アテネ・フランセ文化センターで 『特集 ジガ・ヴェルトフとロシア・アヴァンギャルド映画』 という特集上映 (7/24から8/4まで) が開催されている。 1920年代から1930年代前半の Avant-Garde 期に実験的なドキュメンタリー映像を撮った ロシアの映画監督 Дзига Вертов (born Давид Кауфман) をメインに据えた特集上映だ。 代表作 Человек с киноаппаратом (Man with a Movie Camera, 1929) など、DVD化されているし、それなりに上映される機会もある。 しかし、今回の上映会では、プログラム中3作品が Österreichisches Filmmuseum 所蔵のフィルムで上映されている。 このような機会は稀なので、それらのフィルム上映を観に行った。
Кино-Правда (Kino-Pravda) は、 Госкино (Goskino; ソヴィエト連邦国家映画委員会) が1922年から1924年にかけて制作したニュース映画だ。 新聞 Правда (『プラウダ』) の映画版という意味合いもある。 Vertov はそのキャリアの初期に、このニュース映画の監督をしていた。 Kino-Pravda は20号以上制作されているが (自分が知るものとしては、東京国立近代美術館フィルムセンター所蔵の No.21 (1924) がある)、 今回上映されたのは、最初の9号分。 Kino-Pravda は断片的に何号か観たことがあるけれども、 これだけまとめて観たのは初めて。
まとめて観たせいか、最初期のもののせいか、 以前に Kino-Pravda 観たときよりも 普通のニュース映画らしい印象を受けた。 ちょうど裁判が進行していた Эс-эр 党 (社会革命党) 員の裁判の様子を伝える内容がシリーズとなっていたのだが、 特に画面構成や編集も凝ったことはしておらず、いささか退屈した。 そんな中で、目を引いたのは、No.5とNo.6。 特に、No.5 ではカフェの椅子に座る男の広げる新聞が、映画のタイトル字幕代わりになっているという遊びもあったし、 挿入される字幕にも斜めの文字列を使うなど変化も感じられた。 そして、路面電車の事故の様子を伝える映像や、導入した戦車を紹介した映像、飛行場の整地に戦車を活用する様子などでは、 その近代的な被写体のせいもあるかもしれないが、Avant-Garde 的というか、後の Vertov を思わせるものを感じた。
Госторг (Gostorg; ソビエト連邦国家輸出入事務所) の依頼で Goskino が制作した ドキュメンタリー映画だ。 タイトルは、ソヴィエト連邦の領域が全世界の六分の一を占めている、という所から採られている。 レニングラードから極東まで、北極圏からトルキスタンやカフカスまでのソヴィエト連邦各地の様々な民族と、 彼らが様々な一次産品を採り軽工業製品を作る様子を捉えている。 編集やカメラワークもさほど凝ったものではなく、字幕の使い方も説明的で、 Man with a Movie Camera のような作りには程遠かった。 しかし、一次産品や軽工業の生産の様子だけでなく伝統的な儀式や音楽演奏の様子も捉えており、 当時のソ連邦領域内の様子が伺われたという意味で、興味深く観ることができた。
そして、それらの一次産品を輸出することによって得た外貨で輸入しようと訴えるのは、 単なる工業製品ではなく、「機械を作る機械」だ。 そのメッセージと合わせて、近代的な工場が、ソ連邦各地の伝統的な社会の対比の一つとして示されていた。 もう一つの対比として、アメリカの資本家の生活様式や、欧米の植民地の様子も示される。 もちろん、こういった対比はソヴィエト国家建設の訴えることを意図したものではあるが、 その意図を越えて、当時の世界を複数の側面から立体的に捉えるような興味深さも感じられた。
Госeкино (Goskino; ソヴィエト連邦国家映画委員会) から ВУФКУ (Всеукраїнське фотокіноуправління; VUFKU; 全ウクライナ写真映画局) へ移った Vertov が撮った、ロシア革命十周年記念映画。 ドニエプル川流域の大規模な開発、近代化と工業化を捉えた映像を通して、 11年目に入ったウクライナにおける社会主義国家建設を描いたドキュメンタリー映画だ。 A Sixth Part Of The World と違い、 説明的な字幕は減り、 遠近短縮法のようなアングルの画面や、極端なクロースアップ、そして、画面合成など、 カメラワークや編集も凝っている。 続いて ВУФКУ で撮った Vertov の代表作 Man with a Movie Camera (1929) に近い作りの映像で、そこを興味深く観ることができた。
