夕暮れの道を宿に戻る。途中の西集落の集会場では祭の余韻を引きずった人々が集まっ
てもう一回舞をやったりしていた。
今夜もすさまじい量の夕ごはんの後は皆で宿の前の道路で涼む。
宿の主人の妹さんにあたるおばさんは今夜は同窓会だといってでかけていった。
月がまぶしい。明日は満月だ。
夜も10時近くになって、遠くから三線の音と歌を歌う声や騒ぎ声が近づいてきた。
5,6人のおっさんや若い男だ。『たましろ』の前に来ると彼等は騒ぎをやめ神妙な顔つ
き
になる。
沖縄の家では玄関を入ってすぐの部屋が仏間となっていて仏壇は玄関の真正面にある。訪問団が上がりこみ、宿の主人が迎える。玄関から何が起こるのかと息をひそめて皆で覗き込んでいるとこわい顔をしたおっさんが、はいれ、という。躊躇していると、玄関から見ているのが仏に対して一番失礼で、一緒に拝んだ方がかえってよいのだという。
いわれるままに、ぞろぞろと上がり込む。
まずは、酒や肴が振舞われる。代表と思われる、最年長の人が改まった挨拶をし、皆で乾杯。ひととおり肴が廻される。そのあとはおもむろに全員での読経が始まった。経といって
も手拍子がついた唄になっている。それも沖縄や八重山の島唄には全然ない節廻しだ。
声明の節廻しとも違う。およそ10分はかかって歌い終った。
終わった途端、厳かな雰囲気は崩れる。もう一度酒がまわされ、その後はなんとカチャ
ーシー(沖縄でのイベントに欠かせない踊り。三線のリズミカルな演奏と歌にのせて踊
る。)だ。三線弾きのニーニー(お兄さん)の歌と演奏に乗せて一人ずつ順番に踊るの
だ。まずはお手本ということで挨拶をしたおじさんが踊る。そして、訪問組が踊り終わ
ると宿泊組に順番が廻ってきてしまった。とんだことになった。とにかくこの踊りは独
特の海洋的とも云えるリズムがあって内地の人間がおどるには非常に難しい。皆が無残
な姿を晒す。私も例外ではなかった。訪問組の仕切役のおっさんが一緒に踊って教えて
くれるのだが全然様にならない。
その点、玉城先生の娘さんは違った。指名された時は
はずかしがっていたのだが、いざ踊り出してみるとこれがうまい。自己流の動きをまぜ
つつ実に見事にリズムに乗っている。やはり、血の違いとしかいいようがない。(後で
うまく踊るコツを尋いてみたのだが、自然に意識しないで踊るとああなってしまうとい
っていた。)最後に宿の主人が踊る。普段はおとなしく話すにも目線を合わせない人な
のだが、性格が変ったように踊る。そして奥にいた玉城先生も引っぱり出されて踊る。
流石に実に軽やかに、波のように踊る。こうして一通りが終わった。
訪問組はこういっ
たことをこの集落の各家庭で繰り返していっているそうだ。沖縄には寺が殆ど無く、
(この島にもない。)従って家々を廻る坊さんもいない。その代りにこうして当番にな
った人達が経を読んでまわるのだろう。そもそも沖縄は祖先崇拝を中心とした、仏教と
いうよりアニミズムに近い信仰形態である。
彼等はあと4,5軒の家を廻るというのだが、何と、よかったら一緒についてこないかということになる。文字通りよそ様の家に土足で上がり込むようなことになるので、本当によいのだろうか、と思いつつも、折角の体験なので結局ついてまわることになった。
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