YUKAPONのつぶやきdiary
1999年2月

99/2/28(日)

よーし今日こそ、雑務を片付けようと意を決して早く帰ってきました。

年度末の諸々の雑事を抱えながら、ここのところどーもやる気が起きなくて、Macの前に座っては、ネットに切り替えてしまう日々でした。

土曜日の夜の稽古がお休みだったので、そんな日は早く帰ればいいのに、夜のネオンに惹かれてつい「現実逃避」して、ふらりと飲みに行ってしまいました。

リフレッシュの仕方は人それぞれと思いますが、私の場合、飲みに行くのは大切な時間なのかもしれません。(笑)

一人でカウンターでグラスを傾けるのも好きだし、そこに友人が現れるのも楽しいし、たまたま居合わせた人とお喋りするのも楽しいし。
もっとも知り合いのお店だから一人で堂々と行けるのですが…

今日は気分も新たに、さあやろうと思っていたのに、そういうときに限ってまたやること増えちゃうんですよねー。(泣)

えっ? なんのことだかさっぱりわからない?
ごもっともですね…
またも「つぶやき」ってことでお許しを!(笑)

99/2/26 (金)

昨夜 Nさんと連絡がとれました。
ちょっと喉が痛くて風邪っぽいそうなので、無理せずダンスにはもう少し暖かくなってから行く約束をしました。

彼女の周囲で、インフルエンザがはやっているのをとても気にしていて、何人か救急車で運ばれた、とも言っていました。

「ともかく今年のは厄介だから、もしかかったかなと思ったら、すぐにお友達に連絡した方がいいわよ。」と言うと
「そんな人、いないよー。」と不安そうな声で言われ、思わず
「じゃあ、私に電話してね。」と答えたら、ホッとしたのか、またいっぱいおしゃべりを始めました。

Nさんは、いろんな事を教えてくれます。

車椅子で走りやすい街と走りにくい街があること。
どこだと思いますか?
新宿と銀座は走りやすく(よけてくれる)、渋谷は走りにくいそうです。
そうかもしれませんよね。渋谷にはあちこちに、若者が座っているんですものね。

お金を使わなくて楽しむ方法も教えてくれました。
都バスは、どれでも無料なので、それをうまく使って”追っかけ”をしていたことがあるそうです。あくまでもタクシー等は使わず、都バスでできる範囲でなんですが、思いの外、何処へでも行けてしまうそうです。男性歌手と俳優さんを追っかけていたそうです。

私はこの話を聞いて大笑いしてしまいました。
ホント、彼女は遊びの達人ですね!

99/2/25 (木)

1月のヴォルフガングのワークショップで知り合った、Nさんに何度か電話しているがなかなかつかまらない。
普段からとても活動的な様子だったから、仕方ないけれど。

彼女は身体に障害を持つ40代始めの女性だ。(本人に確認していないので、よくわからないが、おそらく脳性麻痺によるものだと思う。)
一人で歩行もでき、遠出のときしか車椅子は使わないと言っていた。

ワークショップの初日、お昼休みの後お部屋に戻ると、ポツンと寝そべっている細身の女性が、ふと顔を上げ、私と目が合った。どちらからともなく微笑みを交わし、私は「こんにちは!」と言った。
それがNさんとの出会いだった。

彼女はワークショップには何度目かの参加のようで、慣れた感じで楽しそうに、また真剣に踊っていた。手足に不随意運動があるので、思うように動けず、バランスを崩して転びやすい。

踊っている中で、何度転んでもすぐさま一人で起きあがろうとする彼女を見ていて、私はNさんの意志の強さと同時に、直観的に”この人は、本格的にダンスをやってみるといいかもしれない。”と思っていた。

ワークショップの最後の日に一緒にお茶を飲みながら、彼女はプライベートなことをいろいろ話してくれた。

16才で父親を亡くし、それから間もなく母親も具合が悪くなり、今はボケてしまってNさんのこともわからないこと。18才になったら、自分は施設に入れられることがわかっていたが、それだけは絶対いやだったので、母親を騙してしまったが無理矢理、一人暮らしを始めてしまったこと。

「施設に入るのだけは、もっと後で…。最後でいいよ。」と彼女はつぶやいた。そして離婚の経験もあること、友人のこと、日々の暮らしのこと、絵を習っていることなどいっぱい話してくれた。

驚いたのは、長年シンクロナイズドスイミングをやっていて、パラリンピックで韓国やバルセロナにも参加していたそうだ。
でも、だんだん身体が思うように動かなくなってきて、やめてしまった。そのあたりの気持ちが仲間に通じず、あまり会えなくなってしまって寂しいとも言っていた。

