先週は、3日から8日にかけて 東南アジアのシンガポール (Singapore) とインドネシアのジョグジャカルタ (Yogyakarta, Indonesia) へ旅行してきました。 今回の旅行は、自分の趣味のためではなく、七十余歳となる母に初めての海外旅行を楽しんでもらうことが一番の目的。 というわけで、行き先も、商社マンの義兄の駐在しているジャカルタに近く土地鑑のある観光地。 母や姉一家も楽しめる観光旅行ということで、 去年のドイツ旅行や 一昨年のロシア旅行のような 美術館・画廊巡りや演劇・音楽の舞台鑑賞はしませんでした。 というわけで、この談話室に書くようなネタはあまり無いのですが、旅の話をいくつか。
1日まで準備はほとんど手付かずだったので、前日2日は朝から慌てて荷造り。今までで最短の旅の準備だったかも。 で、昼過ぎには実家へ行って、姉と一緒に母の旅行準備の最終チェック。 3日早朝に実家を出て、昼前のJAL便に乗って夕方にシンガポール入りしました。
まずはシンガポールで2泊。雨がちで、ゆっくり街歩きという天気でも無く、 Sentosa の S.E.A. Aquarium とか、Merlion Park とか、Marina Bay Sands とか、 家族の要望の強かったベタなテーマパーク的観光地を巡ったりもしましたが、 4日の夕方に、少々我が侭を言って、 アルメニア使徒教会とイスラーム色濃いモスク界隈へ足を伸ばしてきました。
近世イスラーム三大帝国 (オスマン朝 [トルコ]、サファヴィー朝 [ペルシャ]、ムガル朝 [インド]) 内に 独自のコミュニティと商業ネットワークを築いたことで知られるアルメニア人ですが、 その東の東南アジアの英蘭植民地へもその網を広げ近代化に重要な役割を演じました。 例えば、有名なコロニアル様式のホテル Raffles Hotel を開いた Martin & Tigran Sarkies はアルメニア人です。 そんなアルメニア人のシンガポールでの足跡を今に残す場所が、City Hall 近くにある Armenian Apostolic Church of St. Gregory the Illuminator Singapore (照明者聖グレゴリオス・アルメニア使徒教会) です。 1835年に建てられた、シンガポール最古のキリスト教会です。
この教会は伝統的なアルメニア教会建築の様式で建てられているとのこと。 日本では見ることのない非カルケドン派 (アルメニア教会はその一つ) のキリスト教会ってどんなものだろう、 という興味もあって足を伸ばしてみました。 派手な装飾の類はありませんでしたが、教会建築に疎いせいか、意外と普通のキリスト教会という印象を受けました。 むしろ、墓地をはじめ所々に見られるアルメニア文字に、何と書かれているか読めないものの、 ここがアルメニア教会であることを思い出させられました。
シンガポールのアルメニア人に関する情報を調べていて、 帝国書院の『高等学校 世界史のしおり』に 2004年から2007年にかけて連載された、 重松 伸司 『ベンガル湾のアルメニア商人たち』 という記事を見付けました: 「その1—アジア近代のホテル経営者」 (pdf)、 「その2—シンガポールの”最後のアルメニア人”」 (pdf)、 「その3—シンガポール国花となったアルメニア人女性」 (pdf)、 「その4—マラッカに眠るヤコブさん」 (pdf)、 「その5–シンガポール・メルボルン・道頓堀での出会い」 (pdf)。 少々軽めの読み物ですが、内容は興味深いものです。参考までに。
City Hall 駅から地下鉄で1駅、Bugis 駅から歩いて数分の Kampong Gelam 地区に モスク Masjid Sultan Singapura があります (マレー語でモスクを Masjid と言います)。 イギリスにシンガポール島を売却したジョホール王国 (Johor Sultanate) のスルタンが、 その宮殿 Istana Kampong Gelan (現 Malay Heritage Centre) に隣接して1824-26年に建てた、シンガポール最大最古のモスクです。 インド・サラセン (Indo-Saracenic) 様式のモスクで、 Taj Mahal を小さく金色にしたようなドームが可愛いです。 City Hall、Orchard Road や Marina Bay 界隈と違い、 Kampong Gelan 界隈は建物や店にイスラームやマレー系の雰囲気を強く残す路地が残っていて、 街歩きも楽しいエリアでした。 って、この界隈には15分程しか居られず、元宮殿の Malay Heritage Centre を見れなかったのは残念。
シンガポールを5日に発ち、今度はインドネシアへ。ジャカルタ経由でジャワ (Java) 島のジョグジャカルタに行ってきました。 目的はジョグジャカルタ近郊にある2つのユネスコ世界遺産 (文化遺産) です。 さすがに世界中から観光客が集まる観光地となっていますが、どちらも見応えある遺跡でした。 この二カ所は他でもいろいろ紹介されているので、ここでは簡単に。
