石とスピーカーからの音をメインとしてミニマリスティックな空間演出に仕上げていました。

小川 待子 のガラスと陶を組み合わせて天然水晶原石のような造形や溶け崩れた水盤のようなオブジェを使ったインスタレーションも、 その素材感そのものの美しさを感じさせるだけでなく、 その素材からして愛知県芸術センター会場に展示されていながら愛知県陶磁美術館会場との繋がりを意識させるようなところもありました。 愛知県陶磁美術館の茶室「陶翠庵」でも展示していた 大小島 真木 の愛知県芸術センターの作品は、 作風がかなり異なっていて、そちらにはむしろ分裂した印象を受けました。

欧米 (北米及びヨーロッパ) の有名な作家はいませんでしたが、 アジア、アフリカ、南米、オセアニアといった非欧米の現代アートをまとめて観ることができましたが、 芸術監督のバックグラウンドでもある中東圏の作家が印象に残ることが多かったでしょうか。 女性作家も多く、特に愛知県陶芸美術館で展示していた作家は過半が女性でした。 多様なバックグラウンドの作家を集めつつ、植民地主義、特に先住民の問題が通底するテーマとして感じられ、 その一方で最終的には抽象度の高い造形や空間演出の作品に仕上げているものが多く、その点も期待以上に見応えのある芸術祭でした。 (作品展示を前提とした美術館の空間を使った展示のみを観ているので、瀬戸市のまちなかでの展示も観るとまた印象も変わるかもしれませんが。)

『国際芸術祭「あいち2025」―灰と薔薇のあいまに』は、現代美術の展示だけではなく、 パフォーミングアーツのプログラムも組まれています。 というわけで、合わせて以下の3つを観てきました。 パフォーミングアーツの演目も、現代美術と共通するテーマが感じられるものでした。

권 병준 [Kwon Byungjun]: Speak Slowly and It Will Become a Song
クォン・ビョンジュン 『ゆっくり話して、そうすれば歌になるよ』
愛知県陶磁美術館 芝生広場
2025/09/13-2025/09/21, 9:30-17:00; 2025/10/25-11/9 (10/27,11/4休), 9:30-16:30.
演出: 권 병준 [Kwon Byungjun]; 音響、アシスタント: Yoon Suhee; ボイスパフォーマンス: 金 仁淑 [Kim Insook], John Francis Kinsler, Nancy Elizabeth Kim; 日本語書き起こし: Kim Roeun; 翻訳: 石川 樹里 [Ishikawa Juri].

パフォーミングアーツ部門のプログラムとしてエントリしていましたが、 ライブで誰かがパフォーマンスしているわけではない、いわゆるサウンドインスタレーションです。 GPSで位置情報を取るヘッドホンを使い芝生広場の位置に応じたサウンドを聴く、いわゆるAR (Augmented Reality) の作品でもあります。 自分が体験した時は雨足が弱まることはあれど降雨で、傘をさしつつ、足元を気にしつつの体験になってしまい、ヘッドホンのサウンドの世界に入り込めなかったということもあるでしょうか。 音声ガイドではないので現実世界との対応付けが分かりやすい必要はないのですが、 芝生広場という特徴に乏しい空間ではその結びつきは乏しく、 単に民謡などに関する話を聴きながら歩きまわるだけに近い体験になってしまいました。

音を使ったAR作品といえば『六本木アートナイト 2012』での Musicity Tokyo [鑑賞メモ] など思い出しますが、 10余年経って技術的にはかなり洗練されたと感じる一方で、街中の文脈のある変化に富んだ空間の方が会場としては適していそうだとも感じてしまいました。 2012年にはDocumenta 13で Janet Cardiff & George Bures Miller: Alter Bahnhof Video Walk という音声だけでなくビデオを使ったAR作品も体験していて [鑑賞メモ]、 その時にも感じたことですが、やはり、この手の作品の面白さは実現する技術とは独立だとも感じてしまいました。

Black Grace: Paradise Rumour
ブラック・グレース 『パラダイス・ルーモア』
愛知県芸術劇場 小ホール
2025/09/13, 18:30-19:45.
Choreographer / Founding Artistic Director: Neil Ieremia, ONZM.
Composer: Faiumu Matthew Salapu aka Anonymouz; Lighting Designer: JAX Messenger; Costume Design: Tina Thomas; Makeup Design: Kiekie Stanners.
Performers: Demi-Jo Manalo, Rodney Tyrell, Fuaao Tutulu Faith Schuster, Vincent Farane, Sione Fataua, Leki Jackson-Bourke, Deija Vukona, Justice Kalolo.
Premier: 26 May 2023 in the Africa Hall, Sharjah, United Arab Emirates.

サモアにルーツを持つ Neil Ieremia が1995年に設立した オセアニアの島嶼国やニュージーランドの先住民にルーツを持つメンバーで構成された ニュージーランド [アオテアロア] のコンテンポラリーダンスカンパニーの公演です。 2005年に来日しているとのことですが、今回初めて観ました。

太平洋の島々に対して広く持たれている楽園 (paradise) のイメージの裏にある、 先住民の大航海時代以降の受難の歴史を “hope + resistance”、“sorrow + acceptance”、“control + release”、“faith + crisis”の4部構成で描いた作品でした。 楽園をイメージさせる緑を舞台の両脇に配し、その間で、その役割を表す衣装を着たダンサーが踊ります。 マイムで内面を物語るというより、ダンスで象徴的な場面を連ねていくので、神話的な叙事詩を見るようでした。 そのテーマに合わせたように、サモア語やトンガ語の歌やナレーションが使われる一方、楽園を想起させる映画音楽的な音楽が歪んだ形で使われましたが、 実に1980s前半風、特にFats CometかArthur Bakerかのようなold school hip-hop / electro / freestyleな (おそらくオリジナルの) 音楽が多用されていたのが、 このスタイルの音楽を選択した意図を汲み取りかね、気になってしまいました。

Basel Abbas and Ruanne Abou-Rahme with Baraari, Haykal and Julmud: Enemy of the Sun
Live & Lounge Vio (新栄町)
2025/09/13, 18:00 open, 20:30 start, 24:00 close.

愛知県美術館ギャラリーで現代美術の展示にも参加していた Basel Abbas and Ruanne Abou-Rahme の、 クラブのライブ及びラウンジのスペースを使ったパフォーマンスです。 没入型のビデオ・インスタレーションしながら、 パレスチナ・ラマラ拠点もしくはそこを出て欧米で活動するパレスチナ系ミュージシャン Baraari, Haykal, Julmud がライブしました。

最初は再入国できなくなる可能性があるため来日できなくなった (おそらく) Haykal がリモート参加でラップで30分ほど、 続いて、Basel Abbas がラップトップでビデオを操作する横で Baraari と Julmud がラップやトリップホップ風に歌うようなフローで30分ほど。 その後、ラップ抜きで Julmud がより抽象的な音出しを始めたのですが、このあたりで体力的に限界となり帰ることにしました。 かつての SuperDeluxeのような打ちっぱなしの壁にくっきり投影されればビデオプロジェクションに没入感も出たかもしれませんが、 雑然としたクラブのラウンジ的なスペースではよくあるビデオ演出程度になってしまったでしょうか。

会員になってるチェーンのシティホテルになんとか相応のお値段で泊ることができたのですが、 宿泊予約サイトで検索するとホテルが空いていても普段の倍くらい。 駅やホテルでスーツケース押した推し活らしき人 (アイドルかと思われるものの推しが何かは判らなかった) を多く見かけたので、三連休だからだけではなかったのでしょう。 日帰りにしようかと思った程ですが、夜の公演も観ることができましたし、やはり1泊にして良かったです。

陶磁資料館南駅から会場の愛知県陶磁美術館へ向かう間に一緒になった人と話したり、 会場の陶磁美術館でオープニングで来ていた作家か関係者らしき人に英語で「素敵なシャツですね」と声をかけられたり、という所にも、いかにもフェスに来た感がありました。

食事は、泊まったホテルの朝食が一番まともだったという結果になってしまいました。 ランチや休憩では会場に併設された関連メニューを出しているレストランやカフェに入ったのですが、 席数ではなく処理能力が不足していてオペレーションが破綻していました。これは、残念。

[この鑑賞メモのパーマリンク]

[4288] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 小杉町, 川崎市, Mon Sep 8 0:36:18 2025

この週末の土曜は、午後遅くに横浜馬車道へ。このパフォーマンスを観てきました。

ティア・カスリネン『歌姫』
Dance Base Yokohama 1階スタジオ
2025/09/06, 16:00-17:00.
Music by Keliel; Konsepti, koreografia, lyriikat, äänet ja esitys [Choreography, performance, dance, sounds, lyrics]: Tiia Kasurinen; Äänisuunnittelu, musiikki, esitys [Sound design, music, performance]: Eliel Tammiharju / Keliel; Pukusuunnittelu [Costume design]: Freyja Taus; Valosuunnittelu [Light design]: Sofia Linde; Photography: Saara Taussi; Dramaturginen apu, mentorointi [Dramaturgical help/mentoring]: Minna Lund (she/they); Lavastuskonsultti [Set design consultant]: Aino Koski; Maskeerauskonsultti [Make-up consultant]: Stella Sironen, Veerti Koski; Harjoittelu [Internship]: Hannah Krebs.
Residenssit [Residencies]: Inkonst, Dance Base Yokohama Japan, Cité internationale des arts; Tuotanto [Production]: Tiia Kasurinen, Zodiak – Centre for New Dance / Loisto, Inkonst, Kiasma.
The performance premieres at the end of April 2025 in Malmö, Sweden.

コンテンポラリー・ダンス及び現代アートの文脈で活動する Tiia Kasurinen のパフォーマンス作品です。 今まで作ってきた作風などの予備知識はなく、2024年のレジデンスの際のワークインプログレス公演も観ていませんが、 「音のジェンダー」をコンセプトとしたパフォーマンスということに引かれて観てきました。 パフォーマンスは Tiia Kasurinen 自身の歌、ボイス、パフォーマンスと Eliel Tammiharju aka Keliel によるラップトップとハープの演奏と歌からなるものでした。

コンセプトという点では、カラスの鳴き声を思わせる引き攣ったような抽象的な発声と ハイトーンで歌われる indietronica / dream pop 風の歌が対比され、 歌自身もヴォコーダ (もしくはそれ相当の機能のあるラップトップのソフトウェア) を使い声のピッチを微妙にずらされます。 ビジュアル的には、Tiia Kasurinen はドラァグクイーン風のメイクに盛った鬘、 しかし、衣装はドラァグのようなどぎついものではなくコルセットにクリノリン。 フェミニズムの文脈では女性の拘束の象徴として扱われることが多いものですが、 ドラァグ風の頭部もあってか、むしろ19世紀半ばのファッションのポップでキッチュなパロディのようでもありました。 後半になるとクリノリンは脱ぎ捨てられ、ダメージジーンズ姿となります。

元の歌声が強くジェンダー規範を意識させられるもの (例えば、日本で言えば、アナウンスの女声や、アニメ女優の声) で無かったこともあり、 声が対比されたりビッチがずらされたりという点については、さほどピンとくる所はありませんでした。 むしろ、ドラァグ風のメイクや拘束を感じさせる所作、そして、抽象的な時間空間や動きのコンポジションのような抽象ダンスや、もしくは、身体表現で物語るナラティヴなダンスとは違う、 コンセプトに基づく象徴的でシュールレアリスティックなイメージを連ねていくような構成に、 Matthew Barney: The Cremaster cycle [鑑賞メモ] に近いものを感じました。

そして、The Cremaster cycle もその文脈で日本で紹介され受容されたように思いますが、 1990年代後半にジェンダー/セクシャリティをテーマとした現代アートを取り上げる展覧会が多く開催され、そこではパフォーマンスが伴うこと多かったことを思い出したりもしました。 例えば、Majida Khattari のパフォーマンス [鑑賞メモ] など (生では見逃したのですが)。 そういう意味で、この Songbird も、ダンスの文脈での公演という形式よりも、現代美術展でのイベントとして行われるギャラリーの一角などを使ったパフォーマンスという形式での上演の方が似合いそうと感じました。

会場は北仲ブリック・ノースの3階に入居している Dance Base Yokohama (DaBY) がこの8月に新たに同ビル1階にオープンさせたスタジオでした。 運営事業者としての契約終了に伴い2024年度末をもって終了してしまった BankART KAIKO だった場所です。 新高島駅の BankART Station は次の運営事業者 Ongoing による Art Center NEW となったわけですが、 KAIKO は引き継がれずどうなるのだろうと思っていました。 似たような性格のスペースになって良かったでしょうか。

[この鑑賞メモのパーマリンク]

[4287] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 小杉町, 川崎市, Sat Sep 6 22:27:43 2025

8月最終週の後半は金沢へ。一通り仕事が済んだ金曜夕方にこの展覧会を観てきました。

Layers of Accumulated Time: Depicting the world we live in
金沢21世紀美術館 展示室7-12,14
2025/04/29-2025/09/28 (月休;5/6,7/21,8/11,9/15開;5/7,7/22,8/12,9/16休), 10:00-18:00 (金土-20:00).
浅井 裕介, Sam Folls, 藤倉 麻子, 今津 景, 風間 サチコ, William Kentridge, Anselm Kiefer, 近藤 亜樹, 松﨑 友哉, 西村 有, Gerhard Richter, Citra Sasmita, Wilhelm Sasnal, Tu Pei-Shih, Luc Tuymans, Ebosi Yuasa.

近代の歴史や記憶、現代の社会問題に着想した作品を集めた現代美術の展覧会です。 といっても、現代美術はそのような作品が多いので、特に強い方向性を感じる程では無かったでしょうか。 Gerhard Richter や Anselm Kiefer などの有名どころも展示されていましたが、 ポーランドの作家 Wilhelm Sasnal による、現代南米の社会問題に取材しその報道写真的な構図を使いつつも、 抽象度を上げてシルクスクリーンのようにフラットな質感の油彩として仕上げた一連の作品 (2019-2023) が印象に残りました。

2012年のDocumenta 13で観た William Kentridge: The Refusal of Time (2012) [鑑賞メモ] を再見することができましたが、 Documenta 13とはかなり異なる印象を残しました。 抽象的なアニメーションも交えつつ、マイムやダンスの実写やそのストップモーションによる映像投影を使い、 イマーシヴなパフォーマンス作品をインスタレーションとして再構成したものを観るようでした。 これも、現代美術の文脈よりオペラの演出で Kentridge の作品を観る機会が増え [鑑賞メモ]、 また、空いたギャラリーで腰を据えて通して観ることができたからでしょうか。 Peter Galison: Einstein’s Clocks, Poincaré’s Maps — Empires of Time (2003) [ピーター・ギャリソン『アインシュタインの時計 ポアンカレの地図 — 鋳造される時間』 (名古屋大学出版会, 2015)] に着想したと思われ、帝国主義の時代 (19世紀後半から20世紀初頭) における時間の標準化をテーマとしているのですが、 マイムやダンスの映像を観ていて、それと並行して進展した植民地化も射程に入っていたことに気付かされました。

金沢21世紀美術館 展示室1-6
2025/05/24-2025/09/15 (月休;5/6,7/21,8/11,9/15開;5/7,7/22,8/12休), 10:00-18:00 (金土-20:00).

コレクション展は素材をテーマにしており、現代美術というよりガラス、陶磁、漆工などの現代工芸の文脈の作品も多く含まれていました。 それらも良かったのですが、結局、現代美術の文脈の、Carsten Nikolaiのアルミ板やブラウン管、 山崎つる子の着色したプリキの板や缶を使った、 近現代の工業的な質感によるミニマリスティックな作品の方に惹かれてしまいました。

ジャネット・カーディフ 『40声のモテット』
金沢21世紀美術館 展示室13
2025/05/24-2025/09/15 (月休;7/21,8/11,9/15開;7/22,8/12休), 10:00-18:00 (金土-20:00).

企画展、コレクション展とは別の国内巡回の無料展示です。 この美術館で2017年に開催された Janet Cardiff ↦ George Bures Miller の大規模個展 [鑑賞メモ] にはこの作品 (2001) は出ておらず、 2009年に銀座メゾンエルメス ル・フォーラム [Ginza Maison Hèrmes Le Forum] [鑑賞メモ] で観て以来の再見です。 8組の5声聖歌隊のために Thomas Tallis 作曲した motet Spem In Alium (c.1570) のパート毎の録音14分 (不明瞭な会話からなる環境音3分を含む) を40個のスピーカーを使って再生する作品という作品です。 商業施設内の展示スペースで体験した時は聖堂のような空間に展示した方が良いのではないかと思いましたが、 広い正方形のほぼホワイトボックスという空間に40個のスピーカーをほぼ円形に並べるというミニマリスティックな展示で体験すると、 その音だけで抽象的な空間に世界が立ち上がってくるよう。 異世界へ連れて行かれるような感が良かった。

1年余ぶりの金沢 [前回の鑑賞メモ] でしたが、 今回は最高気温35度前後の猛暑に美術館・博物館巡りをする気力を削がれました。 それでも、暑くなり過ぎる前の翌土曜午前に軽く散策ということで、 金沢21世紀美術館の無料展示、Janet Cardiff: The Forty Part Motet と恒久展示作品 James Turrell: Blue Planet Sky (2004) で 併せて30分ほど瞑想した後、本多公園の緑の小径を抜けて、谷口 吉生 建築の 鈴木大拙館 で再び瞑想。 暑さに散策は早々に切り上げ、森八本店へ。 森八茶寮でひと息ついたあと、金沢菓子木型美術館を見学しました。 しかし、前回に続いて今回も 日本工芸館は展示替え休館中。 今度こそ、開館しているタイミングで金沢へ行きたいものです。

[この鑑賞メモのパーマリンク]

[4286] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 小杉町, 川崎市, Sun Aug 31 21:29:52 2025

先週末土曜は夕方に三軒茶屋へ。この舞台を観てきました。

Room Kids: to root directory
世田谷パブリックシアター シアタートラム
2025/08/23, 17:00-18:15.
演出: 岡本 晃樹.
出演: 岡本 晃樹, 関矢 昌宏, 山田 タカマサ.
舞台監督: 守山 真利恵; 照明: 上田 剛 (RYU); 音響: 中原 楽 (KARABINER inc.); 音楽: Phasma, あづみぴあの, 山村 祐理, 岡本 晃樹; 映像: 岡本 晃樹, 関矢 昌宏.
新作公演

岡本 晃樹 主宰の現代サーカス・カンパニーの新作公演です。 Room Kidsとして観るのは初めてですが、 2022年に岡本が I/O Multimedia Performance CompanyとしてYPAMフリンジにエントリした 『in/deduction』を観たことがありました [鑑賞メモ]。 出演として3名クレジットされていますが、岡本以外の2名はほぼ黒子といっていい役割です。 舞台の上には10余りのアンティークの椅子や扇風機などが並べられ、舞台に投影されたエンドロールではそれらも出演としてクレジットされていました。 最初、それらはラップで包まれた状態なのですが、ラップを剥がし、黒子の2人が位置を動かしていきます。 もちろん、岡本が得意とする物理エンジン等を活用しライブで画像処理した映像プロジェクションも使っていました。

中でも、椅子や扇風機に仕込まれた小さなライトの白い光の点と、岡本がジャグリングする白いボールの点を、ビデオカメラで捉えて、 点を結ぶ疎な網状の白線を加えて投影した場面は、パフォーマーと並べられたオブジェの関係性を可視化するよう。 最後の繰り返し流れるエンドロールの文字が次第に伏字□になっていく中、オブジェにも白い方形の箱が被されていくエンディングの、ディストピア的なイメージも印象に残りました。 このように良いと思う場面もあり、 音楽や映像も手がけるなど 岡本 にアイデア、やりたい事がいろいろあるんだろうと思う一方、 自身のジャグリングとシンクロさせるように録画済みの様々な場所でのジャグリングの映像をマトリクス的に並べて投影する場面など、 並べられたオブジェとの関係性が不明確に使われている音楽や映像も少なからずで、アイデアが焦点を結んでいない印象も受けました。

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[4285] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 小杉町, 川崎市, Thu Aug 28 0:10:00 2025

お盆の終わりの先々週末は土日ともに午後に京橋へ。 国立映画アーカイブの 『返還映画コレクション (3) ――第二次・劇映画篇』で、 先日観た3本 [鑑賞メモ] に続いて、この3本を観てきました。 戦後に「非民主的映画の排除」によって上映を禁止された戦中期の劇映画です。

『都会の奔流』
1940 / 松竹大船 / 93 min. / 35 mm / 白黒・不完全.
監督: 佐々木 啓祐; 脚本: 猪俣 勝人.
佐分利 信 (八田 啓一), 河村 黎吉 (父 進介), 原 保美 (弟 治郎), 木暮 美千代 (妹 弘美), 川崎 弘子 (金沢 信江), 武田 秀郎 (父 喜一郎), 葛城 文子 (母 静子), 三井 秀男 (弟 喜郎), 笠 智衆 (警視庁直江係長), etc.

