YUKAPONのつぶやきdiary
1998年10月

98/10/30 (金)

 日石三菱の合併。またかという感じだ。
 世界的に進んでいる巨大企業同士の大型 M&A(合併・買収)は、どこまで行くのだろうか。
 確かに、国際競争に参加するため、合理化のためというのもわかるが、世界的にこれってエスカレートしていくと、どこまでも業界首位企業に利益が集中してしまうのではないだろうか。

 素朴な疑問だが、景気の良いときでも同じ選択をしたのだろうか?
 セガとバンダイの時も、たまっごっちの売れ行きひとつで、婚約解消したんだっけ。

 私ごときが危惧していることは、お偉い方タチは十分わかっていらっしゃる・・・・か。

98/10/29 (木)

 ゆうべ観に行った、千賀ゆう子企画公演“鏡の四季「春」”(於:タイニイアリス)。---私のリンク集の「丹下一の演劇ホームページ」でリンクできます。直接とべなくてゴメンナサイ------
 私は不勉強で、芝居もあまり観たことが無く、千賀さんや丹下さんの芝居もナマで観るのは初めてだった。彼らの指向するものが伝わってくる舞台だった。地道な硬派な活動を続けている人達だ。
 千賀さんは、貫禄(?)も備わってきたようだが、彼女とその周辺の人々の、芯から芝居を愛してやまない姿が印象的だ。

98/10/26 (月)

 急に寒くなってきた。異常なくらいの寒がりの私にとっては、秋というよりも冬の訪れと感じてしまう。
 ここ何年か、日本らしい季節の移り変わりがなかなか味わえなくなってきた。五月晴れの春がちょっとしかなくて、長梅雨になり、夏らしい夏がここのところやってこない。今年、早くも梅雨明けかと思わせるくらい、何日間か暑い日が続き、ビールもおいしく、ビールのお陰で景気も回復かと思ったら、また梅雨に戻ってしまったっけ。
 あのつかの間の暑さがなつかしい。私は、たらたらと汗が流れる夏らしい夏が好きだ。そんな夏を、きちんと通り過ぎた年は、寒い冬もなんとか乗り越えられる。それにひきかえ、あまり汗をかかないで過ごした年の冬はとってもつらい!

 東京の寒さでこんなこと言ってると笑われそうだけど、毎年冬物と入れ替える頃になると、寂しくなってくるのです。
 ウェ〜ン、冬眠したいよう〜!

98/10/23 (金)

 文化功労賞に選ばれた森光子が、おもいっきり東山クンへの想いをあけっぴろげに話していた。カンペキ、恋する乙女。
 でも、かっわいい〜。それに、恋の効用で彼女はきれいになったし。幾つになっても、誰かに、何かに恋してるときが、女は幸せよねえ。そうか。彼らはもう15年になるのか。
 「死ぬまで彼を愛し続けます。だから、プラトニックなのよ〜。」と照れながら宣言していた。
 ウーン、含蓄のあるおことば。
 それにしても、実のところ、東山クンはどう思ってるんだろう?ここまで大御所に言われちゃあ、裏切れないよねえ〜!
 ちょっと、お・き・の・ど・く・さ・ま・・・?

98/10/21 (水)

 BS2で、知り合いが出演した「母子が行く・中山道膝栗毛」を見た。
 母はフランス人で、26年前江戸文学の研究のため来日し、そのまま日本に住んでいる。父は日本人。旅の場所は、彼女が日本に来て一年後、東京の暮らしに疲れ、静養した木曽路。そこは、ご主人と若い頃旅した、想い出深い場所でもある。
 この旅は、数年後に、日本とフランスのどちらかの国籍を選ぶことになる二人の子供達への両親からのメッセージでもあった。
 美しい自然と、地図にものっていない中山道をたどりながらの気ままな旅。そして子供を認め、暖かく見守り、きちんと向き合っている親子の姿。以前から、素朴で純真な親子だと思っていたが、その秘密がこの番組で理解できたように思う。
 異国からやってきた母子に、日本人の忘れてきたものを見たような気がした。