まずは、ジョグジャカルタ空港に付いたその足で、市街にほど近い Candi Prambanan (プランバナン寺院群) へ。 サンジャヤ (Sanjaya) 朝マラタム (Maratam) 王国が900年前後に建立した 古代ジャワ最大のヒンドゥー教寺院群の遺跡です。 ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァの三神の寺院などが林立しています。 過去の地震や火山噴火で崩壊していたものを、20世紀以降に修復したものですが、 盗難・盗掘にあったか主要な神の像などは失われていました。 それでも、建物全体が装飾レリーフで覆われていて、それを見て回るだけでも楽しいものでしたが。
もう一つ、 Candi Borobudur (ボロブドゥール寺院) は、少々山中へ入った所にあります。 こちらは大乗仏教の寺院の遺跡で、プランバナン寺院群に先立つ8世紀末から9世紀初頭にかけて、 シャイレーンドラ朝 (Syailendra) が建立したものです。 こちらは、6日早朝、遺跡から朝日を観るという Borobudur Sunrise というエクスカージョンを使って観てきました。 残念ながら曇りで朝日は見られませんでしたが、寺院から観る夜明けの中部ジャワの緑の眺めを楽しむことができました。 寺院遺跡はマンダラを思わせる巨大な正方形のサイトで、 上の方はレリーフ類が無く、ヒンズー寺院のプランバナンとはなかり異なる印象。 しかし、下の方の回廊には仏陀の物語などを表したレリーフが並んでいました。
宿泊は Candi Borobudur を見下ろす山裾の高原リゾートホテルということで、 ジョグジャカルタ市内を街歩きというわけにはいかなかったのですが、 6日午前、やはりホテルのエクスカージョンで Borobudur 近くの里山の農村を訪問しました。 ギリギリの幅の簡易舗装の農道をミニバンで抜けて行ったり、 農村の路地を歩きながらニワトリやアヒルがちょろちょろしているの見たり、と。
で、村で tahu を作る所を見学しました。tahu というのは、インドネシアの豆腐のこと。 ほとんど手作りで、道具も素朴ですが、作り方としては日本の豆腐とほぼ同じに見えました。 出来たての tahu を食べるように勧められたので、一口食べてみましたが、 食感は絹ごし豆腐というより木綿豆腐で、しっかり大豆の味を感じるものでした。 正直に言えば食べたらあたるんではないかと少々心配したのですが、そんなことはなし。 tahu が作れるような所は、水も奇麗なのかもしれません。
6日の午後も、一人ホテルを抜け出し、近くの村を散策。 路地では子供たちが遊んだり、大人の女性たちが車座になっておしゃべりしてたり。 で、歩いていたら大きな音で詠唱が流れだしたので、 目の合った車座の女性たちに、空を指差しながら「アザーン?」と声をかけました。 何と言ったかわからなかったのですが「そうだよ」って感じの反応が得られたので、 「マスジッド?」と訊ねたら「あっち」という感じで路地を先の方を指差します。 そうしたら、ジルバブ (Jilbab; インドネシア/マレー語では髪を隠すために被るものを指す) を被った お年をめした女性が家から出てできて、自分に声をかけつつマスジッド (Masjid; インドネシア/マレー語でモスク) の方へ歩き出しました。 「今から行くので付いてらっしゃい」と言われているような気がしたので、彼女に付いて歩いていきました。 いろいろ話しかけてくるのですが、何と言っているのかわからず、そのうち村のマスジッドの前に着きました。
村のマスジッドは民家より立派でしたが、木造平屋の「お堂」のよう。 ちょうど金曜日ということもあるのか、マスジッドの中には大勢の人がいるようでした。 彼女はマスジッドの中へ入っていきましたが、 礼拝が始まりそうだしと自分は遠慮して少し離れた所からマスジッドを見ていました。 そしたら、マスジッドへ来たと思われる男性に英語で「おまえ、日本人か?」と声をかけられたので、 「そうです」と答えて、お互い片言英語で少しお話したり。そんな散策を楽しんだのでした。 英語もほとんど通じないエリアで、インドネシア語もできないのに、 今から思えば少々無謀な散策だった気もしますが、 出会った人がみないい人たちばかりで、トラブル無く済んで良かったかしらん。
7日の朝にはホテルを出て帰途につきました。 道が渋滞してジョグジャカルタ空港で余裕が無く、飛行機が遅れてトランジットのジャカルタ空港でも余裕が無く、 インドネシアでお土産の買物する時間が取れなかったのは、少々残念。 往路がシンガポール経由だったので、復路もシンガポール経由。 さすがに、シンガポールもトランジットするのはキツいので、空港ホテルで一泊しました。 夕食は、空港近くの公園 East Coast Park 内のレストランが集まった所 (Food Village) にある 中華のシーフード・レストランで。 目当ては、シンガポール・チリ・クラブ (Singapore Chilli crab)。 「シンガポール発の中華料理」と言われているようですが、 それに対して「これはマレー料理の Sambal crab だ」という反論も出ているそう。 元々は地元のワタリガニ (カザミ) で作るもののようですが、 この店では豪快に大きなアラスカ産タラバガニを使っていました。 実際食べたてみると、エビチリのカニ版のようでもあり、カニ味噌入りサンバルで茹でカニを和えたようでもあり。うーむ。 中華料理屋でしたが、マレー系らしきジルバブを被った女性客もいました。 シーフード専門であれば中華料理も大丈夫なんですね。 いずれにせよ、とても美味しい料理で、旅行最後の夜を楽しんだのでした。