edogawa's diary on 2002-2003 season #14.
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12月17日(火)11:50 a.m.

 ゆうべは、ソシエダ×マジョルカ(リーガ第14節)をビデオ観戦。倉敷さん情報によれば、ニハト&タイフンのトルコ勢はラマダン明けであるらしい。物の本で、旅行中は断食しなくていいことになっているという話を読んだことがあるが、彼らはスペインに住んでるわけだから「旅行」ではないわけですね、たぶん。トルコといえば、きのう愚妻が美容院で見た女性週刊誌には、イルハン(私服)の巨大ポスターが付録としてついていたらしい。まだやってんですか。あんがい粘るよなぁ。イルハンのゴール数や新聞の採点は、サッカーファンよりも女性週刊誌読者のほうが知っているに違いない。……と思っていたら、今朝の『週刊女性』の広告には、「独走18弾!」という見出しが掲げられていた。独走すりゃいいってもんじゃないと思うが。で、えーと、試合のほうは2-1でソシエダの逆転勝利。つええ。DFラインがボーっとしててエトオの先制ゴールを許したときは「そろそろ馬脚?」と思ったが、1点ぐらいのビハインドは痛くも痒くも感じていない様子。このまま突っ走るなんてことがあるんだろうか。いま1万円賭けろって言われたら、どうするかなぁ。

 WOWOWの「猿の日」に録画した『猿の惑星』を鑑賞。私はこのシリーズを一本も見たことがない珍しい人間なのだが、さすがに衝撃のラストシーンだけは知っていた。なので、結果を知りつつ74年の西ドイツ×オランダをビデオ観戦したようなものである。ラストシーンがわかっている『猿の惑星』ほど鼻白むものはないですね。公開当時、ほんとうに人々はビックリしたんだろうか。愚妻は「ビックリした」と言ってたけど。自由の女神を見るまで「その可能性」を微塵も疑っていなかったテイラーにビックリしたです。



12月16日(月)18:40 p.m.

  勝った勝ったホントに勝った。

 朝9時半からビデオ観戦したユベントス×ラツィオ(セリエ第14節)は、濃霧のせいで何が起きていたのかよくわからない部分も多かったが、ネドベド、フィオーレ、フィオーレで1-2だ。わっしょい、わっしょい。OBにゴールを決めさせたことも含めて完璧なゲーム。「ネドベドが得点してラツィオが勝つ」は私にとって最良のシナリオじゃ。できればサラスにも決めて欲しかったけどね。でも、そうすると引き分けになってしまうので、やっぱりこれでいいのだ。わっしょい、わっしょい。嗚呼、フィオーレ。許す。すべて許そうじゃないか。どうせなら2点目のときは全員で輪になって「せっせっせ」をやってほしかったが、そんなことはともかくとして、来月のメルカートで主力が売り払われる前に最高の思い出ができた。私は満足だ。心おきなくディアスポラ(離散)してくれ。できることならパンカロも一緒に。

 それにしても、調子が出ない。いや、ラツィオは絶好調なのだが、私の調子が出ないのだ。新しいMacのせいである。今日、最新版のFetchやらJeditやらATOKやらをインストールし、やっとこさニューマシンで更新ができるようになったのだが、何もかもが新しすぎてうまく馴染めない。アウエーで書いてるような感じ。馴れない道具を使うと、頭の回転もぎこちなくなるのだった。まるで、いつもは脳味噌がスムースであるかのような言い草である。だいたい、これ、フォントが綺麗すぎるんだよなぁ。なんか原稿を書いてる気がしない。印刷物に直接タイプしてるような感覚である。しばらく入念な「素振り」をしないと、仕事の原稿は書けそうにない。

 なーんていうのは単なる言い訳で、調子が出ない本当の理由は禁煙である。どうやら煙はマジでMacの寿命を縮めるようなので、買い換えて以来、煙草は給湯室(要は台所ですが)の換気扇の下で吸っている。キカイのために分煙するなんてのは文化的な敗北以外の何物でもないと思うのだが、まあ、しょうがない。支払いが終わる前に壊れたらシャレにならんし。それに、どうもこのeMacの真っ白なボディには病院を思わせるところがあって、その前で煙草をくゆらせるのが憚られる雰囲気なのだった。うー。吸いたい。



12月15日(日)

 アヤックス×PSV(オランダ第16節)を途中からライブ観戦。CLでローマをやっつけてくれて以来、すっかりアヤックスに情が移っていたのだが、残念ながら2-4で負け。PSVの3点目は納得いかない。リプレイでは、ボールがゴールインする前に主審が笛を吹いてキーパーチャージをとったように見えました。