あらすじ: 丸の内で優秀な課長として働く八田 啓一は、同郷ということもあり父 進介と親交のある 政治家 金沢の娘の信江と婚約している。 金沢は死にあたり与太者 (不良) に被れてしまった学生の息子 喜郎 の面倒を同郷の 八田 進介 に託し、 啓一 は 喜郎 を八田の家に引き取り聞く耳を持つようになるまで待つという方針で更生させるのを父に任せてもらう。 啓一の妹 弘美が自宅に連れてきた女学校の友人から10円を 喜郎 すくねて使ってしまうが、啓一や弘美がそのことについて 喜郎 を父から庇うのを見て、 喜郎 は改心し、10円を返すために与太者の牧から10円を借りる。 しかし、そのことを恩に着せられ、牧に80円を工面するように求められてしまう。 困った牧は八田家が留守中に届いた100円の商品券を受け取り啓一に黙って牧への金に使ってしまう。 しかし、その100円は 啓一 を陥れるための賄賂であり、賄賂を受け取ったとされた 啓一 は会社に辞表を出す。 そのことを知った 善郎 は、自暴自棄となって牧へ復讐に行くが、大怪我を負ってしまう。 善郎への輸血が必要となり、啓一が自分から輸血するように申し出る。 その後、事情を知った会社の上司から辞表は不受理だと連絡を受ける。

三井 秀男 演じる与太者の更生譚という点では、1930年代前半に松竹蒲田で 野村 浩将 監督が撮った 「與太者シリーズ」 [鑑賞メモ] と共通点も多い作品です。 しかし、「與太者シリーズ」がヒロインとの出会いを通して与太物トリオが自ら更生するという話 (後に行くほど根はいいやつという話になる) なのに対し、 この映画は八田家の人々が思いやりを持って接することを通して与太者を更生させる、という色が強い内容です。 体罰を使って高圧的に更生させるというより聞く耳を持つまで待って善導させるとはいえ、 今から見るとパターナリスティックな家族観や親孝行、義理人情の感覚の古さは否めないでしょうか。 とはいえ、このレベルでも戦後の「非民主的映画の排除」の対象となったのかと感慨深いものがありました。

といっても、八田家でのやりとりといい、都会の中間階級の良質なホームドラマとして仕上げていました。 「與太者シリーズ」でのヒロイン相当は、八田家のハイカラな女学生の妹 弘美 役の 木暮 実千代 です。 清水 宏 『暁の合唱』 (1941) [鑑賞メモ] でもそうでしたが、こういう男性に物怖じしないくらいの役が似合います。 現代的な美人の 槇 芙佐子、メガネっ子の 東山 光子 など、カフェーの女給のレベルでも印象に残るよい女優が揃ってるところが、さすが松竹大船でしょうか。 冒頭クレジットが欠落していましたが、車載のカメラから捉えたモダンな東京の風景のモンタージュに スリリングなジャズの音楽が付けられたオープニングは、 戦中でもこんなモダン表現があったのかと驚きでした。その後のホームドラマ的な展開には、浮いているようにも感じましたが。

『心の太陽』
1939 / 松竹大船 / 93 min. / 35 mm / 白黒.
監督: 深田 修造; 原作・脚本: 柳井 隆雄.
坪内 美子 (くに子), 水戸 光子 (かず枝), 大塚 紀男 (秀男), 槙 芙左子 (大井 朝子), 吉川 満子 (大井 貞子), 奈良 真養 (藤沢), 岡村 文子 (妻 なつ子), 水島 亮太郎 (信造), 三井 秀男 (平山), 突貫 小僧 (留吉), etc.

あらすじ: 戦争で夫を亡した くに子 は、男の子を育てつつ、下町で夫と始めたクリーニング店を2人の職人を雇い続けつつタイピストの仕事をする妹 かず枝 に助けられつつ続けている。 かず枝 の女学校時代の同級生で医師に嫁いだが 朝子 も、夫を戦争で亡くしている。 ある日、くに子 の遠縁にあたるという男 信造 が現れ、男性を雇わずにできる店に変えるべきだと言い出し、かず枝の反対にもかかわらず、文房具店を買い取る資金という口実にくに子の亡夫の弔慰金を持ち出し、クリーニング店を売る話も進めてしまう。 一方、朝子は亡夫の仕事を継ごうと女子医専への進学を考え、そのことを かず枝 に相談する。 義母 貞子は若い かず枝 が再婚できるよう実家に帰す話を進めてしまうが、それに勘づいた 朝子 は自分の意思を義母に伝えて認めてもらう。 一方、信造 の言う文房具店を買う話は無いと かず枝 が気付き、信造 を問いただすが、信造 は弔慰金を帰すことなく姿をくらましてしまう。 さらに、信造 はクリーニングの機械の売却話を決めてしまっており、その相手から機械を渡すか代金を返すか求められる。 金策のため かず枝 は 朝子 を訪れるが、実家へは帰らず女子医専へ行く意思が認められたという話を かず枝 から聞き、言い出せずに帰ることになる。 金策尽きて店を引き払う準備を終えた段階で、かず枝 の働きで愛国婦人会に援助してもらえることになり、店を続けることができることになった。 信造 からも株に失敗して金を失ってしまったがいずれ返すという手紙が届いた。

下町で小さなクリーニング店を営む下層階級の くに子 と、実家も裕福で嫁ぎ先も医者という上流階級の 朝子 という、 2人の戦争未亡人のそれぞれの悲哀と希望を対比的に描いた映画です かず枝 を接点としてはしているものの、エピソードとしてはほぼ並行したまま交わらずに終わってしまいます。 どちらかといえば、クリーニング店を営む くに子 と かず枝 の話がメインで、 遠縁の者がもたらしたトラブルを巡る下町の一家 (雇われの職人を含む) の人情の機微を描いたホームドラマの味わいでした。 最後の最後になって、愛国婦人会の融資が出てきて、店をうまく続けられたことを暗示するような店から親子で小学校の入学式に向かう様子に、 「今日も学校へ行けるのは兵隊さんのおかげです」という歌『兵隊さんよありがとう』を被せて終わるという、 楽観的というよりプロパガンダ的なエンディングが、取って付けたかのようでした。

一方の上流階級の戦争未亡人を演じたのは 槇 芙佐子 (この映画では 槙 芙左子 とクレジット)。 吉村 公三郎 『暖流』 (松竹大船, 1939) [鑑賞メモ] や 大庭 秀雄 『花は僞らず』 (松竹大船, 1941) [鑑賞メモ] など今まで観たものでは 物語の要所にはなるものの脇役ばかりだったので、 スキーへ行く場面もあったりしましたし、寡婦ながらモダンな洋装もエレガントな 槇 芙佐子 を堪能できました。 特に、亡夫の書斎で独り物思いにふける場面 (2回ある) での、 静かに視線をやったり机上のものを弄ったりする様を、シンメトリーな画面の固定カメラで捉えて、控え目な音楽を少し遅れて添える (一回目は置き時計の鳴る音) という心理描写の演出が、 実にメロドラマチックでした。 しかし、女子医専に通い出すことろまで描かなかったので、途中でフェードアウトした感もあり、その点は惜しいです。

『美しき隣人』
1940 / 松竹大船 / 84 min. / 35 mm / 白黒.
監督: 大庭 秀雄; 原作・脚本: 武井 韶平.
水戸 光子 (秋元 邦子), 飯田 蝶子 (母), 笠 智衆 (兄 信夫), 松島 詩子 (歌手), 髙倉 彰 (前田 清), 大塚 君代 (妹 しげ), 廣瀬 徹 (津村 恭一), 三浦 光子 (妹 陽子), etc.

あらすじ: 東京・丸の内でタイピストで働く邦子は、兄の出征で独りになった母の面倒をみるため、郷里の長野の山村へ帰る。 郷里の村で再開した幼馴染の恋人 清 は村の仲間と開拓団に志願して満州へ行くことを考えており、春になったら一緒に満州へ行こうと邦子は誘われた。 やがて、東京で同じ職場だった 津村 がスキーで偶然 邦子 の郷里近くの別荘にやって来て、妹の怪我をきっかけに偶然邦子と再開する。 都会のブルジョワ風の津村と親しげにする一方、母を置いて満州へ行くことはできないと言う邦子の態度が、清は気に入らなかった。 ある夜、兄が負傷したという知らせが、それから暫くして、東京の病院に移ってきたという知らせが届いた。 旅費が工面できず東京へ見舞いに行けずにいると、津村が迎えに来て、津村の手配で母と一緒に東京へ向かった。 そして、邦子たちが東京へ行っている間に、急に清たちの満州出発が決まってしまう。 邦子たちが東京から戻った時に遠目に見えた見送りの行列は清たちのもので、邦子がそれに気づいて駅に駆けつけた時には、列車は走り去っていた。 清の邦子宛の置き手紙には、邦子のことを忘れると書かれていた。 それから暫く経ち、傷が癒えた兄が家に戻った頃、満州の清から邦子へ手紙が届き、そこには満州へ来て欲しいと書かれていた。邦子は清を追って満州へ行くと決心するのだった。

物語の軸は東京帰りの女性と郷里の恋人で満州へ行く男性を巡るメロドラマです。 東京の職場で一緒だったブルジョワの男性の存在が二人の気持ちにすれ違いを生じさせ、 さらに兄の見舞いという理由で一時的であれと東京に行くことで、物理的にもすれ違ってしまいます。 といっても、舞台が信州の山村なので、都会的なメロドラマというよりも、人情物の味わいの方が強いでしょうか。 主人公の邦子を演じるのは 水戸 光子 ですが、東京のブルジョワのお嬢様ではないけれども、田舎の人々から見ると都会的な女性という、微妙なポジションの女性がはまり役です。 特に、田舎から東京に出てきたタイピストという役は、同監督が翌年に撮った 『花は僞らず』 (松竹大船, 1941) [鑑賞メモ] での役と被ります。 『美しき隣人』の邦子が『花は僞らず』の純子の原型になったのかもしれません。

この映画には農林省馬政局 指導のクレジットがあり、 農耕馬の軍馬としての徴発の向けての準備としての 農耕馬に対する飼育費用支援や軍事教練の様子も描かれていましたが、 物語の流れと関係が無く、単なる時代背景的なエピソードとなっていました。 むしろ、満蒙開拓団への志願や出発の場面の方が、プロパガンダ色を強く感じました。

先日観た3本、渡邊 邦男 『召集令』、佐々木 康 『進軍の歌』、佐々木 啓祐 『愛國の花』 [鑑賞メモ] と合わせ、 この上映企画で計6作品を観ましたが、うち松竹大船の5本は、プロパガンダの要素はさておき、 実にホームドラマ & メロドラマとしてさすがによくできていると感心しました。 その一方で、映画でその機微が美しく描かれた善意、人情や相手を思う気持ちが、こうも「お国のために」という形で回収されていくのかと、少々空恐ろしくも感じました。

ちなみに、ホールでは上映回の幕間に上映作品の主題歌や劇中歌を控え目の音量で流していました。 その映画を観たということもあるかと思いますが、かかっていた曲の中では『愛國の花』が耳に残りました。

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[4284] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 小杉町, 川崎市, Sun Aug 24 20:57:09 2025

2週間前の8月の3連休最終11日は、昼過ぎに初台へ。この舞台を観てきました。

細川 俊夫 × 多和田 葉子
Toshio Hosokawa, Yoko Tawada: Natasha
新国立劇場オペラパレス
2025/08/11, 14:00-16:40.
台本: 多和田 葉子 [Libretto by Yoko Tawada]; 作曲: 細川 俊夫 [Composed by Toshio Hosokawa].
指揮: 大野 和士 [Conductor: Kazushi Ono]; Production: Christian Räth.
Set Design: Christian Räth, Daniel Unger; Costume Design: Mattie Ullrich; Lighting Design: Rick Fisher; Video Design: Clemens Walter; 電子音響: 有馬 純寿 [Electronic Sound Design: Sumihisa Arima]; Choreographer: Catherine Calasso.
Ilse Eerems (Natasha), 山下 裕賀 (Arato), Christian Miedl (Mephistos Enkel), 森谷 真理 (Pop Singer A), 冨平 安希子 (Pop Singer B), Tang Jun Bo (Businessman A), Timothy Harris (Businessman B), 大石 将紀 (Saxophonist), 山田 岳 (Electric Guitarist), etc.
合唱: 新国立劇場合唱団, 児童合唱: 世田谷ジュニア合唱団, ホワイトハンドコーラスNIPPON.
音楽ヘッドコーチ: 城谷 正博; 合唱指揮: 冨平 恭平; 合唱: 新国立劇場合唱団; 管弦楽: 東京フィルハーモニー交響楽団.
制作: 新国立劇場 (オペラ); 芸術監督: 大野 和士.
2025年8月11日新国立劇場プレミエ

新国立劇場の2024/2025シーズン最後のオペラは新国立劇場の創作委嘱による新作の初演です。 ドイツ在住の小説家・詩人の多和田 葉子 によるオリジナルの多言語 (日本語、ドイツ語、ウクライナ語、など) による台本で、 作曲はドイツと日本を拠点に現代音楽の文脈で活動する 細川 俊夫 です。 細川 俊夫 のオペラは以前に『松風』Matsukaze を観る機会があり [鑑賞メモ]、 その前にもコンサートを聴く機会はありました [鑑賞メモ]。 そんな作曲家への興味というだけでなく、新国立劇場での新作オペラ創作への期待も込めて、観にいきました。 途中休憩はあるものの無調で2時間余かと身構えていたいたところはありましたが、 ダンスや映像を駆使した演出はもちろん、音楽的にも予想以上に取り付きやすい作品でした。

舞台設定は具体的に過ぎないようぼかされていましたが、 戦禍を逃れてウクライナから来たらしき Natasha と大災害後に日本を離れて旅しているらしき Arato がおそらくドイツで出会い、 Mephisto の孫 (Mephistos Enkel) を名乗る男に連れられ、地獄巡りをするというプロットです。 巡る地獄は現代の社会問題や自然災害に着想したもので、森林地獄、快楽地獄、洪水地獄、ビジネス地獄、沼地獄、炎上地獄、旱魃地獄の7つ。 ビジネス地獄と沼地獄の間に幕間がありました。 前半、森林地獄や洪水地獄は抽象度高めの演出と音楽の一方、 快楽地獄とビジネス地獄では音楽にポピュラー音楽やミニマル音楽のイデオムが用いられ演出もキッチュさを感じる要素が多め。 細川 俊夫 がこんな曲を作るのかという新鮮な驚きもありましたが、 この対比がメリハリを作り、地獄1場面につき15分程度ということもあってテンポよく展開していきました。 後半は前半のようなポップでキッチュな音楽・演出はなく、進むほどに抽象度が上がる感もありましたが、 炎上地獄での Natasha の独唱の美しさや、最後の旱魃地獄での Natasha と Arato が二重唱しながら光に吸い上げられるように昇天していく演出など、印象に残りました。

抽象的な横にスライドする枠のような舞台装置と具体的な映像から抽象的なパターンまで様々な映像のプロジェクション、 効果音と音楽の中間を行くような立体的な電子音響、 その動きからコーラスに踊らせているのではなくノンクレジットのダンサーなのではないかと思いますがそんなダンサーの踊りや動きもあり、最後まで飽きさせませんでした。 ビジネス地獄がモダンタイムズ的な20世紀のイメージの延長で現代のテックライトはまた違うのでは、など、個々の地獄のディテールに違和感を覚える所もありましたが、全体としてよく作られた演出と感じました。

しかし、良くできた舞台作品とは思いつつも、観終わった後、何かメッセージが伝わってきた感が薄くぼんやりとした印象になってしまいました。 これも、Natasha や Arato という主人公2名が、何か使命を持っていたり、生き残りを賭けなくてはならないような状況というより、連れられて地獄を見てまわっているという少々受け身な感があったからのように思います。

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[4283] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 小杉町, 川崎市, Sun Aug 17 19:48:34 2025

8月の3連休中日10日は、雨の中、午後に渋谷宮益坂上へ。 共産政権下の1960年代から活動するストップモーション・アニメーションと実写を交えたシュールレアリズム的な作風で知られる映像作家 Jan Švankmajer の、 シアター・イメージフォーラムでの最新作上/映と それに合わせた特集上映『ヤン・シュヴァンクマイエル レトロスペクティヴ 2025』から、 この2本を観て来ました。 1980年代までの短編はDVDも持っており上映でも観たことがありますが、長編は観たことが無かったので、これも良い機会かと。

Něco z Alenky [Alice]
『アリス』
1988 / Condor Features (CH) / 86 min.
scénář a režie [writer and director): Jan Švankmajer
hraje [cast]: Kristýna Kohoutová;
animace [animation]: Bedřich Glaser; kamera [camera]: Svatopluk Malý; střih [editor]: Marie Zamanová.

