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〜日本やアジアの創世神話とのかかわり〜
沖縄諸島地域は長らく、日本とは別の琉球王国としての歴史を歩んできましたが、その中で民族の創始などを伝える神話もまた「古事記」や「日本書紀」を代表とする大和の王権の持つ神話とは別の神話を有してきました。王国レベルにおける世界創世・人類起源を伝える神話は、太陽の神が下界に「アマミキヨ・シネリキヨ」(「阿摩美久」)の神を送り、国造り、島造りを命じたとするものです。また、この2神は島々を作った際に、王国の祭祀にかかわるいくつかの聖地もつくったとされています。斎場御嶽(せいふぁーうたき)や久高島のクボー御嶽など、それらは今でも崇拝の対象となっています。その後に、アマミキヨは天から人間の種と五穀の種を地上にもたらしたとされています。これらのいわば「公式」の神話は沖縄本島中部にはじまりをもつ琉球王朝によって、「おもろそうし」や「中山世鑑」といった17世紀半ばに記された書物において体系的にまとめられました。 一方で民間レベルにおいても、それぞれの地域や島にさまざまな創世神話、宇宙開闢神話が残されています。例えば宮古島には、島を代表する聖地である「漲水御嶽」にまつわる神話として、「クイツヌ・クイタマ」の2神による始祖神話が伝えられています。沖縄本島北部の離島古宇利島には、裸で暮らしていた一組の男女が生殖と羞恥心を知り、その子孫が沖縄諸島の人々となったという「アダムとイブ」のような言い伝えが残されています。王国の神話と同様に、天界から人間や五穀の種が齎され、その種が土にまかれることで人が生まれる(=人が土の中から生まれる)といった神話も宮古や石垣島に残されています。 そのなかで、先島(宮古・八重山)地方には「兄妹始祖洪水神話」が数多く残されているのが特徴です。これは、何らかの原因でその土地に辿り着いた、兄妹の関係にある一組の男女がその土地の始祖となるという神話です。沖縄本島地方にはあまり残されていません(「アマミキヨ・シネリキヨ」はひとつの類型ではありますが)が、インドネシアを中心に華南から東南アジアにかけて、数多くのバリエーションが広く分布している創世神話です。
波照間島にもこの兄妹始祖の創世(世界再生)神話が残されています。これは島の5集落のうち、ひとつだけ離れている冨嘉集落に伝えられている神話であり、冨嘉集落が島の始まりの部落とされることの根拠となっています。言い伝えられている内容はおよそ以下の通りです。 ある日突然島に油の雨が降り注ぎ、すべての生き物が死滅した。そんな中で二人の兄妹がミシク(ニシハマの海岸線の丘の上)にある洞窟に逃げ隠れ助かった。二人はのちに夫婦になり最初の子供が生まれたが、それは魚のような子(「ボーズ」)であった。そのため二人は住処を洞窟の上に変えたが、今度はハブのような子供が生まれた。更に住処を変えヤグ(冨嘉集落の辺り)に掘立て小屋を建てて暮らし、その後現在のF家の場所に移ってようやく人間の子が生まれた。この子は「アラマリヌパー」と呼ばれ、その後の波照間の人々の始祖である。 「アラマリヌパー」とは新生の女性、というような意味で、彼女を祀っているとの言い伝えの残る墓がF家によって祀られています。また、F家は冨嘉集落の御嶽である「阿底御嶽」に隣接しており、「アラマリヌパー」の子孫で、集落の宗家とされています。そしてF家の血筋の女性が代々阿底御嶽の司となっています。 この神話にはいくつかのバリエーションがあります。「油雨」については、その理由を人々が非行背徳を重ね、その罪に神が怒ったためとする伝承があります。その際神様は信心深かった兄妹を洞窟に隠し、「白金の鍋」で覆ったとする伝承、油雨の後に更に火災が起こり、島を焼き尽くしたとする伝承もあります。 火災までいってしまうとちょっと「洪水」とはかけ離れてしまうようにも見えますが、この「油雨」は、神話の構造上では「洪水」のバリエーションとしてとらえられます。先島諸島のほかの事例を見ると、鳩間島に伝わる同様の神話では、大津波が襲い鳩間中森に登った兄妹のみが助かったとされています。多良間島でも同様に大津波で、高台に登った兄妹のみが助かったとされています。