 引き続き、トッテナム×アーセナル(プレミア第?週)をライブ観戦。このダービー、ちょっと前にもやってたよねぇ。プレミアの日程が支離滅裂であることは承知しているが、年内に2試合ともやっちゃうなんて、なんかモッタイナイような気がする。ともあれ、アウエー戦で3-0の惨敗を喫したトッテナムが序盤から猛々しいサッカーを展開。ユナイテッド戦とバレンシア戦を連続ノースコアで終えたアーセナルには、なんだか戦意が感じられない。なので、シーマンの弱点を見事に突いたツィーゲの爆裂シュートで先制したトッテナムが、雪辱を果たすかに思われた。だが、前半ロスタイムにPKで同点。後半は睡魔に負けて見ていないのだが、どうやらそのままドローで終わったようである。ところで、金子&粕谷コンビのプレミア中継って、過去にあったっけ?



12月14日(土)

 セガレのリクエストにお応えして、午後からしながわ水族館へ。アシカの芸など眺めて過ごす師走の一日は、なんだか長閑であった。アシカの芸は見事だったが、一番えらいのは、世界で最初にアシカに芸を仕込もうと考えた人だと思う。ナマコを最初に食べた人と同じくらいえらいかも。どうして、あんなヌメヌメした生き物に芸を仕込もうなどと思い立ったのだろうか。野生のアシカが前足(ヒレ)で拍手してるところを偶然目撃したのかなぁ。アシカ芸の歴史が知りたいです。

 あと、やっぱりメガネモチノウオ(ナポレオンフィッシュ)はアスンソンに似ているな、と思った。


メガネモチノウオ(ナポレオンフィッシュ)

 夜は、マンチェスターU×ウエストハム(プレミア第?週)をライブ観戦。終盤にガットゥーゾが赤いユニフォームを着て出てきたので「おかしいなぁ」と思ったのだが、よく見るとそれはガットゥーゾではなく、薄汚いヒゲを生やしたベッカムだったのであった。実はその程度のマスクなのだということに、みんな早く気づいたほうがいいと思う。試合のほうは、たしかベーロンのFKなどでユナイテッドが勝ったはず。スコアは記憶がない。



12月13日(金)14:45 p.m.

 設備投資は善である。設備投資は善である。設備投資は善である。設備投資はぜ〜ったいに善である。……という呪文を頭の中で唱えつつ、きのう吉祥寺のT−ZONEへ行き、eMacを購入したのであった。あー。買っちゃった買っちゃった。お金ないのに買っちゃった。何回払いかは、あまりに情けなくてここには書けない。

 で、それが、今朝、届いたんである。ADSLはゆうべ申し込んだばかりだし、ISDNのTAはつながらないので、とりあえず57kの内蔵モデムにファックスから引っこ抜いたモジュラーをつないでみた。設定画面が命じるままプロバイダのユーザー名とパスワードと電話番号を入力。IPアドレスやらサブネットマスクやらのややこしい数字を書くところがないのに、あっさり一発で接続に成功した。インターネットの設定をして一発でつながったのは初めてかもしれない。原始人、びっくりしたあるよ。さっそくブラウザー(不納得ながらIE)を立ち上げて、このページに来てみた。当然といえば当然、空しいといえば空しいのだが、旧式PowerMac+ISDNより、eMac+57kモデムのほうが明らかに速い。原始人、また驚いたあるよ。この程度でびっくりしてんだから、いずれADSLが導入された暁には卒倒するかもしれない。あと、これはOSXだからなのかブラウザーが新しいからなのか私にはよくわからないのだが、日本語フォントが猛烈に美しい。印刷物と変わらん。自分で作ったとは思えないほど立派なものに見えた。これに比べたら、いままで私が見ていたものはガリ版刷りみたいなものである。くっそー。作ってる本人より、読んでる皆さんのほうがきれいなものを見ておったのか。なんか納得いかない。納得いかないといえば、IEの表示である。背景色がぜんっぜん違うじゃねーか。けっこう苦労して作ってんのになぁ。水の泡って感じだ。フォントサイズも初期設定のままだとデカイので、深峻ページのように表組扱いしてテキストの横幅を指定してもまるで意味がないのであった。そういや、「IEの人は小フォントで読んでね」みたいな指定をしているサイトを見たことがあるが、なるほどこういうことだったか。「どのブラウザーのどんな設定でも問題なく読める」ようにするのが私のポリシーなので、またあちこち手を入れないといけません。

