YUKAPONのつぶやきdiary
2001年3月

01/3/30 (金)

せっかく早々と桜が咲いて春がやってきたのに、、、しゃむいっ!
モクモクと春めきかかっていたのが、萎えちゃうよなぁ。。。
やたらと眠くなってた暖っかい日は、のどかな気分になれたのに。
ゆるみかかったモノがキュッとしちゃう。

おまけに、ついに花粉症もどきの症状(外に居る時間が長い日は、鼻がムズムズして目が痒い)まで現れて、たまんない。
ま、薬もマスクもいらない程度だから、病名なんていらないけど。(^^;;

春は別れと出会いの季節だ。
どうして一年の始まりが4月じゃないんだろうと思うほど、世の中の終わりと始まりはこの時期に動いている。きっと、お正月は精神的に終わりと始まりをゆっくり味わう時で、春は現実的な始まりが作動する季節なのかもしれない。
それにしても、若い頃はお正月も春も関係なくて、自分のサイクルで時を巡らせていたのに、歳を重ねるにつれ、季節に左右されているのか合わせているのかわからないが、そんなふうに時は過ぎ始めていくようだ。

卒業・入学、退職・就職、離婚・結婚、退院・入院、転出・転入、死にゆくひと・生まれ出ずるモノ、、、今年はとりわけ私の周辺でも個々にいろんなドラマが渦巻いていて、別の季節でもよさそうなモノまで季節の渦の中で起こっているかのように見えてくる。予定していた出来事でも予期せぬ結果でも、いずれにせよ、もうとっくにあのどこか浮かれた新世紀気分も抜け、日々は始まり時を刻み始めてるんだろうな。

そういえば、「まずは捨てることから!」と息巻いていた私も、そんな周囲のドラマに付き合っているウチに、自分のコトは手つかずのまま。。。
ま、いいっかぁ、本格的な春はこれからだし。
窓を開け放っても大丈夫になってからの方が、気持ちよさそうだモンね。(^^;;

01/3/26 (月)

久しぶりに感動的なダンス公演に出逢った。
勅使河原三郎の「Luminous」(2001.3.25 於:シアターコクーン)である。

その昔、勅使河原がまだマイムともダンスともいえないようなソロを小さなスペースでやっていた頃から、妙に気になり、空間に浮遊するダンスを観たくてよく足を運んでいた。
その後、アッという間に彼のダンスが一般のモノとなり、カンパニーメンバーを率いて大きなスペースで観客動員するようになった。
勅使河原は、その頃から持ち前の「美意識」に貫かれた彼の世界を創り始めた。とりわけ光と美術へのこだわりが、彼の世界を明確にしていたと思う。だが、ダンスの方は(ソロは別として)、私にとってはどんどんつまらない方向にいってしまって、この数年は観る気がしなかった。

タイトル通り、光の世界が存分に凝らされた中でダンスは始まった。音と光と美術を自在に操りながら、寡黙な人形がひとり青白い月を見上げているような、そんな彼の繊細で透明で鋭くて硬質なファンタジーが好きではある。
・・・が、それはよしとしても、私が観たいモノは見えてこない気がしたまま、休憩になった。

こんな抽象的なダンスで休憩を入れると、白けちゃうなぁ、どうやって20分後に続くのか、、、それにしても前半でチョコッとソロを踊ったスチュアート・ジャクソン君という生来全盲の青年のダンスは、よかったなー、音に対する感性が全然違うよなー、後半にも出るのかなぁ、とか思っているウチ幕が開いた。

休憩のことなど忘れてしまう仕掛けで、勅使河原の世界は淡々と続く。きっと最後のソロで答えを出してくれるだろう、それにしても、もしスチュアート君とのデュオがなかったら、アンケートに絶対ひとこと書いちゃうぞっ、とか思いながら観ていた。

さんざん贅を凝らした舞台が、いつの間にかどんどんシンプルになって、セットも光の魔術もない空間で、それまでのノイジーな音から静かなクラシックに変わり、勅使河原のソロが始まった。

