家で観ている映画の話。島津 保次郎 のラブコメ二本まとめて。
小津 安二郎 『浮草物語』 などサイレントの名画もまだ作られていた1934年に制作された、 島津 保次郎 による最初期のトーキー作品。 田園調布の隣り合う文化住宅に住む家族のような付き合いをする二家族の、 服部家の次女、女学生の 八重子 (逢初 夢子) と新井家の長男、帝大生の 恵太郎 (大日方 伝) の、 兄妹のようなちょっと恋人同士の関係になりかかったような微妙な関係の日常を描いた ロマンティック・コメディというか「ラブコメ」です。 嫁ぎ先から出戻ってきた八重ちゃんの姉 (岡田 嘉子) が 恵太郎 を誘惑し二人の関係が 少々揺らぐものの、ドラマチックな展開はほとんど無く、他愛無い日常会話で話は進行していきます。 しかし、それがまた面白いのです。
初期トーキーというと、 溝口 健二 『藤原義術江のふるさと』 (日活, 1930) のよう歌手をフィーチャーしたり、 五所 平之助 『マダムと女房』 (松竹, 1931) のようにジャズ演奏の場面を作ったり、 音楽を聴かせる場面を作りがちなのですが、 この映画は八重ちゃんが歌を口ずさみながら歩たり、恵太郎が鼻歌歌いながら勉強する場面がある程度。 むしろ、さりげない日常生活の会話をはっきり言わなかったりするような所も含めて 自然に捉えることで字幕には出来なかった表現に挑戦しているよう。
例えば、八重ちゃんの家で恵太郎がお茶漬けを頂きながら留守番している所に 八重ちゃんが女学校友達の悦子さんを連れて帰ってきた場面で、 隣の部屋から漏れ聞こえてくる二人の女子トークに恵太郎がどぎまぎする所。 もしくは、直した靴下を届けに入った恵太郎の部屋での場面で、 恵太郎にからかわれてちょっと拗ねたり言い淀んだりするする八重ちゃんの口調による表現など。 それに、アハハという八重ちゃんの会話に交じる軽く明るい笑い声。 今から見れば当然のような事ですが、サイレント映画をそれなりに観てきていると、 これに類する表現はサイレントではあまり見ないように思うし、 これを字幕とモンタージュで自然に表現するのはなかなか難しいだろうなあ、とも。 そんな日常の何気ない面白さを、その会話も含めて絶妙に映画化しています。
サイレントからトーキーの移行期という背景を知らなくても、 昭和初期の裕福な中産階級の家庭の様子も伺える 昭和モダンな「ラブコメ」が、現在の視点から見てもあまり違和感なく楽しめます。 八重ちゃんと恵太郎の関係が微笑ましくておもわずにっこりしてしまいます。 しかし、帝大生と女学生といえば当時のエリート・カップル。 ましてや、恵太郎は「フレデリック・マーチに似ている」と言われるほどの男前だし。 八重ちゃんに恵太郎さんのような人がいて「羨ましい」という悦子さんの言葉は、 この映画の主要なターゲットを思われる当時の女性の観客の気持ちを代弁させるようなものだったのかな、とも思ったり。
当時「松竹三羽烏」として売り出し中だった 松竹の二枚目男優三人組、上原 謙、佐分利信、佐野周二をフィーチャーした 島津によるロマンチック・コメディ。 もっと俗っぽいアイドル映画かと思いきや、それなりに洗練されたコメディでした。。
同じ採用するなら美男子の方が良いという社長令嬢の意見によって 銀座の店鋪に店員として採用された同期三人というのが、三羽烏の役。 それぞれに結婚を約束した仲の女性がいたが、 「審査員のつもりで」三人それぞれに会ってみた令嬢の態度に、三人とも好意があるかと勘違い。 それまでの相手をうっちゃってすわ三人で恋の鞘当てか、というところで令嬢の結婚話を聞いて、 (どろどろした愛憎やよりを戻す紆余曲折があってもおかしくなかろうに、それをあっさり省略して、) それぞれが元の鞘におさまりほのぼのハッピーエンド。
そんな物語の背景の当時のモダンな風俗も興味深いのですが、 最も興味深いのは、三羽烏の役のそれぞれを山の手出身者、下町出身者、地方出身者として 少々類型的な性格付けながら描がき分けていること。 同じ作品中に並行して描かれるだけに、 それぞれの日常の生活レベルだけではなく男女関係や配偶者の見付け方の違いまで浮かび上がるよう。 昭和モダンの階級社会的な側面も伺われます。
山の手の文化住宅に住む 谷山 は、ブルジョワ階級の社長一家より下ですが、中産階級でも上の方。 一方、タバコ屋の二階で下宿暮らしの 加村 や 三木 は中産階級でも下の方。 それぞれの相手の女性も特徴的で、谷山 は家族公認のお付き合いをしている和装のご令嬢。 下町出身の 加村 の相手は失業時代に同棲していたダンスホールのダンサーで、ダメな相手を養えるくらい自立したモガ。 地方出身の 三木 は上京前に地元で決めてきた許嫁。 そんな中では、加村 とその同棲相手の 順子 の関係を最も丁寧に描いていました。 この二人の関係だけで、映画一本作れそう、とか思ったり。
この映画を基準に当時の他の映画の社会階層を推測すると、 島津 『隣りの八重ちゃん』 (1934) の八重ちゃんちは、郊外で女中もいないので、ちょうど谷山と加村・三木の間くらい。 小津 『一人息子』 (1936) は 加村・三木 より下で労働者階級からなんとか這い上がろうという所。 小津 『淑女は何を忘れたか』 (1936) は谷山と同じクラスか、その上のブルジョワ。 さらに、この下に『東京の宿』 (1935) で描かれるような労働者階級の世界が広がっているという感じでしょうか。
もちろん、そんなこと気にせずに見ていて充分に楽しいですしコメディです。 笑いを狙って誇張した演技とかは使わず、自然なやり取りで笑いを作っているところも良し。 まだ戦時色の感じられない昭和モダンな東京の風俗も堪能できます。 三人を翻弄する令嬢を演じる 高峰 三枝子 の美しさ、 特に自邸に 上原 謙 演じる 谷山 を呼んでの 美男美女の絵になる場面など、見所も作ってありますし。 かなり良く出来た娯楽映画でした。