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8月26日(旧暦7月16日)
朝の飛行機でまちこおばさんが帰る。宿の前でみんなで記念撮影。椅子を持ってきてそこにおばあちゃんが座り、みんなでまわりを囲む。にぎやかに。
朝食後、いつものようにテラスで届けられたばかりの新聞を読んでいると、郵便配達のおじさんが一枚のはがきを持ってやってきた。宿泊客宛のものだというので見てみると、東京の木綿子さんから私宛の葉書だった。忘れ物の引取りを頼むという内容のものだった。旅先から葉書を送るのはいつもしているが、旅先で葉書をもらうことはなかなかない。粋な計らいだ。 今回島に来てから5日間、まだニシ浜にしか行っていないので、意を決して島を一周することにする。ブレーキが利き、ペダルがスムーズに回りそうな自転車を選んで出発。まずは島の中央まで向う。今日は昨日よりも更に暑い。5分と進まないうちに汗が流れ落ちる。
あまりの日差しの強さに、名石の売店で麦わら帽子を買うことにした。450円。農作業用の、実用的なものだ。シークヮーサージュースも買い、一気に飲み干す。帽子を被り、いざ出発。小学校の前を抜け、テレビのアンテナ塔の角を曲がって北岸のぶりぶち公園方面に続く道を下っていく。北に向う道の両脇には墓が点在しており、全て北の海に向いている。沖縄の墓は概して大きいが、波照間の墓は、他の島に比べればまだ小振りだ。 島一周道路を横切り、更に下って「ぶりぶち公園」の前に出る。雑草が生い茂り、公園のなかは見えない。知らなければここが公園だとは誰も思わないだろう。そして15世紀の城跡であるということも。道は砂利道へと変る。左側は紀元前18世紀、下田原貝塚の跡地であるが、雑草の生い茂る空き地となっている。 道が尽きたところで自転車を止め、雑草を掻き分けて大泊浜に出る。今日から大潮。すでにだいぶ潮がひいている。人影が2、3人。海に入っている人は居ない。
一周道路まで戻り、時計回りに東へ。放牧地帯を過ぎ、身の丈よりもだいぶ高く育ったさとうきび畑が道の両脇に続く。北側に広がる海の向こうには石垣島が横たわる。
一周道路を東まで来て左に離れ、島の東端にある空港に向う。朝の飛行機はとっくに飛び立ち、もう営業終了なのだが、建物は一応開放されている。ここの自販機は島東部〜南部唯一の水分補給設備だ。冷えたジュースを買い、誰も居ない待合室で一休みする。搭乗口にはおもちゃのような探知ゲート。ハイジャック事件の影響で荷物検査を強化するとの張り紙が出されているが、のどかなものだ。 一周道路には戻らずに、数年前より建設中の海岸道路を、高那崎方面に進んでみる。2車線歩道つきの立派な道。歩道の必要はあるのだろうか。崖にぶつかったところで行き止まり。ここを越える部分はまだ切り通しの工事中だ。回り道に標識が出ている。砂利道を抜けると最南端の碑のさらに東、本当の高那崎のあたりに出る。
星空観測タワーの脇を過ぎ、最南端の碑のある一角に出る。隆起した岩の台地が広がり、草がしがみつくように生えている、島でも最も荒々しい風景。崖の向うには紺碧の海が広がる。この先にはフィリピンがあるはずだ。
海岸道路に戻る。海をすぐ左手に見ながら進む。右手には放牧場と荒地。なのにあいかわらず歩道つきだ。しばらくすると海を離れ、代りに、この島にしてはかなり高い木々の森が現れる。道端までせまって聳える木々は鬱蒼としていて、怖い。ペムチ浜に抜ける道に突き当たって道路は終わった。 砂利道を抜けペムチ浜へ出てみる。真南に向いた浜は干潮で干上がっている。島人がリーフエッジで釣りをしている。波が白く砕け散っていて、潮の強さが伺える。この浜は遊泳禁止で、過去何度か、行方不明者が出たり、死体が打ち上げられたりしているという。砂浜が広がっているのだが、ニシハマと違いどこか荒涼とした、自然の厳しさを感じさせる風景だ。水平線に全く島影がないせいもあるのだろう。ここから先はないのだという絶望、未知の世界があるかもしれないという希望、南に向けて広がる水平線はそんなものを感じさせる。 北上して一周道路に戻り、段丘の縁に沿って西に向う。サトウキビ畑の向うに、農地改良を避けて残された御嶽の森が横たわる。緑が濃い山羊や牛が時折のどかな声をあげる。 西の隅に来た所で一周道路を離れ、今度は「浜シタンの浜」へ。天然記念物である浜シタンの木の群落がある浜である。
