(1)ベルリン (ドイツ)

ブランデンブルグ門
ベルリンの街の歴史
・15世紀、ベルリンはブランデンブルグ選帝侯国の首都となる。
・1710年にプロイセン王国が誕生し、フリードリッヒ1世、2世の時代にはパリ、ウィー ン に並ぶ都市となる。
・1871年、ドイツ帝国が誕生し、プロイセン国王がドイツ皇帝となる。
・第一次世界大戦敗北でドイツ帝国は崩壊。ワイマール共和国が誕生。
・「黄金の1920年代」 学問、芸術など文化が栄え、近代工業やマスコミの中心となる。
・1933~45年 ナチス・ドイツ政権掌握。 ヒトラーの独裁政治。
・第二次世界大戦敗北で、米英仏ソ連のもとに共同管理される。
・1946年 米英仏とソ連との対立。
・1949年 ソ連に占領されていた東部は東ドイツとなり、東西ドイツに分かれる。
ベルリンもソ連管理化の東ベルリン(東ドイツの首都)と、米英仏3国管理の
西ベルリンは西ドイツの特別州となる。
・1961年 東西の壁が築かれ、2つの世界を持つ都市を形成。
・1980年代後半 東欧諸国での民主化の波が東ドイツにも及ぶ。
・1989年11月 ベルリンの壁開放。
・1990年10月 東西ドイツ統一。ドイツの首都となる。 |
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ベルリン (20枚) |
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ペルガモン博物館

ペルガモン博物館は世界遺産の「ベルリン・博物館島」にあり、古代ギリシャ・ローマ、中近東のヘレニズム美術、イスラム美術を収蔵する考古学博物館。
ヘレニズム建築の最高傑作と言われる古代ペルガモン(トルコのペルガマ)の「ゼウスの大祭壇」(B.C.180~160年)、「ミレトスの市場の門」(B.C.165年)など、忠実に再現された古代建築は素晴らしく、見応えがある。 |
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ペルガモン博物館 (17枚) |
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(2)ドレスデン (ドイツ)

芸術と文化の都 ドレスデン
「エルベ川のフィレンツェ」と云われる美しい街「ドレスデン」は、中世はエルベ川を利用して商業都市として発展し、16世紀後半にはザクセン王国の首都として繁栄した。
かつては「百塔の都」と称されたバロック様式の宮殿や教会の街は第2次世界大戦で殆どが壊滅してしまったが、東西統一後街ぐるみの再建で美しい昔の街が蘇った。
2004年に世界遺産に登録されたが、1年後交通渋滞緩和の為建設された橋が景観の広がりを分断するということで、登録を取り消された。 素晴らしい街なのに残念ですね。 |
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ドレスデン (34枚) |
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(3)プラハ (チェコ)