 まだOSXで使えるFetchを入手していないので、いまは旧マシンで更新中。Fetchって、雑誌の付録でしか手に入れたことがないのだが、いまもそれは可能なのだろうか。あと、ATOKもまた買わなきゃいけない。ここまで進化してもまだ「ことえり」っていうのは勘弁してほしかった。アップルから店頭に送り込まれたアドバイザーのお姉さんは、「ことえりもずいぶん賢くなりましたよ」って言ってたけど、信用ならん。ちょっとぐらい進歩したって、ことえりがATOKに追いつけるとは思えない。いくらラウールが右足でシュートできるようになったって、左足にはかなわないのと同じことだ。

 きのうは午後から、エッセイストRB先生に二度目のインタビュー。火曜日に訪れた完全無欠の理系の世界から一転して、純然たる文系の世界だ。やっぱり、こっちのほうが安心する。RB先生のような文豪でさえ、「文体を真似たアイドル作家」が存在することを知って妙に嬉しかった。なのであれば、私ごときの文章が誰かの文体に似ていたって、そんなものは当たり前なのである。真似られたほうだって、誰かの真似から始めてるに違いないし。そういえば、先生に「江戸川君のアイドルは誰?」と訊かれて何人か物書きの名前を挙げたのだが、RB先生の名前も挙げたほうがよかっただろうか。うーむ。

 雑談の折、何かの拍子に「表記の統一」に話が及んだ。出版業界と無縁な人にはどうでもいい話だが、書籍にしろ雑誌にしろ、校正者はその印刷物の中の表記を統一しなければいけないと考える。たとえば、あるページでは「いま」、別のページでは「今」になっていたりするのは許せないわけだ。しかし書き手のほうには、それを意図的に使い分けたいという欲求がある。表記も含めて表現の一部だからだ。「憂鬱」を「憂うつ」と表記しなければならないなら別の表現に変えたほうがいい、というようなことがいくらでもあるんである。なので、ゲラの上では書き手と校正者の攻防が繰り広げられるのであった。

 たとえばRB先生は、同じ文章の中で「怪しい」と「アヤシイ」を使い分けたところ、校正者から「○ページでは<怪しい>でしたが?」というチェックが入ったことがあるらしい。むろん校正者のほうは「書き手が気づいていないかもしれない」という思いで念のためチェックを入れているわけで、プロとして当然の職務を全うしているのであるが、書き手のほうは「それぐらいの意図は読み取ってくれたまえよキミ」と暗澹たる気分になったりする。まあ、それでも「他のところでは……でしたが?」という遠慮がちなチェックならさほど腹も立たない。しかし有無を言わさず「アヤシイ → 怪しい」と直されていたりすると、やおら脳天からボンッ!と煙が出るのである。RB先生に言わせると、とくに新聞社はそのへんがとても傲慢であるらしい。たぶん、どんなに偉い識者が「砒素」と書いても勝手に「ヒ素」と直すんだろう。当用漢字だか常用漢字だかナニカンジだか知らないが、ヤなカンジである。漢字制限なんかクソ喰らえだ。

 さて私自身も、署名原稿を書くようになってから、そういう問題に直面するようになった。ゴーストや飲食店情報みたいな匿名原稿は著者や編集部の表現物であるから表記をどういじられようとまったく無関心なのだが、署名原稿となるとそうはいかない。大半の読者は編集サイドの統一ルールなんか知ったこっちゃないから、その表記は書き手によって選ばれたものだと受け止めるであろう。しかし私は、「憂鬱」を「憂うつ」と表記するような人間だと思われたくない。「子供」を「子ども」、「友達」を「友だち」と書くような人間だと思われたくないのである。

 もっとも、私も編集者時代は雑誌の統一表記にしたがって「子ども」「友だち」に有無を言わさず直していたから、編集部には編集部の都合があることはよくわかっている。なので、これは多くの編集者諸氏といっしょに今後も話し合ったり考えたりしていきたいと思っているのだが、そもそも表記って、どうして統一しなければいけないんでしょうか。もちろんこれは程度問題で、ぜんぶ書き手に任せた結果、同じ雑誌の中に「スールシャール」と「ソルスキア」が同居してたりしたら、そりゃあ読者も混乱するとは思いますが。したがってケースバイケースで判断するのがよろしいかと思うのだが、それはそれで校正者や編集者にはストレスになるんでしょうね、きっと。どうしても「子供」にしたい書き手もいれば、何も考えず無自覚に「子供」と表記した書き手もいるわけで、そんな意図の有無をいちいち確認してたらキリがない。作業の効率を考えれば、決まったルールがあったほうがよいのである。なるほど。そういうことか。難しいなぁ。それに書き手のほうも、「子供」を「子ども」と書く人間だと思われたくない一方で、統一ルールに歯向かってでも「子供」と書きたい!と主張するようなワガママで扱いづらい人間だとも思われたくない、という部分もあるのであった。ややこしい話である。というのが、現状における私の正直なキモチでした。忌憚のないご意見をお待ちしております。