音と交感するところから立ち上がるダンスが始まった。音に踊らされるのでもなく、音で踊るのでもなく、音になるダンスを彼は踊り始めた。そこからゆっくりと彼は空気と交感し、物語を立ち上げるためでなく、ダンスを立ち上げるためのダンスを丁寧に見せてくれた。

嬉しくなりつつも、ますますスチュアート君とのデュオを観たくなったところで、ちゃーんとデュオが始まった。
それは、音と空気と交感することで、他者をも含めた「場」と交感し合うとてもシンプルなダンスであった。二人がダンスに対して、謙虚に真摯に誠実であることで、互いの関係をつくっているからだと思う。
「場」と交感し、他者とコミュニケートするダンスは、踊る心と生きる喜びに溢れている。しかもそれが、観客に一気にザーッとくるのではなくて、静かにジワジワとやって来る感じがいい。

私はそれまでに行われていたコトなど、どーでもよくなっていた。このシーンが用意されているからこそ、それまでのシーンがあり、それまでのシーンがあるからこそ、このシーンがなおさら活きてくるのだと思えて納得した。

遠くなってしまった勅使河原が近くに感じられて嬉しくなった公演であった。
ピュアなものに出逢うとカラダ中が澄みわたってくる。素朴な感動でいっぱいになった舞台だった。

01/3/21 (水)

ちょっとガシガシ歩いていると、薄っらと汗ばむほどの陽気になってきた。
稽古の前後の着替えが、ガタガタ震えなくてすむのは嬉しい限りである。

人々が一枚ずつ薄着になっていき、軽やかな足取りになって、身も心も開いていく季節だ。冬のあいだ、ずっと革のパンツを履き続けていた私も、そろそろスカートを履きたくなってくる。

・・・ところが、今年スカートを履くのは無理かもしれないコトに、ハタと気付いた。あの時の、そう、新年早々駅の階段から落っこちた時にできた傷のせいである。

あぁ、傷の場所がいけないんだなぁ。普通に隠せる場所ならどんな傷があっても人前で脱がなきゃいいけれど、パンツでなくちゃ隠せないくらいの、スネの下の方にできてしまったのだ。。。

スカートもミニなんてもちろん履かないが、いや履けないが(笑)、これじゃくるぶしまでの丈じゃないとなぁ。。。カラータイツの時期はまだしも、薄いストッキングや編タイツやナマ足はもうダメかと思うと、、、私の大好きな春夏気分も半減しちゃう。(泣)

足にお化粧するわけにもいかないし、この傷が薄く目立たなくなるのは、いつの日のことだろう。(ぶつぶつ)とか言いつつ、別に誰が見るわけじゃなし、と開き直って真夏はナマ足になりそうな自分がコワイ。(笑)

そういえば、眼の痛みもまだとれないし、稽古でしょっちゅうできる青あざも、若い頃のようにすぐには消えないし。。。
傷だらけの人生って感じ?(笑)舞台では白塗りって感じ?(@@)

01/3/19 (月)

やっと日毎に春らしくなってきた。

暮れの大掃除が手抜きになるので、春の気候のいい時にやろうと毎年心に誓うのに、毎年春はアッというまに過ぎてしまう。
オカタヅケにオソウジが大の苦手な私は、いつも途中で収拾がつかなくなるから。(^^;;

長年住んでいると、分別し整理したはずの場所が巨大化し、はみ出してくる。捨てても捨ててもコトに紙の類は増え続けるし、家中のあちらこちらにいつの間にかいろんな種類の「山」ができてしまう。

物持ちがよいといえば聞こえはいいが、単なるケチ心と優柔不断でなんとなく捨てられないだけなんだけど。

それにしても、、、模様替えも引っ越しも億劫になるほど溜めてはいけない。(笑)
さてと、ひとやまずつ、ぼちぼち始めなくちゃ。

01/3/16 (金)