Švankmajer 初の長編映画は、Lewis Carroll: Alice's' Adventures in Wonderland 『不思議の国のアリス』 (1985) に基づくもの。 主人公の Alice をほぼ実写で撮る一方、それ以外の登場人物をほぼ人形アニメーションで描いています (豚などの一部を除く)。 アリスが夢を観ているのがピクニック先の野外ではなく、ウサギの剥製や人形が雑然と置かれた物置のような場所で、 そこ置かれていたものが夢の中で動き出す、という設定の違いはあれど、 その時代の風刺となるような翻案は感じられず、比較的ストレートな映画化でした。 むしろ、屋外の場面をほとんど無くして屋内の閉鎖的な空間の中に場を移したこと、 人形の少々グロテスクな造形、建物や家具などの古びて薄汚れた質感などが、 オリジナルの物語に既にあった不条理感を、より不気味に際立たせていました。 特に A Mad Tea-Party「気違いのお茶会」の場面など、庭園では無く地下の一室に場を移したことで、逃げ場のない密室的な不条理さを醸し出していました。

Hmyz [Insects]
『蟲』
2018 / Athanor (CZ), Česká televize (CZ), PubRes (SK) / 98 min.
scénář a režie [writer and director]: Jan Švankmajer
hrají [cast]: Kamila Magálová (Ružena), Ivana Uhlířová (Jituška), Jan Budař (Václav), Jaromír Dulava (režie), Jiří Lábus (Borovička), Norbert Lichý (Kopriva).
kamera [camera]: Jan Růžička, Adam Oľha; animace [animation]: Martin Kublák, Ondřej Fleislebr, Bedřich Glaser; zvuk [sound]: Ivo Špalj; střih [editor]: Jan Daňhel; kostýmy [costumes]: Veronika Hrubá.

Švankmajer 最後の劇映画とも言われるこの映画は、チャペック兄弟 (Bratři Čapkové: Kerel Čapek a Josef Čapek) の戯曲 Ze života hmyzu 『虫の生活』 (1921) に着想したもの。 アマチュア劇団が『虫の生活』の第2幕の稽古をする様子を、Švankmajer が劇映画化する様子も交えて映画化しています。 劇中劇の『虫の生活』、アマチュア劇団の稽古というドラマ、そして、それを映画化する様子を捉えたドキュメンタリーという、二重にメタな構造を持つ、実写を主とする映画です。

アマチュア劇団の稽古の話はシームレスに劇中劇とも混じり合った登場人物の妄想の描写とシームレスに繋がっており、その関係はマジックリアリズム的で、登場人物の妄想やそこへの繋ぎにストップモーションアニメーションが活用されています。 『蟲』というタイトル通り、大量の虫を使ったゾワゾワするような映像も多用されます。 劇団員のうち2人がドラマの途中で死にますが、何も無かったように稽古がはけ、そもそもこの2人自体が登場人物の妄想だったかのよう。 一方、映画化ドキュメンタリーの部分は、実際の場面に先立ち種明かしするかのように挿入されることが多く、むしろドラマの世界への没入を妨げる異化効果の強いものでした。 一見複雑な構造を持つ映画ですが、強面の難解な映画ではなく、やる気も技術も伴わない劇団員の稽古のドタバタな様を軸に力の抜けたユーモアが楽しめました。

演劇にアニメーション技法などを活用してメタな構造を加えて映像化している所に、 León & Cociña: Los Hiperbóreos [The Hyperboreans] 『ハイパーボリア人』 (2025) [鑑賞メモ] や 人形劇やアニメーションを交えたマルチディシプナリーな舞台作品との共通点も感じられ、その点を興味深く観ました。 その一方で、ドキュメンタリーの部分で自ら言っていたように Jan Švankmajer の意図とは思いますが、 社会風刺が薄く、その点が少々物足りなくも感じました。

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[4282] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 小杉町, 川崎市, Tue Aug 12 22:25:46 2025

国立映画アーカイブでは上映企画『返還映画コレクション (3) ――第二次・劇映画篇』が開催中 [第1回, 第2回の鑑賞メモ]。 戦後に民間情報教育局の覚書「非民主的映画の排除」によって上映を禁止されアメリカに接収され1968年の第二次で返還された、戦中期1937-1944年の劇映画の特集上映です。 7月31日午後と8月9日晩に、まずは、この3本を観てきました。

『召集令』
1935 / 日活多摩川 / 73 min. / 35 mm / 白黒.
監督: 渡邊 邦男; 原作口演: 東家 樂燕.
中田 弘二 (松岡 幸三), 中野 かほる (松岡の妻お種), 広瀬 恒美 (金子巡査), 大原 雅子 (巡査の妻), 高木 永二 (小田), 黒田 記代 (小田の娘), 星 ひかる (亀吉), 沢村 貞子 (亀吉の妻), etc.

軍事浪曲『召集令』というものがあり、その浪曲が無声期から多数映画化されていたということを、この特集上映で知りました。 そもそも浪曲映画というものを初めて観ましたが、この映画ではナレーション的に浪曲が使われていました。 病臥の妻に子二人と貧しく高利貸しに追われる忠義心強い男に召集令状が届くが、思い詰めた妻が自死したことにより高利貸しは反省改心し、巡査に子を任せ、男は心残りなく応召出征するという話です。 貧苦の描写と浪曲の組み合わせはもちろん、時折挟まれる洋式な軍歌とのコントラストも興味深く感じられました。

『進軍の歌』
1937 / 松竹大船 / 50 min. / 35 mm / 白黒.
監督: 佐々木 康; 原作: 岩崎 栄; 脚本: 斎藤 良輔.
佐分利 信 (安藤 俊作), 川崎 弘子 (妻お千代), 広瀬 徹 (遠山 次郎), 桑野 通子 (お雪), 水戸 光子 (政代), 河村 黎吉 (塩瀬), 奈良真養 (署長), etc.

あらすじ: 幼馴染の仲ながら、安藤は労働条件の改善を主張する労働者の代表として、遠藤は社長の息子であり経営陣の一人として、対立する関係にあります。 二人は同時に同じ部隊に召集され中国戦線に派遣され、戦場での危機的な状況の中で和解するものの、安藤は戦死します。 一方、遠藤に片思いする芸者 お雪は、夫の出征後に子を抱えて苦労する安藤の妻と偶然に知り合い、彼らを遠藤家に引き取らせる一方、自身は従軍看護婦に志願します。 従軍看護婦となったお雪は、軍事病院で偶然に安藤の死に立ち会い、遠藤とも再会しますが、互いの任務のため再び別れます。

浪曲は使われておらず、モダンで都会的な男女が織りなすドラマとなっていますが、 召集を契機として貧富の対立を和解し一体化を訴えるテーマは『召集令』と共通して、広義の「召集令もの」と言える映画です。 メロドラマ的な要素も少なめでプロパガンダ色濃いストーリーはさておき、 女性映画の松竹大船が「召集令もの」を作ると、流石に女性陣の心情描写も丁寧です。 佐分利 信、桑野 通子に、川崎 弘子、水戸 光子 など当時の看板俳優が出演しており、その点も楽しめました。 松竹大船は戦場や工場など現場の場面が苦手という印象がありましたが、 『進軍の歌』の戦場シーンはなかなかのもので、松竹でもこういう場面が撮れるのか、という驚きもありました。

この映画が公開された1937年というのは、盧溝橋事件で日中戦争に突入した年です。 映画中の中国での戦闘シーンは、その時局を反映したものでしょう。 1937年の松竹大船が公開した映画といえば、島津 保次郎 『婚約三羽烏』 [鑑賞メモ]、 小津 安二郎 『淑女は何を忘れたか』 [鑑賞メモ]、 清水 宏 『恋も忘れて』 [鑑賞メモ] で、 これらの映画ではそんな時局を全く感じさせません。その一方でこんな映画も公開されていたのか、と、感慨深いものがありました。

『愛國の花』
1942 / 松竹大船 / 96 min. / 35 mm / 白黒.
監督: 佐々木 啓祐; 脚本: 長瀬 喜伴; 主題歌「愛国の花」作曲: 古関 裕而.
木暮 実千代 (戸倉 綾子), 佐野 周二 (守山 徹夫), 関 操 (戸倉 文三 (綾子の父)), 若水 絹子 (妻春子 (綾子の義姉)), 雨宮 一 (その子勇吉 (綾子の甥)), 坂本 武 (三吉), 山城 美和子 ((三吉の) 娘かよ), 三村 秀子 (静江 (徹夫の婚約者/妻), 葛城 文子 (守山 たき (徹夫の母)), etc.

あらすじ: 綾子は長野の旧家の娘で、父 文三は商船の艦長を引退し隠居暮らし、母は既に亡く、航空機の試験パイロットだった兄も事故で亡くしています。 文三は引退を止め輸送船の船員への徴用を志願しますが、その前に娘の結婚を望みます。 そこで、文三も信頼し、綾子も密かに思いを寄せていた兄の親友 守山 へ縁談を持ちかけますが、守山は半年前に婚約しており、縁談は断られます。 傷心の綾子は従軍看護婦を志願し、やがて南方へ派遣されますが、軍事病院で目を負傷した 守山 と再会し、看病することとなります。 その後、東京へ帰還した 綾子 は 守山 の妻と会い、守山の快復を伝え、和解します。

恋の不成就と従軍看護婦志願、軍事病院での再会というパターンは『進軍の歌』中のお雪のプロットと共通し、女性の献身を訴える「召集令もの」の女性版のような一つの類型でしょうか。 そんなプロパガンダ色も強い映画ではありますが、 前半の娘の縁談話を軸とする父娘の話は、大庭 秀雄 『むすめ』 (1943) [鑑賞メモ] や 五所 平之助 『伊豆の娘たち』 (1945) [鑑賞メモ] の人情喜劇、さらには、戦後に 小津 安二郎 が洗練させた父娘ものを思わせます。 お互い密かに好意を寄せたお嬢様と苦学の男の成就しない縁談話は、もったいないと男が他の女性との縁談を決め、お嬢様がタイミングを逸して振られるという展開を含め、 大庭 秀雄 『花は僞らず』 (1941) [鑑賞メモ] のよう。 松竹大船が得意としたホームドラマ&メロドラマの要素も盛りだくさんです。

主人公の旧家のお嬢様〜従軍看護婦を演じるのは木暮 実千代。 清水 宏 『暁の合唱』 (1941) [鑑賞メモ]といい、 戦後とはまた違った健気なお嬢様キャラクター (ちょっと 三浦 光子 と被りますが) を楽しみました。 一方、男優陣は守山を演じた 佐野 周二 に比べてライバル相当の福田の役の影が薄すぎて、メロドラマとしてはちょっとバランス悪かったでしょうか。 密かに好意を寄せ合う 綾子 と 守山 のさりげないやりとりや、綾子の縁談話が成就せず傷心の様子など、台詞に頼らないきめ細やかな女性の心情描写もさすが松竹大船、メロドラマチックです。 プロットに合った演出で、とてもよく出来た映画でした。

『進軍の歌』では従軍看護婦の派遣先は中国でしたが、『愛國の花』の派遣先は南方です。 父の輸送船船員徴用もそうですが、 真珠湾攻撃で太平洋戦争が始まって南方へ進出中という1942年の時局の反映でしょう。 ちなみに、この映画の主題歌「愛國の花」は「海行かば」とのカップリングでレコード化されています。 1930年代後半から1940年代初頭にかけての松竹大船の映画を観ても戦時色をほとんど感じられないと思っていましたが、 『進軍の歌』、『愛國の花』と観て、これらのような戦時プロパガンダ色濃い映画は今ではなかなか上映機会が無いだけだと、思い至りました。

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[4281] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 小杉町, 川崎市, Mon Aug 11 21:22:44 2025

先々々週末に続いて先々週末、先週末と3週末連続土曜は昼に高円寺へ。 座・高円寺で、夏の親子向けプログラム 『世界をみよう!』 の後半C, Dプログラム2作品を観てきました [A, Bプログラムの鑑賞メモ]。

ディマス・ティヴァンヌ 『ンカマ~とき~』
座・高円寺1
2025/07/26, 13:00-13:30.
Auteur, compositeur, interprète: Dimas Tivane
Collaboratrice artistique: Emilie Saccoccio; Accompagnement chorégraphique: Satchie Noro; Regard extérieur: Guillaume Martinet; Musicien/compositeur: Exxos Metkalola; Regards extérieurs jonglage: Tom Neyret et Anthony Salgueiro; Conseille à la musique: Leedyah Barlagne et Marius Pelissier.
Production déléguée: Les Noctambules
Création: 2024Creation 2020

モザンビーク出身でフランス拠点に活動するミュージシャン兼ジャグラー兼ダンサーによるソロです。 ヴォーカル・パーカッションや足踏みを交えつつ、踊るような身のこなしで、 身近なものをジャグリング風味にマニピュレーションしつつの叩いてリズムを刻んでいきます。 ジャグリングでは技を見せる程ではなく、踊るようにパーカッショニングする流れに組み込まれていました。 観客の参加はあまりありませんでしたが、最後は観客席に降りて盛り上げました。 タイトルは彼のルーツであるモザンビークから南アフリカにかけて住む民族シャンガーン (Changan, Shangaan) の言葉で「時」という意味で、 そのルーツに立ち戻ったプログラムだったようです。 シャンガーンというと南アフリカ側ですが2010年代前半に流行った音楽 Shangaan Electro を思い出しますが、 むしろ電化される前のより伝統的なものを参照していたようでした。 木製の椅子を歩くように動かすことで脚でリズムを刻んだり、 頭の少し上くらいに放り上げで座面を叩いたりという、 椅子を操作しながらリズムを刻む展開が好みでした。

カンパニー・ソン・ドゥ・トワル 『さあ!』
座・高円寺1
2025/08/02, 13:00-14:00.
Conception artistique: Simon Filippi; Composition et écriture: Simon Filippi et Julien Vasnier.
Interprétation: Simon Filippi, Rémi Leclerc.
Création: 2011.

フランス南西部アキテーヌ地方のボルドーのカンパニーによる、 2名のパフォーマーによるボディ&ボーカル・パーカションのショーです。 2人の間でコミカルなやりとりをしながら、また、観客に拍手やヴォーカル・パーカッションを促しつつ、展開していきます。 声や足踏みでリズムを刻むのはもちろん、顔や手足はもちろん身体のあちこちを叩いて音を出していきます。 ヒップホップ的なリズムが基調にあったと思いますが、 口に水を含んで歌う曲はクラシックの Ravel の Boléro やオペラの歌でしたし、 Queen の We Will Rock You で拍手したりエアギターしたりとロックのネタもあったりと、 ネタにもバラエティを感じました。

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[4280] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 小杉町, 川崎市, Mon Aug 4 21:50:54 2025

7月最終日木曜は休暇を取得。午後に京橋で映画を観た後に三軒茶屋へ。この公演を観てきました。

世田谷パブリックシアター
2025/07/31, 18:00-19:00.
Conceived of and directed by Shayna Swanson.
Zoë Sheppard, Sarah Tapper, Rachel Webberman, Linnea Ridolfi, Sarah Tapper, Heather Dart.
Premiere: 2018-10-06 at 3324 W. Wrightwood, Chicago.

2005年設立のアメリカ・シカゴの現代サーカス・カンパニー Aloft Circus Arts の来日公演です。 ステージの上での上演を客席から観るのではなく、テントの中で上演を観るというスタイルのでの公演です。 劇場以外のスペースでの上演を想定したスタイルのようで、初演時はカンパニーの拠点でもある築110年の教会で上演したようですが、今回の公演では劇場の舞台上にテントを立てての公演でした。

フライヤで観客の参加をうたっていたので期待していたのですが、 確かに薄い布で覆われたエアリアル用の櫓を立てる作業はもちろん、ポールの支持などに観客を使いましたが、大道芸などでよくあるレベルでした。 むしろ、櫓の足をそのままフレームとして使った狭いテントの中に約100人の観客を入れ、 その中でシルク・エアリアルや三段タワー・アクロバットはもちろんシルホイール、ジャグリング、フープなどのパフォーマンスをする、という所に面白さがありました。 観客とパフォーマーの距離が近いことによるスリルや、テント内という空間の作り出す没入感というより、 表情や息遣いに間近で触れることによる親密さや一体感が最も印象に残りました。

初演時は男性パフォーマー1名を含む7人のパフォーマーでの上演だったようですが、 今回の公演では男性パフォーマーが抜け、6人全員女性でした。 といっても、アクロバットのポーター役のガッチリした体型から、フライヤー向きの小柄な体型、ダンスも映えるすらっと長身の体型まで、多様さを感じるもの。 ポーターの体型のパフォーマーもエアリアルやダンスへ加わるなど、多様ながら一体となるようなパフォーマンスで、親密さや一体感を作り出していました。

[この鑑賞メモのパーマリンク]

この公演は月曜から水曜までの平日のみのスケジュールだったので、 仕事の予定がはっきりしてから行く日を決めようと様子を見ていたら、あっさりチケット完売。 席追加とかで当日券が出るような上演スタイルではないので諦めてかけていたところ、 追加公演が出たので、とりあえずチケットを押さえたのでした。 その後、仕事の予定に目処も立ったし、仕事帰りが厳しい開演時間だったので、休暇にしたのでした。 夏の余裕のある時期というのもありますが、平日の晩だからと躊躇せずにチケットを取るという勢いも必要だと、つくづく。

[4279] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 小杉町, 川崎市, Sun Aug 3 18:14:52 2025

先週末土曜の晩は初台へ。この公演を観てきました。

新国立劇場オペラパレス
2025/07/26, 18:30-20:30.
Chorégraphie, décors et costumes: Alexander Ekman
Musique: Mikael Karlsson
Costumes: Xavier Ronze; Lumières: Tom Visser; Vidéaste: T.M. Rives; Assistante du chorégraphe: Ana Maria Lucaciu; Conseillère stratégique et dramaturge: Carina Nildalen; Assistante aux décors: Claire Puyenchet.
avec: Stéphane Bullion (danseur étoile), Muriel Zusperreguy (première danseuse), Vincent Chaillet (premier danseur), et le Corps de Ballet de l’Opéra national de Paris.
avec: Calesta «Callie» Day, Karmesha Peake (chanteuse), Julien Chatellier (saxophone soprano), Géraud Etrillard (saxophone alto), Adrien Lajoumard (saxophone ténor), Pascal Bonnet (saxophone baryton), Arnaud Nuvolone (premier violon) Marianne Rivière (second violon), Benoît Marin (alto), Eric Villeminey (violoncelle), François Gavelle (contrebasse), Frédéric Vaysse-Knitter (piano), Adélaïde Ferrière (percussions),
Silvia Saint-Martin (première danseuse), Florent Mélac (premier danseur), Letizia Galloni, Caroline Osmont, Lydie Vareilhes, Ida Viikinkoski, Alexandre Boccara, Mathieu Contat, Axel Ibot, Michaël Lafon, Cyril Mitilian, Fabien Révillion, Marius Rubio, Nikolaus Tudorin (Sujat), Apolline Anquetil, Victoire Anquetil, Laurène Lévy, Charlotte Ranson, Claire Teisseyre, Jennifer Visocchi, Milo Avêque, Yvon Demol, Théo Ghilbert, Maxime Thomas, Hugo Vigliotti (coryphée), Sarah Barthez, Lisa Gaillard-Bortolotti, Marion Gautier de Charnacé, Nathan Bisson, Jean-Baptiste Chavignier, Manuel Giovani, Julien Guillemard, Loup Marcault-Derouard, Anastasia Gallon, Margot Gaudy Talazac, Diane Saller, Seojun Yoon, Baptiste Bénière, Françis Leblanc, Eric Pinto-Cata (quadrille).
Première: 6 décembre 2017, Palais Garnier, L'Opéra national de Paris.
主催: MASTER MIND LTD.; 協力: キョードー東京; 特別協力: 新国立劇場.

