年末年始に渋谷ユーロスペースで開催されていた 『中央アジア今昔映画祭 vol. 3 ウズベキスタン特集』で、これらの映画を観てきました。
Никита Хрущёв (フルシチョフ) 失脚 (1964) 間もない、まだ «Оттепель»「雪解け」の時代の雰囲気を残す1967年に公開された映画です。 1960年代のウズベキスタンの首都タシュケントを舞台に、少女時代に戦火のレニングラードから疎開してきた Лена、川辺で Лена を見かけて一目惚れする工場労働者 Санжар、 Лена と親しいながらプロポースは受け入れられない工場技術者 Тимур、 Тимур に片思いする Мамура というすれ違う男女を、余暇を過ごす時間の中で、明るく淡い陰影の画面で描きます。 そんな画面も、雪解けの社会の明るさの中にうっすら差す Лена の戦争のトラウマなどの影の、隠喩のようでした。
バレエ中のお姫様に憧れるような無邪気な少女 Наргиз は少年グループのリーダー格の Эркин に憧れますが、 Эркин と一緒に出かけるために女性の親友 Лали との約束を破り仲違いしてしまいます。 さらに、Эркин は自身も Наргиз へ持ちながら少年ならではの粗暴さと女心の読めなさで Наргиз を傷付ます。 小綺麗な別荘地のようなウズベキスタンの田舎を舞台にした、そんな Наргиз のひと夏のほろ苦い経験と、その心情の揺れ動きを、自然の中の明るい画面と、繊細な演技で描いていて、 女性映画というより少女映画といいたくなるような映画でした。
ウズベキスタンの集団農場 (コルホーズ) 近くに不時着したUFOに乗った高度な能力を隠し持つ宇宙人の少年 (アブドラジャンと名付けられる) と、 宇宙人とは気づかずに彼を助けた Базарбай と Холида の夫婦を核とするコルホーズ農家一家を巡るドタバタを描いたコメディです。 UFOでやってきた宇宙人という設定や、彼を捉えようとする大掛かりな軍の動きなど、SF的な設定もありますが、 むしろ、俗っぽく不器用だけれども悪気はなく人情味溢れる人々が繰り広げるホームドラマ的な人情コメディを楽しみました。 SF的な設定は、むしろ人情コメディとのギャップからの笑いのネタでしょうか。
現代的な都会 (おそらくタシュケント) の寄宿学校から田舎の祖母の家に引き取られた少女 Zulfiya と、彼女を引き取った祖母、同居する叔母 (母の弟の妻) の、それぞれのうまくいかない人生を、 空撮も多用したダイナミックに撮られた美しいウズベキスタンの田舎を舞台に描きます。 両親は都会で豊かに暮らしていて迎えにきてくれると信じる Zulfiya ですが、 映画が進むにつれて、Zulfiya の母は再婚のため娘を祖母に預けることにしたこと、 母の弟は賭けトランプで村じゅうから大きな借金を負ったために湖での事故死を偽装してロシアに逃げたことなどが、明らかになって行きます。 父がいなくなった原因は読み取れなかったのですが、弟の問題が原因かもしれません。 Zulfiya は都会へ母に会いに行くものの、会いに来たことを半ば困惑気味に接せられるのですが、 そんな母も豊かな生活をしているのではなく、縫製工場で働いています。 行動的な主人公 Zulfiya やダイナミックに撮られた自然の風景に救われた感じはありましたが、 Zulfiya や彼女を取り巻く女性たちが現代のウズベキスタンで生きる困難をメロドラマチックに捉えた女性映画でした。
1920年頃の、ロシア革命後の内戦の中央アジアを舞台とした、(おそらくウズベキスタンのブハラ近くの) 山中に隠れるように住む老いた一人の男 Kamil とその4人 (実際は5人) の妻 (イスラームの一夫多妻に従っている) の物語です。 タイトルロールの若い女性 Farida が嫁いでくる場面から始まり、伝統的な、しかし女性を家事もできる子作りのための道具としか考えていないような抑圧的な生活を描きます。 威圧的な男を囲んで沈黙が支配する食事の場面、ほとんど Farida が Kamil がほどんどレイプのようにセックスすることを強いられていることをほのめかす場面など、 説明的な台詞や直接的な暴力描写は控えめながら、明るいというより陰影の深いスタイリッシュな映像を通して描きます。 最も寵愛を受ける気の強い二番目の妻 Robiya と新しい妻 Farida の確執を感じさせる描写もありますが、 子が産めなかったばかりに山の洞窟に鎖に繋がれて捨てられた最初の妻 (彼女が歌う歌声が「2000の歌」) に食事を運んだり、 その仕事を三番目の Mahfirat に任せることで彼女の浮気 (これが発覚することで指詰めの体罰を受ける) を助けたり、など、密かで細やかな共闘も描かれます。
特に前半は、山中の家でも家族に閉じた生活描写が中心ですが、次第に、訪れた知り合いの白軍のロシア人軍人に妻も権利があると諭されたり、 バスマチ蜂起 (восстание басмачей) (革命直後のムスリム住民を中心とした反ソビエト武力運動)の反乱軍に協力を求められて家畜を皆持っていかれたりと、外からの変化が迫ってきます。 (その中で Kamil はブハラのアミールに仕えた有力者だが、故あって山中に潜んでいることが仄めかされます。) また、Farida の妊娠を期に Kamil の寵愛を失ったことを悟った Robiya は家から逃げ出します。 そして、Farida の恋人が Farida を救いにやって来て、Kamil に組み伏せられ殺されかけるものの、Farida が身を挺して彼を庇ったことで、 Kalim は状況を悟り、Farida だけでなく3人の妻を Farida の恋人と共に家から送り出します。 Kalim は洞窟に捨てた最初の妻を解放し、共にブハラへ戻ろうとしますが、そこに逃げた妻が Robiya が赤軍と共に戻り、 家は焼かれ、Kamil も Robiya 自らの手で銃殺される所で、この映画は終わります。 そんな、白軍、バスマチ、赤軍が入り乱れるロシア革命直後の状況を感じさせる描写も興味深い映画した。
観終わった後、検索していて「『ファリダの二千の歌』、要約が難しいが、『マッドマックス怒りのデス・ロード』のイモータンジョーと妻たちの暮らしみたいな話といえば良いのか。」というツイートを見つけたのですが、 なるほど、夫から逃げ出し赤軍に入って、赤軍と共に戻って Kamil を殺す二番目の妻 Robiya は、Furiosa のようなものと言えるかもしれません。 といっても、Mad Max Fury Road では話のメインとなる逃げ出してから戻ってくるまでは描かれませんが。 タイトルロールでもある Farida が主役かと思いきや、最後は Robiya ですし、ポスターと見ると Robiya が使われているので、むしろ主役は Robiya と言ってもいいかもしれません。
結局、今回の上映6本中5本を観ることができました。観る前はソ連時代の映画の方に期待していましたが、 むしろ、ソ連崩壊後というか、ここ最近十年の間に作られた2本、 Issiq Non [Hot Bread] 『熱いノン』 (2018) と Faridaning ikki ming qo'shig'i [2000 Songs of Farida] 『ファリダの二千の歌』 (2020) に感銘を受けました。