忘れないうちに、山崎広太の作品「HYPER BALLAD」の感想も書いておこう。
伊藤キムの作品では、音楽家用の椅子と前面に張り出した部分に小さな植木鉢が3つあり、天井をも含めた沢田祐二氏の的確な照明が、部屋のイメージをくっきりさせていた。うーん、やはり沢田氏の照明はいい。クリアで。

そんな舞台を観終わって、休憩をはさんで幕が開いたら、同じ舞台と思えない程の、がらーんとスコーンとした、明度の高い白い空間が広がっていた。
半円形に薄い白(銀?)布で壁面全体を覆い、床がメタリックな感じ。
そんな空間を十数名のダンサー達が、入れ替わり立ち替わり猛スピードで踊り続ける、いや動き続ける。

個々のダンサーが、合ったりズレたりする振付の苦心の程はわかるけれど、それだけで終わってしまったようだ。ダンサー達の幼さとスタミナ不足が、後半になるにつれ目立ってしまう。ベテランの木佐貫邦子を起用したにもかかわらず、活かし切れていなかったとも思う。
途中、ブレイクタイムの如く、ダンサー達がぼそぼそと日常的な言葉を喋ったり、カラダでお返事したりするシーンがあったが、非常に安易で中途半端だったのも残念だ。

ただ、山崎広太自身のダンスは、ひたすら激しく動き続けるウチに滑稽さが出てくるので(おそらく本人は意図していないだろうが)、憎みきれない素朴さがある。私は観ていないが、以前、河内音頭でソロをやったらしいが、それはきっとぴったりだっただろうな。。。(言いたい放題でごめんなさい、広太さん!)

伊藤キムも山崎広太も、バニョレ振付コンクールで認められて以降、人気が急上昇した人達だ。思い起こせば、勅使河原三郎が口火を切って以来、舞踊作家(振付・演出)としての登竜門のようになった国際コンクールである。
勅使河原三郎は、マイム。伊藤キムと山崎広太は、舞踏が出自である。
そして彼等はその頃から、いつしか自ら「コンテンポラリーダンス」と称し、称されていたような気がする。山田せつこもそうかもしれない。

私は、そろそろ舞踏の中から、日本の次代のダンスシーンを担うヒトが出てきそうな気がしていたが、それが彼等を含めたコンテンポラリーダンスというムーブメントなのだろうか?
いずれにしても、消費されるコトなく、日本で生まれた個々の「いま」のダンスを創り続けて欲しいと思う。

01/3/14 (水)

ダンステアトロンNo.5 という、コンテンポラリーダンスを観た。(2001.3.11 新国立劇場・中劇場)
目下人気絶頂の、伊藤キム作品「Close the door,open your mouth」と山崎広太作品「HYPER BALLAD」の二本立て。
最近のダンス公演の観客層は幅広い。ダンス関係者(舞踏やバレエを含む)や批評の場を持つ方達はもちろんのこと、演劇・音楽・美術などの他ジャンル関係者に加え、一般のいわゆるファンとか「ダンス愛好家」とおぼしき観客が増えていることは、喜ばしい現象である。

今回の公演は、各々のカンパニー公演とも異なり、ソロでのコラボレーションとも異なり、気心の知れたスタッフとの作業とも異なり、しかもあのドデカイ空間という条件の中で、作家としての力量を問われる気がしていた。私は今まで恥ずかしながら二人の各々のカンパニー公演を観逃していて、ソロでのコラボレーションしか観ていなかったので、今回は是非とも観ておきたかった。

前置きが長くなってしまったが、伊藤キムは、彼のアタマの柔らかさとセンスの良さを発揮し、作家としての懐の大きさを見せてくれた。
タイトル通り、身体表現としてのダンスと「クチ」表現である歌。更に楽器を持つ人が加わった閉ざされた空間でのエンターテインメントである。

ナンといっても、ヨーロッパからの二人のゲストダンサーには度肝を抜かれた。ダンサーとしての経験も豊富で、尚かつカウンターテナーの技術を併せ持つ希有な存在の二人の男性! 途中で踊りながらあの声を発し始めただけで、あー、こりゃカンペキ設定勝ちだ、それにしてもよくもこんな人達を見つけてきたモンだなぁ、と感心しながら観ていた。

