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Review: 島津 保次郎 (dir.), 『男性対女性』 (映画); 島津 保次郎 (dir.), 『浅草の灯』 (映画)
嶋田 丈裕 (Takehiro Shimada; aka TFJ)
2015/02/01
『男性対女性』
1936 / 松竹大船 / 白黒 / 132min.
監督: 島津 保次郎.
藤野 秀夫 (渥美 恭平), 佐分利 信 (渥美 行雄), 上原 謙 (渥美 哲也), 水島 亮太郎 (藤村 市造), 吉川 満子 (藤村 静子), 田中 絹代 (藤村 時子), 磯野 秋雄 (藤村 滋), 大塚 君代 (水上 菊江), 桑野 通子 (津田 美代子), 上山 草人 (岡倉 彦馬), 斎藤 達雄 (岡倉 清彦), 河村 黎吉 (山城 庄太郎), 他
特別出演: 水ノ江 滝子, オリエ 津坂, 長門 美代子, 井草 鈴子 他 松竹少女歌劇團

あらすじ: 紡績会社 渥美商会 のオーナー一家と劇場経営や鉄道に手を出す投資家 藤村 のビジネスを背景とした、 三組のカップルのそれぞれの恋模様を描いた恋愛映画。 渥美家 長男 行雄は学究肌の人類学者で、藤村家の女学校出のモダンな長女 時子 に好意を寄せられるも、朴念仁。 渥美家 次男 哲也はパリで演劇を学び、帰国後、藤村家所有の東洋劇場のレビュー演出家となる。 そして、時子の女学校時代の妹分で劇場の照明主任を務める 津田 美代子 と哲也は親しくなる。 しかし、制作費節減を迫るオーナー藤村と支配人として入り込んだ怪しげな事業家 河村と哲也は衝突し、美代子と一緒に劇場を辞めてしまう。 一方、藤村 時子の弟 滋 は女中 菊江 と相愛の仲だが、親に知られて、菊江は里へ帰されてしまう。 時子は 岡倉 男爵の長男 清彦 に好意を寄せられ、岡倉の藤村への投資話も関係して、時子と清彦の縁談話が持ち上がる。 時子 は縁談話を 行雄 に話すが、行雄 はそれを止めようとしない。 それどころか、行雄と時子を別れさせるように頼まれた河村に、過去の手紙や写真を行雄は返してしまう。 行雄の仕打ちに荒れた姉を見て、滋は行雄に姉との結婚を説得しに行くが、それをきっかけに滋は菊江の元へ家出してしまう。 一方の時子は憂さ晴らしに行った競馬場で偶然遭った清彦とドライブへ行くが、最後には拒絶する。 そして、時子も滋を追って、菊江の実家の東北の牧場へ家出する。 その頃、渥美商会 は河村のいんちき仕事に騙され経営状態が悪化し、最後の望みだった工場も火事になってしまう。 藤村も、投資に関わる不正が明るみになり、警察の手が迫まる。 藤村は逃走して菊江の実家の牧場へ行き、時子と滋の姿を確かめた後にピストル自殺する。 残された藤村夫人は河村に負債の整理を頼むが、手元に財産がほとんど残らないと知り、取り乱す。 一方の渥美は自分の財産を処分して事業から手を引くことにする。 そんな折、藤村から岡倉の手に渡った東洋劇場から再び演出家にと哲也に声がかかり、 哲也は劇場へ行くが、河村が再び支配人になっていた。 怒った哲也は河村を叩きのめして劇場を去ろうとするが、美代子に説得され思いとどまる。 そんな哲也と河村の喧嘩を見て、岡倉は劇場支配人にふさわしくないと河村を辞めさせる。 一方の行雄へは研究調査にモンゴルへ行くという話が来る。 その前に結婚するよう、哲也は行雄を、美代子は時子を説得するが、二人とも煮え切らないまま行雄はモンゴルへ行ってしまう。 しかし、結局、時子は母を滋に預けて、行雄を追ってモンゴルへ行くのだった。

冒頭の場面は哲也がパリからの帰りに寄った上海、最後の場面は時子が行雄と落ち合うモンゴル、 それに、菊江の実家の東北の牧場と、東京だけでなく舞台を広く取って、三組のカップルを描く群像劇という感もあるのですが、 上海の場面も現地で撮影した映画を投影する前での演技でロケの妙はあまり感じませんでした。 確かに、佐分利 信 と 田中 絹代 の演じる煮え切らないカップルははまり役で楽しみましたが、 時子への横恋慕がある程度でクリティカルな三角関係もなく、恋物語としても起伏に欠けました。