パリ・オペラ座バレエ (Ballet de l'Opéra national de Paris) のコンテンポラリーの演目での来日公演です。 演目 Play は、ストリーミング (NHKオンデマンド)、映画館上映 (パリ・オペラ座バレエ シネマ) で観る機会がありましたが [鑑賞メモ]、 コンテンポラリーの演目での来日は稀なので、生で観る良い機会と足を運びました。

6万個の緑のボールが降る場面など、確かに、生の迫力と臨場感は格別でした。 ただ、それだけでなく、映像のストリーミングや上映で観るのとは印象が異なる場面もあり、そこも興味深く思いました。 映像では宇宙服姿はかなり大きくフィーチャーされているように感じられたのですが、 生で観ると、クリノリン様のスカートを履いて2人のダンサーを犬のように連れた男性ダンサーの方が目に付きました。 そして、字幕の投影された場所が目に入りやすい舞台下という絶妙さだけでなく、 演じている人がすぐ目の前にいるという効果もあ理、 競争の中で合目的的で効率性を求める生き方に対し生きる本質としての「遊び」を述べる 後半始まりでナレーションされるメッセージが、映像より届いたように感じられました。 前半と後半の演出のコントラストも、このメッセージに沿って付けられていたのか、と。

生で観てそんな気付きもありましたが、その一方で、 サクソフォンのカルテットやゴスペル歌手を使うという音楽の狙いについては、 やはりよくわかりませんでした。 それ以外の要素もありますが World Saxophone Quartet feat. Fontella Bass など連想させられるその音楽自体は、かなり好みではあるのですが。

万単位のボールだけでなく、40名のダンサーと10数名のミュージシャンを使っての、力技な作品とは思いましたが、 生で見ても視覚的にシュールで美しい舞台といい、合目的的で効率性を求める社会に対するメッセージ性といい、さすがに見応え抜群の作品でした。

主催としてクレジットされたMASTER MIND LTD.に覚えがありませんでしたが、 ファーストリテイリング (ユニクロ) の創業者の次男にして取締役の 柳井 康治 が2020年に立ち上げた個人プロジェクトのプロダクション (会社設立は2021年) で、 「THE TOKYO TOILET」プロジェクトや、それを映画化した Wim Wenders: Perfect Days (2023) もプロデュースしているようです [「ユニクロ柳井康治氏「渋谷トイレプロジェクト」 映画化の舞台裏」, 『日経クロストレンド』, 2023-12-27]。

[この鑑賞メモのパーマリンク]

土曜の午後イチには座・高円寺で『世界をみよう!』の公演も観たのですが、 その後、この公演まで時間があったので、炎天下の新宿でカフェ難民となって消耗したくない、と、一旦、自宅へ帰って休憩しました。

[4278] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 小杉町, 川崎市, Mon Jul 28 22:23:30 2025

先週末三連休中日日曜は昼に恵比寿へ。これらの展覧会を観てきました。

TOP Collection — transphysical
東京都写真美術館 3階展示室
2025/07/03-2025/09/21 (月休; 月祝開, 翌火休). 10:00-18:00 (木金-20:00; 8/14-9/19木金-21:00)

総合開館30周年を記念してのコレクション展の第2弾です。 第1弾 [鑑賞メモ] に続いて学芸員4名の共同企画で、 「撮ること、描くこと」、「dance」、「COLORS」、「虚構と現実」、「ヴィンテージと出会うとき」の5つのテーマ展示 (「COLORS」が4人の共同企画で他はそれぞれの企画) の組み合わせです。 第1弾の開館記念展の再現のようなわかりやすさはありませんでしたが、 第1室に展示されたHenry Peach Robinsonの合成印画法と第5室に展示されたAnsel Adamsの技法Dodging & Burningに発想の近さを感じるなど、個々の企画を超えて意外な相関に気付かされました。

個別の作家では、ニュージーランド出身で戦間期はロンドンで活動した Len Lye の純粋映画的なアニメーション、 1970年代後半に南カルフォルニア Zuma Beach の廃住居に抽象的なグラフィティなど手を加えてカラーで撮った John Divola: Zuma Series など、 芸術運動的な文脈から見落としがちな作家に目が止まりました。 日本の作家では、液晶絵画的な映像作品の液晶モニタに実際のペインティングをオーバーレイした exonemo: Heavy Body Paint (2016) に引かれました。

Luigi Ghirri: Infinite Landscapes
東京都写真美術館 2階展示室
2025/07/03-2025/09/28 (月休; 月祝開, 翌火休). 10:00-18:00 (木金-20:00; 8/14-9/19木金-21:00)

測量技師としてのキャリアの後、コンセプチャルアートの影響下で1970年代から1992年まで活動したイタリアの写真作家の展覧会です。 といっても、意識して観るのはこれが初めてで、イタリアの写真史もしくは現代美術史の中での位置付けなど、表現の文脈も把握できていません。 やはり日本と米英仏独程度しかちゃんと観てこなかったのだなと、反省させられました。

正面性の強い構図で絵を描くかのようにパンフォーカス気味に撮った写真が多く、 鑑賞者も入れ込んで美術館の中の絵画を撮ったものなど Thomas Struth など連想させますし、 いわゆる Becher Schule のドイツの写真に近いものを感じました。 その一方で、そこまで即物的でクールではなく、彩度を抑えたほんのり色温度低い画面作りに人間の体温を感じられるようでした。

B1F展示室では『被爆80年企画展 ヒロシマ1945』 [Hiroshimada 1945 — Special Exhibition 80 Years after Atomic Bombing]。 2023年に報道機関と広島市が共同でUNESCOの「世界の記憶」[Memory of the World] への登録を申請した「広島原爆の視覚的資料 ― 1945年の写真と映像」 (写真1532点、映像2点) を基に構成した展覧会です。 この前の展覧会『ロバート・キャパ 戦争』もそうでしたが、 今までにも本やTVドキュメンタリーなどで観たことのある写真もありましたし、 個々の写真の持つ迫力ももちろんありますが、写真約170点という量にも圧倒されました。

[この鑑賞メモのパーマリンク]

三連休最後の月祝日は、家事や近所での買物などはしましたが、どこにも出かけず完全休養にまる1日あてました。 母が倒れて入院して以来1ヶ月余り、週末は潰れていたのですが、急性期からリハビリ病院へ転院して、少し落ち着きました。ひといき。

[4277] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 小杉町, 川崎市, Sun Jul 27 21:59:24 2025

先週末三連休初日土曜は午前に高円寺へ。 座・高円寺の夏の親子向けプログラム 『世界をみよう!』 は サーカスやマイム、人形劇などの小規模ながら味わい深い作品を揃えていて、楽しみにしています [一昨年の鑑賞メモ]。 去年はスケジュールが合わず行かれませんでしたが、今年は、まずはA, Bプログラム2作品を観てきました。

シアター・ブリック 『わたしのねがい』
座・高円寺 阿波おどりホール
2025/07/19, 11:00-12:40.
Medvirkende: Lisa Becker (Skuespiller), Claus Carlsen (Musiker).
Instruktion: Gertrud Exner; Kostumer: Trine Walther; Scenografi: Holdet; Ide: Holdet.
Creation 2020

デンマークを拠点に活動するカンパニーによる男女2人による、生演奏とライブペインティングのショーです。 生演奏の Claus Carlsen は soprano saxophone や bass clarinet、accordion、cuatroなどを持ち替え、 旋律で情景を描くようにではなく、むしろ Lisa Becker の動きに合わせて即興でフレーズを繰り出します。 一方の Lisa Becker は淡々とというより、少々デフォルメされたマイムと表情を交えつつ描きます。 描き方はざまざまで、小ぶりの白いボードを6つ六角に輪状にしてそこに描いたり、ロールの厚紙を伸ばしながらそこにパンチで小さな穴を空けたり、 ラストはフロアに伸ばした長い帯状に乗って大筆で描きもしました。 抽象的なストロークを基調としつつ、そこに動物や人物の絵を交えます。 音楽もペインティングも抽象度高めでシリアスにもできる所を、そこはかとなく可愛いらしい雰囲気に落とし込みます。 ウイッシュリストとしてロールの厚紙にパンチするところから、その厚紙に光を透かして星の川としてみせ、最後はその厚紙をオルゴールに読ませて音として響かせる、という流れが特に印象に残りました。

座・高円寺1
2025/07/19, 13:00-13:40.
作・演出・出演: ゼロコ (角谷 将視, 濱口 啓介)
舞台監督: 西山 みのり; 音響: 吉田望 (ORANGE COYOTE); 照明: 萩原 賢一郎; 音楽: anata ensemble; 小道具: 定塚 由里香; 舞台写真: 梁 丞佑.
初演: 2024年7月13日, 座・高円寺 『世界をみよう!』

大道芸でも活動する日本のマイム2人組による、去年の演目の再演です。 大道芸というか野外での上演は今年の『ストレンジシード静岡』で観ましたが [鑑賞メモ]、劇場公演は初めてです。 ブラックボックスに黒い衝立2つ、グレーやベージュのシンプルな服装と小道具は小旗とロープ程度というミニマリスティックな舞台で、 2人組の山登り、お化け屋敷探検、船から落ちての海底でのドタバタを演じていきます。 最低限ながら効果的な照明使いなどの劇場ならではの演出も加え、野外よりもシュールで幻想的な舞台でした。 キャラクターや舞台設定は抽象化されていて見た目は違いますが、 そのドタバタの展開に Hanna-Barbera (Tom & Jerry, etc) や Tex Avery (Bugs Bunny, Duffy Duck, etc) など 20世紀半ばアメリカの Looney Tunes 界隈のカートゥーン・アニメーションを思い出させるものがあり、少々懐かしくもツボにハマりました。

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[4276] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 小杉町, 川崎市, Wed Jul 23 22:27:35 2025

先々週末土曜は午後遅くに与野本町へ。この公演を観てきました。

彩の国さいたま芸術劇場 大ホール
2025/07/12, 17:00-18:40.
『アルルの女』
約1時間
演出振付: 金森 穣.
音楽:Georges Bizet, L'Arlésienne; 衣裳: 井深 麗奈; 木工美術: 近藤 正樹; 映像: 遠藤 龍.
井関 佐和子 (ローズ (フレデリの母)), 山田 勇気 (常長 (ローズの父)), 糸川 祐希 (フレデリ (ローズの息子)), 太田 菜月 (ジャネ (フレデリの弟)), 兼述 育見 (ヴィヴェット (フレデリの許嫁)); 中尾 洸太, 坪田 光, 樋浦 瞳, 松永 樹志 (村の男たち), 庄島 さくら, 庄島 すみれ, 春木 有紗, 平尾 玲 (村の女たち).
初演: 2025年6月28日, りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館〈劇場〉
『ボレロ – 天が落ちるその前に』
約20分
演出振付: 金森 穣.
音楽: Maurice Ravel, Boléro; 衣裳: 堂本 教子, 山田 志麻.
出演: Noism1: 井関 佐和子, 中尾 洸太, 庄島 さくら, 庄島 すみれ, 坪田 光, 樋浦 瞳, 糸川 祐希, 太田 菜月, 兼述 育見, 松永 樹志, 春木 有紗.
コンサート版初演: 2023年12月31日, りゅーとぴあジルベスター・コンサート, りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館〈コンサートホール〉; 劇場版初演: 2025年6月28日, りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館〈劇場〉

りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館 の劇場付きダンスカンパニー Noism Company Niigata [鑑賞メモ] の2025年夏の公演は、 Alphonse Daudet 作、Georges Bizet 音楽の音楽劇 L'Arlésienne (1869) に基づく新作物語ダンス作品『アルルの女』を含むダブルビルでした。 ちなみに、L'Arlésienne は1974年に Roland Petit がバレエ化しています。

原作の舞台は南仏ラングドック地方ですが、衣裳や舞台美術は抽象度が高く、時代は場所の設定はかなり抽象化され、 常長と名付けられた父役や、太刀薙刀を使う場面もあり、むしろ近世日本に舞台を置き換えているように感じられました。 原作や音楽劇にあったの嫉妬という面を無くし幻想の女への叶わぬ恋の物語としている点は Petit のバレエに近いように思いますが、 原作にある家族のエピソードも大きく取り入れ、その構造は多層的です。

闘牛場で見かけた幻影の女 (アルルの女) を忘れられずも結婚する男の悲劇という基本線は残しつつ、 むしろ、そんな男と結婚することになる許嫁 ヴィヴェット の悲劇という面をはっきりと描きます。 さらに、息子に執着する毒母 (井関の存在感からこれが最も強く出ていたようにも感じられました)、因習に囚われる家長としての父、村の男女などが、そんな悲劇を一層悪化させていきます。 舞台の全体を囲うプロセニアムも明示するだけでなく、縦長の大きなものや高さ2 m幅4 m程度のものなど可動式の枠の使い方がそんな悲劇の多層性に符号するようでもあり、 シルエットを使った演出も幻影に囚われているということを象徴するようでした。 フレデリだけでなく、ヴィヴェットも父も次々と死んでいくのですが、その死の表現にオーケストラピットを使うというアイデアも、良かったでしょうか。

前半のフレデリと許婚、村人たちによる群舞の時に母(井関)を存在感大きく舞台前方に立たせたり、 太刀薙刀演武のようなカッコいい群舞の前に祖父・弟のコミカルな演技を配したりという、 舞台で踊られている踊りを単なる美しいもの、かっこいいものとしないようとする異化演出も印象に残りました。 その一方で、白痴である弟のジャネは、トリックスターというよりも、むしろ、真実の目撃者としての愚者という面の強い使われ方でした。 そんな演出の妙も多層的な悲劇の構造を捉えやすく提示していて、物語るダンス作品としてとても楽しめました。

休憩を挟んで後半は、コンサート版として振付た Boléro を劇場版として再演出したもの。 Noism のといえばコロナ禍下で制作した『BOLERO 2020』 [鑑賞メモ] が秀逸で印象が強く残っていて、 それに比べると Maurice Béjart を踏まえたオーソドックスな演出とは思いましたが、祈念するダンスとしてよりストレートに感じられました。

[この鑑賞メモのパーマリンク]

この日は熱はすっかり下がっていたものの、その前の水曜から木曜にかけて39度超えの発熱。 どうしようか少々悩んだのですが、午前に病院で診察してもらったところ、抗体検査でコロナもインフルも陰性という結果になりました。 体調はほぼ通常に戻っていたので、観に行くことにしたのでした。

[4275] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 小杉町, 川崎市, Mon Jul 21 18:16:11 2025

6月最後の28日土曜は午後に上野へ。このコンサートを聴いてきました。

Kronos Quartet plays <with> Terry Riley
東京藝術大学奏楽堂
2025/06/28, 15:00-17:20
«Salome Dances For Peace - 5. Good Medicine: Good Medicine Dance» (1985-86), «Welcome Piece for Gabriela & Ayane» (new work), «Cadenza on the Night Plain» (1983).
improvisation: Terry Riley & Sara, improvisation: Terry Riley, Sara & Kronos Quartet.
Terry Riley, Sara [宮本 沙羅]; Kronos Quartet: David Harrington (violin), Gabriela Díaz (violin), Ayane Kozasa [小笹 文音] (viola), Paul Wiancko (cello).