98/10/19 (月)

 やっぱり、どうあがいても不得手なものはかわらないのかしら?その一つは、針仕事である。
 子供の頃から、苦手な家庭科の中でも、特にひどかった。舞台衣裳を自分で手直しするときも、”衣裳はあまりていねいに縫ってあると、踊りにくい”ことを格好の理由にして、安全ピンはもちろん、何とホッチキスを使ったこともある!
 そんな私が、今日は、長襦袢に半襟をつけることになった。実は、つい最近、某大手着付け教室新宿校に通い始めている。「自分で着れると楽しいでしょうねえ。」と、酔ってつい口をすべらせてしまった。(一緒にいた方に、着付けの先生がいらした)私は、”酔った勢いの適当なお約束”にしたくないという、唯その一心で、結局、友人を道連れにして入会したのだった。
 あ〜、でもこんな針仕事まである本格的なものとは、予想外だった。「慣れると15分くらいで、つけ終わるのよ。」といわれたが、私は2時間かかっても終わらず、お昼になって見兼ねた先生は、やさしく残りを縫ってくださった。
 ドッと疲れた私は、もともとのタレ目が、平行になってしまった感じだった。

98/10/18 (日)

 ゆうべ、大阪のホテルに泊まっていたときのこと。
 突然ドアチャイムが鳴り、ドアをたたく音。”あれ、仕事で来ているものの、宿泊先は誰も知らないはずなのに・・・ボーイさんだったら、もっと優しい音のはずだし・・”と思いながら、ドアの窓から覗くと、ライオンみたいなヘアースタイルで、おおきなサングラスをかけた浴衣姿のおばさんが顔を押しつけて、韓国語を話しながらまたドアを強くたたいた。
 「どちらさまですか?」と言うと、また同じ繰り返し。どうやら、隣の部屋と間違えていたらしい。
 しばらくするとまたそのおばさんがやって来た。また同じことを、二人で二度繰り返した。私も韓国語がわからず、「どちらさまですか?」としか言えない。わたし、何か悪いことしたかしら?でも、もう来ないだろうと思っていたら、三度目の訪問があった。こうなると、ほとんど二人で芝居だかコントだかやっているようでおかしくなってしまった。
 また二人で二度目の繰り返しをしようとしたとき、今度は展開が違っていた。のぞき窓の向こうには、お隣だけでなくあちこちのドアがあき、何人かが顔を出していた。ツアーメンバーのようで、おばさんは、どうやら皆につっこまれているようだった。
 酔っぱらいって、何故か同じことを繰り返すんですよねえ。わたしも気をつけなくちゃ!

98/10/17 (土)

 ここ数年以上、私は作品をつくることはあっても舞台には立っていない。今後もそのつもり。でも、おばあちゃんになってから現役復帰なんていいかもね。(あまり現実的ではないけれど)
 それにしても演出家の役割を勘違いしている人がいる。きのうのスペイン舞踊(フラメンコとは違う)もそうだった。踊りの人は演出家をたてない人が多く、(自作・自演・演出も自分?)そこがそもそも舞台をつまらなくしている場合が多い。
 きのうの中身はよくなかったが、カーテンコールは楽しかった。客席の3階席から、演出家自ら花を投げ、客席と舞台で花が行き来した。そこまではよかった。ところが、もうそろそろ終われば?というころ、その演出家はやおら1階席から登場し、役に花を一輪差し出した。彼は今にも舞台に上がらんばかり、気分はピンスポの中だっ た。
 彼がその日の演出をした人だと、たまたま私が知っていたからこんなふうにおもったのかなー?

