Christoph Marthaler はチューリヒ (Zürich, CH) 出身で、現在はドイツ語圏の劇場で活動する作曲家・演出家だ。 バックグラウンドや作風の予備知識はほとんど無かったのだが、音楽劇への興味で観に行った。 Marthaler はカンパニーを主宰しているわけではないが、 舞台美術やドラマトゥルグ、俳優など一緒に活動するチームといえるものがあるようで、 この作品もそのチームによるもの。 現在の先進国に広がる中間層から新貧困層 (プレカリアート) への転落を、 憂鬱とユーモア、そして微かな希望を交えつつ静かに歌う、淡々として奇妙な音楽劇が楽しめた。
俳優にはそれなりの役が割り当てられているが、個性的な内面は割り当てられてはおらず、 例えばある登場人物の転落の悲劇のような転落が明瞭な物語が演じられるわけではない。 むしろ、俳優の服装がスーツや上品なワンピースのような姿から「ドレスダウン」して 最後には安っぽいスポーツ服 (イギリスにおける chav を連想させるような) のようになっていくこと、 そして、舞台に中央に配置された木製の家具のゆったりとした居住まいから舞台端等に設けられた安物のプラスチックやアルミパイプが置かれた狭いガレージ住まいになっていくことで、 また、セリフというよりむしろ読み上げられるテキスト (2008年の金融危機に関わるような) によって、暗示するかのように示される。
そんな変化が明確に象徴的に示されるような場面は、 J. S. Bach: Wachet auf, ruft uns die Stimme, BWV140 をBGMに「ドレスダウン」をファッションショーで示す場面くらい。 舞台は、間合いを多用した断片的な歌を添えつつ、淡々とうつろっていく。 歌は classical な合唱曲が中心で、17世紀の Monteverdi から20世紀の Alban Berg まで広く取られていたようだ (といっても、自分は classical music に疎く、使われていた曲が聞き分けられたわけではない。クレジットに従えば)。 もちろん歌は俳優自身によって歌われるし、伴奏に用いられるキーボード等も俳優自身が弾いている。 キーボードや歌は classical な訓練を受けたと思われる程巧いけれども、 キーボードの音はささやかで安っぽく、opera のように技巧的に歌い上げるような場面はほとんど無い。 むしろ、断片が反復され、静かに合唱される。
そんな中で最も印象に残ったのは、 L. van Beethoven: Fidelio の “der Gefangenenchor (the prisoners' chorus; 「囚人たちの合唱」)”。 エンディングにガレージ内で歌われていたのも象徴的だったけれど、 劇中何回か俳優中からわき起こるかのように静かに合唱されていた。 照明が暗くなった中、街頭の下に集まりオレンジの光を見上げるようにして歌う場面が中盤があったのだが、 ここがこの作品の中で最も美しく感じた場面だった。
もちろん、classical なものだけでなく、 “Lili Marleen” のようなポピュラー・ソングも使われていた。 登場人物の居場所が主にガレージ内に移った後、ガレージでのパーティ音楽として使われていたのが Bee Gees: “Stayin' Alive” (1977)。 映画 Saturday Night Fever で使われた 70s disco のヒット曲が、 2000年代の新貧困層のパーティ音楽として使われていることに違和感を覚えた。 こういう場面で流すのであれば例えば Grime のような音楽の方が合っているだろう。 classical な音楽を中心に聴いている人にとっては、 70s disco も Grime も同じようなものなのかもしれないけれども、 そこにこの作品を限界を見たような気もした。
淡々とした作品で、判り易く笑わせるような場面は無いけれども、ユーモアを感じさせる所も少なくなかった。 演出というよりも、俳優のキャラクターに追う所が多かったとも思うけれど。 特に、ヘタウマな trumpet も吹いていた Lars Rudolph (ちょっと神経質そうな若者という感じ)、 小太りの体型も可愛らしい Bettina Stuchy が気に入ってしまった。
Marthaler はこのような現代的な音楽劇だけではなく、オペラの演出も手掛けている。 2008年には Opéra national de Paris で Alban Berg: Wozzeck を演出している。 Riesenbutzbach での淡々とした舞台からは Wozzeck は想像し難いものがあるだけに、 どんな演出をしたのだろうかと気になるものがある。