1963年に渡米し Chicago Art Institute に学び、1967年以降ニューヨークを拠点に活動する 写真を主なメディアとする現代美術作家の展覧会。 観てみれば2000年代以降の写真に見覚えのある作品がありましたが、ほとんどノーチェックの作家でした。
最初期1966-67年の魚眼レンズで撮ったヌードをソラリゼーション等のエフェクトをかけつつ合成したような作品シリーズ『孤』 (Cko) など、 サイケデリックな画面に時代を感じる興味深さ。 しかし、もっとも興味深かったのは、1968年以降1970年代にかけて制作されたフォトキャンバスのシリーズ。 写真をキャンバスにプリントした作品だが、ポピュラーな人や物をプリントした Pop Art 的な作品ではなく、 アクリル絵具で描いたカラーフィールドフィールドペインティングのような部分の彩度の低い色合いも渋く、 感光剤の塗りムラのあるキャンバスへ焼いた抽象度の高い画面構成の白黒写真のプリントは、むしろ抽象表現主義に近しい表現に感じられました。 高架電車の高架下をプリントした Small Deadend street (1977) では粗い塗りムラが使われる一方、 クローズアップのヌードを使った Untitled 3 (1970) など 塗りムラも鉛筆画の細かいタッチのようで、 被写体と塗りムラの組み合わせも絶妙でした。
フォトグラムの手法を主に使った1980年代以降の作品がむしろ彼女の代表的な作風なのでしょうが、 画面はダイナミックになるのだけど、偶然性等の要素が強くなるためか、画面の面白さは少々後退してしまったように感じられました。
19世紀的な (発明はもっと遡りますが) メディアとしてのマジック・ランタン (幻燈、幻灯機) の、メディア史的な展覧会。 興行師による見世物だけでなく科学技術の教育プレゼンテーションとしても使われ、20世紀に入り映画に取って替わられた、19世紀のメディアとしての資料展示は興味深く観られました。 しかし、現在のプロジェクションマッピングやパブリックビューイングはマジック・ランタン直系というより映画を経た動画による表現であり、 特別展示の 小金沢 権人 の作品もスライドショーではなくビデオインスタレーションでやはり動画による表現。 むしろ、OHP (Over Head Projector) を経てプレゼンテーションソフトに至る系譜や、 駅構内や電車内で一般化しているデジタルサイネージでの表現に、 マジック・ランタン直系の動画とは異なった表現のあり方を見せた方が良かったのでは、と。
コレクション展示の 『TOPコレクション たのしむ、まなぶ 夢のかけら』 も観たのですが、企画意図を掴みかねたか、ピンときませんでした。そういう時もあるでしょうか。