98/10/16 (金)

 愛の鞭、そう思っていたら、続いてこれってKOパンチ?
 ??????・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 あっ、あめ玉がころがってきた。

 外はあめ(雨)だけど、さわやかな朝です。

98/10/14 (水)

 ここのところ寝不足が続き、疲れがたまっていた。久しぶりに今日はのんびりできると思ったら、二度寝しちゃった。
 最近、初めての人と会う機会が多い。
 月並みな言い方だけど、人生が旅するものなら、ふと立ち寄った土地には、しばらく暮らしてやっと見えてくるものがあるのだろう。でも、ずっと暮らしていると逆に気づかないこともあるかもしれない。
 私は、私流にのんびり旅を楽しみ、味わいたいと思う。
 ・・ふぁ〜、二度寝すると、まだ眠いニャン・・・

98/10/11 (日)

 やった〜!webの本文を書き終え、あとは、とりあえずリンクさがし。ダンスセラピーのリサーチはじっくりやりたい。
 でも、早く書かなきゃ書かなきゃと思ってたころを、はやくも懐かしんでしまっている。舞台が終わった時みたいで、ホッとしたり、気が抜けたり、やり直したくなったり、人に感想を聞きたくなったり。
 落ち着いたら、またコーナーふやそうーっと。

98/10/10 (土)

 どうしよう。見知らぬ人と約束してしまった10月10日になってしまった。
 web を更新したり、書き慣れないものを書いたりする作業は、思っていたよりもたいへんですね。あー、とても一気にはかけそうもありません。ごめんなさい。もし、リピートして下さってる方がいらっしゃるなら、ひとことmailくださいな!
 人の気配がないと、わたし元気でないみたい・・
 ちょっと人恋しい秋の夜長、いや夜明けです。  am 4:30

98/10/6 (火)

 昨日もそうだったが、最近の舞踏シーンは外人の占める割合がとても多くなっている。大野一雄氏のお弟子さんも外人がいっぱいらしい。西洋のひとが東洋的なものをやると(舞踏・武道etc)「重心が高い。腰から動いていない。型をなぞっているだけ。」との見方が多い。我々は直観で”これはまだまだだな”と見抜けるが、西洋的な生活習慣を身につけたわれわれとて、腰を鍛錬し、習熟するには多くの時間が必要だ。
 ただ、身体の物理的条件(例えば足が長いことで重心を下げるとバランスがとりにくいetc)によって限界というものがあるのだろうか?
 いずれにせよ、そろそろ舞踏の洗礼を受けたひとたちから、新たな独自のダンスが生まれてくるとおもしろくなるのにな〜。

98/10/5 (月)

 「エイリアン舞踏フェスティバル」(於:渋谷ジャンジャン)に行った。
 今日は、この一連の公演のプロデューサーでもあるイムレトールマンの作品だった。石膏をぬりたくったようにもみえる舞台一面にしきつめられたキャベツ。その上を靴で歩くとギ、ギという音と同時に強烈な臭いがたちこめてくる。ドラム缶いっぱいのトマトを黙々と食べ続けている女。だんだんトマトの臭いも加わってくる。なかなかのすべりだし。うーん、もう少しからだに蓄積してから動き始めてもよかった気がする。
 でも、キャベツとトマトってとってもエロティックだった!

98/10/4 (日)

 とうとう朝まで飲み明かしてしまった。
 岡田牧子さんとクリスタルトゥループの今後や諸々の打ち合わせをすませ、二人で飲み始めたらおしゃべりもお酒も止まらなくなってしまった。閉店時間過ぎても付き合ってくれたいつもやさしいマスターに感謝!
 ”おばさんの青春”に酔っていたわたしは、電車をのりかえわすれ、ウチにたどり着いたのはam7:30だった。

98/10/2 (金)

 久しぶりの秋晴れ。
 うれしくなってお散歩で公園へ行った。う〜ん、風が気持ちいい。人がいないな、と思ったら急に動きたくなってきた。太極拳をやっていたら、型を忘れてしまって途中から即興ダンスになってしまった。でも、おそとで動くのはやっぱり気持ちいい!
 お陰で、私のからだは新鮮な空気でいっぱいになりました。



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