最近家でよく観ている戦前の松竹映画から (NFCじゃないですよ)、 野村 浩将 監督のコメディ2本を併せて紹介。
この当時の松竹が力をいれた映画ジャンルに「女性映画」 (女性を主な観客と想定して制作された映画) があった。 主な登場人物が女性で、婦人雑誌の連載小説のなどが原作としてよく使われたりもした。 中でも『婦人倶楽部』連載小説を映画化して大ヒットしたメロドラマ映画『愛染かつら』 (1938) が有名で、 松竹女性映画はメロドラマというイメージが強いが、 中には軽妙でシャレたロマンチック・コメディというか「ラブコメ」もあった。 この『母の戀文』は、『婦人之友』連載小説 稲田 早人『突貫花嫁』を、『愛染かつら』はもちろんのこと サイレント・コメディ「与太者シリーズ」でも知られる監督 野村 浩将 が映画化したもの。
この映画は 高瀬 良一 とその新妻・夢子、妹・八重子を中心に展開するコメディだ。 親に内緒での交際から結婚に至るまでのドタバタを描いたコメディという面もあるが、 むしろ結婚が決まってからの恐妻コメディ的な展開が面白い。 終盤、高瀬の母の書いた昔の恋文を高瀬の浮気の証拠と夢子が勘違いしたことに発する騒動という山があるものの、 大きな話の流れが弱く、細かいエピソードが単調に続くのが惜しいところ。 最後の「与太者」シリーズ『与太者と小町娘』 (1935) とほぼ同時期の映画で、 トーキーとはいえサイレントか舞台の喜劇かと思わせる大げさな演技や演出も気になるが、 俳優たちの演技の巧さに救われている。 登場人物は風刺的に類型的で機微な心理描写も無いので、 前年の 島津 保次郎 『隣りの八重ちゃん』 (1934) のトーキー的に自然な演技・演出での繊細な心理描写に比べても、 物足りなく感じる。
といっても、和装の若奥様の夢子と洋装モガの八重子という見た目は対照的ながら、 中身はしっかりモダンでおきゃんな女学生気質の仲の良い二人が、 頼りない男達 (唯一しっかりした二枚目キャラは八重子の恋人 白川だけ) を尻目に 機智と機転を働かせて様々な出来事を乗り切っていく様をコミカルに描いている所は楽しい。 方向性は違うけれど 夢子 も 八重子 もオシャレだし、美味しいものも大好きだし、恋にも積極的。 そんな生き生きとした女性二人を演じる 坪内 美子 と 高杉 早苗 が魅力的な映画だ。
夢子を演じた 坪内 美子 といえば、 小津 安二郎 の初トーキー作 『一人息子』 (1936) では、貧しくも上品さを失わない健気な妻・杉子を演じている。 それとは対照的な『母の戀文』での「突貫花嫁」ぶりが面白い。 坪内 美子 を最も美しく捉えた 小津 安二郎 『浮草物語』 (1934) での純情な旅芸人の役も良かったが。 高峰 三枝子、桑野 通子、高杉 早苗 のような洋装の映えるモダンガールが頭角を現してくる当時の松竹の女優陣の中で、 それらと遜色ないモダンな感覚を持つ和美人というニッチを埋める女優だったのだなあ、と、つくづく。
特に面白かったのが、恋仲だった相手と首尾よく結婚してからの夢子の若奥様ぶり。 夜遅くまで夫に手伝わせて家計簿を付ける場面では、 小遣い六円は惨め過ぎるから増やして欲しいという夫に 「いけません、そんな事言って、あなたいったい会社からいくら貰っていらっしゃるの」とピシャリ。 そんなに切り詰めなくても遺族扶助料を貰っておふくろががいいようにやってくれるよと言えば、「あなた、いつまで赤ん坊のつもり」。 さらに「生活費の予算くらい立てないようじゃ主婦の資格ありゃしないわ」と。 疲れて「もうよそうよ、こんなこと明日だっていいじゃないか」と言おうものなら、 「もう、何がこんなこと。生活の基盤じゃないの。」そんな夢子に夫はたじたじだ。 そんなやりとりをしつつも、何気なく焼き芋をお夜食にほおばっているというのも面白いのだが。