 2名のラツィオファンより、メールを拝受。まずは「ベッペよ永遠に」さん、どうもお久しぶりです。インテル戦について、「キエーザやシーモ(下ザーギ、でしたっけ?)の投入という選択肢はなかったんですかねぇ」とのことですが、まったく同感であります。下はともかく、キエーザは絶対に見たかった。リベラーニとオッドの投入には、正直がっかりしました。これまで黙っていましたが、私、リベラーニという選手がパンカロと甲乙つけがたいほど苦手なんです。理由はよくわからん。次にモリヤマさん、どうも初めまして。「当方クリスマス大嫌いなケーキ屋」とのこと、なるほどお忙しいんでしょうねぇ。ひょっとして、サンタ姿で店先に立ったりなさってるんでしょうか。風邪ひかないように頑張ってくださいませ。

 サッカーのほうは、ここ数日、アーセナル×バレンシア(CL2次第2節)インテル×レバークーゼン(CL2次第2節)マンU×デポル(CL2次第2節)などをビデオ観戦。どれもそこそこ面白かったのだが、細かいことは忘れてしまったので、観戦記はなし。あ、そうそう、バレンシアのセカンドGK(名前忘れた)がすばらしかったですね。



12月11日(水)12:40 p.m.

 まず、パンカロが顔のヒゲを剃り、さらに日本人になったところを想像してもらいたい。困難な作業だとは思うが、それを想像してもらわないことには、きのう私がどんな目に遭ったかをきちんと理解できないので頑張ってくれ。その和製パンカロは、グレーのスーツに身を包み、ゾウやキリンの絵がちりばめられた信じられないほどバカバカしい柄のネクタイを締めている。これだけで不愉快になるのは難しいかもしれないが、その和製パンカロが新幹線の隣の席に座ったとしたらどうだ。不愉快だろう。私なら不愉快だ。事実、不愉快だった。

 きのうの夜、東京行きの「のぞみ30号」に和製パンカロが乗り込んできたのは、新大阪でのことだった。長くて面倒なので、「和ンカロ」と呼ぶことにしよう。窓側から順に、H君、私、和ンカロ。私たちは新神戸から乗車していたのだが、そいつのせいで急に狭くなった。和ンカロは図体がでかいのだ。まあ、図体は私もでかいから狭いのは仕方がない。しかし、態度がでかいのは「仕方ない」で済ませられないのである。新幹線につきものの「この肘掛けはどっちの物なんだ問題」を、そいつはいかにも横柄な態度で解決した。後から来たくせに、私の左肘をかけるべき肘掛けに自分の右肘をデン!と載せやがったのである。

 私は寛容な人間なので、肘掛けぐらいでとやかく言いたくはない。だが、問題は携帯電話である。人が寝てるのに、しょっちゅう鳴りやがるのだこれが。しかも着信音が例の「ジリリリリン、ジリリリリン」だ。うるさいのである。一昨日、私は「合図には合図にふさわしい音列というものがある」と書いた。だが、合図にふさわしい音列なら何でもいいというわけではない。旧式の電話機のジリリリリンは、たしかに合図にふさわしい(というか合図以外の何物でもない)音列だが、携帯電話にはふさわしくない。少なくとも、私が寝ている新幹線の車内にはふさわしくない。だいたい、せっかく穏やかな音が出せるようになったのに、なんでわざわざ昔の騒音を再現しなきゃいかんのだ。技術の進歩を何だと思っているのか。なので、ジリリリリンのたびに「ちっ」と軽く舌打ちしながらジロリと和ンカロを睨み付けてやったのだが、奴は携帯の画面を見つめながら一心不乱に親指を動かすばかりで、私の敵意と憎悪と苛立ちにまったく気づかない様子だった。うー。

 だいたい、和ンカロが、剛毛の生えたぶっとい指でちまちまとメールを打っている姿そのものがイヤだ。何故と訊かれても困るのだが、三十路も半ばを過ぎたら、ネクタイ族は人前で携帯メールなんか打たないほうがいいと思う。あれは、かなり、カッコ悪い。どうしてかわからないが、カッコ悪いと私は思う。

 やや話は逸れるが、携帯メールといえば、東京に到着してから乗車した井の頭線では、「メールを打っている途中で、その姿勢のまま一瞬にして眠りこけたサラリーマン」を見た。本を読みながら寝てしまう人はときどきいるが、メールを打っている途中で寝てしまった人を見たのは初めてだ。左手に持った携帯を顔の前に掲げたまま、いきなり白目むいて口は半開き。そんな卒倒寸前の極限状態だったにもかかわらず打たなければならなかったメールって、一体どんな内容だったんだろう。隣の席に移動してのぞき込めばよかった。

