神保町シアターの 『戦後70年特別企画——1945-1946年の映画』 で観た中から、東宝のコメディ映画を2本。
あらすじ: 明治19年、舞台は箱根の洋館の温泉宿。 鉄道利権のために江本逓信大臣に取り入ろうとする成り上がりの事業家 越後屋。 同宿している山崎家の妻は、越後屋に負けんと、去勢を張り合う。 越後屋に利権を取られそうになった事業家たちは、北原の発案で、 誰かを華族の殿様に仕立てて越後屋を担いで取り入らせ、鼻をあかそうとする。 そこで、温泉宿の女中 おみつが助けた書生を、家出中の水戸徳川家当主の実弟 平 喜一郎 に仕立てて、見事に越後屋を担ぐことに成功する。 しかし、江本逓信大臣が来るほど話が大きくなってしまい、担いだ方も大慌て。 大臣が来てみると、その書生が本当に 平 喜一郎 と判り、一同平伏して一件落着する。
鉄道利権争いをする人々を描いたコメディで、 特に、戦前の松竹大船映画でお馴染み 飯田 蝶子 と 吉川 満子 による、 見栄と去勢を張り合う越後屋夫人と山崎夫人のやりあいを堪能。 おくまの幼馴染みで越後屋を担ぐ北原を演じる 志村 喬 の、いかにも大阪商人という口調振る舞いも楽しみました。 書生が実は本当に 平 喜一郎 だというのは、観客からするとむしろお約束の展開。 殿様と思って取り入る様だけでなく、そんなことも気づかずに右往左往する騙す側の様子も、 まさに利権に目が眩んでいる様を示しているようで、風刺的な笑いを盛り上げていました。
戦前の東宝の映画は多く観ていないので、この映画の東宝らしさは判らないのですが、 飯田 蝶子 と 吉川 満子 のやりとりがあっても、映画全体の作りは松竹大船映画とは違うと実感。 『或る夜の殿様』はサイドストーリー的に男女の情も描かれますが、 身分を隠しているのが水戸の「殿様」で、利権に走る悪徳商人役が越後屋で、 お忍びの殿様が最終的に身分を明かして懲らしめ一件落着という話は、 講談をルーツに持つ『水戸黄門』ものを明治期に翻案したよう。 松竹大船であれば、むしろ、旅館の女中をおみつ、越後屋の娘 妙子、山崎の娘 綾子の三人を中心に据えて、 身分違いの恋や家の利権争いに振り回される恋、女同士の友情などをメロドラマチックに描くだろうなあ、と。 そんな違いも興味深く感じながら観ました。
同じ町内の復員してきた5人組が、配給などをめぐって繰り広げるドタバタを描いたコメディ映画。 配給で不正を働く人々を風刺的に描き最終的に懲らしめる、という大まかな話の流れはあるけれども、 戦災で焼け野原となった町を舞台に、5人の芸人の短いスケッチを繋いでいくような展開。 配給所を廃して生活共同組合を組織し食料供給の確実化と大邸宅の解放を求めるデモを行う最後の場面も、 話の流れからの必然的な結末というより、取って付けたように感じられてしまいました。 今から見ると、戦後の希望を見るというより、ここから東宝争議へと繋がっていくのだろうか、と。
全体の作りは粗雑に感じられてしまいましたが、もちろん興味深く観られるところもありました。 緑波やエンタツ・アチャコの当時の芸の様子を垣間見れましたし、 実際に戦災の焼け野原をそのまま使ってロケ撮影したのではないかという風景は、当時の戦災の東京の様子を見るよう。 古川のバラックが大雨で流される場面などで使われた模型による特撮は、円谷 英二 によるものでしょうか。