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Review: Wim Wenders: Bis ans Ende der Welt [Until the End of the World] (Director's Cut, 4K Restaurierung) 『夢の涯までも (ディレクターズカット4Kリストア版)』 (映画)
嶋田 丈裕 (Takehiro Shimada; aka TFJ)
2024/02/25
『夢の涯までも (ディレクターズカット4Kリストア版)』
Ein Film von Wim Wenders
1991 / 1994 (Director's Cut / 2014 (4K Restaurierung) / Super 35mm Eastmancolor (4K Restaurierung: DCP) / 1:1,66 / Dolby Stereo / 179 min (Director's Cut: 287 min).
Produktion: Road Movies Filmproduktion GmbH (Berlin), Argos Films S.A. (Neuilly), Village Roadshow Pictures Pty. Ltd. (Sydney); 4K Restaurierung: Wim Wenders Stiftung.
Darsteller: William Hurt (Sam Farber / Trevor McPhee), Solveig Dommartin (Claire Tourneur), Sam Neill (Eugene Fitzpatrick), Max von Sydow (Henry Farber), Rüdiger Vogler (Philip Winter), Jeanne Moreau (Edith Farber), u.a.
Regie: Wim Wenders; Produzenten: Anatole Dauman, Jonathan Taplin, Wim Wenders; Drehbuch: Wim Wenders, Peter Carey, nach einer Idee von Wim Wenders und Solveig Dommartin,
上映: 『恵比寿映像祭2024』地域連携プログラム, 東京都写真美術館1階ホール, 2024-02-23 12:50-17:50.

1991年公開 (1994年ディレクターズカット版公開) のWim Wendersの映画の4Kレストア版です。 公開当時に観なかったので、これも良い機会かと、『恵比寿映像祭2024』地域連携プログラムの一環の上映を観ました。 途中休憩1回を挟んで二部構成、計5時間弱はさすがに長すぎで、最後まで観たという達成感はありましたが、集中力がそこまで持つわけではなく、消化不良感の残る鑑賞体験でした。

物語の舞台は1999年で、制作された1991年から見て近未来を舞台としたSci-Fiです。 といっても、第一部はSci-Fi色は薄めで、何からの理由で追われるように旅する男 (Trevor McPhee / Sam Farber) と 彼と偶然出会った淪落した生活を送る女性 (Claire Tourneur)、その元恋人 (Eugene Fitzpatrick) や、彼女に雇われた探偵 (Philip Winter) が、 追いつ追われつパリ、ベルリン、リスボン、モスクワ、シベリア、中国、東京、サンフランシスコ、オーストラリア (都市、地域、国と粒度が揃っていませんがこれが映画での描写の粒度) と世界を巡るロードムービーです。 一同がオーストラリアのアボリジニ居住区にたどり着いてからの第二部は、 インドの核衛星の爆破の影響を受けて、アボリジニ居住区でのポスト=アポカリプスな生活とそこからの復帰を描いた物語となります。 視覚転送技術という夢を追うマッドサイエンティスト的な父 (Henry Farber) と、その妻 (Edith) と子 (Sam) の間の愛と葛藤がテーマとして浮かび上がります。 さらに、視覚転送技術が完成し核衛星爆破でも世界は無事だったと判明した後、再び物語は大きく転換し、 夢の視覚化への視覚転送技術の応用、その結果、自己の夢に中毒するHenry、SamとClaire。そして Eugene による Claire の治癒、救済の物語となります。 テーマを色々盛り込み過ぎで、それぞれのテーマの掘り下げが足りず、大味です。 また、第一部の展開は追いつ追われつの話にしては描写や展開が緩いです。 長大な物語としたのも神話的な叙事詩にしたいという作家の意図なのでしょうが、 物語を整理してテーマを掘り下げ、1話1時間半程度の全4回のシリーズ物にしても良かったのではないかと思ってしまいました。

その一方で、この映画を観ていて、1989年東欧革命後、ソ連崩壊中で冷戦はほぼ決着は付いたロスタイムのような時間帯、 ホブスボームの言う「短い20世紀」が終わったもののまだ21世紀の姿が見えない、そんな隙間の時代を思い出しました。 1980年代前半であれば核戦争による破局は現実的な脅威でしたが、その代わりに描かれる核衛星の爆発の描写は、 ポスト=アポカリプスな生活の描写や結局世界は無事だったという結末など、楽観的な雰囲気です。 これは冷戦終結で核戦争による破局は回避されたという当時の時代の雰囲気の反映でしょうか。 細部を見ても、登場人物-特に女性の主役の Claire-の服装が1980年代のスタイルで、 当時勃興しつつあったポストレイヴのクラブカルチャーに見られるようなドレスダウンしたカジュアルなスタイルが見られません。 もちろん、服装だけでなく、冒頭のパーティの様子やバーの雰囲気にも、映画中の音楽にも1990年代後半には一般的となるテクノ/エレクトロニカの影響はなく、クラブカルチャーの影響を微塵も感じさせません。 特に第一部の生活感の無い描写は、1970年前後のカウンターカルチャーを出自に持ちながらも1980年台にはリッチなエスタブリッシュメントとなった人々を想起しました。

Sci-Fiということで、自動車やテレビ電話にみられた近未来的な技術の描写も気になりました。 映画が制作された1991年に1990年代後半のインターネットやGUIを持つPCの急速な普及 (スマートフォンの普及はもう少し後) など予想できるわけもないのですが、 電子メール、ウェブのようなインターネット・サービスは無く、探偵が使う人物追跡システムの検索端末もTVゲームのようなGUIです。 第二部後半で描写される視覚化された自己の夢に中毒するというエピソードは、自己完結した自己愛か他者からの承認欲求という違いはありますが、現在であればSNS依存症として描かれたのかもしれません。このような点は慧眼かもしれません。

このような理由もあって、物語それ自体というより、映画から感じられた1990年代初頭の時代の雰囲気が強く印象に残りました。 そして、それから社会は大きく変わってしまったのだな、と。

前作 Der Himmel über Berlin 『ベルリン・天使の詩』 (1987) に良い印象が残っていなかったこともあり、 公開当時にこの映画は観なかったのですが、 好きだったミュージシャンがこの映画のために録音した曲を多く収録していたので、 サウンドトラックCD Until The End Of The World (Warner Bros., 9 26707-2, 1991) を買って聴いていました。 好きな音楽なので期待していましたが、映画の中での印象的な使われ方されているという訳ではありませんでした。 そもそも、ロック、ポップのようなポピュラー音楽は時代に紐付きやすいので、近未来Sci-Fi映画向けではないのかもしれません。