新聞を読んでいると功一先生が中から出てきて、波照間の歌が数曲入ったカセットをくれた。今朝、農作業の後吹きこんでくれたそうだ。有難く頂く。東京に戻ったらこれを聞きながら三線を練習することにしよう。
剣太君達は「モンパの木」におみやげを買いに出かけて行った。誰もいなくなったテラスから道の向こうの風景をぼーっと眺める。絶え間なくさえずる鳥の声。道端の雑草。次の植付けを待つ畑。その向こうの、フクギに囲まれた家々。時折風が抜けて行く。あと1時間ほどの至福。この何気ないひとときを味わうためにまた島に来てしまうのだろう。
直子さんが戻ってくる。急性胃炎。当たり前といえば当たり前の診察結果だ。保険証がなかったためかなりの出費となったようだったが、彼女の旅はまだ10日ほど続く。ここできちんと治しておかないと。
まだ少し時間があったので、「モンパの木」のそばまで歩き、ニシハマの見納めをする。きび畑の向うにいつもと変らずエメラルドグリーンやコバルトブルーに輝く海。その向うの西表の青い島影。願わくば来年もまたこの風景に出会えることを。
昼到着の便を迎えに行った民宿のワゴンが戻ってくる。大勢のお客さんがおりてきた。賑やかなグループ客もいて、だいぶ雰囲気が変りそうだ。不安げな所在無い視線が、数日の宿泊のうちにリラックスしたものになることを願うばかりだ。
いれかわりに島を去る私達が車に乗り込む。車内は熱気でむっとしているが、これももはや、島を去来するための儀式のようなものだ。坂を下る途中、対向車とぎりぎりですれ違い、車内に悲鳴が上がる。すぐに港に着いた。
すでに乗船が始まっていて、車がやって来ては船に乗る人を降ろして行く。
海に行っていた康恵さんが自転車で見送りに来てくれる。船の定員の関係で、剣太君、真治君は「安栄号」で、直子さん、私が「ニューはてるま」で。先に着いたほうが石垣で待っていることにした。安栄の方が船体が小さく、実質2、30人ほどしか乗ることが出来ない。
出港時間が近づき、乗船口のまわりに見送る人々が集まってきた。島の人の他にも、キャンパーや旅行者が、島で知り合って先にここを去る人とそれぞれの言葉を交わして別れを惜しんでいる。この港で、今までどれだけの人々がこのような光景を繰り返してきたのだろうかと、ふと思う。
12時50分、先に安栄号が岸壁を離れた。どうせ石垣で会うのだが、デッキから手を振る剣太君達に手を振り返し、船が防波堤の向うに見えなくなるまで見送る。「ニューはてるま」に戻ると、旧盆明けの島を去る人達も加わって満員になっていた。後ろのデッキに席を取ることにする。
こちらの船にも見送りの人々が集まってきた。さっきは見送る側だったが今度は見送られる側だ。出港までの数分は何か言い残した言葉があるような、ないような、何とも言えないモラトリアムな時間だ。早く出港して欲しい気持ちと、島への後ろ髪ひかれる気持ち。
1時ちょうど、定刻どおりに乗降口の柵が閉められた。船尾を軸に回転し、島の方に向いていた船首を外海のほうに変える。
そしてゆっくりと、船は前に進み出した。
岸壁が少しずつ確実に遠ざかって行く。
振り返り、手を振る康恵さんに応える。
キャンパーが数人、シャツを脱ぎ捨て助走をつけて、見送りダイブ。岸壁から次々に身を投げ出す。海面から上半身を出し、船に向って手を振る姿がどんどん小さくなっていく。
港の防波堤を出ると船はスピードを上げた。
見送りの人影ももう見えない。
いつになく穏やかな海に、船の残す白い波がまっすぐ痕跡を残していく。
エンジンのあげる黒煙に、風景が霞んでいく。
風車が風を受け廻っている。
平らな島影が視界いっぱいに広がり、水平線の向うに小さくなっていく。
海はやがて濃い藍色になった。
湿気を孕んだ海風が、心地よく体を冷ましていった。

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