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Review: Stan's Cafe: Of All The People In All The World - Japan (『私が一粒の米であったら』) @ 世田谷区生活工房ワークショップルーム (パフォーマンス/インスタレーション)
嶋田 丈裕 (Takehiro Shimada; aka TFJ)
2010/09/20
世田谷区生活工房ワークショップルーム
2010/09/15-09/22 (会期中無休); 13:00-17:00 on 9/15; 13:00-19:00 on 9/16,17,21; 11:00-17:00 on 9/18,19,20,22.

Stan's Cafe はイギリス・バーミンガム (Birmingham, England, UK) を拠点に活動する劇団 (theatre company)。 彼らが2004年から展開しているパフォーマンス Of All The People In All The World の日本版が、 三軒茶屋キャロットタワー4Fの生活工房ワークショップルームで行われている。 パフォーマンスというよりワーク・イン・プログレスのコンセプチャルなインスタレーションに かなり近いものだったが、さりげないユーモアが楽しめた。

入口には生の米粒が入ったボールが置かれ「一粒お持ち下さい」と。 一粒摘んでスペースに入ると、あちこちに敷かれた白い紙の上に米粒の山が作られている。 例えば「この人たちは、パキスタンで洪水の被害に遭っている」といったキャプションが書かれ、 その紙の上にパキスタンの洪水被害者数分の米粒が山を成している。 ある意味で、災害や戦争・犯罪、経済や貧富など、 社会問題を米粒の山を使って直感的にプレゼンテーションするかのようなインスタレーションだ。 確かに白い紙に白い米粒で抽象化されたミニマルな色形は遠目にスタイリッシュだが、 社会問題をプレゼンテーションするならもっと良い方法があるだろう。

しかし、米粒の山に近づいてキャプションを読んでいくと、 扱われているのはシリアスな社会問題だけでは無いことに気付かされる。 日本の独身者の数の山の隣に、Fela Kuti の妻の数の米粒を並べたものが置かれたり。 「この観客たちは、「彼に食べさせろ!!」と叫び続けた。ネイサンズ国際ホットドック早食い選手権で 小林 尊 が視覚を失っても競技を続けようとしたために逮捕されたのに対して (コニーアイランド、2010年7年4月)」というのもあった。 ほとんどはシンプルな山となっていたが、 例えば、「ドイツ 0-2 ブラジル W杯決勝 (横浜国際競技場、2002年6月30日)」 では、サッカー場のスタンドを象った観客数の米粒の輪の中、 選手と審判の数だけグラウンド状のスペースに並べられていた。 そんな所に彼らの言う「米粒が演じる演劇」を少し感じる時もあった。

最も笑ったのは、窓際のシンクに置かれていた 「私たち、落ちてみました、ナイアガラ滝から、樽や樽に類する物に籠って」と 「私たち、落ちてみました、ナイアガラ滝から、樽や樽に類する物に籠って。で生き残った。」。 そして、前者には16粒、後者には11粒の米粒が並べられているという。 シンクを使って滝を思わせる配置になっているうえ、 生還できなかった人の数がその差に示唆される所に、ブラックなユーモアを感じた。

スペースの一角にはテーブルが置かれ、 そこには計量機器やノートパソコン、統計資料等が並べられていた。 研究員か技官のような身なりをしたパフォーマーは真面目な顔をしてそこに向かい、 黙々と次のネタを仕込んで、というか、米粒の山を作っていた。 さらに、時々、テーブルから離れて、米粒の山を厳しくチェックするかのように歩いて回ったり。 米粒の山の意味を知っていた上で見ると、その真面目な素振りも可笑しく感じられた。

一歩間違えると社会問題を逆に回りくどく判りづらくプレゼンテーションしたかのような つまらないインスタレーションになりかねない作品だが、 さりげなく仕込まれたユーモアがそこを救っていた。 そして、判り易く派手なパフォーマンスをしていたわけではないけれども、 パフォーマーの変に真面目そうな素振りもそんなユーモアの仕込みの不可欠な一部だった。 そして、そこに、 現代美術の文脈におけるワーク・イン・プログレスのインスタレーションにはあまり無い、 劇団によるパフォーマンスらしさを感じた。

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