2015年以来、南仏モンペリエの国立振付センターICI-CCNの芸術監督を務める フランスの振付家 Christian Rizzo による振付作品の来日公演です。 2003, 2004, 2014年と日本で作品を上演していますが、観ておらず、今回が初めて。 作風にほぼ予備知識なしで観ました。 タイトルから物語性のある作品が予想されましたが、物語性のあるスケッチすらほとんど感じられず、かなり抽象度が高い作品でした。 インタビューによると「ダンスの「公式」な歴史と、多様な場所や時代で踊られてきた庶民のダンスを並行化してダンスにできないか」という問題意識から生まれた作品のようです。
舞台は下手後方一段高くなった所にドラムセットが2組、1脚の椅子と周辺の小物が上手前方に置かれただけ。 衣装も濃淡あれど彩度の低いほぼグレーのTシャツとパンツのみ、映像もなく、照明演出のみ。 そんなミニマリスティックな舞台上で、ツインドラム2人の生演奏で8人の男性ダンサーが踊ります。 腕を広げて、肩を組んで、手を繋いで、もしくは、後ろ手で緩くステップ踏むような動きが多用されます。 特に、腕を広げてたり肩を組んで踊るさまは、 トルコのサイベク (Zeybek)、ギリシャのザイベキコ (Ζεϊμπέκικο [zeibekiko]) はもちろん、 ノルウェーのハリングダンス (Hallingdans) なども連想されました。 しかし、視覚的にミニマリスティックな舞台に加え、 複合拍子などの民族舞踊的なリズムや民族楽器を使ったりはせず、 ドラムセットが刻むロックのイデオム強めのビートが、そんな動きを抽象化していました。
民族舞踊的な要素を鍛え上げられた身体で舞台舞踊としてショー化するのではなく、 宴席や祭、もしくは、居酒屋などで音楽に合わせてオヤジたちが気ままに緩く踊る様を、 そのささやかな楽しみ、時には、哀しみなどの雰囲気は残しつつも、 抽象化した上で舞台化したように感じられました。