変わって夢子と女中しげとの料理の場面では、 「おしょうゆ入れたね? そしたらお砂糖4グラム半」と指示を出して 「4グラム半」の量がわからない女中を戸惑わせる。 姑がが出て来て「しげやみたいにそう難しいこと言ったってわかりゃしないよ」と夢子を諌めると、 「こういう若い人には、科学的に覚えさした方がよろしいと思いますのよ」と言い返す。 夢子が台所を離れると、姑は 「申し分ない嫁なんだけど、どうも理屈の方が多いんでねえ、あれじゃ少し困るよ」とぼやくのだ。
松竹は 小津 安二郎 や 島津 保次郎 など確かに何気ない日常生活を切り出すことが巧い監督が多いのだが、 それでもこの映画のような家計や調理などの家事の泥臭いディテールが描かれることはまず無い。 このようなディテールから当時の新しい主婦像が浮かび上がってくるようで、そこが面白いのだ。
斎藤 美奈子 『モダンガール論——女の子には出世の道が二つある』 (マガジンハウス, 2000) は、 その第1章「将来の夢、みつけた」の「主婦ほど素敵な商売はない」節の中で、 伝統的村落共同体の中の「オカミサン」と呼ばれるような旧式「主婦」ではない 「サラリーマンの妻」のライフスタイルを前提としたいわゆる専業の「オクサン」と呼ばれる新型「主婦」が、 大正期に登場した様子を描いている。
主婦はいまとなっては「平凡」の代名詞である。しかし、かつては平凡どころかオシャレな生き方の最前線。やる気満々の女の子たちをして「主婦になりたい!」と夢みさせるに十分な、キラキラした女性像だったのだ。
そして、その「オシャレな生き方の最前線」だった新型主婦に期待された役割をこう描いている。
新型主婦に期待された役割は、四つくらいに分けられよう。①衣食住の管理、②育児および家庭教育、③家計管理、④家族の健康管理、である。
③④なんか、いかにも「近代的」だが、これも婦人雑誌の影響が大きい。一九〇三(明治三六)年に創刊された『家庭之友』(後の『婦人之友』)は、家計簿を考案し、家計管理の必要性を早いうちから説いた雑誌として特筆すべきものがある。また、『主婦之友』も、家計のやりくりや節約を主婦の重大な仕事と位置づけていた。健康管理も同様で、住まいを衛生的に保つ法、子どもの病気の病気の予防、体調が悪いときの対処法、栄養のバランスを考えた食生活、当時の婦人雑誌には、「衛生」「保健」関連の記事がいっぱいである。家計管理には計算ができなくてはならないし、健康管理には科学的知識がいる。ね、ほら、嫁にいくにも女学校くらい出ておかなくちゃダメなのよ、やっぱり。
『母の戀文』の料理の場面はガスコンロもある立働式台所なのだが、こんな台所も 「旧来の「座式台所」から、立って働ける「立働式台所」への移行は、大正期におこったキッチンの大革命だった」 (『モダンガール論』) のだ。
このような主婦像が登場した大正期から十年を経ているとはいえ、この映画『母の戀文』が作られた戦前昭和は、 まだまだごく一部のエリート女性のみに許された「オシャレな生き方の最前線」の生き方だった頃だ。 主人公の夢子はまさに当時の女学生の夢の一つを投影した女性であり、 まさに「オシャレな生き方の最前線」へ「突貫」していく新型主婦だ (原作の題『突貫花嫁』も象徴的だ)。 『モダンガール論』では「親の決めた好きでもない相手と結婚させられるのである。現実の良妻賢母主婦に魅力が無かったら、だれが結婚に夢を託したりするだろう」と言うが、 この映画の中の二人は自らの機智、機転と女同士の友情で親からの縁談すらもうまく切り抜け好きな相手との結婚すら手に入れるのだ。