むしろ、水ノ江 滝子 をフィーチャーした全盛期の松竹少女歌劇團の舞台が、かなり長尺で使われている所に興味を引かれました。 舞台の様子は再現ではなく、当時の公演をそのまま撮影したようですし。 舞台裏の様子も、こちらは映画での再現でしょうが、伺えるところがありますし。 この劇場は演出という芸術の論理と興行という資本の論理が衝突する場としても描いていたので、 そこをもっとクローズアップした映画だったらと、つくづく思いました。 それにしても、映画の終盤、支配人と叩きのめして劇場を去ろうとする 哲也 を 美代子 が引き止めるセリフが実にかっこいいのです。 「ねえ、考え直してみない。あなたがあいつに勝つのは演出家としての腕なのよ。 その証拠に向こうから頭を下げてあなたに頼みにきたじゃないの。うんといい条件で働いてやりましょうよ。 (中略)わからない、私の言っていること。資本家の武器は資本。芸術家の武器は芸術。 どっちの武器が強いか。ねっ、闘いましょう。勝ちましょう。ねっ。」 こんなセリフが似合う戦前の女優、桑野 通子 しかいません。そんな 桑野 通子 が見られただけで、満足です。

『浅草の灯』
1937 / 松竹大船 / 白黒 / 77min.
監督: 島津 保次郎.
上原 謙 (山上 七郎), 高峰 三枝子 (小杉 麗子), 藤原 か弥子 (吉野 紅子), 笠 智衆 (香取 真一), 西村 青児 (佐々木 紅光), 杉村 春子 (松島 摩利枝), 夏川 大二郎 (神田 長次郎 (ポカ長)), 岡村 文子 (呉子), 坪内 美子 (お竜), 武田 秀郎 (半田 耕平), etc

あらすじ: 関東大震災前の浅草でブームとなった浅草オペラを舞台とした人情恋物語。 座長 佐々木と看板女優 摩利枝 の夫婦が率いる浅草のオペラ一座の若手の踊子 小杉 麗子 は、 与太者にも顔がきく 山上 七郎 や、その山上に好意を寄せる 吉野 紅子 などの先輩に可愛がられ、 画学生のボカ長のように彼女を贔屓とするペラゴロ (熱狂的なファン) もいる。 しかし、オペラの上客の半田が彼女を「水揚げ」しようと狙っていた。 地方出身の麗子を住まわせてやっている母親代わりの呉子や摩利枝は麗子に半田の相手をさせようとするが、 佐々木や他の劇団員たちは麗子を半田から守ろうとする。 半田は与太者を使って公演を妨害し、佐々木はそれに怒って浅草を去り、摩利枝との仲は決裂する。 山上らはボカ長の下宿に麗子をかくまうように頼み、 そのためにボカ長が滞納した家賃を劇団員 香取 が借金して肩代わりする。 山上に好意を寄せる的屋の女将 お竜は、その件に関して与太者から山上を庇うが、そのため浅草に居辛くなってしまう。 そして、香取は借金を踏み倒して、新劇運動に参加すべく関西に行く。 山上が麗子の様子を見にボカ長の下宿へ行くと、ボカ長はその友人と麗子を囲んで遊んでいた。 山上は怒って麗子を連れ出そうとするが、麗子は詫びて、ボカ長の下宿に留まると言った。 ボカ長は麗子に結婚を申し込むが、山上のことを気にして麗子は断る。 佐々木が摩利枝へ離縁を言い渡しに劇場へ現われたので、山上は仲直りしないなら指を詰めると言って、摩利枝を改心させる。 そんな所に、お竜から、麗子の荷物を取りに呉子の家へ行ったボカ長が与太者に袋叩きに合いそうになっていると知らされる。 山上は一旦は見捨てようとするが、お竜に卑怯者と言われ、思い直してボカ長を救い出す。 助けられたボカ長は山上に麗子と結婚したいと相談し、山上はそれを認める。 山上は浅草を去り香取を追って関西へ行く決心をし、一緒に行きたいというお竜を連れて行くことにする。