そこで「私の友人の主宰する『CRYSTAL TROUPE』ならNさんも通いやすいし、ダンスをやってみない?」と誘うと、「えーっ? 厳しいのはいやだよ〜」と言いながらも彼女は目を輝かせた。

明日の稽古なら、私も一緒に行けそうなので電話しているんだけどなー。
なんとか連絡がとれますように…

99/2/23 (火)

私は、自分の勘違いに気付かないまま、思い込みでやっていることがよくある。

病院関係での失敗はいくつかあるが、その一つが歯医者さんでのこと。

歯医者さんでずっと口を開けていて、唾が溜まってくるの、いやですよね。

子供の頃の記憶では、「はい、お口、開けてねー。」といわれて開けていたように思うのだけれど、大人になってからの私は、治療が始まったら、言われなくてもずっと口を開けて待つのが、みてもらう者のマナーだと思い込んでいた。
途中で口を濯いで、先生がそばにいないときでさえ!

当然の事ながら、唾がたっぷりと溜まってくる。そして、そのたっぷりと溜まった頃に、また治療が続けられるものだから、もうどうしようもなくヨダレとなって溢れ出しそうになり、思わず喉の近くのを少し飲み込む。(結構むずかしい!)

こんな風だから、歯医者さんに行くときは「痛い」とか「怖い」とかは気にならず、別の心の準備をして臨んでいた。

何年か前に、歯医者さんを変えた。
久しぶりに歯医者さん通いをしているときに、お隣の診察台から何度か聞こえてくる先生の声。「はい、開けてくださーい。」

????? えっ?

試しに私は口を閉じて待ってみた。
「はい、開けてくださーい。」 

!!!!!

な〜んだ、閉じて待っていてもよかったのね。
みんな早く教えてよ〜!! (苦笑)

99/2/21 (日)

ダンスの創り方には色々な方法がある。
大きく分けると、きちんと振付ける場合と即興によるものといえる。
前者の中にも様々な方法があるが、今日は、後者の即興ダンスのことを考えてみたい。

一口に即興と言っても、これまたその自由度の幅は、その人が普段やっている稽古によっても捉え方が変わってくる。

きちんと振付けられたものを踊ることが当たり前になっている人達は、僅かな自由を与えられただけで、それを即興と呼び、そして動きの発端は即興によるモノで、それをなぞっているだけでも即興と呼ぶ場合もある。

逆に普段から真っ白な状態でかなり自由度の高いところでやっていると、僅かな制約を与えられただけで、自由度が半減し、押しつけられたように窮屈に思えてしまう。

即興の醍醐味は、イチかバチかにかかっている、そのことにあるのかもしれない。

うまくいくときというのは、ふと訪れるものである。それは、きちんと振付けられたものと全く違う次元で、演じている者にも観ている者にも感動を呼び起こす。
まさに偶然のなせる技とでもいうのだろうか。

では、どうすれば「ふと訪れる」のを「いつも訪れる」にしていけるのか。

もしかしたら、「いつも訪れる」ためには、さっきやっとこととは「違う訪れ方」ができるようになることかもしれない!
いろんな「偶然」を見つけていくとでも言えばよいのだろうか。

その為には、「いい感じ」だけを自分の内に刻み、蓄積していくこと。
そして「いい感じ」は、思い出したり探ったりしても、決してなぞらない稽古を積み重ねることなのかもしれない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

ちょっと今日は頭がくたびれて、おまけに眠くなってきて、ぐちゃぐちゃになってきました。 (^^;

今日は本当に、「つぶやきdiary」になってしまいましたね。(笑) (AM 3:40)

99/2/19 (金)

昨日までの春の訪れを感じる暖かさと打って変わって、またしても寒波。
まさに三寒四温のこの頃ですね。

私の咳はまだスッキリしないのですが、4〜5日前から耳の聞こえ方が変なので耳鼻科に行って来ました。案の定、風邪が長引いているため軽い滲出性中耳炎になっていました。

鼻水や水がたまり、放っておくと難聴になるという、そうです、最近の子供に多い病気です。最近の子供に多いと言うよりも、この病気自体が最近見つかったと言った方がいいかもしれません。

治療法は発見が早ければ、お薬だけで一週間以内に治り、発見が遅ければ治療も当然長引きます。程度によってはお水を抜いたり、空気を送ったりといろいろです。
ただ、昔はちょっと聞こえが悪いくらいは、病気とは思われていなかったわけで、今でも幼い子供の場合は何もしなくても自然に治る場合もあるようです。

