神保町シアターでは ゴールデンウィークの4/28〜5/6の9日間、 『巨匠たちのサイレント映画II』 という日本のサイレント映画の特集上映が開催されていました。 それも、全上映ピアノ生演奏付きで、いくつかはさらに活動弁士付きという豪華な内容。 今年の1月の第一回に続いて2回目の特集ですが、 第一回は気付かず見逃し痛恨でした。 今回は4回5本を観ることができました。
成瀬 のサイレント時代最後の作品。 『夜ごとの夢』や『君と別れて』などサイレント時代の代表作に比べ少々評価の低いのですが、 市電の走る銀座のカフェーを舞台に、その2人の女給を主人公とする映画。 期待通り、戦間モダン銀座の雰囲気を充分に満喫することができました。 2回の自動車事故が物語の鍵になっていて、ドライブシーンもモダンだなあと。
忍 節子 演じる 杉子 は上流階級の男性に見初められて結婚するものの 身分違いゆえ姑小姑と上手くいかず結婚は破綻し夫は自動車事故死、女給に戻ります。 香取 千代子 演じる 袈裟子は 杉子 を出し抜くような形で映画女優となるものの その世界に合わずに止めて、女給時代からの知り合いの貧乏画家と結婚。 下層階級である女給の生活から抜け出すことを夢見て一時は実現するものの、 結局は元の下層階級での生活に落ち着きや幸せを見付ける、という物語の保守性もメロドラマチック。 夫の死に際に姑小姑に「言ってや」ったので、少しは締まった気もしましたが。
結局、戦間期モダンな銀座の雰囲気や、二人の主人公が比較的自分の好みだったことに、 観ていて救われたというか、映画の世界に引き込まれたところがあったかもしれません。 ちなみに、杉ちゃん袈裟ちゃんなら、袈裟ちゃんかなー。 しかし、良い環境でよく出来たサイレント映画観ると、 観ているうちにサイレントであることを忘れるものだなあ、と。 見終わった後、銀座の雑踏や杉ちゃん袈裟ちゃんの声を聞いた気がしました。
帰ってから『限りなぎ舗道』について調べていて、 御園生 涼子 「都市・メディア・女給 —— 初期成瀬巳喜男メロドラマにみるモダニティの経験」『UTCPワークショップ「身体の思考・感覚の論理」』(2004) [PDF] という資料を見付けました。 内容はToCと引用集、参考文献のみですが、参考文献は作品理解の手がかりになりそうです。 あと、Eclipse Series 26: Silent Naruse (The Criterion Collection, 2009) というDVD box set が出ていることに気付きました。 音楽を手掛けているのが Robin Holcomb and Wayne Horvitz というのもとてもそそられます。
小津のサイレント映画は生誕百年の2003年前後に一通り観たし (多くは NHK BS2 ででしたが)、 今回はパスしていいかなあ、と思っていたのですが。 『限りなき舗道』を観てサイレント映画をもっと観たくなってしまったので、この3本を観てきました。 せっかくなので、観た映画について簡単なメモ。
Buster Keaton とまではいかないものの、 ラストの汽車とトラックの並走をはじめ動きも派手な軽妙な短編コメディ。こういうのはかなり好み。 一緒に住む労働者階級の親友男2人が、助けた宿無しの女をめぐって仲違い。 しかし、近くに住む学生と女は仲良くなってしまい都会へ出て行ってしまうという。 そんな彼女を快く2人見送るラストのせつない余韻でアクション・コメディを〆るのも小津らしいかも。
昼は会社事務員 (タイピスト) として夜は酒場女として働く 岡田 嘉子 演じる女 (ちか子) が主人公。 姉が酒場女として働いていることを知り、 大学進学を目指す自分の学費のためと思い弟は自殺。 自殺してしまうこと以外は、さほど意外な展開はなく、 むしろ、室内風景とかをモンタージュして繊細な心の動きを淡々と描くような映画です。 ちか子は社会主義者で酒場女として働いているのは資金稼ぎのためという設定が元々あったようですが、 そこが削られたことにより、弟の学費のために自己犠牲で働く女性のせつない物語、みたいになってしまったのかもしれません。
病気の娘の医療費のために強盗する男と、それを追う刑事と、それをかばう妻。 警察に追われて逃げ回る前半のシーンより、 家に戻って、追ってきた刑事に家に踏み込まれてからの、 密室での緊迫と人情のゆらぎを丁寧に描くところが、いいですね。 Лев Кулешов: По закону (『掟によって』, 1926) を連想させられる、というか。 夫婦を演じる 岡田 時彦 と 八重 恵美子 は『東京の合唱』 (1931) と同じ。 強盗をした男の職業はアーティストのようで、 男の室内は戦間期のモダニズムやアヴァンギャルドを思わせる絵やデザインがけっこうあります。 キリル文字の書かれたものもあるし。 昔に観たときはそういうったところがツボにはまったような気がするんですが、 今回はそれほどモダンに感じられなかったのは、 前日に『限りなき舗道』 (成瀬 巳喜男, 1934) を観たばかりだったからでしょうか。
というか、小津サイレント3本続けて観て不完全燃感が微妙に残ってしまったのは、 主要な女性登場人物が和服で、 『限りなき舗道』のようにモガというか洋服の女性が出てこなかったからのような気が……。
横浜を主な舞台とした映画で、戦間期モダンな港町の風景を堪能できた映画でした。 2人の仲の良かった女学生の対称的な人生とその差の生む悲哀を描いた映画で、 一方は恋愛がらみの傷害沙汰で娼婦に身を落とし、 もう一方はハイカラな家庭の主婦に収まるという。 再開して一時は身分を超えた交流をするものの、 結局、元の世界へというのもメロドラマのお約束でしょうか。 モダンな風景を捉えた映像と「世間が許してくれねえ」的なメンタリディが同居するあたりに、 なんとも奇妙な印象を受けました。
結局、神保町シアターの特集上映 『巨匠たちのサイレント映画II』は、 4回5本観る程楽しんでしまいました。 ピアノ生伴奏だったのにそれぞれの演奏の印象が残っていないのですが、 それだけ映画の内容にあった良い演奏だったということでしょう。 普段、サイレント映画は家でDVDで観ることが多いのですが、 そこに付いている音楽が気になる (ある程度音楽にこだわってDVDを選んでいます) のは、 家で観るような環境では映画に集中できていないことなのだろう、と気付かされました。 今回はスケジュールが合わずに活動弁士付きの上映は観られなかったのですが、 次の特集上映が実現した際には、時代劇映画を活動弁士付きで観たいものです。
ところで、先日、 御園生 涼子 「都市・メディア・女給 —— 初期成瀬巳喜男メロドラマにみるモダニティの経験」『UTCPワークショップ「身体の思考・感覚の論理」』 (2004) [PDF] という資料を紹介しましたが、その後、 御園生 涼子 『映画と国民国家 —— 1930年代松竹メロドラマ映画』 (東京大学出版会, 2012) という本が近日刊行予定であることに気付きました。 目次に 成瀬 巳喜男 の名が無いのが気になりますが、とても面白そうで、楽しみです。