確かにこの『母の戀文』は作家性の強い芸術的な映画ではなく、むしろB級の娯楽映画だ。 しかし、想定する観客の願望に楽観的に応えるコメディ映画だったからこそ、 当時の「やる気満々の女の子たちをして「主婦になりたい!」と夢みさせるに十分な、キラキラした女性像」を フィルムに焼き付けることに、この映画は成功したのかもしれない。
『モダンガール論』のような本を通して、現在の主婦像が大正期に成立したものという事は知っていたが、 まさか戦前にこんな形でコミカルに映画化されているとは思わなかった。 そんなことを期待せずに、単に 坪内 美子 主演のコメディということで観てみただけに、びっくり。
関連して、同じく 野村 浩将 監督のこのコメディも紹介。
まだ若かった戦前1930sにかけての 田中 絹代 はアイドル的な人気スター女優。 彼女の名前「絹代」「お絹」を題に入れた主演映画が何本か制作されている。 この『女醫絹代先生』はそんな映画の一つ。 今でいう「アイドル映画」にあたるB級の娯楽映画ではあるが、 若き 田中 絹代 の可愛さと当時の最先端の昭和モダンな風俗を存分に生かした、 実に微笑ましくも可愛らしい「ラブコメ」だ。
絹代 は漢方医 山岡 鉄斎 の娘で、女子医専を卒業後、内科医として山岡医院を継いでいる。 一方、山岡家の近所のライバルの西洋医 浅野家の長男 安夫 (佐分利 信) は医大を出て大学病院で外科医をしている。 絹代と安夫は幼馴染みでお互い内心は好意を持っているが、家のライバル関係もあってつい意地を張り合って、会っても素っ気なく接したり喧嘩したり。 そんな勝気だけれど純情な女と実直だけれども女性にシャイな男の織りなす不器用な恋模様をコミカルに描いている。
そんな主人公二人を演じる 田中 絹代 と 佐分利 信 が実にはまり役なのだ。 小柄でふっくら童顔の 田中 絹代 は、洋装もおしゃれにオープンカー ダットサンロードスター を自ら運転するモダンで知的なエリート女性という役でも、 桑野 通子 のような颯爽としたクールビューティにはならず、そのアンバランスさも可愛らしい。 一方の松竹三羽烏の一人 佐分利 信 も、そのゴツくて朴訥な雰囲気が、秀才っぽい一山丸眼鏡で白衣姿も似合う「不器用な理系男子」安夫の設定に実にハマっている。 その取り合わせもなんとも絶妙なお似合いのカップルだ。
最初の30分程は主要な登場人物の性格付けや山岡家と浅野家がライバル関係という設定を心理描写浅めにギャグで示す展開。 しかし、絹代が友人の和子と愛車ダットサンでドライブへ行こうとするもパンクして往生している所を通りがかった安夫に助けられる場面以降、 恋心へとレベルが上がったその微妙な心情を表情や仕草も巧みに映像化していく。 そして、終わり近く、重態となった富豪 前田家の当主を二人で協力して夜通し治療する場面では、 アンプルや注射器を扱う手元のクロースアップのモンタージュも緊迫感ある医療ドラマのよう。 ここで二人は互いの気持ちに気付くのだが、一緒に仕事する中で男女が仲を深めるというのも医療ドラマによくある展開だ。 後半は、ギャグを随所に噛ませつつも、戦前とは思えない恋心の洗練された描写が楽しめる。
