『都美セレクション グループ展 2022』という並行して開催されている3つのグループ展の1つです。 「現在の美術家たちが黎明期における日本画の不在を仮装したときにどう振る舞うか」というコンセプトでの展覧会で、 2021年6月5日に「楊斎延一の錦絵《内国勧業博覧会 上野公園一覧》 (1890) から、東京美術学校(現・東京藝術大学)がなかったらばと発想」した、 上野恩賜公園を舞台に行った数々のアクション 『たえて日本画のなかりせば 上野恩賜公園篇』に続く展覧会となっています。
上野という場所も意識して練り上げられたサイトスペシフィックでコンセプチャルな展示で、 中央に六角堂(弁天堂)を置くなど展示の配置も上野恩賜公園の見立てにはなっています。 しかし、キュレーターが過去の作品を企画意図に沿って計算して配置するのではなく、 作家間で意思統一をあえて取らずに様々な作家が制作した新作を並べており、 そんなコンセプトが緩く破綻気味なカオスな展示になっていました。 そんなカオス的な展示の「ノイズ」の中からコンセプトを掬いあげる所が面白いと思う一方で、 「日本画が無かったら」の一点縛りでは何でもあり過ぎて取りとめなくなってしまい、 何か他の可能性を感じることはできませんでした。
長谷川祐子退任記念展として開催されたこちらの展覧会は、いかにも「現代アートの展覧会」らしく、 キュレーターのコンセプトが行き届いた、展示空間もスタイリッシュに仕上げられた展覧会でした。 しかし、興味深く感じられた作品の興味深さのポイントにエコロジーとの関連性を見出せず、 コントロールが行き届いているだけにカオス感として楽しめるというわけでもありませんでした。 個別に楽しめた作品には出会えたのですが、 「新しいエコロジー」のコンセプトが自分には響いてきませんでした。
いにしえの (1990年代の) VR技術CAVEを現在の技術で廉価に再現した 八谷 和彦 『Homemade CAVE』。 世代交代の早い情報通信技術は、当時は周辺技術が整わずに普及しなかったものが、廉価化や周辺技術の進展で当時の想定とは異なる形で普及したりと、時代の徒花のようなものも多いわけですが、 それを現在の技術で廉価に復元してみせるというだけでなく、 「召喚して供養する」という技術の話からのずらしが面白く感じられました。
The 5th Floor で展示されていた 毛利 悠子 『Decomposition』 は、 歌う静物というその視覚な面白さ、 そのちょっと歪んで反復する音も印象に残りましたが、 部屋に満ちた熟れたバナナの甘い匂いが強い印象を残しました。