 話を戻す。携帯メールに飽きた和ンカロは、次に「大スポ」を広げやがった。半分に折り畳まず、文字どおり「広げた」のである。肘掛けをめぐる国境紛争どころの騒ぎではない。完全な領空侵犯だ。しかも横目で眺めた私の目に飛び込んできたのは、こんな大見出しだった。

チリ人妻アニータ
セクシー写真にパクリ疑惑
 なんだそれは。どうやらアニータが公開したセクシーポーズの写真が、さる有名女優の写真のポーズとそっくりだという話らしい。こうして説明しているだけで指が腐りそうなノータリン記事である。そんな記事のために、私の貴重なスペースが奪われていいものだろうか。ついでに奴は両足を大きく開くことで、私の領海をも侵犯していた。腹を立てた私が、相手に気づかれぬようこっそりと、靴の裏についた泥を奴のズボンの裾にこすりつけたことは言うまでもない。

 アニータのセクシー写真を納得するまで眺めると、奴は次に週刊ポストを取り出してHなグラビアを眺め始めた。久しぶりに新幹線の車内を観察して感じたのだが、サラリーマンが一人でHなグラビアを眺めていると、とてもバカに見えるから気をつけたほうがいい。不思議なもので、隣に連れがいる場合はシャレで済む。しかし一人はダメだ。「一人でHなグラビアを眺めるの図」はシャレにならない。和ンカロのように、ときどき「むふぅ」という鼻息なんか漏らした日には、ますますシャレにならない。

 週刊ポストを読み終えた和ンカロは、領空と領海を侵犯した状態のままで寝息を立て始めた。しかし、それでも私に安息を与えないあたりが奴の凄みである。私がウトウトし始めると、やおら体をピクッと震わせて私の左腕に肘打ちを喰らわせやがるのだ。何をしてるのかと目を開けると、奴は「ふがふが」とか何とか寝惚けた声を出しながら右手で鼻の頭を掻いていた。そんなことが三度ぐらいあっただろうか。鼻の頭を掻くたびに肘打ち。そんなに痒いか。痒いんだろうな。痒いんじゃしょうがないから、鼻を掻くなとは言わない。だが、人に肘打ちしたら「すみません」ぐらい言え。それ以前に、掻くなら通路側にある左手で掻け。報復の両足タックルを、東京に着くまで自重できた自分を褒めてあげたい。

 さて、なんで新幹線に乗っていたかというと、取材のために神戸の発生・再生科学総合研究センターを日帰りで訪ねたのだった。バイオの最先端、みたいな場所である。ああいう「隅から隅までどこをどう切っても理系」なビルに足を踏み入れるのは初めての経験なので、すごくドキドキした。あなたは、各部屋のドアに「BIOHAZARD」という貼り紙のあるビルの廊下を歩いたことがありますか。このあいだ映画の『バイオハザード』を見たばかりなので、かなりスリリングだった。どの部屋に入っても、いったい何のために存在するのか皆目見当のつかないカタチをしたキカイがずらりと並んでいる。もちろん、性能のよさそうなパソコンも山ほどあった。new i-Macや板のように薄い液晶ディスプレイも、鉛筆立てと同じくらい無造作に置いてある。たった一台のMacを買おうか買うまいか半年も迷っている自分がアホらしくなった。

 顕微鏡もいくつか覗かせてもらった。切っても切ってもその数だけ個体として再生するというプラナリアは、とても可愛らしい。ぬいぐるみがあったら、セガレへのお土産にしたかったぐらいだ。ある部屋では、20代前半とおぼしきいたいけな女性研究者が、遺伝子操作をした線虫を見せてくれた。どういう操作をしたのか忘れてしまったが、何らかの遺伝子を奪われて真っ直ぐ歩けなくなった線虫が、顕微鏡の中でうねうねと苦しげにのたうち回っていた。かわいい顔して、なんちゅう気の毒なもん観察しとるんや。と思ったが、これも立派な仕事なのである。別の若い女性研究者は、「いまは干物しかないんですが……」と言って、乾燥したヤツメウナギを嬉しそうに見せてくれた。お年頃の彼女たちが、合コンに参加したときのことが心配だ。「どんな仕事してんの?」と訊かれたとき、「えーと、たとえば線虫を歩けなくしたりとかぁ……」とは答えないほうがいいような気がする。朝から晩までショウジョウバエとにらめっこしている人もいた。高さ10センチぐらいのビンにびっしり詰め込まれたショウジョウバエはなかなかの壮観。幼虫のことを「ウジ虫」と呼ぶと、ショウジョウバエの研究者に怒られるらしいということがわかった。パパラッチをウジ虫呼ばわりしても怒られるのかどうかは知らない。ところであの部屋、ショウジョウバエが何匹かぶんぶん飛んでいたのだが、大丈夫なんだろうか。バイオハザード。



12月9日(月)12:25 p.m.