それに、何よりも、設定と役柄もあって、田中 絹代が何をやっても可愛いらしくで面白いのだ。 彼女目当てに病気でもないのに病院に押し寄せる男性患者をうんざりしながら仕事仕事と無愛想な態度であしらっていくのも面白いし、 そんな彼女にしては珍しく笑顔で挨拶してるのに安夫が仏頂面で素気なく応じるのでむくれてしまうその表情も可愛い。 安夫への恋心を察して絹代をからかう和子に見せるちょっと下唇を出してメッっとする顔もいい。 そんな面白い所を挙げ出すとキリがないほど。さすがの演技力だ。 中でも一番気に入っているのは、乗り気でない父の晩酌の相手の最中に縁談話を持ち出されて怒る場面。 和装で女医から普通の娘に戻った雰囲気も良いし、 「少しは娘らしく照れてみせろ」と父に言われる程自分の結婚など興味の無さそうな様子から まゆを八の字にした困惑気味の怒り顔で「やあよ、お断りして」というく拒絶に至る父とのやとりの態度も面白いし、 その直後、自室に籠って安夫のことを思い出しながら物思いに耽るそのギャップも可愛い。
一方の安夫を演じる 佐分利 信 もいい味を出している。
絹代に笑顔で挨拶されると緊張して見せる仏頂面といい、
絹代のことを「あんな女、会っても顔を背けるくらい」「大嫌いだ」と母に言うもののそれは半分嘘で、「好き避け」な態度にも苦笑させられる。
外ではキリッとした秀才の医者という感じなのに、
家で母や妹の相手をする時は子供っぽさも残す優しい青年になる、という、演じ分けも絶妙だ。
自分が男のせいか、そうそう、こういう事ってあるったよね、と、つくづく。
この「ラブコメ」を面白くしているもう一人重要な登場人物が、 絹代の女子医専時代からの親友で山岡医院を手伝っている “かずぼう” こと 神田 和子。 素直に言い出せない絹代に代わって私たちと一緒にいかがと安夫に声をかけたり、 絹代が恋の病いに臥せると父鉄斎に浅野家との仲直りと縁談をけしかけたり、 と絹代と安夫の仲を取り持つ役なのだが、 絹代とのやりとりもなかなか良いコメディ・リリーフなのだ。 絹代と同じ位小柄な「メガネっ娘」だけど、負けずオシャレで、お互いの恋 (リーベ) を応援し合う、 そんな二人が見せる女学生の同性愛的友情を思わせる仲の良さも可愛いらしい。 そんなかずちゃんを演じる 東山 光子 のコメディエンヌっぷりもこの映画の見所だ。
「エス」とも呼ばれる戦前の女学生の間の親密な関係については、 稲垣 恭子 『女学校と女学生——教養・たしなみ・モダン文化』 (中公新書, 2007) などに記述がある。 『母の戀文』でも、女学校時代のクラスメイトではないが、 兄の妻 夢子と妹 八重子は共に女学校を出て家事手伝い中と思われる設定で、 二人で「同盟」を組んで、肩に手を回したりと仲良さげに接し、お互いの恋を応援し合う。 『隣りの八重ちゃん』 (1934) でも、八重ちゃんと女学校友達の悦子さんが、座布団の上でじゃれ合う場面がある。 こういった女性同士の親密な友情の描写も、松竹のコメディ女性映画ならではかもしれない。
絹代の父に 坂本 武、安夫の母に 吉川 満子 など、脇役の配役も絶妙なのだが、 あまり出番は無いものの安夫のちょっと歳の離れた妹 (島田 富美子) も良い。 まだ女学校に上がったばかりの年頃 (今でいうと中学生くらい) なのだが、 勝気でおませで、けど、兄さん大好き、という所が実に可愛い。 絹代も女学生時代はこんな感じだったのかな、と、思わせる所すらある。 こういう子役をちゃんと揃えているのも、さすが松竹だ。
もちろん、登場人物だけでなく、小道具や舞台も当時最新のモダンな風俗を取入れて面白い。 絹代と和子の洋装の着こなしも可愛いし、絹代愛車の小さなオープンカー ダットサンでドライブというのも洒落ている。 恋がうまくいかずに落ち込んだ絹代と安夫がそれぞれ別々に親友に気晴らしになるとスキーに誘われ、 ゲレンデでばったり二人が出会ってしまう、なんて展開すらあるのだ。 さすがにスキー場は現在ほと整備されたものではなく馬橇に揺られて山小屋へ行くというワイルドさだが、 スキーウェアは当時からオシャレだったんだな、と、その様子も興味深い。