それは、顎や鼻の骨の発達につれて通りが良くなるからだとか。
でも、私の場合は、まさかこれから顎や鼻の骨が発達するはずないわけですから(したら怖いよね!(笑))、治療した方がいいのでしょうね。

それにしても私が耳鼻科のお世話になるのは、生まれてこの方2度目です。
前回は急性中耳炎で、その場で「切りましょう。」と言われ、とんでもないと思って逃げ帰りました。

痛い方の耳を下にして、その耳を手で押さえてベッドに横たわりながら、「はて、どうしようか。」と考えているウチに眠ってしまいました。
手がしっとりしているのに気付いて目を覚ますと、なんと手の平に、どどっと耳から出たお水のようなものがたまっていたのです! 痛みもなくなり、摩訶不思議、自力で治ってしまったんです。
今回はちょっと違うので同じようにはできませんが…

あー、どうしてきょうはこんなにタラタラと耳鼻科のお話をしているかというと、今日の治療で、鼻と耳と喉がつながっているのを実感したからなんです。
鼻からいろんなものを出したり入れたりして…

わたし、思わず先生の手を払いのけてしまいました。。。

やっぱり鼻から出したり入れたりするの、好きくなーい!
もう、行きたくない…ナ。 (´-`;

99/2/18 (木)

ゆうべたまたま回したチャンネルは、脳障害児の流奈君の番組「話したいよ自分の声で」が始まるところだった。(テレビ東京、PM10:00〜10:54)

流奈君は、9才になったばかりの男の子。
極小未熟児、先天性腹壁破裂の状態で生まれ、生後2週間で3度の手術を受け、脳に水がたまり圧迫されたため、脳に損傷を受け脳障害となった。

両親は薬から抜け出す策として、ドーマンプログラムを開始する。
これは脳に直接働きかけることで、脳障害を治していくというアメリカのドーマン博士のプログラムである。

私はこの方法は、ネットサーフィンで見つけていたモノの、果たしてどこまで「治る」のか実感が持てなかった。
だが今日はじめて流奈君を通じてその効果に驚かされた。
時には目を覆いたくなるような過酷なリハビリと、文字盤を用いたプログラムを一日も休むことなく、そして一日の大半を使ってこなしていく。

本人も親も全エネルギーを使っての毎日だ。
正直言って「なにもここまでしなくても。見ていられない。」と思ってしまうくらいかなり大胆なプログラムだ。
でも流奈君のママは「脳障害児は、短命が多い。この方法をとことん試してみることで悔いが残らない。」とおっしゃる。 …そうですね。

嬉しいことに流奈君は確実に成長している。
そして驚くほどの言語能力を身につけている。
文字盤を使っての彼の”声にならないことば”が、胸を打つ。

「私は、はやく自分で話したい。」
「今、生きて愛されているだけでしあわせ。」 
こんな風に表現できる流奈君って、素晴らしいですよね!

流奈君のご両親を見ていても「どうして障害児の両親は、こんなに楽観的でポジティブな人が多いのかしら? そうならざるを得ないのかもしれないけれど…」と思います。

そして友人のあゆみちゃんのパパの口癖を思い出しました。
「あの子達が親を選んで生まれて来るんだよ。この人達なら大丈夫だろうってね!!」

99/2/15 (月)

ウチの方でも遅ればせながらインフルエンザが蔓延してきました。
早速(?)夫が週末に感染してしまいました。

いきなり40度の発熱で、すぐに今年のA型によく効くという「シンメトリル」を処方してもらったのですが、飲んで2〜3時間も経つとまた40度に戻ってしまうという、今年はかなり手強いヤツです。

こんなことが一週間以上も続いたら、命に関わってくるはずですよね。
喉がやられてしまったようなので、まだ油断はできませんが、3日目の今日から、少し落ち着いてきました。
このお薬も劇薬の類だったのでしょうか。確かによく効きます。

普通の風邪と違うので、さすがに私も家に居りました。看病というよりは、監禁しているようなものですが… (笑)
意地でも同時に寝込まぬようにと思いつつ、私も咳がとてもひどくなっています。

こんなわけでバレンタインデーもいつの間にか終わってしまいました。

でもラッキーなことに、渡しそびれたチョコ達って、自分で全部食べられるんですよね! それに気付いたら、嬉しくなったきた私です。 (^^;
(先日自分用に買っておいた分は半分、つまり5個になってしまい、ちょっと寂しくなっていた。)

あとは、私達にインフルエンザが移っていないことを願うのみ!

あ、それから、お一人暮らしの方、普通の風邪でなく、インフルエンザだと思ったら、臆せずお友達(できれば既に感染した人)にヘルプしてもらいましょう!