特に、印象に残ったのは画面合成だ。 画面下半分に遠景に捉えた鉱山の小山を、そして、画面上半分に鎚を振う鉱山労働者の姿を合成し、 まるでその労働者が小山を突き崩しているかのように見せたり。 もしくは、デモの行列を数層重ねて大群衆を表現したり。 最も印象に残ったのは、電力施設の建物や鉄塔を下から見上げるようなアングルで逆光によるシルエットとして撮り、 そのシルエットの中に機器の回転する様子を合成した所。 もちろん、巨大な鉄骨の橋形クレーンを、遠近短縮法のような極端なアングルで動きながら撮らえたり。 そういう映像を通して近代化、工業化によるダイナミックな社会変革を表現していた。 そして、そこが、メタ映画とも言える Man with a Movie Camera との違いだ。
会場で Dziga Vertov が監督した映画のDVD 2タイトルを入手することができた。 一つは、Entuziazm (Simfonija Donbassa) (Edition Filmmuseum, 01, 2005, 2DVD[PAL/0])。 Энтузиазм (Симфония Донбасса) (Enthusiasm (Donbass Symphony), 1930; 『ドンバス交響曲』) に、 この修復に関するドキュメンタリー、Vertov が私的に撮影したフィルム等を付録に付けた2枚組だ。 ソヴィエト連邦初のトーキー映画だが、当時の音を修復して収録したものが収録されている。 もう一つは、Šestaja čast' mira / Odinnadcatyj (Edition Filmmuseum, 53, 2009, 2DVD[PAL/0])。 今回の上映会で上映された Шестая часть мира (1926) と Одиннадцатый (1928) を合わせた2枚組だ。 これらはサイレントだが、Michael Nynam による音楽が付けられている。 2タイトルとも、字幕はドイツ語もしくは英語を選ぶことができる。 ざっと内容をチェックしただけで、まだちゃんとは観ていないが、 修復されたものが収録されているようで、フィルムの傷も目立たず、画質音質共にかなり良い。 パッケージもメニューもミニマルでモダンなデザイン。いかにもドイツ語圏らしい。丁寧な作りのDVDだ。 これらのDVDをリリースしているのは Edition Filmmuseum。 ドイツ語圏4カ国ドイツ、オーストリア、スイス、ルクセンブルグの11映画博物館・アーカイヴによる共同プロジェクトで、 2005年より各アーカイブの映画のDVD化を進めている。Vertov 以外のカタログもかなり興味深い。
サイレント映画のDVD化情報源として、自分は、 ウェブサイト Silent Era のお世話になることが多い。 しかし、このサイトには Edition Filmmuseum の情報は全く無ありません。 やはり、このサイトの情報はアメリカ中心なんだなあ、と。 非英語圏の情報もちゃんとチェックせねば、と反省しました。
Österreichisches Filmmuseum 所蔵のフィルムでも、 Дзига Вертов (Dziga Vertov) の映画でもないが、 観たことが無かったので、観ておく良い機会かなと、この上映会で観た映画について、併せて。
Олександр Довженко (Alexander Dovzhenko) はウクライナの映画監督で、 この映画も ВУФКУ の制作したサイレント映画だ (ただし、今回は音楽が付けられたバージョンで上映された)。 続く2作、Арсенал (Arsenal, 1928) と Зeмля (Earth, 1930) とで、 “украинской трилогии Довженко (Dovzhenko's Ukraine trilogy)” と呼ばれている。
話はウクライナにある宝が隠された山 Zvenigora の伝説に基づいている。 伝説を伝える老人とロシア革命で赤軍と白軍に分かれて戦うこととなった2人の息子の話が中心になっているが、 ある一つのスタイルで3人の間の葛藤を緻密に描きこんでいくような映画ではない。 大昔の伝説の話から1920年代のウクライナの社会主義国家建設まで、 様々なスタイルで作られた映像が、 伝説や3人にまつわる話によってかろうじて繋ぎ止められているような映画だ。 特に、魔術的リアリズムを思わせるような演劇的な映像で描かれる伝説の話の映像と、 いかにも Avant-Garde というアングルやモンタージュで描かれる内戦の戦闘シーンや 近代化された工場や農場を捉えた映像の落差が大きく、 その異化作用で映画の世界に入れなかった。 近代化や工業化を描いた映像は Vertov とも似て馴染み深いものもあったので、 むしろ、伝説を描いている所での映像の作り方に Avant-Garde のもう一面を見たようで興味深く感じられた。