絹代と安夫の辿り着く二人の関係も、この映画が作られた戦前という時代を考えると、なかなか素敵だ。 二人で当たった夜通しの治療の場面でも、どちらかが主になってもう一方がサポートするような関係ではなく、 対等な仕事上のパートナーとして手分けして治療にあたる。 そして結婚後に二人は、一方が他方の病院へ嫁・婿入りしてその病院を継ぐのではなく、 二人の名をとって新たに「浅岡病院」として出発するのだ。そして二人の親も、その事を自慢に思っている。 そんな様子を、ごく自然なハッピーエンドとして描いているのだ。
この映画の好きな場面の一つに、最後、遂に絹代と安夫が結婚して新居で二人が仲良く部屋を片付けている所を、妹がにこにこ見守りひやかす場面がある。 単に微笑ましいハッピーエンドというだけでなく、将来、安夫が絹代の尻に引かれるだろうと予想させるやりとりも可笑しいのだが、 それを見守りつつきっとこの妹も「絹代ちゃんのような素敵な女医になって、安夫兄さんみたいな人と恋愛結婚したい」と思っているんだろうな、と。 『女醫絹代先生』 は、そんな当時の女の子の楽観的な夢を謳い揚げているかのような映画だ。
『母の戀文』や『女醫絹代先生』を観ていると、 今から約80年前に作られた映画とは思えない、現在にも通じる内容に驚かされる。 確かに、人はたいして変わらないものだという事もあるかもしれない。 しかし、『モダンガール論』で 斎藤 美奈子 はこう指摘している。
女の子には出世の道が二つある。立派な職業人になることと、立派な家庭人になること。
出世の第一歩は、まず学校だ。「女に学問なんか必要ない」から「いや、女にも学問は必要だ」へ、ちょうどこのころ風向きがかわったのである。その結果、本を読み、ものを考え、将来の夢を語る女学生が明治末期には大量に出現した。彼女たちこそ、私たちの直接の「祖先」である。
『母の戀文』や『女醫絹代先生』は、むしろ、 それぞれ「立派な家庭人」と「立派な職業人」という二つの出世の道を歩み出した 「私たちの直接の「祖先」」の姿を捉えた映画だからこそ、今と変わらないように感じるのだろう。
『母の戀文』や『女醫絹代先生』が制作された戦前は、 まだ婦人参政権も無く、家父長制的桎梏のあったとされる時代だ。 そして、これらの映画はそういった女性の立場をリアリズムで描いたものでも、異議を唱えるようなものでもない。 しかし、女学校で身に付けた教養と機智、機転に女同士の親密な友情があれば、 さらに女子医専のような上の学校へ進学して職能と経済力も得られれば、 そんな女性を縛る制度など骨抜きにして、自分の人生を謳歌できるかもしれない。 これらの映画を観ていると、そんな当時のエリート女性達の楽観的な夢と願望を観るかのようだ。
大ヒットした『愛染かつら』では、田中 絹代 演じる主人公の看護婦の影響で、 少なくとも総集編では映画中に実際に患者を看護する場面など無いにもかかわらず、 看護婦を目指す女性が増えたという伝説も聞く。 しかし、『女醫絹代先生』は医療ドラマさながらの診療シーンもありながら、 この映画で医者を目指す女性が増えたという話は聞かない。 そもそも、女学校の進学率は15% 程度、女子医専を含むそれより上の高等教育期間への女性の進学率は1% に満たなかった。 『女醫絹代先生』の描いた夢は、当時の女性にとってあまりに非現実的なものだったのだろう。