21世紀の「社会に対する意識に変化を与えるデザイン」の実践を集めたという展覧会。 デザインというより現代美術の文脈の作品も出展されていた。 正直に言えば、展示されていた作品を観て、見逃しがちな社会の仕組みに気づかされたようなことはなかった。 特に社会の構造を可視化するかのような作品に恣意性を排除する等の意識に欠けるものが多いため、 世界に触れる、というより、表現のため世界を恣意的に利用するような実践の方が目立っていた。 統計的な手法も駆使したデータジャーナリズムも、 The Gurardian 紙にみられるよう、既に日常的な実践となっている。 そこに問題や課題が全くないとは思わないが、そういった地道な実践に接していた方が、まだ「世界に触れる」ことができるだろう。
そんな中では、純粋に知覚・感覚を弄るような作品は比較的楽しむことができた。 ギャラリーいっぱいに腰程の深さに黒い水を張り、その中に作られた通路に観客を歩かせることにより、 水面に反射して上下反転した視界を体感させる Richard Wilson: No Numbers (2013) など、 それだけのミニマルさも含めて楽しんだ。
ディスプレイ、パッケージ、空間等のデザインで知られる (例えば Issey Miyake とのの仕事) デザイナーの展覧会。 展覧会タイトルにもなった結晶を析出させて造形するような作品など、 『セカンド・ネイチャー』展 (21_21 Design Sight, 2008) などで観たことのある作品のヴァリエーションも多かったが、 東京都現代美術館の広い展示空間を贅沢に使った分だけ楽しめた。 Rainbow Church のプリズムの分光の効果を使ったステンドグラスの再現など、 この美術館の高い吹き抜けの空間があってこそ。 ドキュメンタリ映像をみるまでもなく展示された作品の造形を得るまでに多くの試行錯誤を重ねたであろうことも伺われる。 しかし、展示が美しかっただけに、もしくは、『うさぎスマッシュ』展を観た直後のせいか、 その表層だけという薄っぺらさが少々気になったのも確かだった。