国立新美術館による現代美術作家のアニュアルのグループ展。 例年同様ディレクションを全く感じられなかったが、 個々の作品は面白く感じられたものも少なくなく、楽しめた展覧会だった。 印象に残った作品について個別にコメント。
東亭 順 の作品は使い古したシーツをオイルやニスでしみを浮かべ上がらせたもの。 こういう素材を使った作品は得てして使用者の記憶や痕跡を感傷的に雑然とまとめたインスタレーションになりがちなのだが、 そういわれなければ気付かないほど、すっきりまとめあげていた。 しみのついたシーツはキャンバスのように仕上げられまるで抽象表現主義〜ミニマリズムの絵画のよう。 展示は壁掛けではなかったが、ギャラリーを横切る枠にきっちりはめ込まれ、モダンなパーティションのようになっていた。 そして、そういう素材の突き放し方が良く感じられた。
暗い画面の中に人物や木々、岩などを光るように浮かび上がらせる写真で知られる 志賀 理江子 は、 大判のプリントを自立するパネルに仕上げて、それをギャラリー内に所狭しと並べていた。 鑑賞する者はそのパネルの間の縫うように歩いて見て回ることになる。 写真は現在の拠点としている 北釜 (現 宮城県名取市内) の様子を捉えたものだが、 いわゆる民俗的な祭事や日常をくっきりとした画面で記録したようなものではない。 暗い森の中を彷徨いながら白く浮かび上がる物や人物に遭遇していくようで、 以前から感じていた David Lynch の映画の雰囲気にますますそれに近付いたよう。 写真の作風にマッチした展示の仕方だった。
國安 孝昌 の丸太と陶片ブロックをマッシブに積み上げた作品は、 以前にも類似の形状の作品を観たことはあるが、ギャラリー狭しという規模やかなりの迫力。 Darren Almond の月夜の風景を長時間露光で昼のように撮った写真連作は、 その薄暗くコントラストの低い画面が作り出す淡く静かな雰囲気が良かった。 Yeondoo Jung の子供の描いた絵を実写写真で再現したシリーズはユーモラスで良いと思ったが、 年寄りへのインタビューの映像化となると作為を感じてイマイチだった。 作家がどこまでズレを演出すべきか、そのバランスは難しいなあ、と。