フランス (France) 出身のダンサー Fabrice Lambert のソロは、 照明の Guillaume Cousin とのコラボレーションによる、 1つのアイデアをシンプルに具体化した短い作品だった。 ダンサー/アーティストのバックグラウンドはよく判っていないのだが、 コンテンポラリーダンスというより、 身体性と可視化に関するメディアアートのような作品だった。
床に置かれた5m四方の枠の中に薄く (深さ1cm程度だろうか) 張られた水の 上でのパフォーマンスだ。 パフォーマンスによって生じる水の波紋が、 水面に投射された光によって、後方に設置されたスクリーンに濃淡の紋様を作り出す。 ダンサーのシルエットの回りに光の濃淡の波紋が広がっていくその様子は、 まるでオーラを発しているようだった。 しかし、そこまでは、フライヤやウェブサイトでの写真で想像していた範囲内だ。 ダンサーのシルエットを騙し絵/影絵的に使いグラフィカルな演出するというのも、 よくあることだ (例えば Philippe Decouflé)。
むしろ、意外だったのは、ダンサーの動きがとてもスローだったこと。 激しく水飛沫を立てるような動きは全く無く、 ほとんど静止しているように見えるときも多かった。 そのダンサーの静かな動きや静止にもかかわらず、 その回りには微かながら波紋が生じ続け、 水面に投射された光を通して、光の濃淡の映像としてはっきり可視化される。 このダンサーの動きの無さと、動き続ける波紋の濃淡という、 その静かで微妙な食い違いが、この作品の面白さだ。
事前に写真を見たときは、 どうしてこれで「重力」という題なのだろうと思っていたのだが、 ダンスの前半、 ダンサーが片足立ちで静止している間じゅう足元からくっきり波紋が広がっていく、 その様子を見た瞬間に、はっと気付いた。 それは、人が静かに立っている間、 バランスを取るために微かに揺れ続けている証だ。 この作品におけるシルエットの回りのオーラのような波紋は、 重力に抗しながら姿勢を静かに保つ際に、 バランスを取り姿勢を保とうと微かに身体を振動させている ということを可視化している。
その点で、とても静かなダンサーの動きにも必然があると思うのだが、 音楽も微かな電子音が使われた程度でほとんど無く、照明も暗め。 睡魔に襲われたのも確かだ。 しっかりしたアイデアを一つ持ってきてシンプルにまとめている所は好きだし、 ショーケースの中の1つとして観たらミニマルでカッコいい良いと思うだろうが、 単独でそれだけ観るとなると、物足りなく感じる。 その点は少々残念だった。