コロナ禍でアメリカへ帰ることができなくなったことを契機に日本を拠点としている作曲家・演奏家 Terry Riley の、 長年 Riley の曲を演奏してきた Kronos Quartet を迎えての、90歳誕生日を記念したコンサートです。 前半約1時間は Kronos Quartet による Terry Riley の曲の演奏で、Kronos Quartet 新メンバー2名に宛てた新曲を挟んで、1980年代の曲から。 80歳を記念したアンソロジー One Earth, One People, One Love: Kronos Plays Terry Riley (Nonesuch, 538925-2, 2015) を通してある程度予想はしていましたが、 いわゆるミニマル・ミュージック的な反復要素はすでにかなり後退しており、ヴァイオリン属ならではの微分音やグリッサンド使いもあって、 むしろ北インド古典音楽などのモーダルな音楽に近い印象を受ける演奏でした。

後半は即興演奏。まずは、Riley と日本拠点後の共演者 Sara [宮本 沙羅] によるキーボード、タブレットのデュオ、 というよりも Sara は Riley のアシスタント的な演奏で、実質、拡張された Riley のソロでしょうか。 即興といってもアブストラクトなものではなく、インド的なモードにジャズのスタンダードのフレーズを交えた演奏は、モーダルというかスピリチュアルなジャズのようにも感じられました。 最近はこんなことをやっているのか、と。 最後は Kronos Quartet も加えての大団円的なフィナーレで、 こちらは初期の曲 «A Rainbow In Curved Air» (1968) に基づく即興でした。

Steve Reich, Philip Glass と並ぶミニマル・ミュージックのパイオニアと見做されることが多い作曲家ですが、 今回のコンサートを聴いて改めて、今はそこからはかなり外れた所にいるのだな、と実感しました。

[この鑑賞メモのパーマリンク]

この日は昼過ぎまで母の入院した病院へ行ったりとバタバタしていたのですが、昼食抜きにはなりましたが、なんとか開演に間に合いました。 前売りを無駄にしたくないというモチベーションもありましたが、やればなんとかできるものだ、と。

[4274] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 小杉町, 川崎市, Sun Jul 20 21:36:11 2025

約1ヶ月前の土曜6月19日は午後に与野本町へ。

彩の国さいたま芸術劇場 大ホール
2025/06/21, 14:00-16:20.
Director/Choreographer: Akram Khan.
Creative Associate/Coach: Mavin Khoo; Writer: Tariq Jordan.
Dramaturgical Advisor: Sharon Clark; Composer: Jocelyn Pook; Sound Designer: Gareth Fry; Lighting Designer: Michael Hulls; Visual Stage Designer: Miriam Buether; Art Direction and Director of Animation: Adam Smith (YeastCulture); Producer/Director of Video Design: Nick Hillel (YeastCulture); Rotoscope Artists/Animators: Naaman Azhari, Natasza Cetner, Edson R Bazzarin.
Dancers: Maya Balam Meyong, Bea Bidault, Ferghas Clavey, Harry Theadora Foster, Filippo Franzese, Bianca Mikahil, Jasper Narvaez, Max Revell, Elpida Skourou, Jan Mikaela Villanueva, Lani Yamanaka.
Coproduced by Curve Leicester, Attiki Cultural Society – Greece, Birmingham Hippodrome, Edinburgh International Festival, Esplanade – Theatres on the Bay Singapore, Festspielhaus St. Pölten, Internationaal Theater Amsterdam, Joan W. and Irving B. Harris Theater for Music and Dance – Chicago, Lincoln Center for the Performing Arts – New York, Maison de la Danse / Pôle européen de création – Lyon, National Arts Centre – Canada, New Vision Arts Festival – Hong Kong, Orsolina28, Pfalzbau Bühnen – Theater im Pfalzbau Ludwigshafen, Romaeuropa Festival, Stanford Live / Stanford University, Teatros del Canal – Madrid, théâtre de Caen, Théâtre de la Ville – Paris.
World Premiere: 7 April 2022, Curve, Leicester.

コンテンポラリーダンスの文脈で活動するバングラディシュ系イギリス人振付家 Akram Khan の久々の来日公演です、 2018年に子供向けの Chotto-Desh 公演 [鑑賞メモ] はありましたが、 実質、2013年の Desh [鑑賞メモ] ぶりです。 Disney がアニメーション化もしているイギリスの作家 Rudyard Kipling の児童文学短編集 The Jungle Book (1894) の “Mowgli's Brothers” と “Kaa's Hunting” をベースに 主人公 Mowgli を少女に、舞台を温暖化による海面上昇で水没しつつある廃墟となった都市と置き換えて自由に翻案した物語を、 今回は自身は踊らないものの、11人のダンサーを使いスケール大きく物語ダンス作品としていました。

廃墟となった都市で母親とはぐれた少女 Mowgli のサヴァイヴァル冒険譚ですが、その世界はまさにポスト・アポカリプス (終末後の世界)。 狼の群れに育てられた後、黒豹 Bagheera と熊の Baloo を保護者的な相棒として冒険に出ます。 途中、Bandar-log のサルのたちの国に攫われてしまいますが、そこはまさにディストピア。 Bagheera や Baloo、敵か味方が微妙なニシキヘビの Kaa らに救出されますが、Mowgli は人間の世界へ戻ることにします。 しかし、銃撃で Bagheera や Baloo は殺され、更に水没が進んで人々は高台へ逃れ、と、厳しい将来を予想させつつ終わりました。 そんなディストピアに抵抗するポスト・アポカリプス物の展開に、そこまでハードでは無いものの Furiosa: A Mad Max Saga [鑑賞メモ] 味を感じてしまいました。 また、水没する都市や紛争のイメージに、数十万人の犠牲者がでた1970年バングラディシュのボーラ・サイクロン (1970 Bhola cyclone) による高潮と、その後のバングラディシュ独立戦争を連想もしました。

バングラディシュの森を思わせる線画アニメーションを使った演出は Desh を思わせるものがありましたし、 半ばテクスチャ化されたセリフやナレーションに合わせてのダンスに Zero Degree [鑑賞メモ] を思い出しもしました。 マーシャルな動きを使った戦闘シーンはもちろん、主人公以外は動物ということで動物の動きに着想したダンスが多用されていましたが、そこは特に動物に拘らなくてもよかったのでは無いかと思ってしまいました。 一方で、Akram Khan が得意とするカタック (kathak) 的な動きは印象に残りませんでした。 斬新な表現手法を試みているというより、地球温暖化による海面上昇や大規模な生物種絶滅、社会の分断などの現代社会の問題を The Jungle Book を通して語るために、今までの作品で培ってきた様々な表現手法を駆使しているように感じられました。

最近の Akram Khan は English National Ballet への振付演出の仕事もしていますが、 ストリーミングで観る機会のあった Giselle (2016) [鑑賞メモ] や Creature (2022) [鑑賞メモ] も、現代的でダークなディストピアの物語として古典的な物語を翻案した物語バレエでした。 Akram Kahn 振付でも English National Ballet でもないですが、 Northan Ballet による Jonathan Watkins 振付・演出の 1984 (2015) [鑑賞メモ] というのもありました。 今回の Jungle Book reimagined はバレエのイデオムはほぼ全く使っていませんでしたが、 翻案物の物語バレエ/ナラティブダンスに連なるような作品、物語バレエに強いイギリスの伝統に連なる作品なのかもしれません。

[この鑑賞メモのパーマリンク]

この日は、この後、渋谷へ。 公園通りを登った辺りにあるエル・スール・レコーズ (El Sur Records) が、 この週末で渋谷での最終営業ということで、顔を出してきました。 最近でこそ足が遠のきがちでしたが、 量販店では扱いの悪い非英米圏のレコード・CDに強い貴重なお店で、また、なかなか得難い客のコミュニティがあるということで、 1990年代半ばのトルコ料理店の入ったビルの2階にあった時から、 1953年竣工の旧宮益坂ビルの10階へ移転した2000年代まではかなり頻繁に通い、お世話になっていました。 渋谷での最後の週末営業ということで、多くの常連客が集い、店内は宴会状態。 久々に会う方も多く、楽しいひとときを過ごせました。 結局、閉店ではなく移転ということで、9月頃には江戸川橋地蔵通り商店街で営業を再開することのこと。 お店が続くということで、良かったです。

しかし、まだユーロスペース/シネマヴェーラとイメージフォーラムがあるとはいえ、 行きつけのジャズ喫茶 (メアリージェーン) がなくなり、馴染みのバー (Li Po) がなくなり、 そして、馴染みのレコード・ショップがなくなり、と、 渋谷は自分とは縁の無い街に変わってしまったな、と。

そして、この翌日曜早朝、母が倒れたと救急から電話が入った、ということで、色々節目がきていると感じざるを得ません。

[4273] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 小杉町, 川崎市, Mon Jul 14 0:22:46 2025

約1ヶ月前の土曜6月14日は昼に立川へ。 2017年から静岡県掛川市で開催されている野外音楽フェス FESTIVAL de FLUE のスピンオフ企画として 2022年に始まった都市型の音楽フェス FESTIVAL FRUEZINHO。 それなりに気になるラインナップですし、野外ではなく着席でゆっくり聴くこともできそうで、 最近めっきり足が遠のいてしまっているライブのリハビリに良いかもしれない、と、 6月14日に立川ステージガーデンで開催された FESTIVAL FRUEZINHO 2025 へ足を運びました。

立川ステージガーデン
2025/06/14, 12:00-13:20
石橋 英子 (vocals, keyboards, etc), ermhoi (chorus, synthesizer, etc), Jim O’Rourke (guitar), 山本 達久 [Tatsuhisa Yamamoto] (drums), 松丸 契 [Kei Matsumaru] (alto saxophone), 西口 明宏 [Akihiro Nishiguchi] (tenor saxophone).

12時に会場に着いて入場列待ち後のホール入りだったので、冒頭の15〜20分程は聞けませんでした。 まだ空いていた1階席の後方で座って鑑賞しました。

石橋 英子 というと漠然と映画のサウンドトラックの印象が強かったのですが、聴いた範囲ではほぼ全曲歌あり。 それも抽象的なボイスではなく、むしろ、エセリアルかるテクスチャルな dream pop に近いものでした。 未聴で臨んだのですが、今年3月リリースの新作 Antigone (Drag City, 2025) のライブとでもいう内容でしょうか。

立川ステージガーデン
2025/06/14, 13:50-15:10
John McEntire (drums, keyboards), John Herndon (drums,keyboards), Dan Bitney (keyboards,drums), Doug McCombs (bass), Jeff Parker (guitar).

そのままの席でゆっくりのつもりが客が増えて後方まで実質立席状態になったので1階を退散。 まだぽつぽつとしか客がいなかった3階正面近くの席に座って、ゆったり鑑賞しました。

シカゴのバンド Tortoise をよく聴いていたのは Millions Now Living Will Never Die (Thrill Jockey, 1996) など1990年代後半の post-rock の文脈で、2000年代に入ってからの活動についてはすっかり疎くなっていました。 そんなことから、ツインドラムで rock イデオム強い出だしには、post-rock って何だったのだろうという気分にもなりました。 しかし、やがて glockenspiel / xylophone を交えるようになるとそれらしい展開になり、 Jeff Parker もマレットを手に加わり、Steve Reich 流 minimal music 風の曲を演奏もしました。 最後には複合した複雑なリズムの手拍子を刻むことを観客に促し会場を盛り上げてフィニッシュしました。 石橋 英子 のバンドにいた Jim O'Rourke が飛び入りするかもしれないと期待しましたが、それはありませんでした。

立川ステージガーデン ホワイエ (2階席後方)
2025/06/14, 15:20-16:00
小暮 香帆 [Kaho Kogure] (dance), Billy Martin (drums, percussion).

ステージでやるのかと勘違いして会場に着くのが遅れ、最初は人垣越しに遠目に、そのうち比較的余裕があり雨にも当たらない2階客席側から観ました。

日本のコンテンポラリーダンスの文脈で活動するダンサー 小暮 香帆 と、トリにも出演するドラム/パーカッション奏者 Billy Martin (Medeski, Martin & Wood) のデュオです。 このような構成では比較的狭い空間で音に反応し対話していくような動きになりがちですが、 空間を広く取り少々厚目の長いフロアシートを使ったりと、空間を描くような動きも組み込まれていたのは、よかったでしょうか。 それだけに、雨で滑りが悪くなったか重くなってしまったかフロアシートの取り回しを使った演出がうまく行かなかったように見えたのは残念でした。

立川ステージガーデン
2025/06/14, 16:30-17:50
Mônica Salmaso (vocals, percussion), André Mehmari (piano).

ホワイエからの流れで席に座れたので、2階正面の席から観ました。

Mônica Salmaso といえば1990年代後半に Pau Brasil 関連のミュージシャンのバッキングでのソロ作や ビックバンド Orquestra Popular de Câmara で注目されたブラジル・サンパウロの女性歌手です。 2000年前後に少々後追いで録音を追いかけていた頃がありましたが、最近はすっかり疎くなっていました。 今回は、ピアノ奏者の André Mehmari との Elis & Tom (Philips (Brasil) / Verve (US), 1974) トリビュートのライブでした。 Salmaso の歌の伴奏に Mehmari に徹することなく流麗な演奏で、Salmaso もパーカッションを手に少し渋みの効いた落ち着いた歌声で、2人で対等に組み合って作り上げていくよう。 ミニマリスト的というほど音数少ないわけではないけれども無駄なく端正に聴かせました。

立川ステージガーデン ホワイエ (2階席後方)
2025/06/14, 18:00-18:40
Fabiano do Nascimento (guitar, electronics, vocals), 小暮 香帆 [Kaho Kogure] (dance).

ブラジル出身でアメリカ・ロサンゼルスと東京を拠点に活動するミュージシャンです。 2000年代から活動するミュージシャンですが、自分が知ったのは2020年代に入って、 Sam Gendel / Leaving Records 界隈の録音です。 リバーブ深めなアコースティック・ギターに微かにエレクトロニクスを効かせ、テクスチャ的な歌を軽く添えます。 半屋外の人垣の中でというより観客の少なめのギャラリー的な空間でのライブがハマりそう、と。 後半、小暮がダンスで絡みましたが、ギリギリまで人垣が迫ったような状態だったので、少々厳しかったでしょうか。

立川ステージガーデン
2025/06/14, 19:20-21:00
John Medeski (keyboards), Billy Martin (drums, percussion).

一旦外に出て、カフェにて軽食で小腹を満たしつつの休憩。 その後、ホールに戻っても席が難しいかなとも予想したのですが、あっさり座れたので、2階正面の席から観ました。

1990年代にジャムバンドとして注目されたニューヨークのバンド Medeski Martin & Wood です。 Friday Afternoon In The Universe (Gramavision, 1995) など独立系レーベル時代は好んで聴いてましたが、 1998年のメジャー (Blue Note / Capital EMI) 移籍以降は疎くなってしまっていました。 今回の来日はベースの Chris Wood 抜きのデュオの編成ですが、Wood が脱退してしまったというわけではないようです。 オルガンのフレーズもグルーヴィなジャムバンドらしい演奏と 彼らのバックグラウンドであるフリーなジャズ/即興の抽象度高めの演奏を行き来する展開でした。 グルーヴィな展開の時の方が観客は盛り上がりますが、 アウトな展開でのMedeskiのオルガンのSF映画のサントラのようなスペーシーな響きや、Martinのエフェクト効かせた小型フレームドラムの細かく刻む音を楽しみました。

最近好んでよく聴いている、というより、昔よく聴いていたけれども最近は少々疎くなっていた音楽で、 行くまでどこまで楽しめるか未知数でした。 最悪退屈してしまったら、音楽を聴きながら読書でもいいかな、と思ってましたが、会場で読書することはありませんでした。 体力的にもさほど厳しくなく、12時過ぎから21時頃までの約9時間、休憩を挟みつつもライブ音楽漬けの1日を楽しむことができました。 しかし、Tortoise や Medeski Martin & Wood は1990年代後半、Mônica Salmasoも2000年前後、と、あれから四半世紀経ってしまったのかという感慨に浸ってしまいました。

[この鑑賞メモのパーマリンク]

金曜 (7/11) は、急性期の病院からリハビリ病院の母の転院の予定だったのですが、 その前々日水曜午後から急速にそして夜に39.2度という最悪なタイミングで体調を崩してしまいました。 何とか、随行の代理を含め各方面調整でき、金曜に転院させることができました。 最近また新型コロナが流行加速傾向で、39度超の時はついに罹ってしまったかと覚悟しましたが、 土曜 (7/12) 朝イチに行った病院での新型コロナ抗体検査結果は陰性でした。 コロナ禍が始まった2020年以来、今のところまだ罹患を免れてます。 しかし、既に厳しかったところで体調を崩してしまい、趣味生活も含め公私とも色々崩壊してます。 このサイトへの鑑賞メモの更新も大幅に遅れていますが、こんな状態ですので、ご理解ください。

[4272] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 小杉町, 川崎市, Mon Jul 7 21:12:41 2025

6月7, 8日土日の京都旅行の話の続きです。 土曜は夜までフル稼働だったので、日曜午前はホテルで休息。 午後はバスに乗って洛西の沓掛へ。 関西エアリアル沓掛スタジオヴァーティカルダンスを体験してきました。 講師はストレンジシード静岡2025にも出演していた Co.SCOoPP のAsamiさん。 関西エアリアル / Co.SCOoPP の活動にはそれ以前から気になっていましたが、 今年のストレンジシード静岡の投げ銭タイムでお話する機会があり、それをキッカケに訪問することになったのですが、 単に見学するだけでは面白くないということで、クラス受講を申し込んだのでした。

全くの初心者でしたが、丁寧な指導のおかげで、壁に横立ちして、少し前後に移動し軽くジャンプできるくらいになれました。 自身では大きくジャンプしようとしているつもりですが、撮ってもらった動画を見ると少しだけですね。 意識してコントロールしないと足が下がりがちで、 もちろん、バランス、タイミングを崩して制御不能になることも少なからず、です。 体幹を鍛えないと空中姿勢が保てないと痛感しました。 ヴァーティカルダンスの前にまずは普通のダンスなどで体幹や手足の動きを鍛えないと、横立ちより先になかなか進めなさそうです。

2010〜12年に当時、世田谷パブリックシアターでやっていた土曜プレイパークという一般向けワークショップに度々参加していたこともありましたが [その時の話: 2010年, 2011年, 2012年]、 こういうことを体験するのもそれ以来です。 観客として観るだけでなく、たまにはこういう体験をするのも面白いものです。

ちなみに、関西エアリアル沓掛スタジオでは、今回自分が受講したヴァーティカルダンスのクラスだけでなく、シルクやフープなどエアリアル各種のクラスを開講しています。 関西エアリアルのツイートでTV取材が紹介されていますが、 大人になってからバレエやフィギュアスケートを始める (再開する) 「大人バレエ」や「大人スケート」が話題になったりしますが、大人エアリアルというのも全くアリですね。

そもそもは Anselm Kiefer: Solaris 展 [鑑賞メモ] を観るために行くと決めた京都ですが、 せっかく行くのであれば、と、サファリ・P 『悪童日記』観劇 [鑑賞メモ] など他の予定を入れたら、 結局盛りだくさんとなって何が主目的だったのかわからない状態に。しかし、充実した週末が過ごせました。 詰め込み過ぎはよろしくないと反省しつつ、やはり、首都圏で完結せずにフットワーク良く関西などに遠征するのも良いものです。

しかし、その後、独居していた母が倒れて入院し、そのサポートをしつつ、リハビリ病院探しや介護申請などに奔走する日々になってしまいました。 今から思うと、あのタイミングで京都に行けて良かった、と、つくづく。現状では一泊遠征など無理です。

[4271] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 小杉町, 川崎市, Sun Jul 6 22:00:51 2025

6月7日土曜の京都での話の続きです。午後イチに舞台を観た後は、二条城へ。この展覧会を観てきました。

Anselm Kiefer
『アンゼルム・キーファー:ソラリス』
元離宮 二条城 二の丸御殿台所・御清所
2025/03/31-2025/06/22 (会期中無休), 09:00-16:30.