一周道路に戻り、ニシハマへの道の入り口に。これでほぼ島を一周したことになる。14時過ぎ。暑さに耐え切れず、汗だくの体を冷やすべくニシハマへ向う。自転車を乗り捨て荷物を日陰に置いて早々に海の中へ。日差しをたっぷり吸った水はぬるくなっているが、それでも加熱した体には心地よい。生き返った気分だ。 ひといきついた後はリーフエッジまで。今度は港寄りの方に行ってみる。浅いところまで大きな魚が入り込んできている。珊瑚も案外生きている。数々の魚にみとれていると、段々潮が満ちてきて、水温が下がってきた。 引き返してあずまやに行くと、直子さんが絵を描いている。昨日食べたマンゴーの絵。原色に彩どられたおいしそうな絵。後の皆は見当たらない。たぶんアリさんと一緒なのだろう。 「パナヌファ」に行こうということになり、16時過ぎに向かう。昨年オープンしたばかりの、小さな喫茶店だ。喫茶店といっても掘立て小屋のような質素な、だけどもなかなか雰囲気のある店である。ここのところずっと閉っていたのだが、今日はようやく開いていた。黒糖かき氷が食べたかったのだが、売り切れ。代りにアイスチャイを頼む。
宿に戻り一風呂浴びると、潮干狩りに行っていた康恵さん、剣太君、伸治君が戻ってきた。あまり収穫はなかったそうだ。夕暮れのテラスで何をするともなく、くつろいだり、写真を撮り合ったり。5日間一緒に過ごしすっかり当たり前になってしまった顔ぶれとも、考えてみれば今夜で最後だ。
いつもの坂を下りニシハマへ。ひとけのないあずまやで、思い思いに腰掛ける。西日がまぶしく、暑い。長い影が伸びる。ビールが美味い。太陽が目に見えてどんどん落ちて行く。水平線には雲があって、海に沈む夕陽は見れなさそうなのが残念だが、日が落ちるに従って風景のいろあいが変っていくのは十分美しい。 だんだん満ちてくる波が、誰かの作った砂の塔を崩していく。
陽が雲の中に落ちた。その途端にひんやりとした空気が流れ、涼しくなる。景色が徐々に色を失っていく。赤く染まっていた景色は青く、沈んだ色に変っていく。高いところにある雲はまだ残照を受け、茜色に染まっている。 余韻を断ち切り帰路につくと、さとうきびの向うの東の空に橙色の大きな月が顔を出していた。
今夜は家族連れ4人と、一人旅2人が加わる。伸治君が泡波に呑まれ、とばしている。
愛媛の清家さんが帰ってこない。どこかで道に迷っているのだろうかとみなで心配していると、謎の子供連れ島人が、清家さんと登場し、宴席に入りこむ。南のサトウキビ畑で自転車がパンクし、困っていたところを拾われたらしい。そのうえ家に招かれ、夕食を食べ、呑んできたそうだ。島人はかなり酔っ払っており、元気な子供が駆けずり回り、ありさんも酒がまわって饒舌になってきて、だんだん収拾がつかなくなってきた。 今夜は「イタシキバラ」。先祖の霊は盆の送りの行事で皆あの世に送り返されるのだが、無縁の霊や迷い霊がまだ集落内に残っている。これを追い出す行事が「イタシキバラ」だ。夜、集会所の広場で獅子舞を行う。これも見たかったのだが、いつまでたってもそれらしき音が聞こえない。ちょうど外に出てきた功一先生に聞くと、西組の獅子は名石集落のものなので、冨嘉集落でなく名石集落でまとめて獅子舞をするという。そしてちょうど今ごろやっているのではないかという。今から名石に出かけて行ってももう遅そうなので、あきらめることにした。 前の道路に出ると、相変わらず月が眩しい。康恵さんの提案で夜のニシ浜へ行ってみることにする。剣太君、直子さんも一緒に、ふらふらと夜道を進む。高く上がった満月が辺りを照らす。懐中電灯は不要だ。月明かりを浴びたさとうきび畑が青く浮かび上がる。 砂浜に寝転び、夜空を眺める。濃紺の空を真っ白なちぎれ雲が流れて行く。
康恵さん達が三線を弾いて欲しいと言って、たましろに戻って三線を取ってきた。
島最後の夜はゆっくりと更けていった。
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