20世紀以降の未来構想的な建築、社会的技術的制約で提案に留まった建築、もしくは、未完に終わったい建築を集めた展覧会です。 19世紀にも実現できなかった建築プランはあったと思いますが、 実現可能性を必ずしも求めない建築が顕著になるのは、戦間期の Modernism、特に Avant-Garde から。
ということで、展覧会は、Russian Avant-Garde の作家として知られる Владимир Татлин [Vladimir Tatlin] の Памятник III Интернационалу [Monument to the Third Internationa] 『第三インターナショナル記念塔』から始まります。 実作を意識しない工場を含むモダニズム建築のイメージを絵本化したような Яков Чернихов: «Архитектурные фантазии. 101 композиция в красках» [Yakov Chernikhov: Architectural fantasies: 101 compositions in colours] (1933) は、もし復刻版が出たら買ってしまいそうです。 また、川喜田 煉七郎によるハリコフ・ウクライナ劇場 (Ukiranian Theatre) 国際設計競技応募案にも目が止まりました。 Константин Мельников [Konstantin Melnikov] の Дом культуры имени И.В.Русакова [Rusakov Workers' Club] (1927-28) を巨大化したような劇場で、 同時代に日本にも情報は入ってきてたのだな、と。 こういう劇場を日本で作ってくれれば面白かったのに、と思ったりしました。
戦間期の日本でのプランというと、1933-36年に日本に滞在した、ドイツのモダニズム建築家 Bruno Taut の 生駒山嶺小都市計画 (1933)。 大阪電気軌道 (現 近鉄) による依頼で作成した計画とのことですが、 ベルリンのモダニズム集合住宅で知られる Taut ですので、 こういう計画が日本で多く実現していたら、日本の集合住宅のあり方も今と違っていたかもしれないな、と。
Russain Avant-Garde や Bruno Taut など、戦間期のものが興味深く観れたのは、自分の好み、興味関心もあるとは思います。 しかし、戦後日本のメタボリズムなどミッドセンチュリーのモダニズムあたりまでは、実現しなかったもう一つの近代の可能性を感じさせてくれたように思うのですが、 1970sあたりから、批判といってもカウンターでしかなく、むしろ何でもありのポストモダンな中でグダグダ迷走、発散しまっていているようにも感じました。
少々気になったのは、『第三インターナショナル記念塔』を大きく取り上げる一方で、 1930sから40sにかけて建設が進められたものの完成しなかった Дворец советов 『ソビエト宮殿』に全く触れられていなかったこと。 単に取り上げる余裕が無かったということもあるかもしれませんが、 「逆説的にも建築における極限の可能性や豊穣な潜在力が浮かび上がってくる」という展覧会の狙いからして、 スターリン絡みというネガティヴな面もあってあえて避けたのでしょうか。 カタログ中の論文とかでは触れられているかもしれませんが、 展示中で『ソビエト宮殿』やナチスの Welthauptstadt Germania 『世界首都ゲルマニア』のようなものにもあえて触るというのも 企画として厚みを持たせるという点でありかもしれないと思いました。