しかしキムはそれだけのヒトではなかった。チラシにヴァイオリン・チェロ・ヴィオラ・チェンバロの方達の名前が載っていたので、単なる生音だと思っていた。ところが、第一ヴァイオリン奏者の若い女性は、あの外人男性二人にちょっかい出されながら、リフトされながらも弾き続ける。しかもちょっと持ち上げるだけじゃなく、最後は神輿のように棺桶のようにベッドのように、高々と真横に持ち上げられたまま。
まいったなぁ。。。よくぞクラシック奏者がそこまでやったモンだ。
振付の中にも、そんな「ワクワクさせられる裏切り」が随所に散りばめられていた。

キムさん自身は声を発しなかったし、彼の出番は少なく、最後の誰もいなくなった閉ざされた部屋でのソロも、若干尻切れトンボの感も無きにしも有らずだったが、それもまた作品のテイストからするとギリギリの賢明さかもしれないと思う。

彼のダンスにはユーモアというか茶目っ気とアイロニーがあるが、それは、過激さとしなやかさとしたたかさと恥じらいと客観性に裏打ちされた、微妙なセンスのバランスの賜物と思う。
コンテンポラリーもののエンターテインメント性は、作家の知恵比べともいえるが、パフォーマー自身の「卓抜したモノ + アルファの時代」という新たな提示でもあった。ま、これも含めて作家の知恵ともいえるけど。。。

一方の山崎広太の作品は、、、飽きてしまった。。。
抑えたつもりだったのに、キムさんの作品のことだけですっかり感想が長くなってしまったので、広太さんの作品については、いずれまた、ってことで。(^^;;

01/3/13 (火)

あぁ、、、目が痛い。瞼の奥が引っ掻かれたようにギッと痛む。
花粉症でもなければ、眼圧の関係でもなく、これはコンタクトレンズのせいだと思う。

以前、コンタクトの調子が悪いのをしばらく放置していたら、とうとう角膜が剥がれかかってしまったコトがあった。あの時の感じ。。。(泣)

裸眼での視力が両眼ともに0.01(もしかしたら計れないだけで、それ以下かもしれない)、加えて乱視も強く、普段から裸眼での情報量がとても少ない私なので、見えないコトには慣れているが、角膜が剥がれかかった時は、痛みとともにモヤがかかっていき、どんどん濃霧の中に迷い込んでいく感じが「見えなくなる不安」に駆り立てられ、白内障や緑内障の疑似体験にも通ずる、光を失う怖さを知った。

コンタクトレンズの寿命が短いコトなどそれまで知らなかった。
若かりし頃、深酒するといつもコンタクトを無くしていた私は、徐々に学習を積み重ね(笑)、早めにレンズをはずすことにしたお陰で、最近はすっかり物持ちがよくなった。
なくさない限り、視力に不都合が生じない限り、コンタクトレンズは使い続けられると思っていたが、哀しいかな、いくら物持ちがよくてもモノ(消耗品)には寿命があるんだよね。。。

あの時は、さすがに慌てて眼科に行った。目薬を差した途端、悪夢のような濃霧がいとも容易く薄らでいき、医学の進歩に感謝した記憶が蘇る。

あぁ、またコンタクトレンズをつくり直さなくちゃいけないんだ、、、と、しっかり心とお財布の準備をして(笑)眼科を訪れた。

眼に傷ができていたらしく、炎症を起こしていたので、目薬を処方された。
ところが、レンズはさほど傷もなくまだ使えますよ、ですって!
腑に落ちない気もしつつ、まずはお財布が、ほっ!!(^^;;

01/3/9 (金)

三寒四温とはよくいったモノだ。3月のお天気はホント、、、気まぐれ。
陽射しは春っぽいのに気温は低い日が続いている。
こんな風に春と冬を往ったり来たりされると、カラダがついてくのも大変だけど、そうやってゆっくりと揺らぎながら季節は変化していく。