関東大震災による浅草オペラの終焉から15年近く経ってから作られた映画で、上演の様子も再現したもの。 この映画が制作された時点で懐古的な面もあったのではないかと思いますが、 それでも、往時の浅草オペラの様子が伺えるようで、興味深い内容でした。

西洋風の音楽を取り入れた浅草オペラも、その興行のあり方を見ると近世的な芸能というか見世物に近いものであり、 その踊子、女優も不要な衣装を買わされ借金を追わされ逃げられないようにされた上で客を取らされかねない 芸妓娼妓に近い身分だったことが伺える映画です。 そして、看板女優 摩利枝や、麗子の母代わりの呉子、麗子を「水揚げ」しようとする上客の半田、浅草を仕切る与太者 (やくざ) は旧い近世的な見世物の価値観、やくざな世界を体現する存在。 一方、大学出で先生とも呼ばれる座長 佐々木 やペラゴロの画学生 ボカ長は、芸術表現を目指しており、まさに新しい近代的な芸術の価値観、堅気の世界を体現する存在。 与太者たちに公演を妨害されて佐々木が舞台の上で 「僕たちは見世物じゃありません! 芸術だ!! 芸術のわからない者は出て行ってくれ!」と叫ぶのも象徴的。 そんな二つの価値観の衝突を、そして近代的な価値観の勝利を、麗子の救済を通して描くかのような映画でもありました。

その二つの価値観の狭間の存在として象徴的なのが、麗子を守ろうとする青年役者の山上と紅子。 踊子が客の相手をするのは当然という態度を取る松島や呉子に比べれば、彼らは近代的な存在。 しかし、その一方で、浅草の与太者に顔がきき、手段は暴力的という与太者同然な面も山上は持っています。 座長 佐々木と看板女優 摩利枝の衝突はまさに二つの価値観の象徴なわけですが、 旧い価値観を折れさせるために山上が取った手段が、指づめという「旧い」やり方だったというのも、皮肉に感じました。 先輩女優 紅子は既に客の相手をさせられたことのある身で、山上に好意を持ちながらも、そんな穢れた自分は山上の相手として相応しくないと身を引いています。 しかし、山上も、浅草の与太者のしきたりに無邪気な堅気のボカ長と付き合ううちに、自分がやくざな身だと気付いて、麗子から身に引くことになります。

山上が麗子の様子を見にボカ長の下宿へ行き、ボカ長やその友人の学生たちと無邪気にトランプ遊びに興じる様に怒る場面も、 二つの世界の衝突の場面として象徴的。 根津の学生下宿は浅草の劇場界隈と対称的な堅気の世界の象徴、 いや、貧乏学生とはいえ根津に下宿する画学生や医学生ですから、当時のトップエリートの世界とも言っていいかもしれません。 芸妓同然に女優を扱おうとする人々や場を仕切る与太者たちを相手にいつ食われるやもしれない世界からすれば、 無邪気で暢気な事に山上は怒るわけですが、麗子に留まると言われて、 結局、やくざな世界へ連れ戻さないことが麗子を救うことだと、山上も気付いてしまうという。

そして、最後の場面、見世物の世界の女性である的屋の女将 お竜を相手に選んで電車で大阪に向かう山上の様子には、 大阪での新劇運動という近代的な芸術の世界へ飛び込もうとする希望とは裏腹に、 結局は自分はやくざな見世物の世界の人間にしかなれない諦観も込められているようでもあり、 小津 安二郎 『浮草物語』 (松竹蒲田, 1934) の最後の場面が被って見えました。

ちなみに自分が観たのは、ビデオで流通している77分のバージョン。 オリジナルは104分あったとのことで、30分近く失われていることになります。 山上と大阪に行くことになる的屋の女将 お竜の描写が薄かったり、 山上と与太者の間の大立ち回りの場面がほとんど無く、飛躍を感じたのですが、 失われてしまった場面にあったのかもしれません。

『男性対女性』と『浅草の灯』を続けて見て、震災を挟んて社会が大きく近代化し、 浅草オペラから少女歌劇へ舞台芸術に関する考え方も変わったことが伺えるよう。 近代的な芸術観の闘う相手も、近世的な見世物の価値観から、近代的な資本の論理へと。 そんなことを考えさせられた二本の映画でした。