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Sam Mendes (dir.), The Lehman Trilogy 『リーマン・トリロジー』 @ Piccadilly Theatre (演劇 / event cinema)
嶋田 丈裕 (Takehiro Shimada; aka TFJ)
2022/07/24
Piccadilly Theatre, London, 25 July 2019.
by Stefano Massini, adapted by Ben Power.
Directed by Sam Mendes.
with Simon Russell Beale, Adam Godley, Ben Miles.
Pianist: Candida Caldicot.
Set Designer: Es Devlin; Costume Designer: Katrina Lindsay; Video Designer: Luke Halls; Lighting Designer: Jon Clark; Composer and Sound Designer: Nick Powell; Co-Sound Designer: Dominic Bilkey; Music Director: Candida Caldicot; Movement: Polly Bennett; Associate Director: Zoé Ford Burnett
First Performance: 12 July 2018, Lyttelton Theatre.
A National Theatre and Neal Street Productions co-production.
上映: シネ・リーブル池袋, 2022-07-17 15:00-18:45.

2008年の世界的な金融危機「リーマン・ショック」のきっかけの経営破綻で有名となった 大手投資銀行 Lehman Brothers の創業者一族三代の栄枯盛衰の物語を舞台化した作品の、 National Theatre Live での上映です。 フィジカルな要素が少なさそうな作品の上、途中休憩2回を含む三部構成で4時間弱という上映時間に腰が引けていたのですが、 上映権利が切れるため最後の上映機会という話を聞いて、観にいきました。

バイエルン州北部ウンターフランケンのリンパー (Rimpar) からのユダヤ系移民 Henry Lehman (b. Hayum Lehmann) が1944年にアメリカ南部アラバマ州モントゴメリーに織物の店を開業、 Emmanuel と Mayer の2人の弟も移民してきて、3人が経営する Lehman Brothers となります。 この3兄弟がこの物語の語り手となります。 事業も織物から、周囲の農場で働く人達向けに日用品を扱うようになり、 さらに、農場の火災を契機に綿花取引に軸足を移していきます。 第一部は兄 Henry が黄熱病で死に、南北戦争 (1861-65) で危機を迎えたところまで。 第二部は、南北戦争後、当時の綿花取引の中心地だったニューヨークに拠点を作り、 Emmanuel の Sondheim 家令嬢との結婚を通して当時のニューヨークのユダヤ人上流階級の仲間入りをしていく様、 また、事業面でも綿花取引からコーヒー取引、さらに鉄道などに対する投資銀行へと軸足を移していく様を、 Emmanuel からその息子 Philip への代替わり (1901) と重ねて描いていきます。 そして、Philip からさらにその息子 Bobbie (Robert) への代替わり (1925) と大恐慌 (1929) を迎え第二部が終わります。 第三部は大恐慌の打撃と Bobbie がそれを耐え凌ぐ様から始まり、 Lehman Brothers が同族経営色、ユダヤ色を薄めていく様を描きます。 Bobbie の死 (1969) 後から経営破綻 (2008) までの細かく経緯は描かれず、 投資銀行部門と投機部門の対立が象徴的に描かれます。 そして、経営破綻を持って物語は終わります。

このような Lehman 一族三代の物語を、3人の俳優と生伴奏のピアニストだけで演じて行きます。 創業の3兄弟、二代目、三代目など主要な役は固定されているものの、次々と出てくる 様々な年齢性別の登場人物を代わる代わる演じて行くことになります。 そもそも、セリフのほとんどは第三者の視点で物語るもので、 その地の語りの中に会話が半ばシームレスに埋め込まれています。 俳優たちも役を演じるというより物語を語っている場面が多く、 特に象徴的な場面のみ登場人物の会話劇として演じられ、 その演技も自然主義的ではなく象徴的な誇張も含む声色とマイムを使っての、語り芝居的な演出でした。 舞台装置も回転するガラス張りのキューブにオフィス風の什器と段ボール箱のみ、 黒スーツ姿で衣装替えもなく、語りと見立て、そして背景の象徴的な映像プロジェクションだけで場面を描くミニマルな演出です。 英語がよく理解できればもっと叙事詩的に感じられたのかもしれませんが、 一族の栄枯盛衰を描くという意味で『平家物語』にも通じるものを感じられましたし、 内容はもちろん声色も使った語りと最低限の道具を見立てての演出もあって、 出世譚の現代物の講談を現代的な演出で見ているよう。 内容と形式の相性もよく、俳優たちも巧く、4時間弱、全く飽きずに楽しめました。

もちろん、そういう形式的な面白だけでなく、語られる物語も、 アメリカにおけるユダヤ移民の物語、そして、日用品を扱う小さな店から投資銀行へという市場と金融の発展のシステムの物語として、 もとても興味深かく観ることができました。 特に巧いと思ったのは、 Henry, Emmanuel, Philip の葬儀がユダヤ色を薄めていく様を象徴するかのように 服喪 (shiva) が1週間が3日になり最後は3秒となると、対比的に描かれ、 さらに Bobbie の死 (1969) はむしろ「死後も (リーマンショックまで) 踊り続けた」のように描かれたところでした。