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Review: 『thinking on the borderland: art talk session vol.1: 宮川敬一/都市へ侵入するアーティスト』 (美術書)
嶋田 丈裕 (Takehiro Shimada; aka TFJ)
2008/05/13
(thinking on the borderland, no ISBN, 2008-03-31)
via 「お仕事ふたつ」 『ロック中年リハビリ日記・別館』 2008-04-24

アーティストの 宮川 敬一 と、彼の主宰する小倉 (北九州市, 福岡県) の オルタナティヴなアートスペース/カフェ・バー GALLERY SOAP に関する冊子です。 ちなみに、この冊子の基となった、トークセッションのレポートを以下で読むことができます: 花田 伸一 「学芸員レポート: thinking on the borderland: art talk session vol.1 宮川敬一 ── 都市へ侵入するアーティスト」 『artscape』 2007-08。 地方都市においてオルタナティヴなアートというか文化がどうありうるのか、 についての、興味深いドキュメントでした。 とても面白く読みました。 いろいろ意味付けしようと力む 毛利 嘉孝 に対する 宮川 敬一 のいい感じの力の抜け具合が良かったです。 一気に GALLARY SOAP への親しみが湧きました。 一度、呑みに行ってみたいものです。

増田さんの北九州へのオリエンタリズム的視線の話は、 近沢 敬一・大橋 薫 (編) 『都市病理研究──複合都市北九州市を中心に』 (川島書店, 1978) を引き合いに出すこといよって、ぐっと説得力が感じられました。 あと、地方都市における平等にアクセス可能な文化としての音楽の役割への言及は、重要かも。 そういう点で、SOAP における音楽関連の活動をまとめたレポートも載っていた方が、 より興味深い冊子になったのかもしれません。 冊子に載っていたSOAPでのフォーラム (座談会) でも3人の共通項はパンクですし(笑)。 田北 雅裕 「SOAPという場」 (『ジャパンデザインネット』 2004-03-03) でも、音楽が SOAP に多様なアソシエーションをもたらしている要因と指摘してますね。 こういう点は棲み分けが進みがちな東京とちょっと違うな、と思いますし。

それにしても、Command N や studio BIG ART (現 PantoGraph) のようなアーティストランのアートスペースに 自分が出入りしていたのが1990年代末だったこともあるのか、 読んでいて懐かしい気分にもなりました (遠い目)。 SOAP の活動開始は1997年で、Command N や studio BIG ART は1998年、 ほぼ同時代の出来事です。 ちなみに、1999年にオルタナティヴ・スペースに関する討論会が Open Studio NOPE であったのですが (行きませんでしたが)、 その時のラインナップが確か以下の4つでした: スタジオ食堂、command N、Open Studio NOPE、studio BIG ART。 インターネットのどっかに、ドキュメントが残ってないのかなあ……。 そういう時代だったんだなあ、と (遠い目)。 それから10年、こういうテーマの討論会は、今の東京ではありえないような……。 北九州だからこういう討論会/冊子もアリなのかな、と。

といっても、2000年代に入ってちゃんとフォローしなくなってしまいましたが、 こういうオルタナティヴ/インデペンデントなアートスペースは、 それ以降もいろいろ出てきているのでしょう。 また少しはそういう所もチェックしなくては、という気分になりました。 その気分に体がついていくかはまた別……。 いや、これが東京発だったら、単にゆ/ぬるいとスルーしてしまったのかもしれません。 北九州という微妙な場所だから興味深い、というのもあるかもしれません。

この談話室の読者には釈迦に説法のような気もしますが、 こういう現代アートのありかたもあるんだと、たまにはこうして声を上げておくのも悪くないのかな、と。 ここ最近の中国バブルマネーに沸く東京の現代アート文脈のドローイングの少からずが 1980年代の日本のバブルにおけるラッセンのようなものなのではないのかという気がするこの頃だけに。 ベネッセ直島のようなアートツーリズムだけが地方でのアートのあり方ではない、というか。

(以上、談話室への発言として書かれたものの抜粋です。)