 雪だ雪だ。雪はコーフンする。(←こんにゃく文)。道がぐちゃぐちゃで歩きにくかったり転んだりするので本来なら不愉快な天気であるわけだが、なぜか雪のときは街を歩く人々の顔が半笑いだ。階段ですってんころりんしてるサラリーマンのおじさんも、たいがい笑いながら転んでいる。あははははははは転んだ転んだ俺は転んだあははははははバッカだなぁ俺。仕事場に来る道すがら、なぜ雪が人をコーフンさせるのか考えていたのだが、たぶん、「その気にさえなれば雪合戦ができる」というこの状況がその要因だと思う。その気になれば雪合戦ができるような状況で、ふだんの冷静さが保てるはずがない。みんな、実はウズウズしてるんじゃないのか。しゃがんで、うわっ冷てぇとか言いながら丸めて、投げて投げて投げまくりたいんじゃないのか。私は投げまくりたい。ためしに渋谷のスクランブル交差点あたりでおっぱじめてみたら、少しは景気も回復するような気がする。都市が失った人と人の連帯感も、ひょっとしたら取り戻せるかもしれない。雪を共有せよ。

 仕事場だと寝たり遊んだりしてしまうので、このところ喫茶店で口述速記原稿を読むことが多かった。そんなとき「撲滅したい」と強く思うものといえば、他人のケータイ着メロに決まっている。そもそも私はああいうのっぺりした電子音で作られた音楽が苦手で、だからテレビゲームもやらない。着メロというのは、おおむね自分の好きな曲にするのだろうと想像するが、あんな非音楽的な音で自分の好きな曲をキカイに奏でさせて平気でいられる神経が私には理解できないのである。いくつ和音が重ねられるようになろうと、あんなものは断じて音楽ではない。その曲が本当に好きなら、もっと大事にしたまへ。聴きたければ、CDなりMDなりでちゃんと聴きなさい。だいたい、好きな曲というのは、いつまでも聴いていたいものだ。ところが着メロというのは、鳴ったとたんに「なるべく早く止める」ことが宿命づけられている。好きな曲が始まって2小節もたたないうちにブツリと止めて「もしもし」などと平気で言える神経もまた私には理解できない。音楽を何だと思っているのだ。人が一生懸命に作った曲を単なる「合図」として使うこと自体が、芸術に対する冒涜じゃないか。合図には合図にふさわしい音列というものがある。

 きのうはセガレのサッカー大会@としまえんが行われる予定だったのだが、前日の雨によるグラウンドコンディション不良のため残念ながら1/19に延期。しかし、午後から本人が熱を出したので、結果オーライである。そういうツキも、フットボーラーには大事だ。

 そんでもって、なんともツキがなかったのがラツィオ×インテル(セリエ第12節)である。真価が問われる一戦。相手の2トップ(ビエリ&&クレスポ)と中盤のキーマン(アルメイダ&コンセイソン)がOBであることを考えても、負けるわけにはいかない。ま、シメオネとかペルッツィとか、こっちにもインテルOBがいるわけですが。で、結論からいうと、負けはしなかった。3-3のドローだ。立派なスコアである。サッカーはこうでなくちゃいけない。でもね、やっぱり、3-0から追いつかれちゃいけないと思うんですよ私は。クラウディオの3連発でリードしたときは、ほんとうにラツィオって強いと思った。クラウディオとコッラーディの仲良しこよしなゴールパフォーマンスには、チームの結束力も感じた。あれは、いったいどういう意味なんだろう。アルゼンチンやイタリアにも「せっせっせのよいよいよい」があるのか? しかし、その愉快なパフォーマンスが未完成で、ちゃんと最後まで出来ていなかったあたりが、ラツィオの限界だったのかもしれない。3点目の直後にビエリに1点返されると、後半にはエムレの2発。がっかりだ。このメンバーで戦えるのは市場が開く1月までかもしれないというのに……。これで、ミランともローマともインテルとも引き分け。来週のユーベ戦こそ、スカッと爽やかに勝利して華々しく 散ってほしい。主力が売られていく前に、ネドベドやサラスと一緒に思い出づくりをしようじゃないか。

 ミラン×ローマ(セリエ第12節)は上ザーギの一発で1-0。途中出場で決勝ゴールをモノにしたピッポの喜び方は尋常じゃなかった。シャツ脱ぐのが早い早い。祝福しに来たルイコスタが「落ち着け、落ち着くんだ」と懸命になだめているように見えた。これでミランがラツィオを抜いて首位。ローマ弱すぎ。勝てとは口が裂けても言わないが、1点ぐらい取ってこんか。

