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Review: Simon McBurney (Complicite): Shun-kin (『春琴』) @ 世田谷パブリックシアター (演劇)
嶋田 丈裕 (Takehiro Shimada; aka TFJ)
2009/03/07
Simon McBurney (Complicite)
世田谷パブリックシアター
2009/03/07, 19:00-21:00.
Premier: 世田谷パブリックシアター, 2008-02.
Directed by Simon McBurney. Composer: 本條 秀太郎 (Honjoh Hidetaro). Set Design: Merle Hensel, 松井 るみ (Rumi Matsui). Lighting: Paul Anderson Sound: Gareth Fry Costume: Christina Cunningham Puppetry: Blind Summit Theatre
麻生 花帆 (Kaho Aso), チョウ ソンハ (Songha Cho), 深津 絵里 (Eri Fukatsu), 本條 秀太郎 (Honjoh Hidetaro), 瑞木 健太郎 (Kentaro Mizuki), 望月 康代 (Yasuyo Mochizuki), 下馬 二五七 (Nigoshichi Shimouma), 高田 恵篤 (Keitoku Takada), 立石 凉子 (Ryoko Tateishi), 内田 淳子 (Junko Uchida).

Simon McBurney は 1983年に結成した劇団 Complicite を率いるイギリス (UK) の俳優・演出家だ。 この Shun-kin は、2003年の The Elephant Vanishes に続く Complicite +世田谷パブリックシアター共同制作2作目だ。 2008年2月に世田谷パブリックシアターでプレミア公演した後、 今年の1〜2月に Barbican, London の公演を経ての、日本での再演だ。 今まで見逃していて、今回、初めて McBurney の舞台を観ることができた。 セリフが日本語で意味を取り易かったせいか 予想していたよりはセリフ主導の演劇に感じられたが、十分に楽しめた舞台だった。

最も印象に残ったのは、畳や棒などのシンプルな道具とライティングを使って、 舞台上の空間を分節し、部屋や廊下、墓地などに見立てていたこと。 それも、舞台上に複数の場面を共存させ、 それを黒子ではなく俳優自身によって動かさせることにより、 単に襖の開閉といったものを表現させるだけでなく、 複数の場面を接続し干渉させていたことだ。 簡単な道具と俳優自身の動きで空間を作り、 それを動かすことにより空間を変容させ干渉させるやり方は、 パントマイムを思わせる。 (例えば日本のマイム・カンパニー 水と油 が好んでやっていた演出でもある。) そういえば、McBurney ら Complicite を結成したのは École Internationale de Théâtre Jacques Lecoq 出身者だったな、と、そんなことを思い出した舞台だった。

谷崎 潤一郎 の『春琴抄』と『陰影礼賛』に基づいた作品で、 『春琴抄』のストーリーが舞台で展開する。 そのメタな位置に、ラジオ収録のため『春琴抄』を朗読する女性がいて、 その話が『春琴抄』の話を異化する役割を担っていた。 そして、『春琴抄』の春琴の少女時代を人形を使って演じさせ、 佐助の少年、成人、老年の3世代を3人の俳優で分担させて演じさせていた。 複数の俳優に一つの登場人物を担わせるだけでなく、 棒や畳、机を動かすといったことも俳優にやらせることにより、 俳優が名演技である役を演じ切るといったものとは全く異なる舞台になっていた。 俳優は役を演じるのではなく舞台の上に動きを作りだすものであり、 その動きが場面や登場人物を作り出して行くといった方が良い舞台だった。 春琴の少女時代が人形で演じられたことが、それを象徴しているようにも感じられた。 この点もとても興味深かった。

このような作りの舞台作品だったこともあり、 ポスターやフライヤは 深津 絵里 を前面にフィーチャーしたものだったが、 春琴 を演じる 深津 が特に目立つような舞台ではなかった。 むしろ、『春琴抄』の話のせいか、 下馬 二五七 ら佐助を演じた男優勢の方が味わい深かったように思う。 正直、ポスターやフライヤは商業演劇を思わせるもので、 そうだったらイヤだな、と、思っていた。そんなことはなくて良かった。