99/2/12 (金)

ついに降りましたねー。雪が。
願えば叶うモノですね。(そーゆーわけじゃない?)

どうりで昨日は寒かったわけです。
雨がみぞれっぽくなってきて、もしやと思い空を見上げると、遠くの方が白っぽくなってきていました。

思わず心の中で「ぅわ〜〜! やった〜!!」と叫んでいました。
でもちょっと時間が短かすぎましたよね。
できれば束の間、うっすらとした雪景色を見たかったです。

またお願いしようかしら? 皆さんも見たいでしょ?
そうだ、降りすぎないようにってちゃんと付け加えなくてはねっ!

ん? このくらい、誰でも叶えられる?(笑)

99/2/11 (木)

バレンタインデーが近くなりました。

おやつの中でもダントツでチョコが好きな私は、この時期もうわくわくです。
いろんなチョコを見ていると、全部ちょっとずつお味見したくなってしまいます。

義理チョコなのに、律儀に相手によって違うモノを選んでいるフリができるので、たくさん買っても恥ずかしくありません。

今日も10個買ってしまいました。
・・・・・もちろん全部自分で食べるつもり!

バレンタインデーが終わった後が、また楽しみなんです。
だって半額とかになるでしょう?

実は冷蔵庫の中に秘密の「チョコ置き場」をつくっているんですよ〜。 (#^‐^#)

99/2/9 (火)

インターネットで初めてのお買い物をしました。
紀伊国屋書店で、本を注文したのです。

書店のwebもいくつかありますよね。
八重洲ブックセンターは、クロネコ宅急便と提携し、とても早く届くらしいのですがが、探していた本がなかったので、結局紀伊国屋にしました。
アメリカの通販の老舗、アマゾン・ドット・コムが近々上陸するとの噂もありますが、本当かしら?
そうなると、ますますどこもサービスを競い合って我々消費者には、喜ばしいことですね。

ウチのすぐそばにも大きな書店はあるのですが、専門書の類はイマイチです。
近所の書店で注文してもよいのですが、結構時間がかかったり、何冊か頼むとそれぞれが届く度にとりに行かなければならないし、また重いってこともありますよね。それに実際紀伊国屋をのぞいたとしても、在庫切れだったりするし。

ちょっとドキドキしながら会員になり、注文しました。
注文後3〜4日でまず最初の「発送しましたメール」が届き、その翌日には私の手元にありました。
あら、楽ち〜ん!

配送料は書店によっていろいろですが、紀伊国屋のよいところは、一回の注文の配送料が一律なところでしょうか。入荷次第、順に送ってくれます。
今回の私の注文では、配達は3回に分かれそうですがそれでも配達料480円というのは、いいサービスだと思いませんか?
何度も宅配されると、届く度に得した気持ちになってしまいます。

これでクレジットカードを使わない方法もあるといいのにね。
プリペイドカードでその場で決済できると、カードを持っていない方でも、使えるんですものね。
ただプリペイドカードの普及はもう少し頑張って欲しいナ。
BITCASHとかWEB MONEY があるようですが、まだご存じない方も多いのかも知れません。
近い将来、かつてテレフォンカードが一斉に普及したように自動販売機で買えるようになったり、どこのコンビニでも書店でもスーパーでもプリペイドカードが買えれば、もっともっとネット市場も活性化するのかもしれません。

あなたはネットで買いたいもの、ありますか?

99/2/6 (土)

お花屋さんの軒先にチューリップの鉢が並んでいます。

春を待つ冬の間、このチューリップの鉢が少しずつ増えてくるのを見ていると
”だんだん春が近づいてくる”のを感じます。

たいてい最初は赤いチューリップだけだったのが、次第に黄色や白、ピンク、そして下の方が白い二色のものと、どんどん軒先がカラフルになっていきます。

チューリップはどの色も好きなんですが、とりわけ黄色が気に入ってます。
一番春っぽいからか、嬉しそうで幸せそうに見えるんです。

同じように春を私と一緒に待ってくれるのが、「いちご」です。

12月頃は、どこかすました顔をして片隅にいたのに、2月にもなるといろんな顔して狭っ苦しそうにたくさん並び始めます。

私が通りかかると、いつも「ねえ、食べて〜!もうすぐ春よ。」と言われ、つい買ってしまいます。

黄色いチューリップと真っ赤ないちごを抱えながら、心の隅で
「でも、春までに一度は雪も見たい。」とつぶやく今日この頃。

99/2/5 (金)

朝晩ずいぶんと冷え込んできました。
そろそろ冬も終わって欲しいと思っているのに、まだまだ寒くなるのでしょうか?

