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旅のアルバム
中国東北地方 

大連・旅順・瀋陽の旅

中国東北地方は北はロシア、南は北朝鮮、西はモンゴルに接し、初期清朝の都 瀋陽、満州国の面影が残る大連、日露戦争の主戦場となった旅順など、激動の歴史を歩んできた地方です。
近代100年余りの間に、この地の支配は帝政ロシア、日本、中国とめまぐるしく変わり、その当時の建築物が歴史の名残りとして現在もエキゾチックな面影を残しています。
現在は、上海と同様に次々と高層ビルが建てられ近代化が進んでいます。

News :日露戦争の激動の時代を描いた「坂の上の雲」(司馬遼太郎)がNHKのスペシャルドラマとして来年から3年にわたって放送されます。(1回90分、13回)

地名をクリックしてお好きなところからご覧下さい
大連(その1)レトロな街
旅順
瀋陽
大連(その2)現代の街
特集 中国建築(瀋陽) 屋根飾り

大連 (その1) レトロな街
大連はもとは「青泥」という小さな漁村でしたが、1898年帝政ロシアがこの地を租借して港湾建設を手がけ、対外貿易の拠点として繁栄していきました。ロシアの租借時代は7年間でしたが、今でもロシア風建築が点在しています。
1905年日露戦争に勝利した日本が遼東半島の租借権を得て、第2次世界大戦終結までの約40年間22万人もの日本人がこの地に住んでいました。現在も日本統治時代の銀行やホテルなどが多く残されていて、中国とロシアと日本の文化が融合する興味深い街です。
この美しい大連の街は「北方の真珠」とも呼ばれていますが、歴史を振り返るとこれらの建築物は満州侵略の証であり、戦争の歴史の重みを改めて考えさせられる旅でした。
           大連駅

上野駅を模して造られたそうで、満州時代の日本の統治の名残りを感じます。本当によく似ていますね。中は近代的で明るくきれいです。
夜は夜行列車でどこまで移動するのでしょうか、信じられないような大荷物を持った乗客が集まっていました。皆が大声で喋っているので駅構内はものすごい騒音でした。           
           旧大連警察署
        (現対外貿易経済合作庁)

中山広場の周りに日本が建設したこの様な壮麗な建物が並んでいます。中山公園で最初に建設された建築物です。
           中山広場

帝政ロシアがパリのエトワール広場(現シャルル・ドゴール広場)をモデルに建設開始した円形広場。
その後20世紀初め日本統治時代に、この広場の周りに銀行、ホテルなどの建物が建設されました。
正面に見えるのは旧横浜正金銀行(現中国銀行)。背後に近代的なビルが見えるのも対照的な光景です。
中山広場の夜景
本当にパリのシャルル・ドゴール広場の様ですね。
        大連ヤマトホテル
         
(現大連賓館)

満鉄(南満州鉄道)が経営した豪華ホテル。
瀋陽、長春などにもヤマトホテルがありますが、大連ヤマトホテルが最も格式が高かったと云われています。現在もホテルとして使われています。
大連ヤマトホテル内部
左下に各国の時間に合わせた時計が見えます。
        旧満鉄本社(現鉄路局)

中山公園から300m東に行ったところにあります。
中には満鉄時代の遺品や写真が展示してありました。この展示の説明は中国語ですが、日本が労働力も財産も搾取したことが漢字から読み取れました。
旧満鉄本社の内部

重厚な造りの社屋。
内部も豪華で、当時の繁栄を物語っていました。
             あじあ号

満鉄で運行された「特急あじあ」を牽引していた流線形のSL。現在瀋陽と大連に保存されていますが、この大連のSLは古い倉庫に保管されていて、まだあまり公開されていません。
1934年(昭和9年)、川崎重工が大連に運んで組立て、当時日本国内でも最速の列車が時速67キロのところ、これは最高時速100キロ以上を出し(平均時速82.5キロ)、当時世界最速を誇っていました。
私も操縦室に上ってみました。車輪が人間の背丈ほどもあり、垂直に上るのはちょっと勇気がいりました。
「若い頃これが走っているのを見たことがある」とご老人が仰っていました。びっくり!
           日本人街