宮古島の狩俣集落や来間島などでは小舟などに乗った男女が漂着したという形になっています。 なお波照間では、広く知られている上述の神話とは別に、もうひとつの創世神話が伝えられています。鈴木(1977)によれば、高那崎の近く「アルピィンガス」の2つの岩に「イシカヌブヤ」「イシカヌパー」という男女一対の神の名がつけられており、その一対の神は東方の海の彼方からやって来て島に上陸し、島の東部に住み、シライシ(産石か)で初めての子供を産み、カツァツァニという岩の陰に移動したといいます。この神話は南集落の創始とかかわりがあるといわれており、こちらも、兄妹が島にやって来て始祖となるという、兄妹始祖神話のひとつの類型をなぞっています。
冨嘉部落の神話には「洪水」「兄妹始祖」「再生」といったモチーフが含まれていますが、その中でも特徴的なのは出産にまつわる「生み損ない」のモチーフでしょう。「生み損ない」モチーフは、兄妹を始祖とするにあたって避けて通れない近親相姦のタブーと深く係っていると思われます。 この部分に関してはいくつかのバリエーションが伝えられています。最初は魚(洞窟で)、2番目にムカデ(パルミツヌウガンという場所で)、3番目に女児「アラマリヌパー」(シライシという場所で)次に男児「カナ」(F家)とする伝承、最初は魚(シライシ)、次に女児(茅葺の小屋)とする伝承、最初は魚(洞窟)、2番目にムカデ(畑)3番目にアラマリ(家)とする伝承、最初はクラゲ(洞窟)2番目にムカデ(ミシク)3番目に人間(小屋)とする伝承があります。 いずれにしても最初に人以外の生物が生まれること、住処を移動することで人間の子供が生まれるといった形になっています。そして大部分は3回目にして人が生まれる形になっているのも特徴的です。 沖縄では「生み損ない」のモチーフは、八重山・宮古に分布しています。例えば宮古島のある集落では、同様の神話において、最初にシャコ貝が生まれたとされています。が、波照間以外の地域では2度目に人間が生まれるかたちになっているといい(大林太良(1973)では波照間の事例も2度の生み直しのもののみを取り上げ、沖縄では3度の生み直しの事例はないと述べている)、波照間の事例は沖縄の中では特殊なものとなっています。台湾や中国南部、ボルネオなどまで視野を広げると、3度まで生み直しをする例が一般的だそうで、波照間の事例の方が本来の姿だったのかもしれません。例えば台湾の原住民「アミ族」の神話の例では最初にヘビ、次にカエルが生まれたとされており、またふたつの肉塊が生まれてそれぞれカニと魚になったという異伝もあります。 そして、実はもっと近い例として大和王権の神話があげられます。「古事記」における国のはじまりのエピソードにおいて、3度の生み直しが描かれているのです。 「古事記」では、「天つ神」が「イザナギ・イザナミ」に国造りを命じたとされています。ふたりはまず「天ノ沼矛」によって「オノゴロ島」をつくり、そこに建てた屋敷で「国生み」をします。屋敷に造られた「天の御柱」をお互い反対側から廻るのある「御柱巡り」により最初の子供が生まれますが、それは手足のない「蛭子(ヒルコ)」でした。次の「淡島」も不具の子供であったため、二人は天の神様に相談し「柱の回りなおし」をして「生み直し」が行なわれます。それ以降は順調に子供が生まれていきます。 この共通性は、もちろん波照間の神話が古事記の影響を受けたということではなく、双方がいずれも同じ系列の下にある神話だということを示すものです。
「古事記」や「日本書紀」に記述されている神話は、当時の日本列島(の西半分)に存在していた様々な神話のうち、大和の王権を打ち立てた一族と、彼らに関係の深い氏族が持つ神話を中心に体系化してまとめられたものです。そこには様々な要素の複合が見られます。その中で、国の始まりに関する部分に関しては、「高天原系の神話」に属する部分はアルタイ系の神話を採用した、北方系の要素が強いものと推定されています。それは、大陸から渡ってきて大和王権を打ち立てた民族がもたらした神話で、日本列島の神話においては比較的新しい要素となります。 一方、「イザナギ・イザナミ」の系統に属する部分は、より古い時期(縄文時代末期から弥生時代初め)にもたらされた要素で、中国南東部や東南アジアとの関連性が深い南方系のものと推定されています。(更に、「穀物起源神話」の部分に関しては、縄文時代中期の文化とのかかわりが深いと推定されている) なお、生み損ないに関するモチーフは「日本書紀」では抹消され、ヒルコは太陽神「日子」とされています。「紀」の方はいわば歴史書の体裁をとった「正書」であり、より王権を正当化する要素の強い書です。時の権力者にとって、その権力の正統性を示すにはふさわしくないエピソードだと判断されたのでしょうか。