(西)ドイツで1960年代から現代美術の文脈で活動するAnselm Kieferの大規模な個展は、 回顧展ではなく2010年代以降の作品で構成された、美術館・ギャラリー以外の場所を使っての展覧会です。 20世紀の作品を美術館の収蔵品展示で観たり、 この展覧会の主催者でもある Fergus McCaffrey の Tokyo ギャラリーで最近の作品の個展を観る機会はありましたが [鑑賞メモ]、 この規模の個展を観るのは初めてです。

会場となったのは1994年に「古都文化の文化財」の一つとしてUNESCO世界遺産 (世界文化遺産) 登録された元離宮 二条城。 といっても、1600年前後の桃山文化の絢爛さを残す国宝の二の丸御殿を展示に使ったわけではなく、 展示会場はその隣の1626年築と言われる台所・御清所、豪華絢爛とは対照的な装飾を排した壁、板戸、柱や梁からなる内部を持つ、二の丸御殿の舞台裏とでもいう性格の建物です。

二条城の豪華絢爛な金箔地の襖や壁と Anselm Kiefer の金字の絵画の類似がこの会場へ導かれるきっかけ [『美術手帖』の記事] という一方、 ステートメントで谷崎 潤一郎『陰影礼賛』の一節を用いた [『Tokyo Art Beat』の記事] といいますが、 『陰影礼賛』を二の丸御殿が象徴する豪華絢爛な桃山文化と関係付けるのには無理がありますし、 結局、二の丸御殿とは対照的な空間を展示場所としていますし、 サイトスペシフィックな展示における場所の文脈を考えると釈然としない所が多い展示でした。 会場でPDF配布された展覧会概要の「IV 江戸、そして時の河」のテキストの、 狩野派と琳派 (尾形光琳) と浮世絵 (印象派へ影響を与えた) が日本美術として一括りとされているような記述も引っかかってしまいました。

しかし、大人数の宴席の調理を目的とした機能的で飾り気ない広い土間や板の間が広っており、 日本家屋にしては現代美術の大きな作品の展示に向いた大規模な空間です。 作品や展示の文脈を読み込むことを促されるような展示ではありませんでしたが、空間の雰囲気を展示込みで楽しむことができました。

ホワイトボックスというよりブラックボックスに近い展示空間に、 ほぼ照明を使わず開かれた戸や障子ごしの自然光を生かした展示は、抽象表現主義にも近い粗いテクスチャの画面の凸凹や金色の煌めきを際立たせていましたし、 大判な絵画も狭苦しく感じず、その展示空間の光の趣も含めて楽しみました。 特に、台所の板の間が広がる空間を使い、障子こしの柔らかい光をオブジェに対して逆光というか背景光とする展示が気に入りました。

台所の入り口前、土蔵に囲まれた場所に置かれた高さ10m近い鉛、スチール製の Ra (2019) などは空間に対する異化作用の方が大きく感じられました。 しかし、19世紀半ば風の女性のドレススカートを樹脂や鉛で模った上に象徴的な立体を載せた Maât-Ani (2018-24) や Margarethe von Antiochia (2024) のようなシュールレアリスティックな立体作品を白川砂敷きの庭や土間に配した展示や、 板の間いっぱいに金の麦畑を作った Morgenthau Plan (2025) は、 Joseph Beuys のヴィトリーヌ (vitrine) 作品の影響を感じる Kiefer のガラスケース作品の 日本家屋の部屋や庭園を使ってスケールアップした変奏のようにも感じられました。

Anselm Kiefer: Solaris を観た後、このギャラリーにも足を運びました。

Taka Ishii Gallery Kyoto (Yoda-cho)
2025/05/03-2025/06/21 (日–水・祝休), 10:00-17:30.

Cerith Wyn Evans はウェールズ出身、1980年代は映画監督 Derek Jarman のアシスタントして 映画だけでなく Throbbing Gristle、The Smiths や Pet Shop Boys のミュージックビデオを、 また自身が監督として The Fall のミュージックビデオを手がけるなどの活動をした後、 1990年代以降はコンセプチャル・アートの作風で現代美術の文脈で活動しています [VICE 誌のインタビュー記事, 2010]。 といっても、British Young Artists とは微妙に文脈がズレることもあってか、現代美術作家としての作品を観る機会は無く、今回、初めて観ました。

会場は京都の築約150年の町屋をほぼ築当時の状態に復元して使うという形で2023年にオープンしたギャラリー。 そのギャラリーに入り、建物の内部を眺めても、一見、展示があるようには見えません。 注意して見ると、壁際に透明なガラス板が立てかけてあります。 障子やガラスの窓や戸を越して入ってくる光をそのガラスが反射するささやかな煌めきを、 陰影深い近世日本建築である町屋の空間と合わせて楽しむインスタレーションでした。 内藤 礼 のインスタレーション [鑑賞メモ] にかなり近い鑑賞体験でした。

それ以外にも、床の間を使ったインスタレーションや、ギャラリー内を撮影したフォトグラビュール (フォトエッチング) 作品もありましたが、 インスタレーションで体験する陰影のあわいに比べると趣に欠けるものでした。

このギャラリーへ足を運ぶのは2024年の Sterling Ruby: Specters Kyoto [鑑賞メモ] に続いて2度目。 今回は Anselm Kiefer: Solaris と続けて、 計らずしも『陰影礼賛』を参照した展示を観ることになりましたが、 力技の感もある Kiefer よりも、ひっそりささやかな Evans の方が、今の自分には合っていました。

[この鑑賞メモのパーマリンク]

展覧会を2つ観た後はホテルへ。真夏日ではないもののそれに近い暑さに参っていたので、荷物を置いて、ひと休み。 その後、バスで河原町三条へ。新京極商店街にあるレコードショップ、 パララックス・レコード (Parallax Records) を覗いてきました。 ノイズや実験音楽に強いと知られるお店ですので、どんな店なのかという興味もあり。 1980年代から1990年代にかけてよく足を運んだ雑居ビルの一室を使ったレコード店の雰囲気を残していて、 かつ、自分も最近は行っても disk union 程度、と実店舗からかなり足が遠のいていたので、とても懐かしく感じました。 記念に何か買って帰ろうと棚を漁りつつ、昔はこういう所での出会いが大きかったなあ、と。

その後、夕食代わりに一杯やろうかと夜は居酒屋営業もしているというジャズ喫茶に電話してみたのですが、満席で残念。 仕方ないので、錦市場の人混みを避けつつ、それなりに店のある蛸薬師通を西へ歩きつつ店探し。 路地裏のさらに奥にあった比較的地元客の多そうだったワインバーでまずは夕食。 さらに、2軒目は烏丸通りを超えた所にあった比較的新めのジャズ喫茶/バーに入ってみました。 音にもこだわった雰囲気の良い店で、ヨーロッパの現代ジャズやピアノ・トリオなど最近の洗練された音をチョイスされているようでした。 が、調性のあるメロディアスなもので、自分の普段の興味関心の方向性とは直交した感も。 こういう時は「そんなものもあるのか」とお店のチョイスの音楽と店の雰囲気に任せて聴くのも良いものなのですが、 他の客がほぼいなかったこともあり好みに合わせてかけてくれようとしてくれて、少々ぎごちないやりとりをすることになってしまい、申し訳なかったです。 「ヨーロピアンジャズ、特に北欧ものが好きです」などと言ってしまったのが失敗で、むしろ、「ジャズはよくわからないのでお任せで」と言えばよかったかしらん、と反省しました。 自分の聴くジャズ (に限らず音楽) が世間のトレンドと大きく外れてしまっていることを実感した夜でした。

[4270] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 小杉町, 川崎市, Sun Jun 29 22:46:02 2025

6月7日土曜は朝に家を出て昼前には京都入り。午後イチにこの舞台を観てきました。

2025/06/07, 13:00-14:10.
原作: アゴタ・クリストフ 『悪童日記』 (Ágota Kristóf: Le Grand Cahier, 1986; 堀 茂樹 訳, ハヤカワ文庫, 1991/2001)
脚本・演出: 山口 茜; 出演: 芦谷 康介, 佐々木 ヤス子, 達矢 (以上 サファリ・P), 辻本 佳, 森 裕子 (Monochrome Circus).
初演: 2017年.

2015年から京都を拠点に活動するカンパニーの、2017年の第2回公演で初演して以来 リクリエーションを繰り返している作品の公演です。 ストレンジシード静岡2024で観たことがある程度の予備知識でしたが、劇場公演を観る良い機会かと、足を運びました。

原作は、枢軸国に加わりドイツ軍の影響下にあった第二次世界大戦中からソ連軍占領を経てハンガリー動乱までのハンガリーの20世紀半ばを、 夫殺しを疑われ町外れで独居する祖母の家に疎開で預けられた男子の双子の視点からミクロに描いた小説です。 その双子の日々を記したノートという形式の小説なのですが、少々アレンジされていたもの舞台作品中でも度々引用されていた 「作文の内容は真実でなければならない、というルールだ。ぼくらが記述するのは、あるがままの物事、ぼくらが見たこと、ぼくらが聞いたこと、ぼくらが実行したこと、でなければならない。」 という作文のルールに従った、登場人物の内面描写を排した文体で書かれています。

その舞台の演出は、この作文のルールを置き換えたかのようなものでした。 6台の踏み台と後方への字幕投影程度の舞台美術に衣裳もモノトーンのミニマリストティックなもの。 複数人で一人の役を演じるようなことは基本的になく役と演者の関係こそ固定的でしたが、 リアリスティックな感情の演技は排され、ダンスやマイムをベースに様式的な動きと 5人の演者によって6台の踏み台の配置を変えていくことで状況を抽象的に描きだしています。 そんな演出を通して、社会の不条理さや双子の少年の心情をうっすらと浮かび上がらせていました。

個性を見出しづらいミニマリスト的で抽象度の高い演出ということもあると思いますが、 Simon McBurney / Complicite [鑑賞メモ] や 小野寺 修二 / カンパニーデラシネラの原作のある作品 [鑑賞メモ] などの マイム/フィジカルシアター的な舞台作品を連想する所も少なからずありましたが、 様式的な動きをベースとしたミニマリスト的な演出と内面描写を排した原作との相性も良く、好みの舞台作品でした。 むしろ、ストレンジシード静岡でも、この舞台作品に近い演出でスタイリッシュに上演してもよかったのでは、と。

[この鑑賞メモのパーマリンク]

[4269] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 小杉町, 川崎市, Sat Jun 28 23:22:19 2025

5月最後の土曜31日、初台で展覧会を観た後は、隣の劇場へ移動。この舞台公演を観てきました。

ブルノ国立劇場ドラマ・カンパニー, シュチェパーン・パーツル (演出), カレル・チャペック (作) 『母』
新国立劇場 小劇場
2025/05/31, 18:00-20:00.
Autor [Author]: Karel Čapek
Režie [Direction]: Štěpán Pácl
Obsazení: Tereza Groszmannová (Matka (Dolores)), Tomáš Šulaj (Otec (Richarde)), Roman Blumaier (Ondřej), Martin Veselý (Jiří), Vojtěch Blahuta (Kornel), Viktor Kuzník (Petr), Pavel Čeněk Vaculík (Toni).
Dramaturgie [Dramaturgy]: Milan Šotek; Scéna [Stage design]: Antonín Šilar; Kostýmy [Costume design]: Zuzana Formánková; Jazyková spolupráce [Language cooperation]: Eva Spoustová; Asistentka scénografie [Assistant of stage design]: Tereza Jančová; Asistent režie [Assistant of direction]: Vít Kořínek; Asistentka kostýmní výtvarnice [Assistant of costume design]: Julie Ema Růžičková; Hudba [Music]: Jakub Kudláč.
日本語字幕翻訳: 広田 敦郎.
Production: Národní divadlo Brno / Činohra
Premiéra: 8. dubna 2022 v divadle Reduta (Národní divadlo Brno)

チェコの演劇を観る機会は稀で、それに加え R.U.R. 『ロボット』 (1920) 等で知られる Karel Čapek (カレル・チャペック) の戯曲のオリジナルのチェコ語での上演を観られる、 という興味で、この新国立劇場・演劇部門の久々の海外招聘公演を観てきました。

上演された Matka 『母』は第二次大戦に向けての緊張が増す1938年に、それに先立つスペイン内戦 (1936-1939年) を受けて書き上げられた戯曲です。 オリジナルの時代設定は明示的ではないものの戯曲が書かれた戦間期と思われますが、それを現代に置き換えていました。 主人公は夫 Richarde をアフリカでの戦争で失った5人の子の母 Dolores です。 長男 Ondřej がアフリカへ医者として赴任して死亡した後から話が始まり、 続いて、パイロットの次男 Jiří が冒険飛行に失敗して死亡、 やがて、国内で発生した抗議運動がエスカレートして内戦状態になる中、 鎮圧する部隊にいた三男 Kornel、抗議運動へ加わった四男 Petr の双方とも死亡します。 内戦に乗じて外国の侵略が始まり、残された五男 Toni を失いたくない母は、防衛隊へ Toni を参加させまいとします。 しかし、やがて、子供達も侵略の犠牲になっていることを知り、母は Toni を防衛隊へ送り出します。

夫も4人の息子も、亡くなった後も亡霊となって登場するのですが、 亡霊であることを示すような演出は特に無く、まるで生前と同じよう。 亡父の書斎の中で繰り広げられるオーソドックスな密室劇の会話劇かのように演出されていました。 主人公 Dolores は老母として演じられることが多いそうですが、今回の演出では状況の中で葛藤する中年の女性として演じられていました。 現代の欧州の都市での暴動の映像やそれを伝えるニュース映像がTVに写し出される形で使われることで、 クリエーションを始めた時はロシアのウクライナ侵略以前で初演がその直後となったとのことですが、演じられている内容が現在の不安定化する国際情勢へ直結されたようなリアリティを感じるところもありました。 そして、比較的オーソドックスな演出が続いただけに、ラストの光の中へToniを送り出すような演出も印象的でした。

亡霊となった夫や息子たちを登場させる内容から幻想的な演出もあるかと期待したところもありましたし、 もう少し抽象的な演出の方が好みかなとは思いましたが、 時代を現代に置き換え映像なども使いつつ奇を衒い過ぎずに要を得た現代演出でした。

[この鑑賞メモのパーマリンク]

[4268] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 小杉町, 川崎市, Wed Jun 25 23:30:03 2025

5月最後の土曜31日は午後遅めの時間に初台へ。この展覧会を観てきました。

東京オペラシティ アートギャラリー
2025/04/26-2025/06/22 (月休; 5/7休; 4/28,5/5開), 11:00-19:00.

京都服飾文化研究財団 (KCI, The Kyoto Costume Institute) 所蔵の衣装コレクションに現代アート作品を交えて構成した展覧会です。 衣装コレクションは、18〜19世紀は上流階級のドレス、 20世紀以降はいわゆるハイファッションのアトリエのものがメインで、コレクションで発表したものや舞台衣裳として作られた、作家性、作品性の高いものが展示されていました。 ファッション史を辿るような年代順の展示構成ではなく、願望の観点から5つのテーマを設定して構成されていました。

ハイファッションの衣装、特に舞台衣裳はコンセプチャルなものが多く現代アート作品に通じるものがあるというのはわからないではないのですが、 願望の反映としてのファッションという切り口と、むしろそういった物に対する批判的なアプローチを取る現代アートの相性がよろしくなく、 かといってその二者を衝突させるような企画でもなく、企画としては説得力に欠けるものがありました。

しかし、そんな企画を超えて、Comme des Garçons [川久保 玲] の 後に Merce Cunningham: Scenario (1997) [鑑賞メモ] の衣裳にもなった “Body Meets Dress, Dress Meets Body” と題された1997年春夏コレクションや、 Virginia Woolf: Orlando をテーマとした2020年春夏コレクションと Olga Neuwirth 作曲、Polly Graham 演出での Weiner Staatsoper によるオペラ化 (2019) での衣裳など、 ファッションと現代的なパフォーミングアーツ、現代アートの接続点をクリアに見せてくれたように感じました。

それ以外にも、現代演出のダンスやオペラの衣裳としてなら面白そうと楽しんで観た21世紀のファッションもありましたが、 むしろ、色々一回りして、ミニスカートなどが登場する以前の1950年代のこれぞモダンデザインなドレスは良いものだなあ、と、しみじみ感じるところもありました。

[この鑑賞メモのパーマリンク]

4月半ばからの滲出性中耳炎で体調が優れず、集中力も落ちて筆が進まず鑑賞メモのバックログ山積しています。 6月下旬になってやっと中耳炎もかなり治ってきたかなと思ったところで、今度は身内が倒れてしまいました。 今年に入って厄災続き。さすがに、このサイトの更新も滞りがちになりそうです。

[4267] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 小杉町, 川崎市, Sun Jun 15 21:45:29 2025

一ヶ月近く前の話になりますが、5月22日木曜晩は、仕事帰りにふと思い立って初台へ。このコンサートを聴いてきました。

東京オペラシティ コンサートホール:タケミツ メモリアル, 初台
2025/05/22, 19:00-21:00
Felix Mendelssohn: The Hebrides overture, op. 26 (1830/1832)
Gustav Mahler: Adadio aus der Symphonie Nr. 10 Fis-dur (2014-15)
Georg Friedlich Hass: “... e finisci già” for orchestra (2011)
Georg Friedlich Hass: concerto grosso Nr. 1 for 4 alphorns and orchestra (2014)
Jonathan Stockhammer (conductor), Hornroh Modern Alphorn Quartet, 読売日本交響楽団 [Yomiuri Nippon Symphony Orchestra].