かつて満鉄幹部職員らの高級住宅街でしたが、一部は2000年に観光ストリートとして新装され、美しくリフォームされた家々が建ち並んでいます。現在も改築が進んでいます。日本人街といっても洋風建築ですね。
手前は満州国時代の古い住宅、その奥は改築された新しい住宅です。

日本人街 クラブハウス

リフォームされ住宅展示場のような家並み
          ロシア人街

こちらも2000年に観光ストリートとして改装されましたが、帝政ロシア時代の官庁街だった通りには古色蒼然としたロシア建築が残っていて、中国にいることを忘れてしまいそうな異国情緒豊かな場所です。
ロシア名物のマトリョーシカがお土産として売られていました。
旅順
大連から南に45km下った、遼東半島先端に位置する軍港都市で、日露戦争の激戦地となった所ですが、現在も中国の軍港となっていて、町中には軍事施設が点在し、外国人が市内を勝手に歩くことは禁止されていて、観光地としては一部しか開放されていません。

19世紀後半、清の北洋艦隊によって要塞化されたのが軍港旅順の始まりで、1894~1895年の日清戦争で日本はこの良港を占領して、遼東半島を支配下におきました。その後ロシア、ドイツ、フランスの三国干渉により、旅順は大連とともにロシアの租借地となりましたが、1904~1905年の日露戦争で勝った日本が再び支配することになり、東北侵略の拠点として、第2次世界大戦終結までその支配が続きました。
現在は天津や首都北京を防衛する要港となっています。
            203高地

標高が203mなので、この名が付けられました。
ここから旅順市街と港が一望でき、旅順港に浮かぶロシア艦隊を攻撃するのに絶好の場所で、この地で激しい攻防戦が繰り広げられました。
両軍とも多くの犠牲者を出し、戦後乃木将軍がこの丘を爾霊山(にれいさん=203)と名付けて、203高地に散乱していた砲弾などを集めさせて忠魂碑が建てられました。

ここから旅順市街、旅順港が一望できる

本物かどうかは怪しい機関砲
           水師営会見所

203高地が陥落した後、乃木大将とロシア司令官ステッセルがここで会見し、旅順降伏文書が交わされました。(建物は当時の資料を元に復元されたものです。)
入って左側の会見の部屋。
両将軍がサインした机です。
右側の部屋には当時の写真が展示されています。
瀋陽
瀋陽は、女真族のヌルハチ(努爾哈赤)が遼河以東を統一して、1625年清朝の前身である後金の都としたところで、1626年次代のホンタイジ(皇太極)がヌルハチの後を継ぎ皇帝に即位し、内蒙古を平定し、1636年に国号を清と改めました。1644年3代目皇帝順治亭が北京に遷都した後は、第二の都とされ奉天府という民政機関が置かれました。清朝発祥の地として文化遺産が数多く残っています。
また、近代では東北地方の大軍閥で最後は関東軍に爆殺された張作霖、その息子の張学良(抗日派で、西安事件を起こし蒋介石を拘束し国共合作を成立、その後50年以上も軟禁された)に関わる地としても有名です。
           瀋陽駅(旧満鉄奉天駅)

1910年に東京駅をモデルとして竣工されました。
当時満鉄最大の駅舎でした。
レンガ造りで東京駅に本当によく似ていますね。。
大連駅から特快列車で4時間で行くことができます。
昭陵(北陵) **世界遺産**
             昭陵(北陵)

清を建国した太宗ホンタイジと皇后の陵墓で、1643年から8年ががりで1651年に完成しました。
この陵墓一帯が広大な北陵公園となっています。


では最初の門から入って行きましょう。
中に入ると次の門が見えないくらいの広大な敷地で、入口からシャトル電気自動車に乗ることができます。         
石牌坊(セキハイボウ)

シャトル自動車から降りて、神橋を渡るとやっと2つ目の牌楼が現れました。
正紅門

石牌坊から見えている門です。
屋根の飾りや塀の装飾が素晴らしいです。
       
正紅門をくぐると神道が続き、両脇には獅子、麒麟、馬、象などの石獣が対になって並んでいます。
中でも石馬が有名で、ホンタイジの天下争奪の際、活躍した馬をモデルにしたと云われています。
           