 パルマ×レッジーナ(セリエ第12節)は2-0。要するに、アドリアーノがいるかいないかの差だったような気がする。サボルディがいるかいないかの差、ということもできるけど。

 日本人ダービーに決着がついたあたりで、ブレシア×ユベントス(セリエ第12節)にチャンネルを替えると、ちょうどターレのゴールが決まったところだった。なーんと2-0。最高です! 最高です! ロスタイムが7分もあってどうなることかと思ったが、そのままユーベ初黒星。ありがとうブレシア! インテル戦の傷が6割ほど癒えました。



12月7日(土)

 それを必要とする仕事が終わったので、この1ヶ月間デスク上を占領していた『テニスの王子様』全15巻を書庫に「えいやっ」と片付けたと思ったら、発売されたばかりの16巻が編集部から届いた。青学の乾・海堂ペアが氷帝学園に勝ったかどうか気になっていたので、さっそく貪り読む。そうかー。負けちゃったかー。念のため言っておくと、青学というのは青春学園の略だ。興味ないかよ。そうかよ。仕事を離れてマンガを読む幸せを満喫したです。いや、ふつうは仕事を離れて読むのか。ふだんはぜんぜん読まないのに、今年はマンガばっか読んでたよな。『キャプテン翼』も『テニスの王子様』も、どっさり付箋を貼ったままの状態で本棚に収まっている。考えてみると、フシギな光景だ。あなたは、マンガに付箋を貼ったことがありますか。マンガに付箋を貼ったことのある人は、日本人ラツィアーレよりも多いだろうか、少ないだろうか。日本人ユベンティーノよりは少ないが、日本人エンポリスタよりは多いかも。エンポリ好きな人のことをエンポリスタと呼ぶかどうかは定かではない。コモ好きな人は、コモエスタ? どうでもいい話ばっかりだ。コモ好き。ツチノコより少ないかも。



12月6日(金)11:55 a.m.

 きのう発売の『WORLD SOCCER DIGEST』12.19号に、いとうやまねさんがお書きになった記事が載っている。おもしろいなぁ。チャンピオンズリーグのあの大仰なテーマ曲が、こんなにバカバカしい内容だったなんて。そんなにチカラ込めて朗々と歌い上げたいか、この歌詞。ヨーロッパの文化レベルをちょっと疑いたくなった。きっと、選手を洗脳しようとしてるんだと思う。……以上の意味がわかりたい人は、本屋へGO!

 本屋をぶらぶらしていると、たまに自分を呼んでいるとしか思えないタイトルに出会うことがある。だいぶ前に本誌でも紹介したが、たとえばホルスト・ガイヤーという人が書いた『馬鹿について』(創元社)がそうだった。まだ読んでいないが(まだ読んでないのかよ)、「おれはこれを持ってる」と思えるだけで2800円のモトを取ったような気になれるタイトルである。いや、2800円だからこそこのタイトルが光る、と言うべきか。で、きのう吉祥寺の古書店に行った際、久しぶりにそんなタイトルに出会った。

 ウはウミウシのウ

 買わずにいられようか。なにしろウミウシである。一瞬、「ウミ」のウなのか「ウシ」のウなのか迷ってしまうあたりがディープだ。萩尾望都に『ウは宇宙船のウ』という作品があると聞いたことがあるので、たぶんそれがモトになってるんだと思うが、それにしたってウはウミウシのウってことはないと思う。なんという勇気。このタイトルを編集会議で押し通した著者と編集者のガッツには敬服せざるを得ない。

 ホルスト・ガイヤーが馬鹿について書きたくて書きたくて仕方がなかったのと同様、本書の著者である宮田珠己さんも、ウミウシについて書きたくて書きたくてたまらなかったに違いない。ウミウシについて書きたいという衝動を抑えられないようなタイプの物書きが、私は好きだ。

 なので、中身を見もせずに買った。定価1300円が700円だった。版元は小学館。サブタイトルは「シュノーケル偏愛旅行記」である。どうやら「変なカタチの海の生き物」に関するエッセイ集のようだ。プロフィールを見ると、宮田さんは私と同い年らしい。不勉強な私は知らなかったが、『旅の理不尽』という自費出版本が口コミで売れまくったそうだ。まだ冒頭部分しか読んでいないが、自著を『ウはウミウシのウ』と題してしまうようなタイプで、しかも私と同世代の人なら、たぶんこういう文章を書くだろうなぁと事前に予想したとおりの文章だった。期待を裏切らない本はえらい。いずれ宮田さんがオウン検索でここにたどり着くかもしれないのでご挨拶しておくと、私はあなたの文章が好きです宮田さん。『旅の理不尽』はちゃんと新刊書店で買って重版に貢献したいと思います。