現代音楽 (contemporary classical) の作曲コンペに合わせて開催されるコンサート『コンポージアム』の審査員の曲の演奏会です。 今年の審査員となった作曲家 Georg Friedlich Haas はスペクトル楽派 (École spectrale) の流れを汲むとも言われるオーストリア出身の作曲家ですが、 今までCD/レコードも含め聴く機会はありませんでした。 そのような感じで特に予備知識はありませんでしたが、最近『コンポージアム』へ行けてなかったので、2022年以来の3年ぶりに足を運んでみました。

自作曲からなる後半の1曲目、10分弱の “... e finisci già” は、微分音も使い、倍音を意識してテクスチャを作るように音を重ねていくような曲でした。 この曲も興味深かったのですが、面白かったのは2曲目、約30分のアルプホルン4本とオーケストラのための concerto grosso Nr. 1。 アルプホルンは民族楽器的というよりむしろ低音の持続音発生装置のような使い方で、 音高をずらしたアルプホルンを持続音で鳴らすことで、うなりでウォンウォンと聞こえるようになります。 そこで、そのうなりに合わせるようにオーケストラが打楽器と弦楽器で Steve Reich も連想させるような反復するフレーズを脈動するように鳴らし、それを引き継いでいきます。 そして、それを再びアルプホルンのうなりへと返します。

パンフレットによると Haas はスコアの中でこれを「響きと連続体の幻影」と呼んでいるとのこと。 楽譜で書かれていても分解能低い自分の耳ではよくわからないことが多いのですが [鑑賞メモ]、この曲では本当にそう聴こえて、そのことにむしろ驚いてしまいました。 うなりの周期は周波数差によるので、正確なアルプホルンのピッチとオーケストラのテンポのコントロールが必要な演奏をしていると考えると、 自分にはオーケストラがこのように鳴ることを聴く機会など滅多に無いだけに、ますます面白く感じられました。 後半になると、コンチェルトらしくオーケストラの方がテクスチャ感強い音を響かせている中でアルプホルンが動き回ったりと、展開というか変化も感じられました。

前半は Haas 選曲による交響曲の抜粋2曲、合わせて30分余り。 おそらく、後半の自作曲に向けた意図あるとは思いますが、それを掴みかねました。 後半の2曲がかなり好みの音だったので、前半も Haas の曲を聴きたかったと思わせる、そんな演奏会でした。

[この鑑賞メモのパーマリンク]

『コンポージアム』は度々足を運んでいますが、何が良いかというと、もちろんハズレが少ないというのもありますが、 満席で当日券が出ないということはまずなく、当日ふらりと観に行かれること。 なかなか平日晩の予定が立てづらいので、これはありがたいです。 長々とやることは稀で、大抵21時頃には終わる、というのも、体力的に優しいです。 ということで、これからも、気楽に聴きに行きたいものです。

[4266] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 小杉町, 川崎市, Mon Jun 2 21:46:00 2025

半月前の17日土曜は午後に乃木坂へ。この展覧会を観てきました。

Living Modernity: Experiments in the Exceptional and Everyday 1920s-1970s
国立新美術館 企画展示室1E, 企画展示室2E
2025/03/19-2025/06/30 (火休;4/29,5/6開;5/7休), 10:00-18:00 (金土 -20:00)

戦間期からミッドセンチュリーにかけての20世紀の住宅に焦点を当てた建築展です。 この時期に建てられてた傑作と見做される作家性の高い14邸を、 モダンな住宅と特徴付ける7つの観点 (衛生, 素材, 窓, キッチン, 調度, メディア, ランドスケープ) から読み解く展覧会でした。 14邸が強く順序づけられることなく置かれ、その中で資料を観点と紐づけられた色分けで示す展示です。 年代順や7つの観点ごとのような手がかりの薄い展示構成にしばらく捉え所無さを感じたのですが、 住宅に限らず建築はある1つの観点のみの問題解決をしているわけではなく、 14邸を核に多面的な解決を示しているということが腑に落ちてからは、むしろ回遊性の高さを楽しみました。

取り上げている時代からして展示されていたのは戦間期及び戦後のモダニズム色濃い設計の住宅ですが、 入り口すぐに置かれた Le Corbusier: Villa «Le Lac» (1923) や、 Ludwig Mies van der Rohe: Tugendhat House (1930) のような モダニズム本流のマスターピース的な邸宅よりも、そこから少し外れた建築に興味を引かれました。

そういう点で最も興味深く観たのは戦前日本の2邸、 藤井 厚二『聴竹居』 (1928) と 土浦 亀城『土浦亀城邸』 (1935) でした。 特に、『聴竹居』は和洋折衷というものですが、単に様式的な混交というよりも、 衛生面などモダンな解決がされたものだという点にに気付かされたり。 もちろんそれだけでなく、戦前の松竹や東宝のモダニズム映画の舞台にありそう、というか、 戦前のモダンな生活を垣間見るような興味深さもありました。

ほぼ欧米もしくは日本の男性の建築家ばかりの中、非欧米日本でかつ女性の建築家で取り上げられていたのが、 イタリア出身でブラジル・サンパウロで活動した Lina Bo Bardi による Casa di Vidro (1951)。 7つの観点から読み解いており女性的とされるような面は特に強調されていませんでしたが、緑との一体感は欧米とはかなり異なるセンスに感じられました。 また、資料の中にサンパウロのSESC (Serviço Social do Comércio, 商業連盟社会サービス) 関連のものがあったことも印象に残りました。 SESCはブラジルで芸術・スポーツ・文化の分野での公共サービスを提供している組織で、 特にサンパウロのSESC (SESC SP) は音楽やコンテンポラリーダンスの活動が盛んで、 その活動を (特にCDやレコードという形で) 垣間見る機会がありましたが、 建築・デザイン関連の面を垣間見ることができました。

モダニズム色濃い邸宅が揃う中、出口近くに展示された Frank Gehry: Frank & Berta Gehry House (1978) は典型的なポストモダニズム建築でした。 Matei Călinescu: Five Faces of Modanity (1987) の言うように、ポストモダニズムもモダニティの5つの顔の一つ、ということでしょうか。

[この鑑賞メモのパーマリンク]

[4265] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 小杉町, 川崎市, Sun Jun 1 18:19:45 2025

残るゴールデンウィーク疲れもあって翌週末土曜は昼過ぎまでゆっくり。夕方遅めに銀座へ出て、この展覧会を観てきました。

『Any girl can be glamorous』
資生堂ギャラリー
2025/04/16-2025/05/18 (月休), 11:00-19:00 (日祝 -18:00)

資生堂ギャラリーの新進アーティストを対象とした公募プログラム shiseido art egg の第18回第2期は、即興音楽や現代美術の文脈で活動する すずえり [suzueri] (鈴木 英倫子) の展覧会です。 名に覚えはあるのですが、意識して作品を観るのは初めてです。

1914年オーストリア・ウィーン生で、1930年にウィーンで女優デビュー、1938年にハリウッドデビューした映画女優として知られる、 また、無線通信で広く使われている周波数ホッピングスペクトラム拡散方式の元となる周波数ホッピングによる秘匿通信技術を アヴァンギャルドの作曲家 George Antheil と共に発明した発明家としても知られる、 Hady Lamarr に着想した作品からなる展覧会です。 といっても、彼女に関してサーベイした資料を雑然と積み上げたような作品ではなく、 着想した造形作品を追う中に、彼女の一生の多面性や人生の困難が浮かび上って来るような作品でした。

作品としては、大きく分けて3つの作風からなり、 一つは、発明した秘匿通信技術の発想源となった自動ピアノに着想したトイピアノやアップライトピアノを改造した音が鳴る 「ピアノは魚雷にはのらない」 (2025) のような作品です。

もう一つは、発明家だった Hady Lamarr の秘匿通信技術を含む様々な発明を 3Dプリンタで造形して当時の資料や映像と組み合わせた作品 「暗号通信システムとコーラ・タブレット」 (2025) です。

三つ目は、Hady Lamarr に関係するインタビュー等の音源を電球の光にアナログ変調し 小型のソーラパネルに繋いだスピーカーで復調して聞かせる作品 「メルクリウス―ヘディ・ラマーの場合」 (2022-) です。 このインスタレーションが、視覚的にも美しく、ローファイな音の響きも良く、また、観客を能動的に動き回ることを促します。

この電球を使った作品が、自動ピアノに着想した作品や3Dプリンタの作品を繋ぎ合わせて、展覧会全体としてインスタレーションとしてのまとまりを作り出していました。 また、使われる音源の中で彼女の発明家だけではなくハリウッド女優としての面も取り上げることで、 彼女の生涯から当時の女性が取りうる選択の限界も見えるような、興味深いものとしていました。

[この鑑賞メモのパーマリンク]

この後は日比谷へ移動。夕食を済ませた後、TOHOシネマズ日比谷で映画 Björk: Cornucopia 『ビョーク:コーニュコピア』 (Snowstorm Productions, S101 Films, Level Forward, 2025; Culture-Ville, 2025) を観てきました。 2023年の日本ツアーは観に行きませんでしたが、映画上映で観ておこうかと。 しかし、2016年に日本科学未来館で『Björk Digital ― 音楽のVR・18日間の実験』を観たときと同様、なんとも微妙な気分になってしまいました。 Biophilia (2011) とそのリミックス Bastards (2012) やライブ盤 Biophilia Live (2014) まではアルバムも買い続けていてそれなりに興味を持ってフォローしていたつもりですが、 Vulnicura (2015) 以降自分の興味関心からすっかり離れてしまった事に気付かされました。

[4264] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 小杉町, 川崎市, Thu May 29 23:28:51 2025

ゴールデンウィーク終盤、静岡から戻った翌5日は、さすがに疲れが出てぐったり。 しかし、天気が良いのにダラダラしてるのもよろしくないか、と、昼過ぎ遅めに池袋西口へ。 ゴールデンウィーク恒例の親子向けパフォーミングフェスティバル TACT (Theater Arts for Children and Teens) Festival は、 今年は東京芸術劇場が設備更新中で休館ということで、 劇場前広場やグローバルリングを使った野外フェスティバルとして開催されました。 そのプログラムとして、このサーカスを観ました。

Circus unARTiq: Circus unARTiq
東京芸術劇場 劇場前広場
2025/05/05, 15:00-15:30
Lisa Rinne & Andreas Bartl.

ドイツ拠点の2009年結成の男女ペアによるアクロバット, エアリアル, ジャグリングなどを組み合わせたショーです (『Happy Ever After』は邦題で、公式サイトでのショーのタイトルはカンパニー名と同じです)。 ステージトラスを高さ約10 mに組んだ物を足場に使い、その上でのクラブ・ジャグリング、 縄ハシゴを使ったエアリアル、トラスの柱を使ったヴァーティカル・ダンス的な動きに、 合間に Andreas ソロやペアでのハンド・トゥ・ハンドのアクロバットなども交えつつ、 最後は Lisa のダイナミックな空中ブランコ (swinging trapeze) で盛り上げました。

アーティなコンテンポラリーサーカスの劇場公演は最近も観続けていますが、 ちょっとロマンチックな男女の関係をコミカルに演じつつ技を見せていく 大道芸フェスの海外招聘枠で来るような野外サーカス・ショーを観るのは久しぶりでした。 このようなショーも楽しいものです。 しかし、この男女ペアは、コンテンポラリーサーカスのカンパニー Common Ground のメンバーとしても活動しています。このカンパニーでの公演も是非観たいものです。

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プログラムには大道芸や影絵芝居などもあったのですが、体力的に余力無く。 大道芸は少し遠目で観る程度で、無理せずこれだけを観て帰りました。 ゴールデンウィーク最終日の6日は降雨でTACT Festivalは中止。 5日に観に行ってしまって良かった。

実は4月12日頃から右耳の調子が悪かったのですが、20日頃から軽い頭痛や全身の倦怠感を感じるように、そして25日にはついに両耳の聞こえが悪くなってしまいました。 劇場や映画館、もしくは家で音楽を聴く時のような静かな中で音を聴くのはさほど気にならないのですが、 街中や飲食店内などのノイジーな環境では音がぼんやりと響いて聴こえるので、会話やアナウンスの声が聞き取りづらくなってしまいました。 これはまずいと5月1日に耳鼻咽喉科で診察してもらったところ、滲出性中耳炎でした。 「細菌感染を治療する薬」と「慢性副鼻腔炎でたまった膿を出しやすくする薬」を処方され、服薬し始めてすぐ頭痛や倦怠感が軽減され、17日には左耳の聞こえがよくなりました。 19日の診察で左耳の中耳炎は治ったとのこと。 薬を続ければ右耳も治る可能性があるとのことで、手術は見合わせになりました。 その後、服薬を続け、時々抜けるようになったので右耳の調子も上向いているような気がしますが、まだまだ不調です。 処方されている薬については酌等で軽く一杯飲んでも問題無いとは言われていますし、 美味しい料理には美味しいお酒を合わせたいので断酒まではしていませんが、 そもそも体調がすぐれないので、飲んでも休日に軽く一杯程度が限界となってしまっています。

1月の腎結石閉塞を伴う水腎症のため手術 (経尿道的尿路結石破砕術) 入院で始まった2025年でしたが、 そこからだいぶ復調したかと思ったら、今度は滲出性中耳炎。 4月に受けた人間ドックの結果も思わしくなく、今年に入って身体がガタガタです。

[4263] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 小杉町, 川崎市, Sun May 25 22:13:42 2025

SPAC-静岡県舞台芸術センターの ふじのくに⇄せかい演劇祭 改め SHIZUOKAせかい演劇祭 2025 の後半は、 3, 4日一泊で『ストレンジシード静岡2025』などを楽しんだ後[鑑賞メモ]、 最後に東静岡へ移動して、この舞台を観ました。

Théâtre national de Strasbourg, Caroline Guiela Nguyen
静岡芸術劇場
2025/05/04, 16:00-19:00.
Spectacle en Français avec des scènes en Tamoul, Anglais, langue des signes
Texte et mise en scène: Caroline Guiela Nguyen
Traduction langue des signes, anglais, tamoul: Nadia Bourgeois, Carl Holland, Rajarajeswari Parisot; Collaboration artistique: Paola Secret; Scénographie: Alice Duchange; Costumes et pièces couture: Benjamin Moreau; Lumière: Mathilde Chamoux, Jérémie Papin; Son: Antoine Richard, en collaboration avec Thibaut Farineau; Musiques originales: Jean-Baptiste Cognet, Teddy Gauliat-Pitois, Antoine Richard; Vidéo: Jérémie Scheidler; Motion design: Marina Masquelier; Coiffures, postiches et maquillages: Émilie Vuez; Casting: Lola Diane.
Avec: Dan Artus (Julien, patronnier; Présentateur radio; Contrôleur du travail), Dinah Bellity (Suzanne, mécanicienne, mère de Julien; Vera, Directrice du musée d’Alençon); Natasha Cashman (Dr. Villanova, médecin du travail; Claude, mécanicienne; Directrice du musée V&A, Ophtalmologue), Charles Vinoth Irudhayaraj (Abdul, brodeur; Mécanicien; Notaire; Convoyeur de fond du V&A), Anaele Jan Kerguistel (Camille, fille de Marion et Julien; Interprète; Assistante radio), Maud Le Grevellec (Marion, 1re d’atelier de la maison Beliana), Michèle Goddet (Thérèse, dentellière d’Alençon; Mécanicienne), Nanii (Sarah, sourceuse; Sophia, dentellière), Rajarajeswari Parisot (Anita, traductrice, Khadija, femme d’Abdul; Mécanicienne ; Dentellière), Vasanth Selvam (Manoj, directeur artistique de l'atelier Shaina; Alexander, Styliste de la maison Beliana).
et en vidéo: Nadia Bourgeois, Charles Schera, Fleur Sulmont; et les voix de Louise Marcia Blévins, Béatrice Dedieu, David Geselson, Kathy Packianathan, Jessica Savage-Hanford.
Production: Comédie de Genève.
Avant-premières du 14 au 18 mai 2024 au Théâtre National de Strasbourg.

作者であるフランス・ストラスブール国立劇場 (TnS, Théâtre national de Strasbourg) 芸術監督のCaroline Guiela Nguyen についての予備知識はありませんでしたが、 Festival d'Avignon 2024 で上演されたということもあり観でみました。

フランスの高級仕立服 (haute couture, オートクチュール) のクリエイションの現場を舞台にした作品です。 架空のパリのオートクチュール・メゾン Beliana の工房、ノルマンディ地方アランソン (Alençon) の王立工房に起源を持つレース工房、 ザリ刺繍 (Zari) と呼ばれる高度な伝統工芸で知られるインド西海岸ムンバイのレース工房、の3箇所を舞台とした群像劇で、登場人物も多く、上演時間も3時間にわたる長いものです。 主役は Beliana のアトリエ主任の Marion で、 Beliana が受注し Marion が任されたイギリスの王女のウェディングドレスのプロジェクトが失敗していく中で、 Marion の過重労働と夫 Julien からのDV、視力を犠牲に働くレースや刺繍の職人、 叔母が精神障害を持っていて授産としてレース工房で働いていことを知ることなど、様々な問題が浮かび上がり、 最後は Marion の自殺に至ります (冒頭の場面でも結果として Marion の自殺が冒頭でも提示されます)。 取材に基づくオリジナルの脚本で現実の社会統計の値なども提示されますが、 ドキュメンタリーではなく、少々メロドラマチックと感じるほどのドラマ仕立てでした。

登場する職人たちは高度な熟練技能を持ちそれに誇りを持って働いており、 第二次世界大戦後の欧州で整備されていった労働基準やそれに基づく職人たちの労務管理が遵守される中で、 非対称な力関係での契約ややりがい搾取といった形を通して浮かびあがる労働問題が描かれます。 非熟練労働者に対する収奪的な搾取が行われるファストファッションのスェットショップとは質が異なる一方、 むしろ、文化芸術分野での展覧会や公演などのプロジェクトはもちろん、科学技術分野での研究開発のプロジェクトに共通点が多くあるように感じられました。 自分の身近なものであれば、 無茶な要求をされても断れない重要なクライアントがいたり外面ばかりよく下に皺寄せするトップがいたりするという 典型的な大規模ITシステム開発のプロジェクト炎上案件の中でメンタルが壊れていく中間マネージャーに、 主役の Marion が被って見えて、他所ごととは思えませんでした。

パリ、アランソン、ムンバイの3つの工房という舞台を演技だけで切り替えられる程度には抽象化された舞台でしたが、 舞台の上にはサンプルのドレスや仕立てに関する道具に相当するものが並び、 ビデオ会議が頻繁に使われるということでそれを写し出すビデオのスクリーンが頭上に大きく掲げられています。 そんな舞台装置を駆使しての上演は、National Theatre Liveのように映像化しても映えそうです。 リアリスティックな演技で描いていたこともありTVドラマ数回分はあろうエピソードから置き去りにされることもなく、引き込まれて最後には思わず涙するほどでした。 しかし、舞台上の情報量が多い上に映像もあって、さらに字幕も加わり、目が迷いました。 もう少し抽象度高いミニマリスティックな演出が好みだとも思ってしまいました。

演劇祭前半の Comédie de Genève, Tiago Rodrigues: Dans la mesure de l'impossible 『〈不可能〉の限りで』とは、 題材をどこまでドキュメンタリー的に扱うかという点に違いはありますが、現実の社会問題に取材した多言語のオリジナル脚本という共通点がある演目でした。 そういう点にも演劇祭の方向性の変化を感じました。

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[4262] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 小杉町, 川崎市, Mon May 19 0:44:09 2025

ゴールデンウィーク中は今年も3、4日に静岡で一泊。 去年 [鑑賞メモ] に引き続き、 ストリートシアターフェスストレンジシード静岡2025』と、 駿府城公園で開催されたSHIZUOKAせかい演劇祭2025』のプログラムを観てきました。

3日昼前に静岡入りして、まずは、呉服町商店街方面へ。

『ト(゛)リップ〜七ぶら編〜』
CITYエリア|七間町商店街(受付場所:CITYエリア インフォメーション)
2025/05/03, 11:30-12:00
作・演出: 村田青葉; 小道具: 工藤 早織; 衣装: 髙橋 響子; 制作: 菅野 未帆.
出演: 大和田 優羽, 佐々木 玲奈, 新沼 温斗, 藤原 慶, 村田 青葉, 菊池 佳南 (青年団/うさぎストライプ), 狩野 瑞樹 (三転倒立/ザジ・ズー).

