オーストラリアのカンパニーによる一人芝居。今までの作風等全く知らないのだが、 2011年の Edinburgh Fringe での 評判も良く、 何よりウェブから伺われる雰囲気が とても自分の好みそうだったので、静岡まで足を運んでみた。 おそらくヘタウマというか脱力系ユーモアを感じさせるパフォーマンスだろうと予想していた。 しかし、手作り感も残しながらスタイリッシュでアイデア溢れた演出で、 作品世界への引き込み方も巧みで最後にはうるっとくるほど感情移入させられた。 良い意味で期待を裏切られた、面白い作品だった。
この作品は人形劇とアニメーション映像、そして、自身による演技と生演奏も交えたパフォーマンスだ。 それも、それらの切り替え組み合わせを、異化として作用するようにではなく、 むしろ想像力を喚起させる契機となるように使った作品だ。 アニメーション映像の部分がいわゆる「アート・アニメーション」的な表現であったこともあり、 その分野で用いられる非現実的な変形によるシュールな場面転換を、アニメーション外にも拡張したよう。 投影スクリーンが半透明だったことも、映像と人形や実演を使った表現の組み合わせの幅を広げていた。 映像を投影スクリーンが円形で、それを様々なものに見立てていくあたりなど、Robert Lepage の 『月の向こう側』 (The Far Side Of The Moon) を連想させられた。
観客の作品世界への引き込み方も巧みだ。 最初のライブ手書き風のイントロのアニメーション、そして、 冒頭の妻の死のシーンの後のこれから冒険話を始めるというオープニング・ソングの弾き語りで、 掴みも完璧。 また、アニメーションの絵にしても人形にしてもリアルな造形ではなく、 むしろ手作り感溢れるものだが、それを逆手に取って、 その単純な造形の微妙な動きを感情の表現として活用していた。 深海冒険中の主人公の造形が人間的な顔すら見えない潜水服姿なのだが、 表情が見えない故に、逆に、頭部のちょっとしたアングルの違いや 手足に相当する指先のちょっとした動きにすら、感情を想像させられる。 「ちえっ」とちょっと残念な気持ちを表現するかのように足を蹴る動きなど、印象的だった。 そしてそんな表現を積み重ねて、観客の主人公へ感情移入を高めていくようだった。
「イザナギとイザナミ」か「オルフェウスとエウリディケ」かと思わせる 終末的な世界において死んだ妻の魂を追いかける話に、 自己犠牲により世界が救われ妻と再び結ばれるというエンディングを繋げた話は、 リアルな心理や舞台を描いた話ではなく、神話的というか寓話的。 にもかかわらずここまで感情移入させられるか、と、思わず感心したパフォーマンスだった。
ちなみに、これは ふじのくに⇄せかい演劇祭 2012 への参加作品として上演されたもの。 もっと多くの人に観て欲しいし、他の作品も観てみたいので、都内の公共劇場あたりでまた呼んで欲しい。