もくじへ
    Menuへ
    波照間島あれこれ

    99年旧盆・波照間滞在記
    8月27日(旧暦7月17日)

    赤瓦と赤花とうとう島を去らねばならない日がやってきた。剣太君、真治君、直子さんも今日は移動だ。ムシャーマ時のメンバーは康恵さんだけになり客の大半が入れ替わって、たましろはすっかり普段の姿に戻るのだろう。

    朝食後、荷物をまとめ清算をする。「泡波」は重いので、ゆうパックで送ることにし、自転車の籠に載せて郵便局に向う。局の前で通り掛かりのおじさんに教えられ、名石売店で1升瓶用のスチロール箱を買う。レジのおばさんに「泡波買えたんだ?」と言われる。
    入り口にみのる荘のチャーター船の広告が。釣り船チャーターはともかくとして、「サンセットクルージング」まである。このような企画に参加するような観光客が波照間にも来るようになったのだなあと思う。名石売店から港まで、船便にあわせた有償運送も始まったという。(ワゴン車による、乗合タクシーのようなしくみ。公共交通のない沖縄離島に多い)これは便利かもしれない。

    集落の道発送した後、集落内をゆっくりとひとまわりする。旧盆の行事も完全に終わり、帰省していた人々も大分引き上げたようだ。祭りの高揚感のかわりに、いつもののどかな空気が漂っている。気の向くままに裏道をさまよう。軒先にモンパの木で売っている波照間Tシャツが干してあるのを随分見かける。島の人の間でも定着しているようだ。

    家々はみな南向きに建てられていて、道も碁盤の目の様にその間を縫っているのだが、実際には結構曲がりくねったファジイな「碁盤の目」で、その自然な感じが心地よい。
    南集落、北集落の一帯は防風林であるフクギがよく成長していて集落は森に包まれているかのようであり、無造作に積まれた石垣や赤瓦の屋根がその中に溶け込んでいて、人為性をあまり感じさせない。ただ、砂利道だった裏道までがだいぶ舗装されてきており、変化と決して無縁ではないことも実感する。

    冨嘉集落への道に戻る。冨嘉集落だけは他の4つの集落と離れており、途中には見渡す限りさとうきび畑が広がる。以前は低木の生い茂る荒地もかなりあったような記憶があるが、農地改良で開墾されたのだろう。この4年だけでも、島の風景は変わりつつある。

    風車風力発電の白い風車が今日も勢いよくまわっている。出来た当初は違和感があったが、見なれてくるとこれはこれで島の新たなランドマークとしてよいかもしれない。また、島を吹きぬける風にエネルギー源を求めるのは離島にふさわしい。

    宿に戻ると、朝から胃の調子が悪いと言っていた直子さんが庭のベンチに寝転んでいる。昨日の夕食の食い合わせが悪かったのだろうか。かなりつらそうなので診療所に行くことを勧める。

    新聞を読んでいると功一先生が中から出てきて、波照間の歌が数曲入ったカセットをくれた。今朝、農作業の後吹きこんでくれたそうだ。有難く頂く。東京に戻ったらこれを聞きながら三線を練習することにしよう。

    剣太君達は「モンパの木」におみやげを買いに出かけて行った。誰もいなくなったテラスから道の向こうの風景をぼーっと眺める。絶え間なくさえずる鳥の声。道端の雑草。次の植付けを待つ畑。その向こうの、フクギに囲まれた家々。時折風が抜けて行く。あと1時間ほどの至福。この何気ないひとときを味わうためにまた島に来てしまうのだろう。

    直子さんが戻ってくる。急性胃炎。当たり前といえば当たり前の診察結果だ。保険証がなかったためかなりの出費となったようだったが、彼女の旅はまだ10日ほど続く。ここできちんと治しておかないと。

    まだ少し時間があったので、「モンパの木」のそばまで歩き、ニシハマの見納めをする。きび畑の向うにいつもと変らずエメラルドグリーンやコバルトブルーに輝く海。その向うの西表の青い島影。願わくば来年もまたこの風景に出会えることを。

    昼到着の便を迎えに行った民宿のワゴンが戻ってくる。大勢のお客さんがおりてきた。賑やかなグループ客もいて、だいぶ雰囲気が変りそうだ。不安げな所在無い視線が、数日の宿泊のうちにリラックスしたものになることを願うばかりだ。
    いれかわりに島を去る私達が車に乗り込む。車内は熱気でむっとしているが、これももはや、島を去来するための儀式のようなものだ。坂を下る途中、対向車とぎりぎりですれ違い、車内に悲鳴が上がる。すぐに港に着いた。

    すでに乗船が始まっていて、車がやって来ては船に乗る人を降ろして行く。
    海に行っていた康恵さんが自転車で見送りに来てくれる。船の定員の関係で、剣太君、真治君は「安栄号」で、直子さん、私が「ニューはてるま」で。先に着いたほうが石垣で待っていることにした。安栄の方が船体が小さく、実質2、30人ほどしか乗ることが出来ない。
    出港時間が近づき、乗船口のまわりに見送る人々が集まってきた。島の人の他にも、キャンパーや旅行者が、島で知り合って先にここを去る人とそれぞれの言葉を交わして別れを惜しんでいる。この港で、今までどれだけの人々がこのような光景を繰り返してきたのだろうかと、ふと思う。

    見送り12時50分、先に安栄号が岸壁を離れた。どうせ石垣で会うのだが、デッキから手を振る剣太君達に手を振り返し、船が防波堤の向うに見えなくなるまで見送る。「ニューはてるま」に戻ると、旧盆明けの島を去る人達も加わって満員になっていた。後ろのデッキに席を取ることにする。

    こちらの船にも見送りの人々が集まってきた。さっきは見送る側だったが今度は見送られる側だ。出港までの数分は何か言い残した言葉があるような、ないような、何とも言えないモラトリアムな時間だ。早く出港して欲しい気持ちと、島への後ろ髪ひかれる気持ち。

    1時ちょうど、定刻どおりに乗降口の柵が閉められた。船尾を軸に回転し、島の方に向いていた船首を外海のほうに変える。
    そしてゆっくりと、船は前に進み出した。
    岸壁が少しずつ確実に遠ざかって行く。
    振り返り、手を振る康恵さんに応える。
    キャンパーが数人、シャツを脱ぎ捨て助走をつけて、見送りダイブ。岸壁から次々に身を投げ出す。海面から上半身を出し、船に向って手を振る姿がどんどん小さくなっていく。
    港の防波堤を出ると船はスピードを上げた。
    見送りの人影ももう見えない。
    いつになく穏やかな海に、船の残す白い波がまっすぐ痕跡を残していく。
    エンジンのあげる黒煙に、風景が霞んでいく。
    風車が風を受け廻っている。
    平らな島影が視界いっぱいに広がり、水平線の向うに小さくなっていく。

    海はやがて濃い藍色になった。
    湿気を孕んだ海風が、心地よく体を冷ましていった。

    おわり

    島の全景




    GUEST BOOKにご感想を!
    前の日へ
    おわり

    HONDA,So 1998,99 御感想はこちらへ