恵比寿ガーデンシネマで開催中の 詩、小説、戯曲に限らず映画も含め様々な分野で活動した20世紀フランスの作家 Jean Cocteau の特集上映 『没後60年 ジャン・コクトー映画祭』で、 デジタルリマスターでこれらの映画を観てきました。
ギリシャ神話の Orphée & Eurydice の話を、映画制作時の現代 (第二次大戦後まもなく) の パリ・サンジェルマンに置き換えて映画化したものです。 高校時代 (1980年代) に観たことがありましたが、ほとんど忘れかけていたので、かなり新鮮に楽しめました。
熱狂的なファンとアンチファンを持つアイドル的な人気のあった詩人 Orphée を死神の王女 (la princesse) が見初め、 Orphée を館に連れ、一旦は家に戻すも、指示なく妻 Eurydice を殺します。 王女の付き運転手 Heurtebise の手引きで、妻を取り戻しに Orphée は死後の世界へ行きます。 Eurydice をこの世に戻してからは、Orphée は Eurydice を見てはいけないと命じられるものの、 誤って車のバックミラー越しに見てしまい、Eurydice は再び死後の世界へ行ってしまいます。 ギリシャ神話のようには話はそこで終わらず、Orphée は館を囲んだアンチファンと乱闘の末に誤って殺され、 王女は規則を破って Orphée と Eurydice をこの世へ戻します。
昔観たノイジーなフィルムではなく綺麗にデジタルリマスターされたものを観たせいか、 俳優やその立ち振る舞い、画面の雰囲気がこんなにも耽美だったのかと気付かされました。 死神である女王やその眷属、自動車のラジオでしか受信できない王女からの謎めいたメッセージなどミステリアスな雰囲気もあり、 フィルムの逆回しや画面合成も含む特殊な効果を使ってのこの世と死後の世界の行き来などの表現も 現在の技術に比べて素朴とはいえ、十分に夢幻的というかシュールです。 そして、何より、Orphée を挟んでの王女と Eurydice、 Eurydice を挟んでの Orchée と王女付きの運転手 Heurtebise、という2つの三角関係で話が展開し、 結末は現状維持のための自己犠牲という典型的なメロドラマ展開だったことにも気付かされました。 今の視点で見ると、David Lynch 的な表現の原点の一つを観るようでもありました。
まだ作風を確立する前の Bresson 監督第二作ですが、 Cocteau が台詞を担当したということで、今回の特集上映で取り上げられています。
上流階級の女性 Hélène は、付き合っていた Jean に振られた –– というより、愛を試そうと別れを持ち出したら、あっさり同意されてしまった –– ことの復讐として、 生活のために踊り子しつつ上流階級を相手にした娼婦もしている同郷の没落した家の娘 Agnès をそうとは伏せて Jean に見初めさせます。 Agnès は Jean に事実を伝えようとするも失敗し、Agnès は断りきれず、Hélène の計略とおり2人は結婚することになります。 結婚式で事が明るみになり、Jean は一旦は逃げ出すものの、ショックで死にかけた Agnès の元に戻り愛を誓います。
作家性を強く感じる作品ではありませんでしたが、 Orphée では王女を演じている Maria Casarès 演じるミステリアスで美しくも冷徹な Hélène、 踊り子/娼婦へ一旦は身をやつしながらも踊り好きで純真さを失わない可憐な Agnès、 そして、優男 Jean の織りなす、ウェルメイドな上流階級物かつ復讐物のメロドラマ映画としてかなり楽しみました。