 ところで、あったら記念に買ってやろうと思っていたのだが、古本屋に私の本は見当たらなかった。ホッとするような寂しいような、フクザツな気分である。以前オウン検索をしたときに、拙著を600円で購入したと書いていた人がいたので、あるところにはあるんでしょうけど。見つけたら、付着した指紋を知り合いの指紋と照合したくなるかもしれない。陰険なのである。それにしても、入り口に置かれたダンボールにぎっしり詰め込まれて「100円均一」で売られている本の著者は、どんな気分なのだろうか。それでも「読んでもらえれば嬉しい」と思えるのだろうか。

 ゆうべは、ソシエダ×バルセロナ(リーガ第12節)をビデオ観戦。魅力も迫力もナッシングの駄目駄目バルサが、なぜかクライファートのゴールで先制。いや、記録上はベスタフェルトの自滅点なのかな。DFに当たってコースが変わり、ポストに当たってからベスタフェルトの顔に当たってゴールイン。神様も意地悪なことをする。しかしソシエダは強かった。そしてバルサは弱かった。元ラツィオの(まだそんなことを言っている)コバチェビッチが颯爽と2発ブチ込んで2-1。バルサはモッタとオフェルマルスがレッド喰らって駄目の上塗りをしていた。左サイドが2人とも出場停止になってどうする。



12月5日(木)11:30 a.m.

 よっこらしょ、っと。重い荷物をいくつも下ろして、やっとこさ一段落である。っていうか、更新を中断してるあいだに300個以上は段落つくったと思うけどね。改行するごとにだんだんラクになるからダンラクっていうのかも。うーむ。早野さん以下だなこりゃ。山田くん、座布団ぜんぶ持っていきなさい。

 辛かったのである。日に日に無理のきかない体になっていくようで寂しい。ま、こんなときにマッキー編集部からこぼれてきたルーズボール(商品情報600字×6本)を拾ってしまう私がいけないわけですが。月曜日に「明日〆切なんだけど、できない?」と言われたときはさすがに「できましぇーん」と断ったが、3時間後に「印刷所にかけあって、あさっての夜までになったんだけどダメぇ?」と泣きつかれて、「あさっての夜かぁ〜〜〜〜〜、んが〜〜〜〜〜。やります」と引き受けた。この季節、発注側も受注側も一杯一杯なのである。泣きながら原稿を書いているのは、きっと私だけではない。

 そんなこんなでバタバタしているうちに、来年のゴースト仕事が2本も舞い込んできた。ちょっと前まで「2月末まで(単行本は)手一杯」だったのが、たった2本の電話で「GW前まで手一杯」になるのだから、楽といえば楽な話である。「へいへい、やりますやります」と安請け合いしたもんで、いったい何を書くのかよくわかってませんが。たまに、著者も何を書くのかわかっていないことがあるのでこの仕事は厄介だ。口述取材で初めて会った私に、「で、何を喋れば?」と訊かれても困る。

 というわけで、これから4月までに4冊書かねばならぬので、ひと息ついているバヤイではないのであった。とりあえず10日の神戸出張までに50時間分の口述速記に目を通さないとH君に叱られるのである。50時間分の速記原稿は50時間で読めるのだろうか。あ、50時間もかかったら1日10時間読んでも間に合わねえや。

 サッカーはここ数日ほとんど見ていないが、ラツィオの試合はハイライトで見た。すごい濃霧で、何がどうなっていたのかよくわからない。グラウンドレベルのカメラで横から撮った映像ばっかりだったから、あれじゃ中継しても意味なかっただろうな。ゴールを決めて咆吼するシメオネの勇姿を拝めただけでも良しとしよう。コッラーディの勝ち越しゴールは前述したとおり後半ロスタイムの出来事だったが、クラウディオの同点ゴールも前半ロスタイムのものだった。なんて粘り強いんだろう。驚異の納豆サッカーだ。この調子で、続くインテル、ユーベ戦を乗り切ってもらいたい。

 トヨタカップのビデオは、ゆうべ自宅でサッカーズの原稿を書きながら横目で眺めた。実況はろくに聞いていなかったので、今年の日テレ式中継がどんなものだったのかは知らない。きっと、「スター軍団レアルはほとんど世界選抜」で最初から最後まで押し通したんだろうとは思うが。違った? トヨタカップにおける観衆のどよめきは、サッカーというよりサーカスに似ているな、と思った。




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edogawa's diary on 2002-2003 season #14.