岩手県盛岡市を拠点に活動する劇団による街の歴史に取材した作品で、 観客に街歩きガイドしつつ、歴史的エピソードを関連する場所で上演する作品です。 出発点は青葉シンボルロードの市庁舎側、そこから呉服町商店街を札の辻へ、七間町商店街を進んで、 青葉シンボルロードのもう一方の端の常磐公園がツアーの終点でした。

静岡は1995年に大道芸を観に初めて来て以来、秋の大道芸と春の演劇祭で何度となく通ってきた街で、 七間町に映画街がまだ残っていた頃をかろうじて知っていたものの、 老舗の婦人服店トンボヤ、十返舎 一九 の生家や、大火や戦災を生き延びた蔵など、この作品で気付いたことも多く、 演出としては少々ベタかとは思いましたが、新鮮に街歩きとそこでの寸劇を楽しみました。

終演後、常盤公園から長駆、駿府城公園 PARKエリアへ移動。

長岡 岳大 × 長井 望美
『ひろったものファンクラブ』
PARKエリア|二の丸橋から駿府城公園全域への回遊型パフォーマンス
2025/05/03, 12:50-13:35
作・演出: 長岡 岳大, 長井 望美, 濱口 啓介.
出演: 長岡 岳大, 長井 望美.

ホワイトアスパラガス [鑑賞メモ] としても活動する 長岡 岳大 (ex-ハチロウ) と、 人形劇団ねむり鳥主宰でサーカスアーティストとの共演も多い 長井 望美 [鑑賞メモ] の移動型のパフォーマンスです。 作・演出にゼロコの 濱口 啓介 が加わっています。

二の丸橋からスタートし二の丸御門跡広場を経由して富士見芝生広場の西側へ。 前半は「落とし物」 (といっても仕込みですが) を拾いつつ移動つつの 長岡 のジャグリングに時折 長井 が絡む展開でしたが、 富士見芝生広場の着いてからは木立の間に張った紐を使った人形劇的な展開へ。 長岡 を追いかける子供たちのリアクションが良くて、それ込みで楽しみました。

LINDA × 金光 佑実 × naraka
『とぶ...とばない...とぶ...とばない...と.....あっ。』
PARKエリア|児童公園 (駿府城公園 児童広場)
2025/05/03, 14:00-14:20
出演: LINDA; 音楽家: 金光 佑実; サウンドスーパーバイザー: 森尾 拓斗; セノグラファー: 原 良輔.

森尾 拓斗 × 演劇空間ロッカクナット の立体音響作品『naraka』を用いたパフォーマンスです。 『naraka』はセンサとホーン型のスピーカーを付けた立方体の金属枠で、そこにマイムのパフォーマンスが絡みます。 自分の耳の調子が悪かったこともあってか、立体音響の機微が野外では判りづらかったのが残念でした。

PARKエリア|児童公園 (駿府城公園 児童広場)
2025/05/03, 15:00-15:35
構成・演出: 宮田 直人.
出演: 江崎 遥, 上月 梓矢, 宮田 直人.

普段は劇場で公演している関西拠点のジャグリング・カンパニーで、野外はほぼ初めてとのこと。 タイトルから予想されるような借景を活用したサイトスペシフィックな演出というほどのものはなく、 かつての大道芸フェスティバルin静岡でオフ部門のパフォーマーを観ているような気分になりました。 しかし、男女混成でかつ3人組という編成や、台詞というか音楽に合わせてのラップのような語りを使う所など、 他の大道芸でのジャグリング芸ではあまりなさそうな特徴もあるパフォーマンスでした。

『まちなかサバ?リバイバル!』
PARKエリア|児童公園 (駿府城公園 児童広場)
2025/05/03, 16:30-16:50
演出: 安本 亜佐美.
音楽: 藤沢 祥衣.
出演: 板倉 佳奈美, 長野 里音, 藤沢 祥衣, 安本 亜佐美, リッカ.

去年 [鑑賞メモ] に引き続いて出場の京都のエアリアル/ヴァーティカルダンスのカンパニーですが、 今年は街中でのウォーキングアクトではなく、駿府城公園の児童広場にある大樹を櫓として活かしてのエアリアルをメインにしたプログラムでした。 もちろん、アコーディオンとトライアングルの生伴奏付き。 街中でのウォーキングアクトは異化作用の方が大きいのですが、 新緑の大樹はむしろ白いモコモコ姿と相性良く、まるで樹の精が現れたかのようなファンタジックな印象を受けました。

スケジュールに載った児童公園での上演だけでなく、 去年同様街中の方でも白いモコモコ姿でゲリラ的にパフォーマンスをし、 今年はそれに加えて呉服町商店街のビル壁でのヴァーティカルダンスもやったようでした。 行き交う人をグリーティングする様子は目撃できたのですが、 ヴァーティカルダンスを目撃できなかったのは、残念でした。

この後、ホテルへチェックインして荷物を置いたあと、再び駿府城公園へ。 『SHIZUOKAせかい演劇祭2025』かつ 『ふじのくに野外芸術フェスタ2025』のプログラムの公演を観ました。

駿府城公園 紅葉山庭園前広場 特設会場
2025/05/03, 18:45-20:30
構成・演出: 宮城 聰; 原作: वाल्मीकि [Vālmīki / ヴァールミーキ].
作曲: 寺内 亜矢子; 照明デザイン: 大迫 浩二; 舞台美術デザイン: 深沢 襟; 衣裳デザイン: 清 千草; 音響デザイン: 澤田 百希乃; ヘアメイクデザイン: 梶田 キョウコ.
出演 (S: 語り手; M: 動き手): 本多 麻紀 (ラーマ/S), 美理加 (ラーマ/M), 蔭山 ひさ枝 (シーター/S), 桜内 結う (シーター/M), 山本 実幸 (ラクシュマナ/S), ながいさやこ (ラクシュマナ/M), 舘野 百代 (ハヌマーン/S), たきいみき (ハヌマーン/M), 佐藤 ゆず (ジャターユス/S), 保 可南 (ジャターユス/M), 木内 琴子 (梵天/S), 池田 真紀子 (梵天/S), 吉植 荘一郎 (ラーヴァナ/S), 大高 浩一 (ラーヴァナ/M), 牧山 祐大 (ヴィビーシャナ/S), 加藤 幸夫 (ヴィビーシャナ/M), 貴島 豪 (インドラジット/S), 大内 米治 (インドラジット/S), 小長谷 勝彦 (ヴァールミーキ仙), etc.
初演: 2025年4月29日, 駿府城公園 紅葉山庭園前広場 特設会場 (ふじのくに野外芸術フェスタ2025).

恒例になっているSPACの駿府城公園での野外公演は今年も新作で、 ク・ナウカ時代の作品でSPACで再演した『マハーバーラタ 〜ナラ王の冒険〜』 [鑑賞メモ] に続きインド古典の叙事詩から。 予習不足で物語に付いていけるか不安がありましたが、 『マハーバーラタ 〜ナラ王の冒険〜』よりもシンプルな英雄の冒険譚で、 ヴァールミーキの講談調のナビゲーションもあって、とてもわかりやすく感じました。 様式的ながらアイデア満載のアクションシーン、小型トラックの荷台に載せて大きく移動する楽隊などの演出も楽しみました。 しかし、その一方で、去年の『白狐伝』 [鑑賞メモ] のようなメロドラマ的な物語の方が冒険譚より好みだとも、気付かされてしまいました。

ここ数年、せかい演劇祭でのSPACの公演は駿府城公園 紅葉山庭園前広場 特設会場が続いています。 特設会場の方が小型トラック使用等の自由度がありそうですが、 『マハーバーラタ 〜ナラ王の冒険〜』を思い出しつつ、 美しい夜の静岡県舞台芸術公園 野外劇場「有度」での上演で観てみたかったとも思いました。

3日はここまで。一泊後、4日も午前から青葉シンボルロードで ストレンジシード静岡2025』の続きを観ました。

『ベンチ』
CITYエリア|おまち3 (青葉シンボルロードB3区画)
2025/05/03, 10:00-10:30
作・演出・出演: 角谷 将視, 濱口 啓介.

劇場公演も多いのですが、大道芸フェスティバルにも度々出演している、フィジカルコメディの2人組です。 その名は度々目にしていたのですが、タイミングが合わず、今回初めて観ました。

言葉を用いないパントマイム劇ですが、自身の動きを使って空間を変容させたり状況を描くことではなく、 客弄りというか観客を巻き込んで笑いを作り出す要素の強いクラウン芸的なもの。 と言っても、わかりやすくクラウン的な化粧服装をしていない所は現代的です。 状況に応じた即興的な対応が求められるパフォーマンスですが、 少なからず大道芸フェスティバル等の野外上演をしてきているだけあって、その捌きも巧みでした。

『シワノヴァパレード』
CITYエリア|おまち3 (青葉シンボルロードB3区画) から常磐公園への移動型パフォーマンス
2025/05/04, 11:00-11:30
作: 太めパフォーマンス; 舞台美術: 佐々木 文美; 制作協力: 市川 まや, 佐々木 文美; 音響プラン: 横田 奈王子.
出演: 乗松 薫, 市川 まや.
協力: 北九州芸術劇場; 初演: J:COM北九州芸術劇場 2024年11月.

福岡を拠点に活動する 乗松 薫 と 鉄田 えみ のダンスカンパニーです。 コンテンポラリー・ダンスの文脈で名を知ってはいましたが、観るのは初めてです。 彼女たちが街中でダンスながら移動する様子を観ながら追いかけるという展開を想像していたのですが、 彼女たちのダンスの見せ場はありましたが、むしろ、願いを書いた大きなしわくちゃの紙を観客の皆で持って移動する (パレードする) という、 観客参加型のパフォーマンスという面が強いものでした。

『音のある風景』
CITYエリア|ワークショップひろば[CITY] (葵スクエア) からARTIEへの移動型パフォーマンス
2025/05/04, 11:40-12:05
振付: 鈴木 ユキオ; 音楽: 辺見 康孝.
出演: 鈴木 ユキオ, 辺見 康孝, ほか大勢.

去年に引き続いての [鑑賞メモ] の出場ですが、 今年は駿府城公園ではなく呉服町と七間町という賑やかな商店街が舞台です。 時々動きを止めつつ何十人ものパフォーマーが踊りながら移動するという点は去年と同様ですが、 タイトルにも「音のある」とあるように、パフォーマーの中にミュージシャン (ヴァイオリン) が入り、生演奏が作くようになりました。 賑やかな街中を舞台としたこともあって大人数で風景を変えるという面はより穏やかになった一方で、 特にラストのARTIEなど音楽使いも観客の巻き込み具合も祝祭的な面がグッと出ていました。

呉服町での昼食の後、駿府城公園へ移動。

『儚きものの作り手たち』
PARKエリア|富士見広場 (駿府城公園 富士見芝生広場前)
2025/05/03-05.
Artist: Olivier Grossetête; Builder: Guillaume Gros and Thomas Paulet; 舞台監督: 川上 大二郎 (スケラボ), 守山 真利恵.

「なんだ?ワークショップ」のコアプログラムは、 フランスの作家によるその地の象徴的な建築物の段ボールと梱包用OPPテープで作った模型を、 ワークショップの参加者らと制作、建築、展示そして解体するプロジェクトです。 今回の静岡で制作したのは駿府城天守閣で、4月28日から5月2日の5日間のワークショップでパーツを制作し、 5月3日に現地で建築、4日、5日と展示した後、5日の15時から解体するというものでした。

作業の流れを把握して建築に参加するには、合間だけでは難しそうで、 3日は建築している様子をパフォーマンスを観る合間に見ていました。 4日に通りがかった時には完成していました。

駿府城公園 葵船
2025/05/04 14:00-15:00.
演出・台本: 渡辺 敬彦; 出演: 大内 智美.

SHIZUOKAせかい演劇祭2025』関連企画として、 駿府城公園の堀を一周する葵船を使い、 堀を一周しつつSPAC俳優が『ラーマーヤナ物語』にちなんだパフォーマンスをする、というものです。 3人の俳優が1人ずつ交代でパフォーマンスしました。 定員11名の小さな舟ですので、パフォーマンスと言っても動き回るようなものではなく、腰を下ろしての語り聞かせに近いものでした。 水面の風に吹かれつつ (少々強い時もありましたが)、インドの物語に耳を傾けたり、マントラ唱えたり。 テンション高めな『ストレンジシード静岡』などのパフォーマンスと対照的な、穏やかで優しい語りで、40分ほど異世界へ連れて行かれました。

『ストレンジシード静岡』等を観るのはこれでおしまい。駿府城公園を後にして、静岡芸術劇場へ向かいました。

[この鑑賞メモのパーマリンク]

[4261] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 小杉町, 川崎市, Sun May 11 23:30:07 2025

ゴールデンウィーク中盤5月1日は午後に竹橋へ。この展覧会を観てきました。

Hilma af Klint: The Beyond
東京国立近代美術館 企画展ギャラリー
2025/03/04-2025/06/15 (月休;3/31,5/5開;5/7休), 10:00-17:00 (金土 -20:00).

19世紀末から1930年代頃まで活動したスウェーデンの女性の美術作家 Hilma af Klint のアジア初の回顧展です。 2018年の Guggenheim Museum での展覧会 Hilma af Klint: Paintings for the Future や ドキュメンタリー映画 Beyond the Visible - Hilma af Klint (2019;『見えるもの、その先に ヒルマ・アフ・クリントの世界』, 2022) で 抽象画の先駆者としての再評価が進んでいるという興味で、足を運びました (映画は未見ですが)。

キューレーションで強調されていたのかもしれませんが、予想していたより神智学・人智学からの影響を強く受けた表現でした。 19世紀末の王立芸術アカデミー在学中や挿絵作家としての作品もありましたが、 クリエイティヴ・ピークは1900s-01sの絵画やドローイングで、 1920s半ば以降は主に過去のノートの編集・改訂の作業となっていました。 神智学的な認識を図式として表現したダイアグラムとしての抽象表現ということで、 この時代のポスト印象派からキュビスムのような表現を経て抽象へ至るモダニズム的な色彩と形態の抽象化の流れとはかなり異なった系譜の抽象画でした。 同時代で似たものとしては初期 Bauhaus で描かれた教育の理念や体系を図式的に示したものなどを連想しましたが、 神智学的な認識が着想源という点では、むしろ、シュールレアリズム的な表現に近しいものを感じました。

Feminism and the Moving Image
東京国立近代美術館 2Fギャラリー4
2025/02/11-2025/06/15 (月休;2/24,3/31,5/5開;2/25,5/7休), 10:00-17:00 (金土 -20:00).

コレクションによる小企画は、フェミニズム的な主題のヴィデオアート作品です。 女性の役割とされる料理を俎上に上げた Martha Rosler: «Semiotics of the Kitchen» (1975) を観ながら、 この頃のニューヨークから出てきたポストモダンな作風の女性作家の切れ味の良さを再確認しました [関連する鑑賞メモ]。 日本の作家では出光 真子 が大きく取り上げられていました。 以前もコレクションによる小企画で『女性と抽象』という企画をしていましたが [鑑賞メモ]、 やはり同じ学芸員の仕事なのでしょうか。

所蔵作品展の10室の手前のコーナーが「アルプのアトリエ」で、 アーティゾン美術館で開催中の展覧会 『ゾフィー・トイバー=アルプとジャン・アルプ』 Sophie Taeuber-Arp & Jean Arp [鑑賞メモ] との連動しているのかと思いきや偶然同じタイミングになっただけのようで、アルプ財団から寄贈された新収蔵作品の展示でした。

[この鑑賞メモのパーマリンク]

[4260] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 小杉町, 川崎市, Sun May 11 20:50:01 2025

ゴールデンウィーク中盤4月30日は午後に映画を観た後は、夕方に銀座1丁目界隈で美術展巡りしてきました。

ギャラリー小柳
2025/03/22-2025/06/14 (日月祝休,4/1休), 12:00-19:00.

カナダ出身の現代美術作家2人組の個展です。 立体的なサラウンド・サウンドを使ったインスタレーションでも知られますが、 小さなギャラリーでの個展ということで、小ぶりな壁付けのファウンドオブジェのアッサンブラージュ作品11点が展示されていました。 彼ららしく音が出る作品で、アッサンブラージュの造形も、またシュールレアリスティックで演劇的な時間展開が感じられるという点でも、 2017年に金沢21世紀美術展で見た個展 [鑑賞メモ] のミニチュア版のようでした。

小ぶりのスーツケースを持ち運びの人形劇場に仕立てた Suitcase Theatre (2020/2023) では、 1分程度の寸劇の上演の映像が数本、作品に組み込まれたスマートフォンで上映されます。 人形の造形も肩の力が抜けたユーモアが楽しい作品です。

他の作品はここまで演劇的な仕掛けがあるわけではないのですが、 作品に付けられたスイッチを押すと、数秒から数十秒の音が流れます。 作品に動きがあるというわけではなく、流れる音も明確な筋が作り込まれているわけはないのですが、 音により時間の進みが感じられるようになり、アッサンブラージュされたファウンドオブジェから物語がうっすら浮かび上がるよう。 ボタンを押すことで始まる超短編の人形劇/人形アニメーション観ているような、そんな楽しさを感じました。

鈴木 ヒラク 『海と記号』
Hiraku Suzuki: Ocean and Signs
ポーラ ミュージアム アネックス
2025/04/25-2025/06/08 (会期中無休), 11:00-19:00.

2000年代以降に現代美術の文脈で活動する作家の個展です。 グループ展で観たことはありますが、個展は初めてです [鑑賞メモ]。 この個展ではオブジェへ投影する映像作品もありましたし、インスタレーションなども制作しているようですが、 やはり良かったのは、展覧会のタイトルにもなった縦2m横1.5m程の大きな絵画16点組の『海と記号』。 少々ムラのある深い青の「海」の上に描かれた抽象的なシルバーの「記号」といった題ではあるのですが、 描かれている図像の要素がアクションペインティングでのドリップのようであり、照明の加減もあってか背景の色ムラもカラーフィールドペインティングのようであり、 抽象表現主義的な表現にグッと寄ったように感じられました。

[この鑑賞メモのパーマリンク]