神功聖徳碑亭
清朝4代目皇帝 康煕帝が建てたもので、
中の石碑には自筆の文字が刻まれています。
           
ここから昭陵の中心部である方城に入ります。
隆恩門

ここからが方城といわれる昭陵の中心部で、正門がこの隆恩門です。方城内の四隅に角楼があり、中心には隆恩殿があります。

中央に満州文字で、左に漢字で小さく隆恩門と書かれています。当時は漢字よりも満州文字が主であったことが窺えます。
隆恩殿
隆恩殿

祭祀が行われる場所です。中を見ると牛の頭の置物が祭られていましたが、掃除していないのか埃っぽかったです。 
      
月牙城

アーチを抜けると月牙城です。方城の後方に位置しています。
宝城

昭陵の一番奥にある建物で、この後ろには宝頂と呼ばれる墳丘があります。この宝城の下には地下宮殿があります。(地下宮殿は見ることができません。)

この宝城の屋根にも沢山の動物の飾りがついていますが、屋根飾りについては最後にまとめてご紹介します。
宝頂

この下にホンタイジとその皇后が埋葬されています。
一番奥にある宝城横の回廊から入口に向かって隆恩門角楼を眺めたところ。
この城壁の中が方城と呼ばれます。
世界遺産の修復をするのに、若いお兄さんが柱や飾りをペンキで塗っていたのにはびっくり。日本では考えられないですね。
でも北京オリンピックに向けて、国民総出で頑張っていているように感じられました。瀋陽にはオリンピックのサッカー予選会場があります。
瀋陽故宮 **世界遺産**
           瀋陽故宮

清朝の初代皇帝 太祖ヌルハチと、2代皇帝 太宗ホンタイジが築いた王宮。1636年に落成。北京故宮の12分の1の大きさですが、90あまりの建築物(部屋は300以上)と20あまりの庭園で構成されていて、東路中路西路のエリアに分かれています。
ヌルハチが遷都した当時は「盛京」と呼ばれました。
瀋陽故宮の入口です。では入ってみましょう。
門の梁も皇帝のシンボルである龍が使われて
います
柱の龍や動物の彫刻も見事ですね
崇政殿
入口をぬけると中路の中心の建物崇政殿が見えてきます。崇政殿はホンタイジが日常の軍務・政務を行ったり、外国の使臣と接見を行ったところです。
崇政殿の東側の東路には初代ヌルハチの時代に建てられた大政殿があります。(写真奥の建物)
大政殿を中心に左右対称に5つの建物が八字型に並んでいます。これらは大臣達が政務を行った所で十王亭と呼ばれています。
この建物の配置はヌルハチが確立した軍事・行政・社会組織である八旗制度を反映させたもので、瀋陽故宮独特のものです。(八旗制度は元は満州族の狩猟の為の組織でした。)


近くに寄ってみましょう。
大政殿
皇帝が式典を行う場所。八角殿とも言われます。
大政殿の柱には巨大な金の龍が
巻きついていました
          大政殿の屋根飾り

下の屋根には、先頭には鳥に乗った仙人、その後ろに神獣が3体、最後はいかめしい獅子のような動物が並んでいました。(左画像)
上の屋根には神獣が5体並んでいます。
大政殿 内部

中央に玉座が見えます。
1636年にはホンタイジにより清国建国の式典、1644年には順治亭(当時6歳)の即位式が行われました。
遊牧民族のテントの形の様でもありますね。






大政殿の西側から裏を通り、また中路に戻ります。
中路の奥に見えてきたのが、次の清寧宮です。
清寧宮 (側面から)

ホンタイジと孝端文皇后の宮殿。屋根の動物飾りや破風、軒の装飾が見事ですね。ホンタイジは1643年この宮殿で崩御しました。
清寧宮の南に側室の宮殿が2棟つづ左右に並んでいます。モンゴルの軍事力をバックにつける為、5人の妻は全てモンゴル人でした。
清寧宮の屋根飾りは崇政殿、大政殿と同じく神獣が5体(前後を入れて7体)並んでいます。この数によって建物が格付けされています。北京では神獣が10体も並ぶ屋根飾りあるようです。
清寧宮 内部

