1972年に京都市美術館で開催された 『第5回現在の造形〈映像表現'72〉ーもの、場、時間、空間ーEquivalent Cinema』 を再現する展覧会。 周囲の回廊的な空間で資料や関係者へのインタビュー映像、 回廊で取り囲まれた中に空間の広さや展示物の配置まで再現された展示が作られていた。
映像作品の展覧会で、8mmや16mmのフィルムをメディアとして使ったものが中心。 映像が現存しないものも少なくなく、 その場合は、スクリーンサイズと位置を示し、そこに小さな写真資料が貼られていた。 回廊の資料展示から観たのだけれども、関係者へのインタビュー映像よりも、 当時の限られた資料からの展覧会の復元の過程の資料が興味深かった。 会期が6日間とが短く、話題の展覧会だったわけではなくレビュー等も僅か。 それでも、展示プラン資料とレビューの違いから、実際の展示がプランからどう変更されたか分析したりしていた。
フィルム上映機をビデオプロジェクタで置き換えた作品もあったが、 フィルムの物理的な存在も取り込んだ作品のため、現存するものについてはフィルムを複製していた。 8mmなど既に生産中止となっているうえ、オリジナルがポジであるため、 プロセス上ではテジタル技術を使うなど、複製に苦労した様子も伺えた。 時代と共にメディアが変わるメディアアートのアーカイブやインスタレーションの再現の難しさに取り組む ケーススタディを見るような興味深さがあった。
『現在の造形』という展覧会シリーズは、初回は野外彫刻展だったという経緯もあるのか、映像展というだけでなく、フィルムというメディアの物理的存在感を意識させるような展示だった。 今井 祝雄 「切断されたフィルム」のようにフィルム自体を作品にしたものもあったが、そうでなくても、 上映するフィルムをリールにコンパクトに収容するのではなく、長く空間に張り伸ばしていて展示を作っていたことも印象に残った。 映像にしても、何を撮影しているかという問題ではなく、どのように投影しているのか、という点に焦点のある作品が目立っていた。 道路を走り過ぎる車を間を置いた2台のカメラで撮影して並べて投影することにより その間の映像の無い空間を意識させる 川口 龍夫 「ふたつの視点と風景」や、 空間に吊るした板の両面から映像を投影する 米津 茂英 「無題」、 鏡を写し込んだ映像をその鏡をかけた壁に投影する 植松 奎二 「Earth Point Project - Mirror」など。 今でこそビデオインスタレーションで見られる表現だけれども、 投影方法に制約の多いフィルム時代から同様の試みがあったのだな、と。
同時まだビデオは高価だった時代で、フィルムではなくビデオを使った作品は3点のみ。 入口から入ってくる人を撮影してラ2台のモニタに上下反転したりディレイをかけて上映する 山本 圭吾 「行為による確認」のような、現像プロセスの要るフィルムではなく 電気信号として扱うビデオだからこそ可能な作品もあったが、フィルムの存在感の方が圧倒的な展示だった。
そんなフィルムの存在感を見るにつれ、 フィルムの時代が終わりに近づき、ビデオが少しずつ普及し初めていた時代、 そのメディアの差異ゆえ、フィルムという物質的な面に改めて目が行ったのだろうか。 そんな時代の雰囲気も感じる展覧会だった。