東京都写真美術館の三階から地階までの4フロアを使い、 ビデオを使った現代美術を中心に現代美術の文脈に近い映画や写真などを集めたフェスティバルだ。 去年の第1回は見逃している。今回は1階ホールの上映を除く展示を中心に、1時間ほどかけて軽く観た。 斬新さを感じるような作品には出会えなかったけれども、 あまり期待していなかったせいか、ユーモアを感じる作品を中心に意外と楽しむことができた。 ゆっくり観るとまた違う発見があったかもしれないが、気になった作家について軽くコメント。 ちなみに右写真はガーデンプレイスに設置された参加作品、 藤本 隆行・真鍋 大度・石橋 素 『Time Lapse Plant/偽加速器 2010 (4 Rings)』。
最も楽しめたのは、セルビア (Србија) 出身でオランダで活動する作家 Katarina Zdjeler。 “Shoum” (2009) は 英語を理解しないセルビア・ベオグラード (Београд) の人に イギリスのグループ Tears For Fears の1985年のヒット曲 “Shout” を聴かせて、 歌詞を書き取らせる様子を捉えた映像作品だ。 聴こえる歌とノートに書かれていく言葉のズレにの中に不条理な交流不可能性を淡々と示す所に、 思わず苦笑したくなるようなユーモアを感じた。 他のアクセントや発音の学習をネタにした作品にも似たようなユーモアを感じ、そこが楽しめた。
アメリカの作家 Paul McCarthy & Mike Kelley による “Fresh Acconci” (1995) は、 Vito Acconci の1970年代のパフォーマンス・ビデオをハリウッド流にリメイクしたもの。 並べて Vito Acconci のビデオを流していたのは親切過ぎかもしれないが、 互いの映像のステロタイプを批判し合っているような所が、可笑しかった。
2階のロビー兼カフェの空間を使っての上映では、ハワイのホレホレ節についてのドキュメンタリー映画 Chris Conyeare (prod.): Horehore Bushi (1984) を観ることができた。 全く偶然だが、ちょうど持ち歩いていた本 『日本残酷物語 4 保障なき社会』 (1978) の中に 「ホレホレ節の歌声」という節があり、これがその歌か、と、とても興味深く観ることが出来た。 ただ、オープンな空間での上映で、映像的にも音声的にも条件が悪かったのは少々残念だった。