入って左側の部屋。中は意外とシンプルでした。お姉さんが退屈そうに見張りをしていました。
右側の部屋に大きな釜の様なものがありましたが、スチームとして使われていたようです。
皇帝の仕事場であり、家族との普段の生活の場でした。
南に並ぶ側室の宮殿 内部
側室の宮殿内部 中央のゆりかご
鳳凰楼

清寧宮の南にそびえ立つ3階建ての楼閣で、皇帝の軍政を協議したり、宴を行った場所でした。
鳳凰楼から最初に見た崇政殿の裏側が見えてきました。
最初の崇政殿に戻りました。
崇政殿 内部の玉座
崇政殿、鳳凰楼、清寧宮の並ぶ中路の左右には西所と東所があり、こちらは西所の入口。 この中にも小さめの建物が4棟あります。

撮影:YMさん
中路の西側(西所の西)に、入城後に建設された西路といわれるエリアがあります。1783年に乾隆帝により建てられた、四庫全書を納めた文溯閣があります。
左に満州文字、右に漢字が書かれていますが、左側に書かれる方が主たる表記だそうです。(情報提供:YMさん)


昭陵
隆恩門でも満州文字が中央に大きく書かれていましたね。満州文字はモンゴル文字を元に作られました。
瀋陽故宮の屋根は、黄色の瓦のまわりに緑の瓦で縁どられているのが特徴です。
この緑は満州族の故郷の草原を表していると云われています。
瀋陽の屋根飾りについては最後にご紹介します。
瀋陽の消防署

瀋陽故宮近くの消防署も故宮の様な建物でした。
大連 (その2) 現代の街
近代的な高層マンションの建設ラッシュ。
オリンピックに向けて街中にモニュメントがいろいろと作られています。(右下) 皆がオリンピックを楽しみにしているのが感じられます。
             路面電車

大連の街では、市民は自転車を使わず、バスや路面電車を利用しています。路面電車は日本統治時代に敷設されたものですが、現在は立体交差になっていて、車両も近代的でした。私が乗った電車は女性の運転手でした。
             星海公園

大連最大の海浜公園で、天から星が降ったという伝説からこの名前が付けられました。遠浅の長い砂浜で絶好の海水浴場となっています。中央はバンジージャンプの塔。          
公園前で売られていた風船。
ミッキーやドラエモンに似ているけれど、色も違うし、何かおかしい??
中国の遊園地でよく見かける人力で動く木馬。
体重をかけると足が前後に動いて前進します。
日本では見たことがないですが、これは省エネでいいかもしれませんね。
          老虎灘(ろうこたん)

美しい海岸線と断崖絶壁の岩場に囲まれた大連を代表する景勝地。
昔、村人を苦しめていた大虎を若者が弓で射止めると、虎は海辺の岩となったという伝説からこの名前が付けられました。
北九州市との友好都市を記念して建設された関門橋に似た北大橋も架かっています。
老虎灘公園 「群虎彫像」

老虎灘広場には中国を代表する彫刻家 韓美林による巨大な6匹の虎の彫刻(花崗岩)があります。
老虎灘公園では長い連凧を揚げていました。こんなに長い連凧を見たのは初めてです。
ミニ三輪自動車

中国で時々見かける三輪車のタクシー。
とても小さくて省エネで便利そうですが、3輪でタイヤも小さいので倒れやすそうに思いましたが、大丈夫なのかな。
           大連の雑技団

大連では上海で見たよりもっと小さい子供がアクロバット演技をやっていて驚きました。
            中国緞通

トルコでもよく似たシーンがありましたね。
女性が織っているのもトルコ絨緞によく似ていますが、後ろに掛けてある絨緞は中国緞通独特の柄にそって立体的にカービングが施されています。
大連駅前のホテル。
大連の街中にはこのような高層ビルが林立しています。上海や杭州でもそうでしたが、街全体がなんとなく霞んで見えました。中国人ガイドさんは皆「霧が出ている」と言っていましたが・・・・・
特集 中国建築(瀋陽) 屋根飾り
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