プラハ城
「百塔の街」と呼ばれるプラハは、多くの塔があり、さまざまな建築様式の建物が見られる。幸いにも大戦の被害は少なく、街全体が建築博物館の様にとても美しい街で、「プラハ歴史地区」として、世界遺産に登録されている。
音楽ではスメタナとドヴォルザーク、文学ではカフカ、絵画ではムハ(ミュシャ)など素晴らしい芸術家達を輩出している。
スメタナの代表作である交響詩「我が祖国」からも祖国への思いが伝わってくるが、民族の歴史の中から生まれた芸術や文学は興味深い一面を持っている。歴史的に幾多の苦難を乗り越え、ドゥプチェクを中心とした改革運動「プラハの春」、「ビロード革命」を経て現在に至っている。 |
♪ このページのBGMにも使っている、スメタナ作曲「モルダウ」(「我が祖国」より)は私の大好きな曲ですが、アールヌーヴォー画家ミュシャの作品の美しさにも魅了されます。ミュシャは、パリ、アメリカで活躍しますが、ボストン交響楽団によるスメタナの「我が祖国」を聴いて感動し、自分も祖国の為に余生を捧げる決意をします。プラハ城聖ヴィート大聖堂のガラス絵や市民会館にはミュシャの作品が飾られています。
♪ 小説「プラハの春」(春江一也著)は東西対立時代、大使館書記官の体験を基にした小説ですが、改革時代の東欧を知る上でもとても興味深い作品です。是非おすすめです!
すごく面白いですよ。
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チェコの歴史 |
*** チェコの歴史上で革命の中心となった重要な人物、「ヤン・フス」と
「アレクサンデル・ドゥプチェク」に注目してまとめてみました。 ***
・10世紀 プラハがボヘミア王国の首都となる。
ヴルタヴァ川左岸に城が建設され、マラー・ストラナ地区に市場ができる。
・11世紀 ヴルタヴァ川右岸にも町ができる。
・14世紀 ボヘミア王カレル1世が神聖ローマ帝国の皇帝に選ばれ、カレル4世となり、神聖ローマ帝国の首都はプラハに移される。金印勅書の発布、プラハ城、カレル大学、カレル橋など建設。プラハはローマ、コンスタンティノープルに並ぶ大都市に発展。「黄金のプラハ」と言われる。
・15世紀 息子達に跡継ぎの男子がいなかった為、娘婿のハプスブルグ家に王座が移る。
★ヤン・フスと宗教改革★
・1371頃 南ボヘミアの貧しい農家に生まれる。
・ 苦学してカレル大学哲学部に進み、神学を学ぶ。
・1401 見識と、人望によりカレル大学学長となる。
市民の立場に立って教えを説き、教会を批判。
・15世紀初 カトリック教会の腐敗を訴えたヤン・フスが焚刑。
フスを支持する民衆たちが決起しフス系(新教徒)の戦いが始まる。
反カトリック運動が南ボヘミアに広がる。
「フス戦争」 20余年続く。 ドイツ、ハンガリー、イタリア、フランス、スペインに
影響。 ローマ教皇が十字軍を鎮圧に派遣したが、失敗。 当初はフス派の勝
利が続く。フス派の内部抗争後、フス派はハプスブルグ家の支配下になる。
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・17世紀 宗教戦争から国際戦争へと展開していった30年戦争(1618-1648)で敗北した新教 徒の貴族達は国外追放。王宮ははウィーンに移り、ハプスブルグに従う旧教徒の貴族がプラハに残る。
その後、ウィーンから貴族が移り住み、ルネサンス、バロック様式の町並みを築く。
チェコ語の禁止、宗教・文化弾圧でチェコ独自の文化を失い、2世紀以上「暗黒の時代」が続く。
・18世紀末 フランス革命、ドイツ・ロマン主義に影響を受けた知識人により再び民族独立運動が強まる。
・1848 プラハ市民によるオーストリアに対する蜂起。失敗。
第一次大戦(1914-1918)後
・1918 オーストリア・ハンガリー帝国解体。
チェコはハプスブルグから独立。スロバキアとの共同国家とし、
チェコスロバキア共和国を設立。
・1938 ナチス・ドイツによってプラハが占領され、チェコスロバキアは解体。
第二次大戦(1939-1945)後
チェコスロバキアは社会主義共和国となる。
世界は冷戦時代に入る。
・1955 北大西洋条約機構(NATO)に対抗し、「ワルシャワ条約機構」(ソ連を盟主とした
東欧諸国の軍事同盟)が結成される。
★ドゥプチェクと民主化改革★
・1962頃~ ドゥプチェクの改革運動「プラハの春」が始まる。
・1968.1 ドゥプチェクがチェコスロバキア共産党第一書記に。
・1968.8 ワルシャワ条約機構軍がチェコスロバキアに侵攻。ドゥプチェクら改革派逮捕さ
れ、モスクワへ連行。ソ連の圧力に屈し、要求に応じる。
・1969.4 世界アイスホッケー選手権(ストックホルム)で、チェコスロバキアがソ連に勝ち、
プラハ市民の一部が駐留のソ連軍部、アエロフロート事務所を襲撃。
ドゥプチェクは責任を取り、第一書記辞職。
連邦議会議長に選出された後、翌年1970.6までトルコ大使を務める。
・1970.6 トルコ大使を解任、共産党から除名される。
スロバキアに戻り、機械工として1985年まで働く。
・1988 退職後、イタリア ボローニャ大学で名誉博士号授与される。
・1989.11.10 ベルリンの壁崩壊
・1989.11.17 チェコで「ビロード革命」ヴァーツラフ・ハヴェル率いる市民フォーラムをドゥ
プチェクが支援。共産党体制が倒れ、ドゥプチェクは連邦議会議長に復帰。
・1990 東西ドイツ統一
・1991 ソ連解体
・1992 ドゥプチェクがスロバキア社会民主党党首に就任。
チェコスロバキア連邦議会議長に再任。同年9月に交通事故、11月死去。
・1993年 スロバキアと分かれてチェコ共和国となる。
・2004年 チェコがEUに加盟。 |
15世紀の宗教改革者ヤン・フスと、20世紀「プラハの春」を導いた民主化改革のドゥプチェク、時代は違っても、人々に支持され、歴史を大きく変えた改革者として、重なるところがあります。
ヤン・フスの最期の言葉「真実は勝つ」は、外国支配の続いたチェコ人の拠り所となり、現在、国の標語になっています。
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世界遺産「プラハ歴史地区」 (41枚) |
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BGM:スメタナ作曲「我が祖国」より「モルダウ」
参考:ウィキペディア、プラハ迷宮の散歩道(沖島博美著)、地球の歩き方、ブルーガイド中欧・ドイツ |
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