今夜、いやもう夕べ、ですね、もとっても寒くて、いつものように缶コーヒーで暖まりながらスリスリしても間に合わない感じです。
その時、「あ、あれがあったら」って思いついたモノがあります。

「デストロイヤー」のマスク!
(馬場さんのことを思い出していたからこんな連想をしたのかもしれない)
これですぐ思う浮かべられる方は同世代かしら?

そうなんですよ、一時はやった目と口だけ出した毛糸でできてるすっぽりかぶる帽子。あれってかぶったことないけど、暖かそう〜。だって帽子を防寒用にかぶる人も多いですものね。

でもあれをかぶってるときに、ご近所の方には会いたくないですもんね。
あ、でもあれをかぶれば誰だかわからないかも?

な〜んてホンキで考えてる自分が怖い!(笑)

♪ は〜るよこい、は〜やくこい! ♪

99/2/3 (水)

今日は節分。豆まきの日です。

先日豆まき用のお豆を買いに行ったのですが、案外シンプルな「升に入った大豆と鬼のお面セット」が見あたりません。他のお店はわかりませんが、お豆もピーナッツ入りとか、キャンディとかいろいろで、お面もピカチューなんてのもありました。

衛生上の理由か、後片付けが楽なようにということか、お砂糖が入っているような小さな三角錐の和紙の小袋に入っているモノまでありました。

私はナッツ類が好きなので、かつてはピーナッツ入りやのり付きに走っていたのですが、また最近「豆まきはシンプルな大豆」に戻っています。

結局今年は、お面は買いませんでした。
だって、何故か私が「鬼」の役をやることが多く、「お面はいらないんじゃないの? そのまんまで十分こわいもん。」っていわれてるんですもの!

ったく、んもう〜、失礼しちゃうわよね!

と思って鏡を見ると…ホント、角がはえてる〜!(笑)

99/2/2 (火)

ジャイアント馬場さんが、お亡くなりになりました。

久しぶりに見た在りし日の馬場さんは、さすが若々しいお姿でした。
やはり、あれだけ大きくて、そして姿勢も良いせいか、とても還暦過ぎていらっしゃるようには見えないですね。

父や祖父の時代の人達は、何故かプロレス好きが多かったようです。
子供の頃、あんな野蛮なこと…と思いながらテレビで見ていると、私は一緒に力が入って堅くなっていましたが。

プロレスの歴史が高度成長と共に、確実にそこにあったからなのでしょうか。
”強者”の象徴として共感できたのでしょうか。

私の祖父もかなりのプロレスファンでした。(当時はまだ力道山も健在だったかしら?)
心筋梗塞で何度目かの入院をしていたとき、主治医に止められていたにもかかわらず、お部屋でこっそり見ていて最後の発作を起こしてしまったそうです。

それが真実かどうか定かではないのですが、何度か発作を起こしても助かっていたので「ラッキーな人」といわれながらの最期だったからかもしれません。
それくらい見たかったに違いない、とみんなに思われていたのでしょうね。

「だいふく」が好物だった馬場さん、どうぞ安らかにお眠り下さいね。

99/2/1 (月)

今日の着付け教室の課題は「名古屋帯の染色」でした。
こんな風に言うと、絵筆を持って本格的な染色をしたようにきこえるけれど、単なる「塗り絵」のようなものなんです。

水性のマーカーで塗り、仕上げにアイロンをかけるだけで染まっちゃうんですよ、帯が!
世の中、至る所で便利なモノが開発されているのだと感心してしまいました。

一緒に通っている友人がインフルエンザで急にお休みしたため、今日は一人静かに塗り絵をしたのです。

すぐに終わるようそして粗が目立たぬよう、濃い地色で柄も少なめの帯を選んでおきました。

細かな作業の苦手な私、案の定はみ出したところもたくさんあるのですが、帯の選択がよかった(笑)おかげで、気にならず進みました。
”あら、私にもできるじゃない!”と気をよくして一人で黙々とやっていると、だんだん物足りなくなって、白抜きしていないところまで塗り始めてしまいました。

結果はおわかりですよね。そうです。やりすぎて柄がはっきりしなくなり、色も変。こんなことなら、薄目の地色で思いきり好きな色をぬるんだったナ。

ってわけで、今日はとってもお高く付いてしまった「お遊び」でした。
ジャンジャン!(泣く)



←99年1月  99年3月→

「過去」のつぶやきdiary-Indexに戻る


(C) 1998-2002 Yukari Hayakawa
YUKAPON (yukapon@kt.rim.or.jp)