春の竹富島95/3/17


竹富島滞在記pt.2

8/12晴れ
その2

あっというまに竹富島に着く。島の中央にある集落まで、埃っぽい道を歩く。両脇は背 の低い森、というより薮である。もうすぐ4時になろうというのに、日差しが容赦なく 照りつける。道端のわずかな木陰を辿るように進む。沖縄の日差しは日陰を無意識に探 してしまう習慣を身につけさせる。7、8分歩くと急に道が歩道つきの立派なものにな った。春に来たときはこんな道ではなかったが、そういえば、何日か前の石垣の新聞で 報道されていたような気がする。しかし、両脇の薮が苅り払われて日差しを遮るものが なにもない。ぜんぜん交通量もないこの島にこんな道路をつくる必要があるのだろう か。5分ほどでこの意味のない道は元に戻り、集落に着いた。

今日の宿高那旅館YHは集落に入ってすぐのところにある。 春に八重山に来たときに、与那国島に行く予定だったのが、飛行機が欠航になってしま った。西表の宿で同室だった奈良の高校生が竹富のYHを勧めていたことを思いだし、代 わりに竹富島に渡り、ここに泊った。同室のおそろしくむさい二人組は全くこっちと話 そうともせず、部屋に私の居場所はなかった。島のなかをうろついて、夕食を済ませる となす術もなくなってしまった。玄関の前のちょっとした庭に椅子とテーブルがあっ て、そこでぼーっとしているうちに、前から泊っている人達に酒を勧められ一緒に呑む ことになった。

みな一人旅で、ここで仲良くなったとのことだったのだが、話しているうちにそのうちの一人がなんと私の出身校(中高一貫校)の、ほんのちょっとだけだけど面識の有る後輩だということがわかった。私が高校1年のときに中学1年だったT君であった。まったく東京から数千キロも離れた所でこんな形で出会うとは思わなかった。しかも、飛行機が予定通り飛んでいたらこの出会いはなかったのだ。結局その夜は泡盛とオリオンビールと盗んできた(!?)キャベツと(なぜか)オセロで、夜更けまで呑んでいた。3月だというのに暖かかった日で、そのときの写真を見ると、皆Tシャツ姿で ある。ちなみにT君とは今回、那覇で会うことになっている。 そういった訳で、ぼろいうえにご飯も不味い宿なのだが、楽しく過ごした印象が残って いて、またこの宿にしたのである。

そういえば、西表で会ったあの高校生はどうしているだろうか。名前しかきかなかった が、確か春からは大学生だと言っていたなあ。そう思いながら、手続きを済ませる。外 にある階段を上り、2階の玄関へいく。玄関の脇の角部屋が、前回泊った部屋だ。窓が 開いていたので何気なく覗き込む。なかに人がいて、視線が合った。合って数秒も経た ぬうちにお互いの顔色が変った。なんとあの(元)高校生だったのだ。

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