未だかつて冬のあとに春が訪れなかったコトはなく、必ず四季は巡ってくるとわかっているから、変わり目をも楽しめるのかもしれない。
うーん、自然は偉大だ。(笑)

もしこれが、春になりかけたところで真冬に戻り、秋に戻り、また真冬になってしまったとしたら、、、泣いちゃうだろな。
もしこれが、春と秋が交互にやってきたら楽しいのに、、、いやそれも物足りないか。
惜しむ季節や待ち焦がれる季節があるからいいんだね、きっと。

なぁんてバカなこと言ってるウチに、早く暖っかくなってほしいと切実に思う今日この頃。(笑)

01/3/6 (火)

どうも身体が重い。。。あぁ、「くびれ」は何処へ?(泣)
冬の間あまり動かなかったから当然だけどねー。(^^;;
身体が重くなると、アタマもパツンパツンになってしまう。(どっちが先だかは、よくわからないけど。)
こりゃマズイと思い、珍しく(笑)自主稽古した。

・・・が、カラダの声に耳を傾け、アタマを空っぽにできる(無心になれる)私にとっての大切な時間は、あっちやこっちの脂肪を確認しただけで瞬く間に過ぎてしまい、やっと身体がほぐれ始めたところで時間切れになってしまった。

身も心もスッキリしないまま戻ってきたら、駅前のお花屋さんに私の大好きな春のお花タチが並んでいるのを見つけ、ちょっぴり晴れ晴れとした気持ちになり、一束買って帰った。もちろん黄色いチューリップ。

春はもうすぐそこまできてるんですね。

01/3/3 (土)

3月になりました。今日は桃の節句ですね。

雛祭りといえば思い出すのが、子供の頃の一枚の写真。
それは幼稚園時代のモノで、当時のボーイフレンドY君とおまけのようにくっついていたF君と三人で、お雛様とご馳走を前にした写真である。

今にして思えば、お互い家が遠かったにもかかわらずそんなイベントが成立したのも、親同士が仲が良かったのと、私の想いをハハが察してくれたからだろーな。。。それこそ、寝ても覚めても私はY君との幼稚園での出来事を、事細かにウチで喋り続けていたから。(^^;;

いつからそんなにもY君に惹かれたのか、じぇんじぇん覚えていないけど。。。どちらかというと、おとなしく目立たないタイプの彼は、毎日私が乗っている幼稚園バスが着くのを待っていて、私が降りるとサッと上履きを揃えてくれ、寒い日は手をとってほっぺでスリスリして暖めてくれ、最後は手の甲にチュッとしてくれ、、、まるでナイトのようだった。

親以外の他人にそんなコトされたのは、もちろん生まれて初めての経験だったから、そりゃぁ、舞い上がってしまったんだと思う。(^^;;

・・・そんなY君が、ある日オルガンの横に立ったまま、ウンチを漏らしてしまった。。。私はショックを受けながらも、バツの悪そうな顔のY君を見ているウチに、気の利いた言葉をかけてあげられない自分がもどかしかったのを覚えている。

幼くして、異性を信じるコトができ、愛とは全てを受容するコトだと教えてくれたY君には、感謝せねば。。。(笑)

その写真が印象深いのは、「Y君との想い出」の他にも理由がある。
というのは、その日赤い着物に身を包み、ニコニコしている私の顔が、見事に横にズレているからだ。インド舞踊やアラビアの踊りを踊る時みたいに、真ん中にあるハズの首が片方に横ズレしているのである。

その日が初めてで、その後小学生の間に1〜2度あったが、朝起きると何故か首がズレていた。原因不明のまま、その都度整形外科で牽引してもらって元の位置に戻していた。

今になって、多少カラダのことがわかってくると、とても怖い現象だったと思う。寝違えたとしても、どうしてあんなにきれいにズレたのか、謎だなぁ。。。
ま、お陰で(?)インド舞踊みたいな首ずらし運動は得意な方だけど。(笑)


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