神話学者ヴァルクによれば、東南アジアの兄弟始祖洪水神話は4つの類型に区分できるといいます。まず、「原初洪水型」で、一面の大海に小島ができ、始祖となる兄妹が降臨するもの。次に「宇宙争闘洪水型」で、これは雷神と地神の闘争で洪水がおき、小船に乗って生き残った兄妹が始祖となるもの。近親婚により、血だらけの塊が生まれ、それが人類のもとになったとされます。3番目に「宇宙洪水型」で、ここでは洪水の原因は不明瞭で、やはり小船などで生き残り漂流した兄妹が始祖となるもの。双生児が生まれ人類の始祖になるのが特徴です。そして最後に「懲罰洪水型」で、これは洪水以前にも人類が存在したが、神により道徳的懲罰として洪水が起こるというもの。「宇宙争闘洪水型」の前半を変形したものと考えられています。 日本列島・琉球列島は区分上は東南アジアには含まれませんが、東南アジアとの関連が強い要素についてはこの類型が適用できるでしょう。波照間の神話は「懲罰洪水型」に属し、琉球王朝神話の「アマミキヨ・シネリキヨ」は「原初洪水型」に、大和王権神話の「イザナギ・イザナミ」は「原初洪水型」に「宇宙争闘洪水型」の「生み損ない」のモチーフが混ざったものであるといえるでしょう。 こうしてみてみると、先にも述べたように波照間の神話と大和王権の神話とは、影響の関係ではなく、同じルーツから分岐した関係にあるといえます。 波照間の神話のバリエーションとして、神が兄妹を「白金の鍋」に隠すというエピソードを先にあげましたが、インドシナ半島で類型的に見られる例として、神が兄妹を「金属製の太鼓」に隠すという例があり、深い関連をうかがわせます。その類型では最初に「不定形の肉塊」が生まれることにもなっています。 また、東アジア・東南アジア全体にかけてみたとき、「生み損ない」モチーフにおいて生まれるものはカボチャ、瓢箪や陸生動物などが多く、「ボーズ」や「蛭子」にみられるような、水生動物(をイメージさせるもの)が生まれるという事例は「洪水神話圏の中心から外れた漁民文化における比較的新しい変形ないし特殊な発達」(大林、1973)と推測されており、インドシナ半島の沿岸部やインドネシアなどの島嶼部に多く類例が見られるといいます。 琉球列島の神話は日本列島の神話と類似した要素を持ちつつ、より古い形の痕跡をとどめているとみられています。その中でも、沖縄本島の神話が北方や中国大陸との関連もあるとされるのに対し、先島地方の神話は、インドネシアやポリネシアなどの島嶼地域との関連がより深いと推測されています。水生動物の生み損ないというモチーフもその関連を裏付けるひとつの証拠でしょう。先島諸島は考古学的にも沖縄本島地域と異なり南方系の影響が色濃いことがわかっていますが、神話においても南方との関連が非常に強いことがわかります。 波照間島では3700年前に下田原貝塚に暮らしていた人々がインドネシア系の文化を持っていたとされ、3世紀頃に大泊浜貝塚で暮らしていた人々にも南方系の文化の影響が見られます。島に伝わる創世神話は彼らがもたらしたものなのでしょうか。それとも後から島にやってきた別の人々が語り継いできた神話なのでしょうか。貝塚に暮らした人々と現在島に暮らす人々との関係は今のところ明らかにはされていませんが、非常に興味深く思われます。小さな島に語り継がれた神話ですが、紐解いてみれば、様々な要素から壮大な時間と空間が広がってきます。
大林太良 1973 「琉球神話と周囲諸民族神話との比較」
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