1899年に生まれ、1920年代のアメリカ留学中に写真を学び、1980年代まで大阪を拠点に活動した 写真家 山沢 栄子 の回顧展です。 大阪に写真スタジオを持ち肖像写真で生計を立てていましたが、 いわゆる写真の文脈で制作・発表をあまりしていなかったとのことで、 自分がこの写真家のことを知ったのも、この展覧会で。 新興写真、ニューフォトグラフィーから抽象写真に至る時代の流れとは必ずしもシンクロしておらず、 日本写真史の流れの中に位置づけづらそうですが、 個人的な歩みの中で同じ道を辿るのを見るような展覧会でした。
晩年に過去の仕事のほとんどを自身で廃棄してしまったとのことで、 オリジナルプリントで現存するのはスタジオを畳んだ後の1970-80年代 (つまり70-80歳代) に制作した 『私の現代』 (What I Am Doing) シリーズのみ。 様々なオブジェを組み合わせて作った抽象的な造形を撮った抽象写真のシリーズです。 1950年代に 大辻 清司 が実験工房のオブジェを撮った写真を思わせるものですが、 1980年代にそれを受け継ぐような作風の写真を撮り続けた作家がいたのかと、感慨深いものがありました。 その前の『遠近』シリーズ (1955-61) となると、初期の街中で撮影されたストレートフォトグラフィに連なるような作風から、 次第に抽象度が上がっていき、『私の現代』となるのか、と。
彼女がアメリカ留学時にサンフランシスコで師事したのは Consuelo Kanaga。 後の1930年代にベイエリアで活動したモダニズムの写真家のグループ Group f/64 (Ansel Adams, Edward Weston 等がメンバー) の近傍にいた写真家で、 Group f/26 の展覧会に出展したこともあったとのこと。 そんな系譜に連なる写真家が1980年代まで細々ながら日本で活動していたのか、と、感慨深いものがありました。
新進作家に焦点を当てるアニュアルのグループ展です。 双子を組みで撮影、展示することで差異を浮かび上がらせる 藤安 淳 「empathize」シリーズや、 赤子の開いたばかりの目を捉えた 井上 佐由紀 「私は初めてみた光を覚えていない」シリーズなど、 などコンセプトと形式のバランスが良いと思いました。 しかし、好みとは、アルミ箔を山に見えるよう空を背景にクロースアップで撮影した 濱田 祐史 「Primal Mountain」や 相川 勝 のゲームの画面やAIで合成した肖像をプリントした、架空のイメージを意識した作品でしょうか。 ただ、後者の作風となると、インターネットに流布する「ディープフェイク」な画像や動画の世界に 追い越されかけているかも、とも思ってしまいました。
地階展示室では 中野正貴写真展 『東京』。 東京の街中の風景を早朝の人や車のほとんどいない時間帯を使い長時間露光も使い無人で 走る自動車も無い状態で撮った『TOKYO NOBODY』が印象に残っている作家で、 やはり、そのシリーズの写真が多く展示されていました。 しかし、壁いっぱい、縦方向も三段くらいという詰め込み過ぎの展示で、 無人の街中の風景の余白というか余韻のようなものを感じる余地もありませんでした。